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百合

 城に上がった正志朗は城内を案内され、二の丸に通された。これまでも三輪の供として何度も城に来たことはあったが、奥の部屋まで来るのは初めてだった。

 高峯城では、二の丸が城の住人の主だった生活の場となっている。政務を行うのは中心に位置する本丸で、城主の成頼は二の丸でも本丸に一番近い部屋を使っていた。警備担当ということで、城に勤める他の者達や、二の丸にいる者にも顔を見せて回った。

 「こちらが奥方様のお部屋だ。」

 三輪の案内で正志朗は二の丸の一番奥の部屋まで来ていた。

 「三輪でございます。失礼いたします。」

 縁側に三輪と正志朗が正座して中の様子をうかがう。

 「三輪殿か。いかがなされた。」

 障子が開かれ、奥から凛とした声がした。

 「はい。本日より新しく二の丸の警備に当たる者がおりますので、お目通りをと思いまして。さあ、正志朗、ご挨拶を。」

 「十和田正志朗と申します。以後、お見知り置きを。」

 緊張して正志朗は頭を下げたまま、上目遣いに中にいる人物の様子を窺っていた。

 「百合ゆりだ。ふむ。顔が良く見えぬ。おもてを上げよ。」

 正志朗が顔を上げると今まで出会った誰よりも美しい人がいた。人目見て雷に打たれたような衝撃を受けた。胸の鼓動が激しくなった。

 『これが、奥方様…。』

 奥方の百合は、はっきりとした目鼻立ちで少々きつい印象を受ける凛とした美女だった。

 「十和田正志朗か。頼りにしておるぞ。」

 そう言われて正志朗は舞い上がってしまった。

 「はい。命に代えましても奥方様をお守り致します。」

 

 「ははは。正志朗、奥方様の前でかなり緊張しておったようだな。」

 百合の部屋を下がってから三輪がさも可笑おかしそうに言った。

 「はい。何分なにぶんまだ慣れぬものですから。それにこういった事は最初が肝心かと思い、つい力が入ってしまいました。」

 「まあ、そうだろう。何事も初めの内はそういうものだ。それにしてもいきなり『命に代えましても』はいくらなんでも大袈裟だったぞ。」

 「はあ。左様でございますか…。以後気を付けます。」

 「まあ、気にする程の事でもないがな。ただ、側でみていて面白かっただけだ。」

 三輪がくっくっ、と思い出し笑いをし、正志朗は照れて赤くなった。

 「奥方様は隣国・豊川の領主、豊川道周斎とよかわどうしゅうさい殿の一人娘でな、こちらに嫁いで来られる以前から『天下一の美姫』と大変な評判だった方だ。お前もお顔を拝見してあまりの美しさに驚いておったようだな?」

 「はぁ。」

 三輪に見透かされて益々恥ずかしくなった。

 「各地から引く手数多あまたであったらしいのだが、何故か道周斎殿はこの高峯との同盟を選ばれた。あまりに迷い過ぎて血迷ったのでは、と決まったときは皆驚いたものだ。一説では溺愛する娘をあまり遠くにやりたくなかったからだろうとも言われているがな。」

 三輪のその話を聞いて、正志朗の胸の中にドロドロとした嫉妬の炎が燃え始めた。もし自分が高峯領主の息子であったなら、百合は自分の妻であったかもしれない。そう考えると、『高峯を取り戻す』という目標に、『もしかすれば自分のものとなっていたかもしれない奥方』がいつの間にか抱合されていた。

 「そうそう、それから…」

 内に秘めた確固たる決意に燃える正志朗をよそに三輪は淡々と言葉を続ける。

 「今夜、安部様がお前の初出仕をお祝いして下さるそうだ。楽しみにしておけ。」


 百合の父、豊川権三とよかわごんぞうは野党上がりで一国を乗っ取った男だった。百合の母は遊女か、それに近い部類の美しいだけが取り柄の女だったそうで、その母は百合が幼い頃に流行病で死んだ。

