旱
ガサガサっと何かが近付く音が聞こえた。
棺の中は狭く、六徳丸は窮屈な体勢にイライラしていた。
ガタっと棺の蓋が開くや否や六徳丸は勢いよく飛び出した。
「ギャギャァ!」
大きな毛むくじゃらの生き物が六徳丸に驚いて飛び退いたが、飛び出した六徳丸がその上に覆い被さるように降りてくる。
「グギャァ!」
六徳丸に胸を抉られ、毛むくじゃらの塊はドシンと音を立てて倒れた。
暗闇に目を凝らして確かめると、それは熊ほどの大きさの猿だった。勿論普通の猿では無いはずだが、それを見た六徳丸はがっかりした表情で「チッ」と舌打ちしながら手に握っていた猿の魂を口へと運んだ。
六徳丸は外で待つ良玄の前に悠々と姿を表す。
「おお、どうじゃった?無事に済んだか?」
「ああ、全くがっかりだ。あんな窮屈な思いまでさせられたってのに出てきたのはただの猿の化け物だ。妖というほどでもなかった。」
「まぁ、これも人助けじゃ。では後の仕上げはわしの出番じゃな。」
良玄は村人を集めて化け猿の供養と称して読経を行い、化け物退治のお礼をたっぷり受け取って村を後にした。
「全くどこに行ってもいるのはちょっと長生きしたでかい獣ばっかりだ。なかなか妖にまで成長する奴がいねぇ。」
「まぁ、それでも何も無いよりはマシじゃろう?口直しにこれでも食うか?」
もらった荷物の中から良玄が梨を取り出して六徳丸に手渡す。
同じような事をもう何度も経験してきた。出会ってから二人は共に旅をするようになった。六徳丸は僧兵のように頭巾で頭を隠した小坊主姿になっていた。旅をしていると得体の知れない化け物に荒らされているという村がいくつもあって、二人は各地で化け物を退治して回ったが、そのどれもが狐や狸などが長生きして知恵を付けた程度のものや、実は犯人が人間だったなどお粗末なものばかりだった。それでも二人のことは噂として村々に伝えられる程度には有名になっていて、いく先々で化け物退治の話が舞い込んできて、化け物を探す手間は省けていた。困った事と言えば良玄が読経を行うと必ず六徳丸が眠ってしまう事くらいだった。
今回は毎年若い娘を生贄に要求し、生贄を出さないと村を荒らしまくるという妖怪ということで、六徳丸は期待していたのだが、実際は少し喋れるようになった程度の猿の化け物でまだ妖力と呼べるほどの力は持っていなかったのだ。生贄になりすまして狭い棺に押し込められるのに我慢したのも多少力のある妖を期待してのことだったので期待を裏切られて不機嫌になっていた。
「全く、こんなに獣ばっかり喰ってたんじゃ逆に弱くなりそうだ。」
「他人の力に頼らずに自らの修行で力を得る事こそ真の成長じゃよ。仙人の修行を続けようではないか。」
「あれって山に籠って一人でやるもんだぜ?こんな呑気なやり方で意味があるのかな?」
二人は六徳丸の持つ記憶を元に仙人の修行も行っていた。天地へ祈りを捧げながら滝に打たれたり、早朝、草木に着いた朝露だけを口にして何日も坐禅を組み続けたり、山に生える木の実と草の実だけを食べたて山々を巡るなどだが、旅をしながらなので本来長い年月をかけて続けるような修行が細切れの継ぎ接ぎ状態になっていたのだ。
「結果を急がず、できる範囲で無理なく続けるのが良いんじゃよ。同じ事を続けたら飽きるじゃろ?」
「まぁ、飽きるって言えばもうどれも飽き飽きしてるさ。それより俺は鬼だから魂以外の食い物はそもそも必要ないし、この体もあってないような物だからきつい環境もこたえないけど、生身の体持ってるあんたの方が大変なんじゃないのか?しかもちょっとやってはすぐ辞めてとか繰り返して、ただしんどい目にあってるだけに見えるけど?」
「わしもお主と一緒で飽きっぽいんでな。同じ修行を長く続けるのは辛いんじゃよ。意味があるかないかはその内分かるわい。」
『本当はわしの体を気にするようになったそなたの心の成長こそに意味があるんじゃよ。』
良玄は口には出さなかったが、六徳丸の成長を日々感じて嬉しかった。ただ、六徳丸のひねくれた性格から、それを口にしてしまうとわざと反抗しそうだったので黙っていたのだ。
「それにしても不思議なんじゃが、そもそも鬼とは何なんじゃ?魂を喰っているというが、魂とは目に見えて手に取れる物なのか?」
「俺にもよく分からない。でもこの体は魂の寄せ集めでできてるんだ。だから姿を変えることもできるし食い物がなくても問題ない。実際は他の生き物と同じような物質的な身体も少しはあるみたいなんだけどそのせいで動きが鈍ってる感じだ。要らない肉を削ぎ落としてより純粋な魂の塊になった方が都合が良いんだけど、そのためにはより沢山の魂を喰わなきゃいけない。あんたに付き合って人の食い物もちょっとは口にしてるけど、あれも実際に喰ってるのは物の中にある魂だ。全ての物には魂があって生きてる物の方が魂が大きい。同じ生き物の中でも魂の大きさは色々だけどね。体の成長と同じように魂も成長するからより経験の豊かな者や元々の魂が強い者の魂はより大きくて力がある。でもそれは普通の人には見えないし触れることもできない。たまに霊感が強いとか言われてるような人には見えたり感じたりできる者もいるみたいだけど触れたり喰ったりできるのは妖や鬼以上の力を持つ者だけだ。人とかだと身体の真ん中に魂の塊があるんだ。で、魂は水のような流体で身体中を血のように巡ってる。ちょうど心臓から血が巡るのに似てるな。俺が抉り出して喰ってるのはその塊の部分で、こう掌の真ん中に自分の気を集めるとそれに吸い寄せられて集まってくるんだ。」
