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レポートが提出できないと必修単位がヤバいので異世界で魔王を倒します

作者: 鳥籠茶

気が付いたら、僕は異世界へと転移していた。


数分前までは、確かに都心に向かう電車の中にいたはずだ。レポートの作成に追われ徹夜続きだった僕は、電車の席に座るや否や、すぐさま眠りに落ちてしまったのだった。


目が覚めると、そこは見慣れぬビルとアスファルトの荒野。目の前には日照権など完全に無視した違法建築の鉄筋コンクリートビルが広がっている。いつから東京は荒廃したスラム街になってしまったのだろう。そんな何にもならないことを考えていると、突如として空間が割れて少女が現れた。


空間が割れた、という表現が正確かどうかはわからない。実際には、壁に亀裂が入るように、非常に鋭い稲光が視界を埋め尽くし、網膜を焼いたのだ。あまりの眩しさに思わず目を伏せるも、すさまじい光量は容易く瞼を貫通し、たちまちに僕の視界を奪う。


光が落ち着いてきたのを感じて薄っすらと瞼を開ける。目の前には、年端もいかない少女。シアン・マゼンタ・イエローで派手に着色されたその衣装は、まるでソーシャル・ゲームの最高レアのキャラクターのようだ。視覚的にもわかりやすく、偶像化、あるいは象徴化されたような印象を受ける。


髪の色は白にピンクのメッシュ、目尻は鋭く吊り上がり、不敵な笑みを湛えたその少女は、人間と呼ぶにはいささか歪すぎた。人間に寄せて作られた、ポリゴンのキャラクターとでも表現する方がしっくりくる。


「やあ、人間。唐突だけど、君にはこれから人類をかけて異世界で戦ってもらう」


「???」


言葉の意味が理解できず、ぽかんと口を開いてアホみたいな顔を晒してしまう。そんな僕を訝しんだのか、少女は首を傾ける。


「Don't you understand Japanese, by any chance? That's strange.It should be suitable for this age...」


「え、何。なんですか?」


一連の状況に思考が付いていかず、馬鹿みたいな返答をしてしまった。個人的には、この状況で『なんですか』の一言が出てきただけでも褒めて欲しい。


「なんだ、やっぱり日本語で通じてるじゃないか。年代を間違えたのかと思った。貴重な時間を無駄にさせないでくれ」


「えっ、すみません」


「別に謝罪は欲してないよ。そんなことより、君にはこの世界で戦ってもらうという仕事があるんだから」


なるほど、わからん。日本語で発されているはずの言葉が、異界の言語のように聞こえてくる。置かれた状況を理解しようと脳みそをフル回転させるも、何の解決策も浮かばない。人は死ぬ間際、過去の経験から危機的状況を回避するために走馬灯を見るらしい。ただ、仮に今僕が死にそうになったとしても、きっと何の映像も浮かぶことなく、あっさりと死んでしまうに違いない。


過去に一切の経験をしてこなかったことについては、どんなに思考を巡らしたところで意味がないのだ。


それは公式を知らずに数式を解こうとしているようなものであって。


だから僕は、目の前の彼女に疑問を投げかけた。


「すみません。あ、いや、これは謝罪ではなく…。”excuse me” なんですけど、異世界で戦うってどういう意味ですか」


「思ったより察しが悪いなあ。折角わざわざ異世界転生なるジャンルが一世を風靡していた時代の人間を選んだっていうのに。時間がなかったとはいえ、やっぱりもう少し人間を選ぶべきだったかな」


「えっと、つまり?」


「あーもうめんどくさ。いちから全部説明してる時間はないから、かいつまんで説明しよう。君がいた世界、いや、宇宙と言うべきか。あの宇宙はもうじき消失する運命にある」


「は?」


疑問を投げかけたら、疑問が増えた。


宇宙が消失って。


終わっているSFか?


