伊邪那美
麻奈にとって三年ぶりの帰郷だった。生まれ育った村には別の住人が住み着いていて、まるで知らない所に変わっていた。当然だが、知り合いももういない。そんな場所にいても仕方がないので領内の情報を集めようと人の多く集まる城下町へ向かった。今宵の宿を探して大通りを歩いていると、前から数人の若い男達が歩いて来るのが見えた。その中の一人に、麻奈は目を奪われた。身分の高そうな整った身なりをしているが、その顔つきは三年前に死んだ幼馴染の享助そっくりなのだ。麻奈はぼんやりと立ち尽くし、男達が横を通り過ぎるのを目で追った。楽し気に笑い合い、肩を叩いたりじゃれ合ったりしながらの会話の中に、『享助』という言葉が混ざるのを麻奈の耳が捉えた。まさかと思いつつ麻奈は男達に向かって呼びかける。
「享助!」
麻奈の声に二人ほどが気付いて振り返った。どちらも麻奈の知らない顔だ。
やはり人違いだったのかと思うと、そのうちの一人が先ほど麻奈の目を捉えた男の肩を叩きながら尋ねる。
「おい、享助、知り合いか?」
享助と呼ばれたのはやはり幼馴染にそっくりの男だ。呼ばれた本人は麻奈の声に気付かなかったらしい。振り返った男の目が麻奈の目と合った。だが、男は麻奈を見ても誰だか分からないといった様子できょとんとして言う。
「いや、身に覚えがない。」
その答えを聞いて周りの男達が笑って囃し立てる。
「なかなかの別嬪さんじゃないか?どこで知り合ったんだ?」
「また酔った勢いでやったのか?」
「ほらほら、あちらはやけに深刻そうだぞ?ちゃんと思い出してやれよ。」
男達の口ぶりではこの亨助は余程の女たらしのようだ。
「あんた誰?前に会ったことあったっけ?」
享助が麻奈に尋ねる。麻奈は何をどう言って良いか分からずしどろもどろに答えた。
「あの、私、菊川村の麻奈です。貴方は菊川村の出身では?知り合いの享助にそっくりだったもので…」
「菊川村…?その村って三年位前に鬼に襲われて全滅した?」
「はい、そうです!」
享助は何やら考えている様子だ。周りの男達が興味津々でにやにやしながら見ている。享助が再び口を開く。
「多分他人の空似というやつだね。名前まで同じというのもすごい偶然だが人違いだ。それで、菊川村の麻奈だっけ?今もまだそこに住んでるのか?」
「いいえ。私は家族が皆殺されてしまってつい先日まで京にいました。三年ぶりに城山に戻ったばかりです。」
やはり麻奈の知っている享助は死んだのだ。こんなところにいる訳がない。少し塞いだ様子で麻奈が答える。
「ふうん。そうなんだ。京にいたんだ。それなら色々話を聞きたいな。人違いではあったけどこれも何かの縁だ。暇なら今から一緒にに来ないか?なんなら家に泊ってもいいし。」
「え?」
意外な申し出に麻奈が即答できずにいると、享助の横にいた男達がやや驚いた顔で口を挿む。
「おいおい、享助、大丈夫か?城に女を連れ込む気か?」
「またご家老に絞られるぞ。」
「いや、ここは俺たちで享助に協力してやろうじゃないか。何てったって京の話が聞けるんだ。見聞を広めるいい機会だ。こういう理由ならご家老も多めに見て下さるだろう。」
「ああ、そりゃあいい。面白そうだ。なぁ、麻奈さんとやら、京から戻ったばかりで泊る所は決まってるのかい?もしまだだったら是非一緒においでよ。」
麻奈が答えに迷っている間に男達が面白そうに麻奈を取り囲んだ。だが、先ほどの男達の会話に、このままついて行ってはいけない雰囲気を感じとった麻奈はこの申し出を断るべきだと判断した。
「あの、人違いで声を掛けてしまって本当に失礼しました。先を急ぎますので。それでは。」
さっと頭を下げると麻奈は男たちの輪を破って人混みの中へと走り去った。
「あ、ちょっと…」
男のうちの一人が引き留めようとしたようだが、麻奈は振り返らずにその場を去る。雑踏の向こうに男達の笑い声が消えていった。
