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龍神

 翌日良玄と六徳丸は村人に連れられて龍神池にやって来た。確かにそこは大きな岩がゴロゴロと転がる足場の悪い山の奥にあった。毎日ここから水を汲むというのも大変な重労働だというのがよくわかり、うまくすれば村まで水を引けないかと考えていた良玄は自分の考えの甘さを痛感せざるを得なかった。

 期待に満ちた目で村人が良玄を見つめる。神聖な場所というだけあってその場の気配は何か特別な感じがした。良玄は六徳丸と踏み込んだ話がしたかったので一旦村人を先に帰した。

 

 「どうじゃ?龍神は本当にいそうか?」

 良玄が六徳丸に尋ねる。

 「居る!この気配はただ事じゃ無い。くそっ!どうしたら良いんだ?」

 六徳丸はまだ直接対面してはいないが、そこに巣食う龍の存在を感じていた。そしてその龍が今の自分では到底太刀打ちできる相手では無いことも感じていた。それほどにその場を覆う気配は大きかったのだ。

 『くそっ。今までは雑魚ばっかりで今度はいきなり喰えないくらいの大物かよ!下手に食って掛かったところで今の俺じゃ相手になりそうにないじゃないか!どうしろって言うんだ?』

 「良かったではないか?これでそなたの念願の力が手に入るんじゃろ?」

 良玄が呑気にそう言うので六徳丸は気まずそうに答えた。

 「いや、今度は流石に相手がでかすぎる。極端なんだよ。今まではクソみたいな雑魚ばっかりでちっとも力が付かなかったところへいきなりこんな大物持ってこられたって喰える訳が無い。」

 「何?それ程の相手か。まぁ、それならそれで話は早い。それ程の強い龍神が居るなら雨を降らせてもらえるように頼めば済むじゃろう?」

 「それは...相手が素直に応じるならそれが簡単だろうけど、それなら何で今まで村の奴らも放ったらかしだったんだ?おかしくないか?」

 「まぁ、まずはその龍神様と話をしてみようではないか?わしにも見えるかの?その龍神様は。」

 「さぁ?一回呼んでみたら?素直に出てくるような相手なのかどうか。だけど一つ言っておくがそいつが凶暴だった場合、今の俺じゃ多分相手にならないぜ。それなりの覚悟をしとけよ。」

 いつも威勢の良い六徳丸が珍しく弱気な事を言うので良玄もただ事ではないと感じたが、意を決してその場に座りこみ、居住まいを正すと低く通る声で経を読み始めた。六徳丸も良玄の後ろに座って覚悟を決める。だが、読経が始まるといつものように、周りの気配に神経を尖らせていたにも関わらずいつの間にか意識が無くなっていた。

 

 「拙僧せっそう良玄りょうげんと申す行脚あんぎゃ雲水うんすい。これは弟子の六徳丸りっとくまると申します。偉大なる池のあるじよ、どうか我らの祈りを聞き届けたまえ。ふもとの村は渇きに苦しんでおりまする。どうかその強大なる御力みちからを持って恵の雨を降らせ給え。」

 読経が終わり六徳丸がハッと目を覚ますとあたりは小鳥の声さえもかき消えて静まり返っていた。涼しげな風が池の方から吹き、目には見えないながらも良玄の頭の中に言葉が響いた。

 『他所者よそものわし何用なにようぞ?小鬼など引き連れた怪しい奴よ。』

 良玄はぞっと背筋が冷えるのを感じた。下手な事など考えてもいけないという厳粛な空気を感じ取って身が引き締まった。

 「それがしふもとの村にて一宿一飯の恩を受け、その恩にこたえるべくこちらにまかり越し龍神様に村人の願いを伝える者でございます。弟子の六徳丸は確かに人ではございませんが、犯した罪を償うべく共に修行に打ち込む身の上、どうぞ怪しい者などという御疑いはお捨てください。」

 良玄は誠心誠意を込めてそう言ったが、相手の反応は冷たかった。

 『其奴そやつの心が聞こえぬとは愚かな小物よ。先程からわしを狙って歯噛はがみしておるぞ。』

 良玄はハッと驚いて六徳丸を振り返る。六徳丸はいつになく緊張した面持ちで黙って良玄を見つめ返す。

 「これ、六徳丸、なんと不届きな事を!そなたも敬虔な気持ちで龍神様にお願いせぬか!」

 良玄はそう取り繕ったが、六徳丸は真っ直ぐに池の上を見据える。良玄には見えないが、恐らく六徳丸はそこに龍神の姿を認めているのだ。下手したてに出て頭を下げたところで龍神が六徳丸の考えを見通しているのは明らかだったので逆に六徳丸は口を開くことができなかったのだが、全て言われてしまい、開き直った。