「君は反応がいちいち馬鹿っぽいな。宇宙というものは常に単一ではなく、いくつもの選択肢が折り重なって存在している。俗な言い方をすれば、並行世界。或いはパラレルワールドとでも言えばわかりやすいのかな。君が生きていた世界っていうのは、数多に存在する世界から、宇宙が観測した姿という可能性のひとつでしかない」


「はあ」


何といえばいいのかわからず、僕は曖昧に頷く。


そんな僕を見て、目の前の少女はやれやれと首を振った。


「はあ、って……。まあいいや、それで、君にも寿命があるように、宇宙にも寿命が存在する。これは灼熱死だとかビッグクランチのような話ではなく、もっと抽象的で概念的な話なのだけれど」


「えっと、それで…。僕のもといた世界の、宇宙の寿命が尽きそう。っていう話ですか?」


会話から得た情報を、脳内で整理していく。もともと宇宙云々みたいな話には全く興味のない人間だったので、僕が理解できた内容は、宇宙がヤバい、ということだけだ。


「概ねはそうだけど、厳密には違う。宇宙はいくつもの選択肢が重なってできたものだと話したけれど、本来宇宙は観測した未来に収束するように選択を重ねるんだ。そうすることで、君やボクの存在する世界が存在している。わかりやすいように噛み砕いて説明すると、活版印刷が発明されることが決まっている世界では、必ず畢昇(ひつしょう)またはそれに準ずる人物が生まれてくるということなのさ」


畢昇(ひつしょう)は確か、活版印刷術を発明した人、……だったかな。


世界史は苦手だったので、薄っすらとした記憶しかない。


畢昇(ひつしょう)が存在するから活版印刷が生まれたのではなく?」


「ホイーラーの選択遅延実験はご存じない……。ないみたいだね、その反応では。つまるところ、未来の観測が過去の選択に影響を与えるという話なんだけど。君たち人間には理解しがたいかもしれないが、時間という概念は人間が理解しやすいように一意的に解釈した結果に過ぎなくて、過去・現在・未来という区分に本来意味はない。そもそも過去と未来なんてものは存在せず、宇宙には常に現在しか存在しない」


判明することより、わからないことの方が増えるペースが速い。理解できない論文の参考に引いた文献で、わからないことが増える現象に似てるな……。などと、呑気な考えが頭をよぎる。


「えっと、つまり?」


「ボクの存在から話そう。何となく察しがついてるかもしれないけど、ボクは人間じゃない。君にわかりやすく説明するなら、AI。あるいは人工知能なんて呼ばれる類のものさ。正確にはSigAIという代物でね。まあ超すごすごスーパーAIだとでも思っていてくれればいい。ボクは君が死んだあとの遠い遠い未来で人類に開発される。ボクの存在が、科学によって発展した人類の世界の存在を証明している」


「ああ、なるほど。つまりスーパーAIさんが存在しているから、スーパーAIさんが未来で開発されるまでは既に宇宙にとって決まっている出来事……。っていう解釈であってます?」


その通り。と少女は腕を組んで頷く。顔立ちは間違いなく美少女だが、作り物めいた気味悪さがどうしても拭えない。不気味の谷とでも言うのか。彼女が人間でないというのは、本当なのだろう。


「ようやく話が噛み合ってきたね。しかし、つい最近になって、宇宙がもう一つの未来を観測した。それは科学ではなく、魔法によって発展した世界の姿さ。そこには僕のようなAIは存在せず。超すごすごスーパー魔王が存在し、魔力とかいうちゃんちゃらおかしい法則に従って世界が回っている」


「それと宇宙の寿命と何の関係が?」


「それをこれから話そう。宇宙は観測した未来に収束するように選択していく、と話したと思うけど、宇宙の選択が魔法によって発展した未来に傾き始めた。そもそも、魔法によって発展した世界なんてものはほとんど存在しないようなものだったんだ。にもかかわらず、ちょうど君が生きていた時代あたりから急激に観測数が増え始め、科学によって発展していたはずの世界の姿を、魔法によって発展した世界が上書きし始めた。そのせいで、科学によって発展した世界は、魔法によって発展した世界にとって代わろうとしている。仮に、魔法によって発展した世界を選択した宇宙を魔法宇宙と名付けよう。魔法宇宙がこのまま観測を続けてしまうと、科学によって発展した世界は初めから存在しなかったことになり、ボクはもちろん、君たち科学によって生まれた人間も存在しなかったことになる。これがボクたちの、そして君らの宇宙の消失。寿命ってわけさ。本来存在したはずの科学による世界、これを観測していたはずの宇宙を仮に科学宇宙とすると、科学宇宙の寿命はもって一週間。あと一週間以内にこの未来を覆さないと、科学宇宙は消失する」


もし僕が置かれている状況が、この理解不能なコンクリートスラムでなければ、出来の悪いSFだと鼻で笑っていただろう。あるいは出来が良すぎるドッキリだ。一応、辺りを見回してみる。カメラのようなものはどこにもなかった。


