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地下牢

 百合の目に、その娘はさして美しいとは見えなかった。ただ、初々(ういうい)しさときとした瞳の輝きは、他の魅力をたたえているように感じられ、気分を害さずにはいられなかった。しかも娘は父が自分の嫁入りの際に持たせた衣を着ているではないか。それは勿論自分用ではなく、功ある家臣に下賜する為の財産として父が夫に贈ったものだった。それをいくら命の恩人とはいえ家臣でもない田舎娘に与えるなど、百合には我慢ならなかった。だが、それをこの場で顔に出すほど子供じみた真似はしたくない。だからこそ百合は満面の笑みで暁を迎えた。笑顔の裏の深意はひた隠しにして。

 対する暁は全身ガチガチに緊張していた。しきたりも作法も、そういうものが存在することだけは知っていてその内容が全くといっていいほど分からないのだ。何を話していいのかも分からない。何のために呼び出されたのかも。敵か、味方か、いずれでもないのか。かくおのれの出自がばれない様、下手なことを言わないように細心の注意を払わなければならない事だけは確かだった。

「成頼の妻、百合と申す。此度こたびは夫の命を助けて貰ったと聞き、是非一言お礼をと思いご足労頂いた次第、どうぞお気楽に。」

 「あ、あきと申します。お初にお目にかかり、光栄に存じます。あの、お助けしたと申しましても偶然通りかかっただけでして。薬草採りをしておりましたので手元に程よい薬草があったというだけですのに、成頼様にはこの様に厚遇して頂き、身に余るご厚情、恐悦至極きょうえつしごくに存じます。」

 『成頼様にはこの様に厚遇して頂き』などという言葉が百合の機嫌を益々損ねることになっていたのだが、暁には知るよしもなかった。

 「ほう。薬草に詳しいのか。それは頼もしい。」

 百合がさらりと言う。

 そこへ侍女のかえでが口を挟んだ。

 「そう言えば奥方様、今日は暁殿が奥方様のお好きなお菓子をお持ち下さいましたよ。早速お出しいたしましょう。」

 「それはかたじけない。」

 「いえ、私は奥方様をお訪ねするならお持ちするようにと言われただけでご用意下さったのはおそらく成頼様でしょう。」

 暁が成頼の名を口にする度に百合の中で暁に対する敵意が燃え上がっていくことに暁は気付く術もなかった。

 「ああ!これは!」

 重箱の菓子を皿に移そうとしていた楓が大声を上げた。

 「箸が、銀の箸が真っ黒に!毒です!毒でございます!」

 「何と!暁殿、これは一体どういう事か?」

 暁には何が何だかさっぱり分からない。混乱して今自分が置かれている状況も把握できず、言い訳も思いつかない。ただ、何か言わなくてはと口をぱくぱくさせているだけだった。その間にも周囲は物々しい方向へと向かっていく。

 「曲者くせものじゃ!誰か早く!」

 楓が叫ぶ。

 バタバタと数人の足音が近付くのが聞こえた。

 「失礼!」

と叫びながら三人程の男達が部屋に駆けつけた。その中で先頭を切って入ってきた若い男を見るなり暁は思わず叫んでしまった。

 「春彦!」

 暁の言葉はほぼ同時に叫ばれた百合の声と重なり、打ち消された。

 「曲者じゃ!構わぬ、この場で切り捨てよ!」

 「その娘は奥方様に毒を持ったのじゃ!」

 横から楓が付け加える。

 春彦と呼ばれた男は刀の柄に掛けていた手を離すと、暁の腕を後ろに捻り上げて押さえ込み、

 「来い!れ者めが!」

と叫んで足早に暁を部屋から引きずり出して行った。

 「春彦、春彦なんでしょう?」

 暁は今度は自分の腕を捻り上げている若者にだけ聞こえる小声でささやいた。

 「黙れ!先ほどから訳の分からんことを!わしは十和田正志朗だ。」

 その時になって暁はハッとして気付く。もし春彦が名を偽って城に潜り込んでいるのなら、先ほど『春彦』と叫んでしまった暁はとんでもないことをしたことになる。『構わぬ、切り捨てよ』との百合の言葉を無視して自分を連れ出したのはやはり春彦だからだろうか?ならばここは暁の勘違いだということを周囲に徹底しておく必要がある。