翌朝麻奈が宿の部屋で身支度をしていると、宿の女将が麻奈を呼びに来た。
「お客さん、お連れさんがお待ちですよ。」
「え?誰ですか?連れなどいませんが。」
「え?そうなんですか?『菊川村の麻奈さん』を訪ねて来たっておっしゃってますが、人違いでしたか。」
「え?それはどんな人ですか?」
「身分のあるお侍さんみたいです。まだ若いけど多分お城勤めの方ですね。森享助と名乗ってらっしゃいました。」
「あ…。分かりました。ちょっと待って頂いくようお伝え下さい。」
昨日の『享助』が麻奈を探して訪ねて来たようだ。麻奈はどうすべきか迷ったが、享助とは少し話をしたいという気はあったのでもう一度会ってみようと決めた。
「おはよう、麻奈。やっと見つけた。昨日は周りにいたうるさい奴らが邪魔でゆっくり話せなかっただろう?色々と聞きたいことがあったからこの辺りの宿を散々探し回ったよ。」
麻奈を見ると、享助が爽やかな笑顔で気さくに話しかけてきた。
「あ、おはようございます。私に聞きたい事ってなんでしょう?」
「京の話とか、菊川村の事とか。それと是非会わせたい人がいるんだ。荷物を纏めて一緒に来てくれないか?」
「え?荷物を纏めて?」
「ああ。ここの支払いは済ませといたから。今日からは城に来るといい。ちゃんと許可は取ってるし、昨日は周りの奴らがふざけて馬鹿なことばかり言ってたけど別に下心もないから安心して。」
「え?でも…。あの、会わせたい人って誰ですか?」
「まぁ、細かい事は追々話すから。とりあえず荷物を取ってきてくれないか?俺だってそんなに暇じゃないんだ。
」
「あ、はい。」
麻奈としては勝手に全部決められてどうにも腑に落ちない部分はあったが、散々探してもらったという言葉に相手を無碍にもできず、麻奈も色々と聞きたい事があったので享助の言葉に素直に従った。
「ところでその長い包みは何?」
城に向かう道すがら、麻奈の背負っている細長い布包みを指して享助が麻奈に尋ねた。
「あぁ、これは神器です。」
「神器?何に使うの?」
「鬼を鎮めるための物です。でも実際に使った者がいないので、どうやって使うのかもよくわからないんですけどね。」
「へぇ、でも何で麻奈がそんな貴重そうな物を持ってるんだい?もしかして麻奈って実は偉い人とかなの?」
「まさか。そんなことはないでしょう。だって菊川村の出身ですよ。私の村が鬼に襲われて私はその時の最後の生き残りだったんです。実はその時、私は村を襲った鬼に会ったんです。」
「え?本当に?その鬼ってどんな風だった?」
「えぇと、その時鬼らしいのが二人いたんですが、一人は大柄で黒っぽい着物を身につけていました。側にいるだけで恐ろしくてとてもまともに顔など見られなかったのでよく覚えていません。でももう一人の子供のような鬼はよく覚えています。不思議な赤い髪をしていて、大名の姫か奥方が着るような豪華な女物の打掛を着ていました。とてもかわいいあどけない笑顔でとんでもなく恐ろしい事を言うんです。村を襲ったのもその小さい方の鬼だったようですし。」
「へぇ、そうなんだ。でも鬼二人に出会ってよく麻奈は生き残れたね?一体どうやったの?」
「私が何かした訳ではなく、運が良かっただけです。詳しくはよくわからないんですが、どうもその大きい方は小さい方が村を襲ったことを咎めていたようで、私はその大きい方の情けで見逃してもらえたようなんです。」
「そうだったのか。それでその後京に行ったの?」
「はい。それも妙な話で、私を見逃すと言った大きい方の鬼が私に教えてくれたんです。鬼を封じたければ京の阿比留神社へ行けと。それで私はその言葉通りに阿比留神社へ行きました。村の事情を話すと阿比留神社に置いてもらえることになって、そこで三年かけて修行しました。それでやっと一人前に認めてもらってこの神器を託され、鬼を封じに戻ってきたんですが、最近鬼に襲われた村はないですか?」