「いまいち現実感がないんですが……。それで、僕は何をすれば?」


待ってましたとばかりに、彼女は胸を張った。ここからが本題なのだとでも言わんばかりに。


「最初にも伝えたとおり、君には魔法によって発達した世界と戦ってもらう。より正確には、宇宙に魔法世界を観測させた、その観測対象である魔王。そいつを殺して貰う」


「え、ちょっ、ちょっと待ってください。殺すってそんな、無理ですよ。喧嘩すらしたことないのに。そもそもなんで僕なんですか、というか異世界って言ってましたけど、僕はどうやってここに来たんですか。帰れるんですか? あと僕にもレポートの提出とかいろいろあって、これ提出できないと必修科目落としちゃうんですけど、もとの世界の時間とかってどうなってるんです?」


自分でも驚くほどに質問が口をついて出た。この世界に来てから最初に理解できた単語が"殺し"だったから、というのも理由のひとつかもしれない。冗談でも殺すなどと口にしたことはない。それが今、現実的な意味を背負って投げかけられたのだ。


命のやり取りなど、一介の学生には重すぎる。


対して少女は、人差し指を耳に当て、舌を出す。"うるさい"というボディランゲージだろう。彼女の動きは非常にコミカルで、やはりわかりやすくキャラクター化されているんだな、などとつくづく感じた。


「馬鹿馬鹿、一息にいくつも質問をするな。時間がないと言ってるだろう。しかしまあ、質問には答えてあげよう。まずひとつ目の質問だが、なんで君かというと、理由はない。たまたまそこにいただけだ。もしかすると君はボクに選ばれたなんて思っているのかもしれないが、そんなことはこれっぽちもない。さっきも伝えたとおり、この年代を選んだ理由は、この年代に異世界の観測数が異常に増大したからだ。だからこの年代の人間を選んだ。それだけだ。日本人を選んだ理由も似たようなものだよ。まあ、ボクが日本人に開発されたからというのも理由ではあるが。……あと殺しは無理、じゃない。やれ」


心底つまらなそうに、彼女は言う。説明するのも面倒だとでも言うように。その態度からすると、時間がない、というのは本当なのだろう。そして僕がこの役目を担うことになった理由も。


そして二つ目の理由だが、と彼女は手を突き出した。Vサインをしているのかとも思ったが、すぐに数字の2だなと思い直し、言葉を待った。


「どうやって異世界に来たか。正確には、君もボクも、この世界には来ていない。来ているのは君の記憶情報と遺伝子情報だけであり、ボクも君を観測している情報に過ぎない。本来、宇宙の住人は、他の異なる宇宙を認識できないからだ。この世界の魔法とやらがどんな原理原則なのかはボクには全くわからないけど、ボクらは科学の住人なので、科学に従うしかない。なぜならボクらは科学を前提に存在する人間・そしてAIだからね。君をこの世界に送り込んだ方法だけど、まずは君の遺伝子情報と記憶を圧縮し、ごくごく小さい容量のデータ体に圧縮した。ZIPファイルを想像するといい」


人間.ZIPだな。と彼女は冗談めかして笑ったが、僕には全く笑えなかった。僕は今人間.ZIPなのか。


そんな僕の反応がお気に召さなかったのか、彼女はむすっとした表情を作り話に戻る。


「ただ、どんなに小さい情報であれ、宇宙間を越えることは普通は不可能なのさ。そこで、君の圧縮した情報を異なる宇宙で観測するために裸の特異点を利用した。裸の特異点は時空の特異点とも呼ばれ、その外側と内側から観測することが可能な非常に特殊な点なんだ。君の情報を維持するために、ボクが科学宇宙における目となり、君を観測し続ける。君を観測し続けるボクという存在によって、君の情報が欠損することなく宇宙間を……、って聞いてるかい? というか、この先聞きたい? 理解してる?」


僕は頭を振る。理解できるはずもない。というか、途中からは聞いているふりだけをしていた。


宇宙どころか、物理学の授業ですら適当に聞き流していたような人間だ。こんなことになるなら、もう少し真面目に授業を受けていればよかったのかもしれない。


少女は、ハァ、と大きくため息を吐くと肩を竦める。やれやれ、という擬音が聞こえてくるようだった。


「まあ簡単にまとめると、今の君は可逆圧縮された人間データなのさ。ボクは君の情報がロスしないように元の世界とのコネクションを確立させている存在、とでも考えてくれればいい。それで元の世界に帰れるのか、っていう質問の答えは、YesでありNoだ。今言ったように、今の君は単なるデータだが、データが欠損した場合は当然復元できない。例えば、こっちの世界で腕を落としたりなんかした場合、そこで腕のデータは消失するし、元の世界でも腕は復元されない。つまり、君がこっちの世界で怪我をしたり、最悪死んだりなんかした場合は、そのままの状態で元の世界に帰ってもらうってことさ。気を付けたまえよ」