 「あ…やっぱりよく見たら人違いだったわ。ごめんなさい。」

 他の男達にも聞こえるようにはっきりとした声で言った。

 「まったく迷惑なやつだ!」

 十和田正志朗が吐き捨てるように言った。

 「おい、正志朗、こいつをどうする気だ?何故切らなかった?」

 「奥方様のお部屋を血で汚せるか?こんな小娘が奥方様に毒を盛るとは考え難い。黒幕がいる筈だ。そっちを抑える方が重要だろう?」

 「おお、なるほどな。」

 「お前、結構頭が切れるな。」

 そんな会話を聞きつつ、暁は自分が危うい状況にいること以外、何が起こっているのかわからなかった。兎に角誤解だということだけははっきりさせなくては。

 「私は本当に何も知らないの!小姓が『奥方様に』と言って持ってきた箱を届けただけで中身が何かも知らなかった!」

 「言い訳は後で取り調べの時にゆっくり聞いてやる。」

 正志朗ではない他の男の一人が言った。

 「お願いだからあの小姓を調べて!」

 「分かったから暫く黙ってろ!」

 暁を連れた男達は守衛が立っている石造りの建物の入り口に着いた。どうやらそこが牢獄のようだった。

 中に入ってすぐのところにいた見張り番らしき男に向かって正志朗が言った。

 「最下層の鍵を。」

 「え?あそこは滅多な事じゃ使わない事になってますが・・・」

 「こいつは奥方様暗殺を謀った者だ。十分あそこに値する。」

 「分かりました。ただ、暫く使ってないので鍵が開くかどうか…」

 「構わん。通せ。」

 そして正志朗は後ろを振り向いて同行してきた男達に告げた。

 「ここはわし一人で大丈夫だ。各々方は例の小姓とやらを頼む。」

 「よし、わかった。」

 「お館様にもお伝えしておかねば。」

 二人は城の方に戻って行き、正志朗は鍵束を持った男に先導され、暁を小突きながら牢の奥へと進んだ。

 土牢の奥にある暗い石段を下へ下へと進んでいく。

 正志朗と二人切りなら春彦かどうかを確かめたかったのだが、生憎あいにく鍵束男が一緒だ。滅多なことは言えない。正志朗が春彦なら何とか助けてくれるかも知れない、という期待はあるが、今のところ確信はない。暗い石段を一歩進む毎に不安は膨らみ、暁の気持ちも暗く沈んでいくようだった。

 ピチョン、ピチョン、と地下水の垂れる音がする。暗く湿った最下層は狭い牢が一つあるだけだった。鉄格子も、鍵も、長く放置してあった様で錆びでザラザラしていた。鍵束男がガチャガチャと長時間格闘した末、漸く錠前が外れた。