 「どうすれば良い?何故雨を降らせないんだ?降らそうと思えば降らせられるだろう?何が望みだ?」

 やっと発した言葉は龍神に対する問いだった。

 偉そうな口の利き方に良玄がハラハラしながら見ていると龍神から答えが返ってきた。

 『望み?それを聞いてそなたに何ができる?』

 「何かできるか聞いてみないと分からないから聞いてるんだ。」

 『そうか。だがわしに特に望みなどない。逆に雨を降らせる理由もない。』

 「麓の奴らはあんたにとって何なんだ?あいつらのことはどうでも良いのか?」

 『奴らはただの虫ケラよ。勝手にわしを神とあがめて水を持っていくが奴らがわしの役に立ったことなど一度も無いからな。逆にこのまま奴らが大勢死ねばわしが力を増す訳よ。助ける訳など無かろう? 』

 ここの龍神も鬼同様に死人の魂を得て力をつけているらしい事を良玄も理解した。

 「全滅したらその先が無いんじゃないのか?生かしておけばこの先もちびちびと魂が流れて来るだろう?」

 『ちびちびなぁ。だからこそ雨など降らせられんのだ。そなたなら分かるであろう?今ここに雨を降らせるのにどれだけの力がいるのか。力とは魂の量に相当するのだ。どうしてもと言うならそれに見合うだけの魂を差し出せ。あんな村から流れて来る少量の魂ごときではここまで乾いた空に雨など呼べんよ。』

 「いくらあれば良い?」

 『聞いてどうする?あの村の二百を救うために他所から千とって来るか?』

 「そんなにいるのかよ?」

 『今ここの空は暑く乾ききっている。北から冷気が流れてくれば何もせずとも雨は降るが何もない所で水を産むのは全てがおのれの力頼りだ。この地域を覆うだけの雨となれば千はいるな。』

 「そうか、じゃぁもう詰んだな。聞いたろ、二百助けるのに千殺してたんじゃ割に合わない。他所者の俺らはもうこんな所に長居は無用だ。俺たちより付き合い長い『龍神様』が見捨てるって言うんだ。通りすがりの俺たちがこれ以上できることはないぜ。」

 六徳丸はそう言って良玄を促し、立ち去ろうとしたが、良玄はまだ食い下がってきた。

 「のう、六徳丸、そなた魂を千くらい出せんか?」

 「はぁ?なに馬鹿言ってんだよ?俺は魂集めてんだぜ?何で食いたくもない粥一杯のために折角かき集めたなけなしの魂を千も渡さなきゃなんないんだよ?割に合わないにも程が有るって。」

 「そうは言うが、おのれを犠牲にして他を生かすことこそ仏の道。丁度良い罪滅ぼしになるぞ。」

 「おいおい、計算おかしいだろう?仮に二百助けるのに二百出せって言うならもう殺しちゃった二百だからまだ納得できるとして、五倍の千だぜ?八百が無駄死にって事になるんだぞ?あの村の連中にそこまで価値が有るのか?俺には到底理解できないね。それと言っとくが俺がやっと集めたのが千くらいだ。千も渡すと俺の方が危ない。」

 「それはそなたが死んでしまうと言うことか?」

 「まぁそういう事だ。あんな連中の為に可愛い弟子を殺したいのか?全く酷い師匠じゃないか?」

 「いや、そういう事なら仕方がないが、何とかならんものかと思ってな。せっかく雨を降らせられる龍神様がおられて魂を千持ったそなたがいるのにあの村の者たちがこのまま飢えていくのを指を咥えて見ているしかないというのも悔しい話じゃと思えてな。」

 「まだすぐに死ぬって決まった訳じゃないだろ?もしかしたら明後日くらいに雨が降るかもよ。」

 『それは無いな。このままだと後一月は雨は降らんだろう。』

 今まで静観していた龍神が余計な口を挟んできたので六徳丸は苦々しく思った。

 「一月経ったら降るんだ。良かったな。これで俺たちは用無しだ。」

 六徳丸は早くその場を離れたかったが、良玄が動かなかった。

 「ところで龍神様、貴方様はここで何をなさっておられるので?」

 見えてはいないが、それらしき気配が感じられる池の上空に向かって良玄が尋ねた。純粋な疑問だった。

 『何をしているか?そんな事を聞かれたのは初めてだ。わしは大地の水の意思。ここにいる事こそがここにいる理由。わしが消えればこの地まで枯れるぞ。』

 「これはとんだご無礼を。いえ、この六徳丸は魂を集めて力を付けたがっておりましたが貴方様がこの地で魂を集める理由でも有るのかと思いまして聞いてみただけでございます。どうぞ失礼ご容赦下さい。」

 『わしは別に魂を集めている訳では無い。麓で死んだ者の魂が勝手にこちらに上がって来るのを得ているだけだ。だが、そのお陰でこの地の水を保つだけの力が宿った。そうでなければこの池もとうに枯れておるわ。』