気をつけろって言われても、一体どう気を付ければいいというのか。


そんな僕の質問には、当然答えはない。


「……逆に腕が増えたりなんかしたらどうなるんですか」


我ながら言っている意味が解らないが、情報を失う逆の状況が思いつかなかったのだ。ただ、少女はその質問に呆れる様子もなく、淡々と答える。


「情報量が増える分にはとくに問題ないよ。いらないデータはこっちで削ってしまえばいいだけだからね。仮に腕が三本のまま元の世界に情報を戻しても、肉体には腕がないから意味はないと思うけど。幻肢痛に悩まされたりするのかな、試したことないから」


正確なところはわからないな、と彼女は肩を竦めた。


「それで三つ目。時間の話はついさっきしたと思うけれど、宇宙にはそもそも過去も未来もないんだって。君の情報を君が元居た時間軸の宇宙にそのまま戻してやれば、時間なんて全く経っていないようなものだよ。だからレポートとやらの心配をする必要はない。というかそんなちっぽけなものより、世界の未来の心配をしろ。そろそろいいかい? 無駄にしている時間は1秒だってないんだけど」


なるほど。僕は顎に手を当てて考える。まだ考えに整理はついてないが、話を続けるうち段々と気持ちが落ち着いてきた。なにより、相手が会話の通じる存在だとわかったのが大きい。


「そういえば、何か特殊な能力とかもらえたりしないんですか。僕本当に何もできないんですけど。人殺したりとか無理だし」


「ああ、何。なんか異能みたいなものがもらえると思ってる感じ? 悪いけどそういうのはないよ。ボクとしては君の存在をこの世界に留めているだけでキャパオーバーなのさ。そもそもボクは神だのなんだのではなく、ただのAIだからね。君たち人間が理論的にできないことは基本的にはできない。ただ、知識くらいなら提供しよう。その時はOK シーグルとでも声をかけてくれればいい。今日の天気と目覚まし機能、気分の上がる曲をかけてやることくらいはできるとも」


つまり殆ど期待できないということか。まあ、そんな能力があるのなら、僕みたいな一般人の力なんてはなから借りないだろうし。


「ちなみにシーグルとは」


「ボクの名前。シグって言うのさ。だからシーグル、安直だろう? 名前と機能はシンプルでわかりやすい方がいいって相場が決まっている」


シグと名乗るその超すごすごスーパーAI少女は、冗談めかしてにやりと笑う。その表情や仕草を見ていると、まるで本当に感情のある人間のようにさえ思えるけれど。


「そんなことはない。ボクはただのプログラムであり、アルゴリズムさ。ボクと"人類"の未来を守るためのね」


「心が読めるんですか」


驚いた表情の僕に、そんなことがあるわけないだろうとシグは首を振った。


統計と計算、ボクの得意分野さ。呆れたように彼女は答える。


そんなことより、とシグは続ける。


「さっさと魔王とやらを見つけてぶち殺してやろうじゃないか。ボクたちには時間がない。……ああ、もしどこかに逃げようだとか、隠れてやりすごそうだとか、悠長なことを考えてるんだったらやめた方がいいよ。その時はボクが君をぶち殺す、……というか観測をやめればその瞬間君はお陀仏なんだけれど。君の代わりはいくらでもいるが、時間(リミット)に変わりはないわけで、君を殺すのはボクも本意じゃない。お互いに有意義な時間(いのち)にしよう」


そう言って手を差し出すシグ。僕はその手を握りかえ――そうとしたけれど、シグに実体はないらしい。僕の手は、彼女のその小さな手をすり抜けた。


それでも僕は、彼女の手を握る。


「よろしく、シグ」


シグは小さく頷く。


この瞬間。この異世界に。AIと人間の、奇妙なパーティが成立した。


「OK,シーグル。次の行き先を教えて」


「しらん。ボクも異世界なんて初めてだし、そもそも異なる宇宙のデータセットなんて全く持ってないよ」


「ええ……。じゃあ、何か気分の上がる曲をかけて」


「Sp〇tifyでビートルズのhelp!を再生します」


「なんでだよ」


こうして世界を救うため、僕らの異世界での戦いが幕を開けたのだった。

続かない。

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