 『この鍵、次に閉めたら二度と開かなくなるなんてこと無いわよね?』

暁の中で不安が膨らむ。

 「入れ。」

 暁は乱暴に牢の中に押し込まれた。

 鍵束男が今度は錠前を閉じようと格闘している間に正志朗が暁に向かってボソッとつぶやいた。

 「ここは『死を約束された者の場所』だ。もう随分長い間使っていない。周囲は石積みだ。逃げようと思っても無駄だぞ。」

 暁はハッとした。『やっぱり春彦だ!』

 「灯りぐらいは置いていってやるか。」

 正志朗が独り言のように呟きながら、鉄格子の向こうながら暁の手の届きそうな場所に灯りを置いた。

 やっと鍵がかかり、二人の男達は階段の上へと消えて行った。

 一人残された暁は考えた。父が金塊の在り処を伝えた言葉と春彦の残した言葉の意味を。

 『死を約束された者の場所』先程牢の入口で交わされていた会話からも、そこが重罪人用の牢である事がわかる。『随分長く使っていない』なら誰も近づく機会が無かったのだろう。『周囲は石積みだ。逃げようと思っても無駄だ。』少し不自然にも聞こえるこの部分は、『逃げ場を探す振りをして石積みを調べろ』ということなのだろう。家族しか知らない例の言葉を知っているなら春彦に間違いない。もう暁に迷いは無かった。鉄格子の隙間から手を伸ばし、春彦の置いていった灯りを引き込んだ。中は狭い。石の数も知れていそうだ。朝までかかれば何とかなるだろう。見付けた後どうするかは少々気がかりだが、この機会を逃せば堂々と調べる事自体難しくなる。

 暁は小さなともしびを頼りに壁の石を調べ始めた。大小様々な石がでこぼこに組まれている。どれもしっかりはまっていて、押しても引いてもびくともしないが、逆に一つでも抜いたら他の石が崩れ落ちてくるのではないかという不安もあった。

 小一時間も調べただろうか?地下牢での一人の時間というのは長くも短くも感じられ、時の感覚がなくなっていた。一通り触ってみたところ、どうも一箇所だけ石がガタガタと緩む場所を見付けた。牢の奥の隅の小さな石が、どうにかすれば取れそうだった。だが、抜けそうで抜けない。暁はやけになって、今度は押してみた。すると小さな石の突起は奥へと入っていった。それも少しだけだったが、暁はそこにできた隙間に手を入れると今度は隣の少し大きめの石を揺すってみた。横に隙間ができたせいだろうか?先程までびくともしなかった石がぐら付いた。この石も動きそうだった。

 暁は周囲の石組みを見回し、他の石が崩れそうに無いのを確認すると、灯りを床に置き、その石に両手をかけ、両足を踏ん張って力いっぱい引っ張った。石がズズ、と動いた。体全体を使って石を引っ張る。それを何度か繰り返し、漸く中に隙間があるのが確認できる程度の口が開いた。

 蝋燭の灯りで照らしながらそっと中を覗く。真っ暗で何も見えない。思い切って手を中に突っ込んでみた。何か硬い細長い物に触れた。恐る恐るそれを引っ張り出してみる。灯りに照らしてみるとそれは人の腕か足の骨の様だった。

 「きゃぁ!」

 驚いた暁は悲鳴を上げてその骨を取り落としてしまった。カランカラン、と骨は石の床に落ちて鋭い音を立てた。

 暁は恐ろしくなったが、穴の中に何かがあることが分かった。ドクドクと高鳴る胸を押さえながらもう一度穴の中を覗く。色々と角度を変えながら蝋燭の灯りで中を照らしながら中を覗きこんだ。すると、奥で蝋燭の光をはね返し、金色に光る双眸そうぼうが暁を見据えた。

 ひいっ、と息を呑み、暁は思わず後ろに飛び退き、手に持っている灯りを取り落としそうになった。

 その時だった。上の方からガヤガヤと人の声が聞こえてきた。

 暁は大急ぎで骨を穴に投げ入れるように戻し、全体重をかけて石を押し戻した。何とかして穴を塞がなくては。だが、焦る暁の意志に反して石はなかなか動かない。両足を踏ん張って懸命に押し込む。そうこうしている間にもひたひたと石段を下りて来る足音が聞こえる。何人かの男達が下りてきた。

暁は自らの背で穴を覆い隠しながら、最後の隙間を塞ごうと足を踏ん張った。その様子は下りてきた男達には怯えて後ずさっているように映ったのだろう。例の鍵束男が錆びついた錠前に鍵を差し込んでガチャガチャやり始めた横から、

 「暁殿、大丈夫か?もう心配ない。この様なことになって忝い。」

と成頼が声をかけた。

 牢から出された暁は中の石が気になり石段を登りながら後ろをちらちら気にしていた。中が空だからだろう、鍵束男は錠前を適当にガチャガチャやるとすぐに後ろについてきた。最後に鍵がかかるガチャンという音は聞こえなかった。

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