「それがここ数年おさまってるんだ。麻奈には残念かも知れないけど、三年前の菊川村が最後の被害地だ。もう封じなければいけないような鬼はこの辺りにはいないのかも。」
「そうなんですか…。やっと家族の仇を討てると思ってたのに…。」
「まぁ、見ての通り今の城山は平和なんだしそれはそれで良い事なんじゃないかな?」
享助がそう言ったあたりで二人は城の前まで辿り着いた。
門番と親し気に挨拶を交わし、享助が麻奈を城内へと案内する。曲がりくねった坂道を館の方へと向かう。立派な石垣沿いの道を抜けると更に門があり、幾つもの庭や建物が並んでいた。
昨日享助と一緒にいた若者の一人が通りがかり、麻奈に気付いた。
「あれ?昨日の娘さんじゃないか?享助、どうしたんだ?」
「極秘の任務だ。後で教えてやるから他の奴らに余計なこと言うなよ、竹松。」
「何か怪しいが、まぁ、いいか。後でちゃんと何があったか教えろよ。事細かく聞かせてもらうからな。」
「わかった。わかった。さっさとどっか行け。じゃあな。」
相変わらず軽い調子で話すと享助は竹松と別れて麻奈を更に城の奥へと誘う。広い城内で麻奈はもう今自分がどこにいるのか分からなくなっていた。
館の間を抜けていくつか小さな門を潜り、一体どこへ連れて行かれるのかと麻奈は不安になってきた。そこへ今度は見るからに只者ではない風格の男が通りかかった。
「ん?享助ではないか。その娘はどうした?」
「ああ、これはご家老様。今からこの娘を御館様のところに連れて参ります。久々に面白い者を見つけましたのできっと御館様もお喜びになられるでしょう。」
「何だと?わしは何も伺っておらんが…。御館様がお許しになられたのか?」
「それは勿論。」
あっさりそう答える享助に、疑いに満ちた眼差しを向けながらご家老と呼ばれた男がぼやく。
「本当に大丈夫なのだろうな?またそなたの事で御館様からお叱りを受けるのはもう御免だぞ。」
「どうぞご安心を。この者は三年前に最後に鬼の被害にあった菊川村の生き残りです。当時の事を仔細に知っておりますので話を聞きたいと御館様がご所望なのです。」
「ふむ。成程、そういう事か。」
家老は今度は享助の横で畏まっている麻奈に向かって声を掛けてきた。
「そこの娘、御館様は少々気難しいところがある故、くれぐれも失礼のないよう心しておけ。」
「は、はい!」
麻奈はガチガチに緊張して答えた。
家老が立ち去ると麻奈は享助に詰め寄る。
「一体どういうこと?私、今御館様のところへ向かってるの?」
「ああ、会わせたい人がいるって言っただろう?あれは御館様の事だ。理由はさっき言った通り。でもまあそんなに固くなることないよ。それに御館様が人に会うのって珍しいんだ。良い話の種になるよ。」
「え?だって、そんなの急に言われても困る。御館様のお噂は聞いてるもの。固くなるなっていう方が無理でしょう。」
「そうは言っても御館様のお召しを断る方が怖いと思うよ。まぁ、知ってる事を正直に話せば済むことなんだから。俺も一緒にいるし何かあったら助けてやるよ。」
享助の言葉に麻奈は少し安堵し、誘われるままに天守閣へと向かった。入口で見張り役が紐を引くとすぐ後に返事の鈴が鳴った。何だか神社での鈴振りの儀式の様だと麻奈は感じた。この奥には何か人の域を超えた神聖な物が待ち構えているような、そんな畏れを感じ、改めて身が引き締まった。
長い階段を上る。息が上がるということもあるが、これから城主に面会するという緊張もあって麻奈は無言だった。享助も畏まった様子でただ淡々と歩を進める。
最後に梯子のような急な階段を上ると、明るく開けた座敷が現れた。前を進んでいた享助が平服するので麻奈もそれに合わせて頭を下げたため、城主の姿はまだはっきりとは見えない。麻奈は上目使いに様子を窺う。
「御館様、例の者を連れて参りました。」
「ふん、今日は一体どういう風の吹き回しだ?お前がそんな態度を取るなど、何か企んでいるとしか思えんな。」