そう言いながら六徳丸は丸い玉を持つような手をして見せた。何も見えないにも関わらず良玄にはそこに何か強い気配を感じた。それが六徳丸が言う「気」なのだろう。六徳丸と長くいるせいか、良玄にも目に見えない物を感じる霊感のようなものが強く育ってきていた。
「あぁ、本当どこかにでっかい魂持ってる奴はいないかなぁ。こんなちまちました事ばっかりやってたんじゃその内父上に見つかって喰われちまう。」
「経験を積むと魂も成長するんじゃろ?他の魂を喰わなくてもそなた自身の魂が成長しているとは思わんかね?」
「う〜ん、そうだなぁ。ちょっとは成長してるとは思うんだけどこれといって感じるものが無いんだよね。やっぱ妖力とかある方が良いよね。」
「その妖力とはどういう物なんじゃ?」
「そうだなぁ、例えば雨を降らせたり、雷で敵を攻撃したり、火を起こしたりとか。できたら格好良いし便利だろ?」
「ははは、そりゃ凄い。そなたの父上はそんなことが出来るのか?」
「う〜ん、今はどうだろう?随分魂を手放したからなぁ。やり方が分かってても魂が足りないとできないんじゃないかな?昔は確かに出来てたんだけどね。」
「そなた、父君の記憶があると言っておったがそれなら雨の降らし方なども分かるのではないのか?」
「それがもどかしいところなんだ。雨を降らすどころか、嵐を起こしたりした記憶も体の感覚もあるのに圧倒的に力が足りない。それこそ話にならないくらいに力不足なのだけがよく分かってるんだ。だから焦ってるんだよ。早く沢山の魂を喰って力を付けなきゃならないの全然間に合ってないんだから。あぁ、もうこんなしけたやり方辞めてまた村ごと襲おうかな?」
「何をいうか!折角ここまで頑張ったんじゃろう?今またそんな事をすれば今までの苦労が水の泡じゃろうが?」
「そうは言ってもなぁ、大体あんたが妖退治で手っ取り早く強い魂を得たら人なんか喰わなくて良いっていうから我慢してたんじゃないか?それが何だよ、全然強い妖なんか出ないじゃないか!」
「まぁ、それでも妖のなり損ねくらいはいっぱいいたじゃろうが?これを続けていればその内そなたの思うような相手に巡り会うじゃろう。もう少し我慢してみぃ。」
二人はいつの間にか小さな村に辿り着いていた。物騒な会話の後だったので良玄は六徳丸が短気を起こさないか心配しながら注意深く声をかける村人を選んでいた。
「もし、ごめん下され。拙僧どもは行脚の修行僧。今日たまたまこの辺りで夜を迎えることになったのですが、納屋などで十分ですのでどこか雨露を凌げる場所に一晩置いては頂けませんでしょうか?」
良玄はちょうど通りかかった貫禄のある年配の男に声をかけた。うまい具合に男は村の取りまとめ役だったようで、二人を自宅に案内してくれた。男の家は村人がよく集まって会合を開くそうで、普通の民家にしては広い作りになっていて離れや納屋も充実していた。
粥のもてなしを受けた後、他の村人数人も交えて四方山話をしていると家の主人の与平が唐突に頭を下げてきた。
「どうか、おねげえします!雨を降らせて下せえ!偉いお坊さま方が来られたのも神様のお導きに違えねぇ。どうかお願えします!」
この一月ほどこの辺りに雨が一滴も降っていないという天気の話をしていただけだったのだが、どうも事態は良玄が思っていたよりもかなり深刻な様子だった。与平に合わせて他の村人も良玄に平伏している。
「これこれ、勘違いなさるな。拙僧どもは偉くも何とも無いただの修行僧。成り行きで妖退治はしてきたが雨を降らせる力など持ち合わせてはおらん。申し訳ないがお役には立てそうに無い。何とかしてやりたいのは山々だが悔しいことに力不足じゃ。」
「そこを何とか!偉いお坊さまが雨乞いをすると雨が降るって聞いたことがごぜえます!一度試しに雨乞いだけでもしてみて下せえ!」
「お願えします!せめて龍神さまにお祈りくらいしてみて下せえ!」
一人が口にした『龍神』の言葉に六徳丸が反応した。
「龍神?龍神が居るのか!?」
「へぇ、この奥の小樽山に龍神池という池がごぜえます。日照りでもそこだけは水が途切れねえんで村の者は何とか飲み水は手に入れられてますが、田畑に引くことはできねぇんでこのままじゃ作物が全部だめんなっちまう。」
「田畑に引けぬというのはどういう事かな?」
「神聖な場所なんで掘り返すなんて持っての他じゃし、そもそも岩だらけでどうしようも無い場所なんで。この日照りなんで水汲みは許されましたがこのところ池の水も減ってきていていつまで持つか。」
「そういう事か...。ではまずはその池を見に行かせて下され。何か出来るかどうかはそこから考えてみましょう。」
良玄がそう答え、村人は良玄が何かしてくれるだろうと期待して喜んだ。そして六徳丸も横で大人しくしつつも興奮していた。『やっとまともな力が手に入るかも知れない。』そんな期待に胸を膨らませていたのだ。




