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勘助

 「さてと。さっきも聞いての通り、素直に話せばちゃんと逃がしてやるから、芙蓉ふようさんに聞かれた事に正直に答えな。十和田正志朗とわだせいしろうって言えば安部正兵衛あべのせいべい三輪政教みわまさのりと一緒の若い侍だろ?あんた、あの人たちと何か関係があるのかい?」

 「だから、さっき言った通りただの通りすがりで…。」

 「あんた、ここの人間をなめてもらっちゃ困るね。俺達は蔑(下げす)まれながら必死で命を繋いでるんだ。そんな見え見えの嘘に騙されるとでも思ってんのかい?」

 「・・・。」

 「じゃあ、質問を変えようか?さっき言った誰とも関係ないならあんたは一体どこの誰だい?何の為に若い娘が男に化けてこんな所に来た?」

 どこまで正直に話していいのだろうか?嘘の下手な暁は嘘で誤魔化す事を既に放棄した。正直に話せばちゃんと逃がしてくれるなら話せるところだけでも話せばいいのだろうか?本当に逃がしてくれるのか男の言葉も疑わしいが、どうせ殺されるかも知れないのなら一か八か賭けてみようと思った。相手が信じるかどうかは別として。

 「私はただ連れて来られただけでこんな所だなんて知らなかったんです。だから逃げ出そうとしてたんで…。」

 「それじゃよくわからんな。もうちょっとちゃんと説明してくれ。」

 老人の声が少し穏やかになったので暁には少し希望が見えて来たような気がした。

 「私は元々鷹頭山たかとうさんの奥で母と二人で暮らしていたのですが、何故か連れの男にさらわれてここに連れて来られたのです。」

 「妙な話だな。攫った娘を売りに来たんならともかく、何でその男はあんたまで客として連れて来たんだ?」

 「だから、私もそれを聞きたい位で、私にも何が何だか分からないのです。それで隙を見て逃げ出そうとしただけです。」

 「それにしても鷹頭山と言えばかなり険しい山だが…。そんな所で女二人で暮らしていたとは。何か事情でもあるのかな?」

 男が不味いところに触れてきた。

 『しまった。どうしよう?なんて言えばいいの?』

 「他に家族は?父親はどうした?」

 「弟が居ましたが出稼ぎに出たまま数年前から戻って来なくて。父は私が幼い頃に亡くなって父の事は何も知りません。」

 「ほう。で、父親の名は?名前位は知っているだろう?」

 「名前すら知りません。」

 絶対に口にできない名だ。

 「では母親は?母親の名は分かるだろう?」

 「・・・。」

 「ならあんた自身のの名は?」

 暁が黙っていると男がいきなり暁の髪を束ねていた紐を引っ張った。

 「あ、何を?」

 暁が慌てて飛びのく。いよいよ襲われるのだろうか?おびえた暁を灯りで照らし、髪を下ろした暁の顔をまじまじと眺めて男がつぶやいた。

 「とき殿にそっくりじゃ…。」

 その名を耳にして暁はビクッと体を強張らせてしまった。

 時は正に暁の母の名だった。暁の反応は男に確信を抱かせた様だった。これから何をどう言い繕っても事実は隠せそうにないように思えた。本田春臣の娘だということがばれて役人に引き渡されるのだろうか?そこで殺されるのだろうか?もしかしたら成頼が助けてくれないだろうか?いずれにせよ春彦のことだけは命に代えても隠し通さなければならない。自分の失言で苦労を重ねてやっと城にもぐりこんだ弟の出自がばれるような事になってはならない。そんな考えが一瞬で暁の頭の中を駆け巡る。

 そんな暁の緊張を男は察した様だ。そして、更なる追求を覚悟して身を固く縮こませていた暁は、次の瞬間思わぬ言葉を耳にした。

 「時殿はわしの従兄妹いとこだ。」

 「え…?」

 「わしの名は山岡勘助やまおかかんすけだ。この名を聞いた事は?」

 暁は首を横に振った。本当に聞き覚えがなかった。男は少し残念そうな顔をした。

 「わしは先の領主、本田春臣様に付いて戦った者だ。わしもこの名を知られると命がない。これでわしを信じてもらえるかな?」

 「・・・。」

 暁には分からなかった。勘助の話に嘘は無い様に聞こえた。だが、もしかすると暁から真実を聞き出そうとする罠かも知れない。迂闊うかつにも『弟がいる』などと言ってしまったのだ。これ以上ぼろを出す訳にはいかない。