「あぁ、もう。折角こいつをからかって楽しもうと思ってたのに、そんな言い方されたら台無しじゃないか。」
「ああそうだな。今のお前の言葉で完全に台無しだ。それでいつまでそいつを騙しておくんだ?俺は面倒な茶番には付き合わんぞ。正体を見せてやれ。」
「はぁ…せっかくここまで面白く来てたのに。俺より先にあんたの番だろ。顔を見せて驚かせてやれよ。」
そう言って享助が麻奈を振り返って告げる。
「麻奈、もう顔を上げていいよ。」
二人の会話に何を驚くのか不思議に思っていた真奈は、恐る恐る頭を起こし、城主の方を窺い見る。その顔を見て、ある程度覚悟はしていたはずなのにも関わらず麻奈ははっと息を飲んだ。
顔はよく見ていなかったはずだが、その場を圧し潰しそうな威圧感はよく覚えている。他とは間違えようのない独特の雰囲気だ。
「一壺天⁉どうして?という事はもしかして享助って…」
「俺の事はよく覚えてるんだったね。」
そこにいたはずの享助は一壺天と瓜二つの顔をした赤い髪の若者に変わっていた。以前見た時よりもかなり成長しているがやや面影は残っている。
「これって一体どうなってるの?あなた達鬼が瀬津様を殺してすり替わってるってこと?」
「違うな。俺がその瀬津だ。この国の成り立ちや俺の噂は知ってるだろう?城山はもともと鬼が建てた国だ。」
「そんな…。確かに瀬津様は『鬼神の如き強さ』とか『鬼のように恐ろしい』っていう噂だったけど、本当に鬼だったなんて。一体どういう理由で鬼が国なんか建てたの?」
「特に理由と言うほどのものはない。ただの成り行きだ。」
「よく言うよ。調子に乗って戦場で武士の魂を喰い過ぎたせいだろ?似たような考えの奴らを纏め喰いして奴らの意識に引き摺られただけのくせして。」
「うるさい。それも含めての『成り行き』だ。」
「一体何がどうなってるの?それになぜ享助の姿になんか化けてたの?」
麻奈は混乱して何から尋ねて良いか分からなかった。だが一番気になったのは享助の事だ。
「うぅん…。なぜ享助か?そうだなぁ。やっぱり麻奈のせいかな?」
「何?なぜ私のせいなの?」
麻奈はますます訳が分からない。赤い髪の鬼はそんな麻奈の取り乱す様子を楽しんでいるらしい。にやにや笑いながら言葉を続ける。
「だって麻奈は父上を襲うような気の強い女だろ?いつか俺たちにまた会いに来るかもって思ったから。その時に見つけやすい姿がいいかと思ってさ。俺も丁度人に化けておく必要があったから。享助は程よい年頃だったしね。それにしても麻奈は見違えるくらい綺麗になったね。昨日、声かけられてもすぐには分からなかったよ。」
「六徳丸、そんなことよりも今日はそいつの話を聞くために呼んだんじゃなかったのか?その荷物も気になるしな。」
「あぁ、そうそう。麻奈がこの三年間何してたのか聞かないと。阿比留神社での修行はどうだった?一人前に認められたって言ってたけど、それは鬼を封じる力を身につけて来たってことかな?」
「それは…。阿比留神社でも誰も鬼を封じたことがなかったから私にそんな力があるかなんて誰にも分からなかったけど、一通り厳しい修行には耐えてきたわ。あなた達を封じるために。一人前というのは巫女として一通りの儀式を覚えたっていうだけで。でも一壺天の話は聞いてきたから知ってる。昔悪行の限りを尽くし、天守清麻呂様が伊邪七岐という神器を使って滅ぼしたって。なのに何故その一壺天がこんなところにいるの?数年前に五石神社で天守清麻呂様が殺され、伊邪七岐が盗まれたって聞いたけど、あれはあなた達の仕業なの?」