 父、豊川権三は母の死後、隠居を気取って雅号・道周斎どうしゅうさいと名乗るようになったが、実権は手放せないままだった。

 道周斎の家臣は野党をしていた頃の手下が多く、荒くれ者が多いので有名だった。

 道周斎が領主を倒し、国を乗っ取ったと聞いた領民達は皆、野党の略奪を恐れて震え上がったが、道周斎はそれとは逆に手下に領地を与えて落ち着かせ、略奪や不法行為を厳しく禁じた。

 そうして領民を安心させ、更にそれまでの領主よりも緩やかな政治を行い、領民の信頼を勝ち得て国を安定させた男だった。

 野党仕込みの何でもありの戦法で戦にも強く、周辺の領地を攻め取っては徐々に国力を増大させていた。

 百合は道周斎自慢の一人娘で、幼い頃から『蝶よ花よ』と育てられ、勝気で我が儘な娘になっていた。しかも『天下一の美姫』とまで誉めそやされる程の美貌の主で、自惚うぬぼれも強かった。

 そんな百合だが、血筋や家柄には劣等感を持っていた。

 『父が野党で母は遊女』表立って口にする者はいないが、父が百合の嫁ぎ先を探す際に探りを入れた中には、やはりそのことで百合を手控える家も少なからずあったようだった。

そんな中決まった百合の嫁ぎ先は、故郷・豊川の隣国で、道周斎が豊川を乗っ取ったのと同じ頃に先の領主を裏切ってのし上った上野家の頼りないという噂の一人息子だった。


 「百合、これだけは覚えておけ。わしはそなたを高峯に嫁にやるのではない。いずれ手に入れる高峯を前もってお前に任せるだけだ。お前に高峯をやろう。いずれは高峯を含め、広大になった豊川全てがお前のものとなる。その為に、先ずは高峯をお前の力で掌中に収め、国一つ、お前の意のままに動かせるようになっておけ。わしの援助が必要な時はいつでも使いをよこしなさい。兵でも、物資でも、知恵でも、わしが出せるものなら何でも出してやる。わしは一代でこれだけの国を手に入れた。わしには男としての戦い方があった。だが、そなたは女子じゃ。わしと同じやり方はできない。女子には女子なりの戦い方、国の治め方がある。高峯でその力を付けて来い。」

 厳しいが、誰よりも百合の事を考えている父の言葉。

 百合の縁談に何年も頭を悩ませ続けていた父が最終的に選んだ相手は、祝言しゅうげんの折、『二人が並んでいるとまるで雛人形の様だ』と評された、隣国の見た目だけが取り柄の頼りない若造だった。

 有能な家臣から婿を取ることや、もっと力のある大きな国の領主からの縁談など等、悩みに悩んだ末、『いくら美しくてもこれ以上伸ばせば行かず後家になりますよ』との声に漸く出した結論だった。

 百合を手放したくは無いが、家臣の中に道周斎が納得のいく者がいなかった事や、国内で婿をとればいつか自分の寝首をかかれるのではないかという不安もあった。

 それに国主同士の姻戚関係は政略的意味を持つ。道周斎が他国に手を伸ばす際、後ろの守りを任せられ、かつ道周斎に刃向かう程の力のない国。人質とも成りうる百合の身に何かあればすぐに助け出せ、他国に攻められても道周斎がすぐに助けてやれる。そんな条件が高峯には揃っていたのだった。


 百合が高峯に嫁いで半月も経たない内に、当時の高峯領主・上野成章うえのなりあきらが急死した。急な病で倒れたという事だが、様々な憶測が飛び交い、真偽の程は定かではない。かくして百合の夫、成頼が後を継いで領主となることになったのだが、その頃から成頼は百合を避けるようになった。百合は、成頼が成章の死と豊川の関わりを疑っているのだと思った。しかし百合は何も知らないし、身に覚えもない。それに、初夜は迎えたものの、それ以来百合に近付かない成頼を見ると、他の不安も頭をもたげてくる。百合に何か女としての落度があったのだろうか?何とか成頼の気を引こうと、しゅうとの死に関する誤解を解こうと努めたが、結局下手に何か言おうとすると逆に疑いを生むという皮肉な結果に終わった。そうして百合と成頼は同じ屋根の下に住まいながら、今では滅多に顔を会わせる事すら無くなってしまったのだった。


 

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