 「わしは先の戦いでこんな体になってしまった。もう一度戦いたいが、これではいい足手纏あしでまといだ。先の戦いで華々しく散ることもできず、あるじが死してなお生き恥をさらしておる。」

 暁の心が痛んだ。『もしかしたら生きているかも』と思っていた父の死が明確になった事と、本田家の為に戦ってこんな不自由な体になったというのに主を恨むでもなく、生きていることを恥じるほどの忠義を見せる勘助に、そしてその勘助をまだ信じきれずにいる自分自身の心に。

 そんな暁を前に、勘助の言葉は続いた。

 「自害も考えた。だが、かつて春臣様より鷹頭山にご家族がいることを聞いていた。何度も捜しに行ったが見付からなかった。何とかしてご家族の助けになりたいと願っていたがそれも叶わず、わし自身身の上がばれれば殺される身。表立った事もできず、こうして遊郭ゆうかくの下男に身をやつしていつか裏切り者共に一矢報いる機会を窺っているという訳でしてな。幸いここには本田家を裏切って上野に寝返り、のうのうと重臣に納まった不埒な輩がしょっちゅう出入りする。先程名前の出た安部や三輪などその最たる例じゃ。ここの女達は客の秘密をよく知っている。わしは大事な情報を掴むには最適な場所におる。もし次に弟君に会うことがあれば、ここに勘助が、本田家の忠臣が居ることをお伝え下され。必ず何かのお役に立ちまする。」

 暁は何も言っていないのに勘助は暁を本田春臣の娘と決め付けた様で、話し方も先程と変わってきていた。暁はここで頷いていいものやら、あくまでも隠し通すべきなのか判断がつきかねて返事ができず、ただ黙っていた。

 それでも勘助には確信があるのだろう。暁を見る目が優しかった。

 小屋の外で小鳥の鳴き声が聞こえ始めた。格子窓から朝の青白い光が差し込んできた。夜明けが近い様だ。

 「もう夜が明ける。逃げるなら急いだ方がいい。そうじゃ、ちょっと待ってて下され。」

 勘助は小屋の奥からごそごそと何かを取り出して来た。

 「これを時殿に。勘助からだとお伝え下され。」

 ジャラ、と金属の音がして重みのある袋が暁の手に押し付けられた。

 「母は、先日亡くなりました。」

 暁はつい言ってしまった。自分が時の娘であることを認めてしまったのだ。だが、不思議と後悔はなかった。

 「そうか…。」

 勘助はがっくりと肩を落とし、悲しそうな目をした。暁はこの人は信じていいのだと思えるようになってきた。

 「これからどうされる?ここから逃げたところでお一人で大丈夫ですかな?」

 『そう言えばどうしよう?』暁もちゃんと考えてはいなかったのだ。

 「弟を捜します。」

 取り敢えずそう言った。裏切り者と名指しされた二人と一緒なのだ。あくまでも春彦が正志朗だという事は隠しておこう。勘助を味方と信じるか否かは春彦と相談して決めた方が良い。暁がそう考えて言うと、

 「当てはおありかな?」

勘助が尋ねる。

 「出稼ぎに行った先を訪ねてみます。あなたの事もきっと伝えておきますから。」

 「宜しく頼みますぞ。最後にお二人のお名前を尋ねてよろしいかな?もし若君がわしを訪ねて来られても名前もわからんのでは困りますのでな。」

 暁は躊躇ためらいつつも逆らえなかった。

 「私は暁と申します。弟は春彦です。」

 言ってしまってから不安になった。

 「暁姫か。間違いございませんな。覚えてはおられんでしょうがまだ姫が赤子の頃にお会いしております。それと春彦殿か…。良い名を付けられた。わしにも一人息子がおりましてな。豊川との国境にある谷町たにまちという所で身を隠しております。名は平悟へいご。何かあったら訪ねて下され。あまり頼りにならんが何かのお役には立てるかも知れません。それから、これは暁殿がお持ち下され。」