「清麻呂の件は確かに俺がやったがあれは清麻呂本人が望んだことだ。伊邪七岐に関しては確かに盗んだのは俺だが、俺に使われるのを拒んで伊邪七岐は自ら砕け散ったからもうここにも伊邪七岐は無いぞ。因みに清麻呂と伊邪七岐では俺を滅ぼすことなどできなかった。俺の魂を二つに切り分けてくれただけだ。暫く姿を消したのは体を二つ作るための時間が欲しかっただけで無理すればそんな必要もなかったがあの時は清麻呂を糠喜びさせたら面白そうだったからやられたふりをしたんだ。だがそれにしてもお前が聞いた一壺天の話は相当古いな。今は前とは違い至って大人しいぞ。無駄な殺生はしなくなったからな。お前の事だって見逃してやっただろう?それに実際城山の領民をやっていてお前自身どう感じていた?城山は他所の国に比べれば安心して生きられる国ではなかったか?」
一壺天の話を聞いて麻奈はますます混乱した。確かに城山は戦の心配もなく、法も整備されている。野党や鬼の騒ぎはあったが領主の対応はいつも早かった。京までの旅を通して麻奈自身が身をもって知ったが、他所の国はもっと乱れていた。三年前の事件さえなければ、きっと麻奈も城山領民としてそれなりに幸せに暮らしていたことだろう。
「清麻呂様が望んだとか伊邪七岐が自ら壊れたとか、そんな話が信じられる訳ないじゃない。確かに城山は今は他所よりは良い国かもしれないけど、それまでにあなたが犯した罪の重さとは比較にならないと思う。」
「これまでに俺が犯した罪とは何だ?俺がお前に何をした?俺を攻撃してきたお前に情けを掛けて生かしてやったことくらいだ。お前に俺を裁く資格などあるのか?」
「それは…確かに私はあなたに許してもらったけど、昔散々悪事を働いたんでしょう?」
「昔の件ならもう既に清算済みだ。俺は一度 赦された。それから馬鹿な真似はしなくなった。いま馬鹿なことばかりしているのはこいつだ。」
一壺天が六徳丸を指して言う。
「あれ?俺ももう今は馬鹿な真似なんてしてないはずだけど?三年前の菊川村で父上に散々嫌味を言われて以来人は喰ってないし。」
「じゃぁ、私の村が最後だったの?どうして?何故私の村を襲ったの?まだ小さかった弟まであんな惨い殺し方するなんて…。」
麻奈の中で『世に害を成す悪鬼を封じる』という大義名分が崩れ始めていた。今もう落ち着いたというこの二人を封じても麻奈の個人的な仇討ちにしかあたらない。しかも一壺天には借りがあるだけで恨みはないのだ。六徳丸の方に理由を見つけるしかなかった。
「あの時は俺も小さかったから力が欲しかったんだよ。手っ取り早く力を付けるには人の魂を喰うのが簡単だったから。でもそんな残念がることないよ。麻奈が家族に会いたければ俺がいつでも合わせてやるからさ。」
そう言うと六徳丸は小さく縮んで麻奈の弟の佐吉の姿になった。殺された時と同じあどけない五歳の姿だ。
「佐吉ちゃん!」
「姉ね。また一緒に遊ぼう。おたまじゃくし捕りに行こう。」
佐吉はおたまじゃくし捕りが好きだった。とても鬼が化けているとは思えず、麻奈はまるで佐吉が戻ってきたような錯覚を覚えた。
「麻奈の事なら何でも知ってる。ずっと一緒に育ったんだから。麻奈は物分かりが良くて賢い子だろ?この鬼を恨む理由なんてないんじゃないか?」
再び享助が現れて麻奈にそう告げる。
「麻奈、わしらはいつでも麻奈の側にいる。この鬼に喰われても魂はこいつの中で生きている。下手に封じたりする必要などないんじゃ。」
今度は父が現れて優しく諭すように言う。麻奈はその言葉を信じた。それならばもう麻奈が封じるべき悪鬼などここにはいないことになる。
「どう?他に会いたい村人っている?俺が喰った中で麻奈に特別愛着もってたのってこの三人なんだけど。あ、でも麻奈に邪な考え持ってた助平爺もいたよ。そいつにも会っとく?」
麻奈の返事を待たずに今度は父より年上の近所の五郎作が現れた。妻も子もいたが評判の悪い男だ。死んだ魚のような目でぼんやりしていることが多く、麻奈は気持ちが悪いと思って嫌っていたのだ。
「嫌だ、もういい。やめて!」