 「そうでしたか。それではこの後麓のむらが滅んでも龍神様には余り関わりのない事でしょうか?もう人の魂など必要ないのでしょうか?」

 『わしは別に人のためだけに存在する訳ではない。人以外にもこの辺りで死んだ獣や大地の息吹全てが我がかてとなり、我がここに有るが故にこの地の水が保たれておる。人は決して特別な存在ではないのだよ。』

 「そうですか。では我々は何のお役にも立てませんでしたな。これにて失礼いたします。」

 ようやく良玄がその場を辞したので六徳丸はホッとした。

 龍神は二人を見送るまでもなく消えていた。

 「仕方ないのう。麓の皆々が納得してくれるかのう?」

 困ったようにため息をつきながら良玄が呟く。


 二人が山を降りると村人が待ち構えていた。

 「これは皆様方。申し訳ないのだが、龍神様は既にこの地の水を保つ事で精一杯との事。雨までは降らせられぬとの事じゃった。お役に立てず申し訳ない。」

 良玄はそう言ったが、村人の様子がおかしかった。

 「その小僧を捕まえろ!」

 「龍神様に捧げるんじゃ!」

 村人が二人を取り囲んで六徳丸に襲いかかった。

 「何だ、てめえら!」

 六徳丸が襲いかかる村人を投げ飛ばす。村人が何人かかっても六徳丸の相手ではなかったが、良玄がそれを止めた。

 「これ、六徳丸。おやめなさい。」

 「はぁ?何をやめるってんだよ?黙って縛られろって言うのか?」

 「いや、そこまで派手に飛ばすこともなかろう。怪我のないようにそっと抑えれば良いではないか?」

 「何言ってんだよ?こいつらが襲ってきてるんだぞ?命があるだけでも感謝しろってんだ!」

 「皆様方も、おやめくだされ。見ての通り六徳丸は強くて皆様では相手になりませぬ。それよりも一体これはどういうことでしょうか?我々はお山で龍神様と話してきたのですぞ。何故ゆえこのような事をなさいます?」

 「おら、聞いてたぞ。あんたらと龍神様の話。」

 一人の男が口を開いた。どうやら先ほどの会話を盗み見ているものがいたようだ。

 「龍神様はその小僧がいれば雨を降らせられるって仰ってたぞ!」

 「お坊様、申し訳ねえがその小僧さん一人の犠牲で村が助かるならおねげえします。小僧さんを龍神様に捧げて下せぇ!」

 村人の身勝手な主張に六徳丸が切れた。

 「何だと?ふざけんな!おい、良玄、もう我慢の限界だ。こいつらどうせ日照りで飢え死にするなら今ここで喰ってもおんなじだろう?全員喰い殺してやる!」

 「うわぁ!やはりこやつ人ではないぞ!この化け物めが!」

 「待ちなさい!どちらも落ち着いて!」 

 激昂する六徳丸と怯えつつも必死の村人の間に良玄が割って入る。

 「何を聞いていたのか知りませんが、何か勘違いされているようです。ちょっと私の話を聞いてください!」

 「さっき龍神様が『千出せば雨を降らせられる』って仰ってた。そこの小僧が『千は割りに合わない』って言ってたんだ。そいつはその『千』を持ってるに違いねぇ!それに龍神様が『後一月は雨は降らない』ともおっしゃってた。このまま一月も降らなかったら村の作物は全滅だ。そしたらもう村も御終いだ。頼むから『千』出してくれ!」

 『こいつ、ふざけやがって。『千』が魂の事だって分かって言ってるのか?』

 六徳丸は怒り心頭に達していたが、それを察した良玄が取り繕った。

 「確かにそのような話もあったが、そもそもこの者も『千』は出せぬのだ。それでこの話は無理という結論になったのだ。六徳丸では力が及ばないのじゃよ。何を聞き間違えたかわからんが、納得してくだされ。それよりも、力不足ではあるが一度雨乞いだけでもさせて頂こうと思うんじゃが、どうだろう?師匠である拙僧が雨乞いをするという事で納得してもらえんだろうか?必ずしも雨が降るとは保証できんが、できる限りのことはさせてもらう。そもそも聞いておったんじゃろう?龍神様でも今の空では雨を降らせられんと。そんなものを我々がどうこうできるものではないであろうが?信じられんのであれば今からでももう一度龍神様に聞いてみるが良い。」

 本当に聞きに行かれたらまずいと思いつつも良玄がそう言うと、以外にも村人は大人しくなった。

 「そもそも今までおら達では龍神様と話などできなんだ。龍神様を呼べるだけでも立派なお坊様なんじゃないのか?」

 「そうだよなぁ。そのお坊様がおっしゃるんだ。太郎兵衛どんの聞き間違いって事の方があり得るしなぁ。」

 『こいつ、どこまで馬鹿なんだ?そんなことして雨が降る訳ないって分かってて何でわざわざ無駄なことを?』

 六徳丸だけはその会話にイライラしていた。こんな村、早く立ち去るに越したことはない。嫌な予感がしていた。

 

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