 勘助が銭の入った袋を暁の手に押し付けた。

 「それはできません。勘助様のものです。どうしてもと仰るなら、春彦が蜂起する時にでも使うよう取っておいて下さい。」

 暁の言葉を聞いて勘助が笑いながら言った。

 「こんなはした金で蜂起などできませぬ。それこそ本田家の隠し金でもなければ…。そう言えば暁殿はお父上かお母上から何か聞かれてませんかな?」

 隠し金と聞いて暁は動揺したが平静を装って

 「いいえ、何も。」

とだけ答えた。勘助の反応はない。何か気付いただろうか?結局暁は銭の袋を押し付けられ、裏口から外に出してもらうと、屋敷の塀に沿ってトボトボと歩き出した。

 春彦はまだ中にいるのだろうか?勘助の事、金塊の事、色々と話がしたかった。もしかして勘助の目的は金塊だったのかも知れない。名前を告げたのはまずかっただろうか?何とかして春彦と話がしたいが人目に付くわけにもいかない。思案に暮れながら暁が屋敷の塀づたいを歩いていると、

 「きゃぁぁぁああああ!」

塀の中からものすごい叫び声が聞こえて来た。

 チチチチチッ、と驚いた小鳥達が庭の木立から一斉に飛び立った。と、ほぼ同時にザザッ、と何かが飛び出してきて塀を越え、暁の目の前に着地した。

 「那由他!」

 元の鬼の姿に戻った那由他がいた。声を聞いて那由他は暁の方へと目を向けた。

 「あれ?お前何でこんなとこにいるんだ?まあ、丁度いいか。逃げるぞ!」

 那由他は暁をいきなり肩に担ぐと走り出した。

 「ちょっと何すんのよ!一体何があったって言うの?」

 「酔っ払って全部喰っちまった。」

 「何を?」

 「部屋にいた女。全員。で、元の姿で寝てるのを見付かった。」

 『嘘でしょ?冗談じゃないわ。こんな奴と一緒にいたら私、どうなるの?』

 「ちょっと、嫌だ!放して!」

 肩の上で暁が暴れた。那由他の腕を振り解こうと手足をバタつかせ、身をよじる。

 「おい、こら!何するんだ。大人しくしろ!」

 よろけて那由他が立ち止まると後ろの辻から男達の声が聞こえた。

 「あそこだ!いたぞ!」

 「仲間も一緒だ!」

 『え?仲間って私の事?』思いがけない言葉を耳にして気が動転する。

 「ほら、追いつかれたじゃないか。」

 那由他が再び暁を担ぐと今度は高く飛び上がった。よその屋敷の庭に逃げ込む。呆然としている暁はもう抵抗しなかった。

 そうやって追っ手を巻き、二人はいつの間にか町を見下ろす小高い丘の上にいた。丘の上に立つ桜の大木の根元に二人は腰を下ろした。暁の着物はいつの間にか元の女物に戻っている。

 「ふぅ。」

 那由他が大きな溜息をついてごろんと横になった。心地よい風が吹きぬけ、桜の木の枝を揺すった。遅咲きの八重桜で、その花ももう終わりに近い。柔らかな風にも沢山の花が散り、雨のように二人の上に降り注いだ。

 「何で私まで鬼の仲間にされる訳?私はただ攫われてきただけなのに!」

 今まで我慢していた憤懣ふんまんが口から溢れ出た。

 「それに何で私をあんなとこに連れて行ったのよ?お陰で散々な目に会ったんだから!しかも部屋にいた人達喰べちゃったってどういう事?人を喰べに行ったなら私が一緒に行く必要なんてなかったじゃない!で、私は一体何なの?喰べる訳でもなく連れ回す理由は?私は何もしてないのに!」

 「何?もしかして俺に喰われたい?」

 「そんな訳ないでしょ?ただ何の為に連れ歩くのかって聞いてるのよ!」

 「昨日も言ったがお前は『不味くて喰えない』。お前を喰わない理由はそれだけだ。喰えるもんならとっくに喰ってる。あの宿には『食事』に行ったんだ。お前だって出された物美味そうに食ってたろ?何で俺が出された女を喰っちゃいけないんだ?」

 「出された膳の方を食べればよかったじゃない。」

 「ああ、ああいうの口に合わないから。」

 ああ言えばこう言う。暁は呆れて次の言葉が見付からなかった。

 「言っとくが俺のもの返すまで逃げても追いかけていくからな。大体の目星はついてるから俺と縁を切りたければあともうちょっとだけ付き合え。」

 そう言われると暁に他の選択肢はないように思えた。

 『こんな奴、早々に縁を切ってやる!』

 春彦の事、勘助の事、考える事はいっぱいあったが、先ずは目の前の悪縁を断ち切らなくては。全てはそれからだ。

 何かと迷いの多い暁の中に一つだけ明確な決意が生まれた。

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