折角家族の姿を見られて感極まっていたところへ最後に余計なものを見せられて麻奈の感動はすっかり薄れてしまった。何をどこまで信じて良いのか分からなくなった。家族の姿を見せたのも、麻奈を騙そうとしているのかも知れないと感じた。混乱した麻奈は手元にあった布包を開くと細い剣を抜いて構えた。何に向かって剣を構えているのか麻奈自身分かっていなかったが、神器を抜くことで自らの迷いを断ち切ろうとしていた。
「最後の奴に関しては麻奈は俺に感謝しないとね。あいつが生きてたらそのうち麻奈を襲う気だったよ。」
元の姿に戻った六徳丸が剣を構える麻奈に呆れたような眼差しを向けて言う。
「何でそんなことがわかるの?」
「鬼は喰った魂を自分のものにするからね。その魂が持っていた姿形も、記憶も、考えも能力も。だから麻奈が俺を封じれば麻奈は二度と家族には会えなくなるわけだ。ところで麻奈はその手にしてる神器で何をする気?」
麻奈が自分を切るとは思ってもいないという口ぶりで六徳丸が麻奈に尋ねる。
「そいつは伊邪七岐よりも性質が悪そうだ。ずっと禍々(まがまが)しい気を出している。」
一壺天が口を鋏む。余程気になっていたのだろう。その言葉に麻奈が反応した。
「これは伊邪七岐と対を成す夫婦の剣、伊邪那美。今こそこの神器で邪悪な鬼を封じてやる!」
麻奈が伊邪那美を両手でしっかり構え直す。細くすらりとした剣だ。鞘には細かな細工が施され、柄や鍔もきめ細やかな造りだ。武器と言うよりは宝飾品のような煌びやかさを持っていた。磨かれた細い刀身が鈍い光を放っている。確かに伊邪那美が抜かれた途端、その場の空気が変わった。
「ああ、なるほど。大体女の方が怒らせると怖いんだよね。父上が伊邪七岐を壊したから怒ってるんだ。」
「さっきも言ったが俺が壊したんじゃない。伊邪七岐が勝手に壊れたんだ。」
「へぇ、でもこんな剣で鬼が封じられるのかな?麻奈も使い方は知らないんだっけ?」
そう尋ねながら六徳丸が麻奈の手を取り、剣を握り締める麻奈の手を優しく解く。麻奈は緊張して体が動かず、六徳丸になされるがままだ。六徳丸は伊邪那美を取りあげ、高く掲げて見た。
その時だった。一壺天が叫んだ。
「六徳丸!今すぐそいつを放せ!」
「え?」
驚いた六徳丸があわてて握っていた手を放すが、伊邪那美は六徳丸の手に吸い付いて離れなかった。
「うわ!何だこいつ⁉」
六徳丸が伊邪那美を振り払おうと手を大きく振り回す。頃合いを上手く計ったように伊邪那美は六徳丸を離れると真っ直ぐに一壺天めがけて飛んでいく。
「く!」
一壺天が身をかわしたのにも関わらず伊邪那美は一壺天に吸い寄せらるようにその軌道を曲げて一壺天の胸に突き刺さった。伊邪那美を避けようと前に構えた左手も伊邪那美に貫かれ、胸の前に縫い止められたようになっている。
「父上!」
「寄るな!くそ!こいつは俺を自分の中に取り込んで封じる気だ。以前の俺ならこんな物に取り込まれることなどなかったのに力を失い過ぎたようだ。俺も黙って取り込まれる気などないからこいつを内側から抑え込んでやるが六徳丸、今の俺を超える力を付けるまではこいつに触れるな!お前は俺を喰って俺の力を全て手に入れるんだろう?ならばまずこいつをどうにかできるようになれ。俺の記憶があるなら何か方策を思いつくだろう。まずは魂讃星をあたれ!」
そう言いながら右手で胸に刺さった伊邪那美を引き抜こうとしているが、力が入らないようだ。その間にも一壺天の体はどんどん萎んでいく。麻奈は恐ろしさに袖で口元を押え、声も上げられずにその光景を凝視していた。
「麻奈!伊邪那美を抜いて!早く!」
六徳丸が麻奈に向かって叫ぶが、既に一壺天はしわしわの皮が骨格の表面に張り付いた状態だ。麻奈が震えながら立ち上がろうとする間に、その骨すらもがどんどん縮んで砂のようにさらさらと崩れだした。麻奈はもう怖くて近づけなかった。カランと伊邪那美が床に落ちた。鈍い銀色の光が静かに収まっていく。後には一壺天が身につけていた黒地の衣とその中に一握りの灰色の粉だけが残った。




