良玄
日暮れ時の薄暗い山道を落ち葉を踏みしめながら進むと苔生して屋根の朽ちかけたお堂があった。旅の僧はゆっくりと落ち着いた物腰で草鞋の紐を解き、中へと入っていった。破れた壁から枯葉が吹き込み、砂埃の積もった床は屋外よりもかえって衣が汚れそうだった。僧は床同様埃だらけの本尊に向かうと、中にあった筵を広げ、その上に座して念仏を唱えだした。
静寂の中に唸るような低い声が響く。
念仏を唱え終わる頃には辺りは闇に包まれていた。僧が窓からの月明りを頼りに荷物を解き、灯りをともすと、お堂の隅に何者かが蹲っているのに気付いた。怪訝に思った僧が灯りを手に近付こうとすると、相手も僧に気付いたのか立ち上がって僧の方へと向かって来る。近づいてみると、それは身分の高そうな身なりをした若く美しい女だった。
その姿はおよそこのような古ぼけたお堂には不似合いで、僧は狐か狸にでも化かされているような心持になっていた。
「こんばんは。先客がいらしたとは気付きませんでした。このような場所にお一人ですか?何か事情があるのでしたらお話下さい。何か拙僧にお役に立てることはありませんか?」
僧の優しく落ち着いた物言いに女も気を許した様子で徐に話始めた。だが、その語る内容は穏やかな口調とは裏腹にとても穏やかとは言えない内容だった。
「御坊の読経がとても心地よく、つい聞き入ってしまいました。私は暁と申します。御坊はもしや修行を積まれた高僧ではあらせられませんか?御坊の読経で先ほどまで不機嫌だった鬼の子がすっかり静まりました。八つ当たりで人でも襲うのではと心配していたのですが、これで一安心です。本当に助かりました。」
「どうもお話が突拍子もなくて理解が追い付かないのですが、まず一つ、拙僧は良玄と申す一介の雲水。そんな御大層に修行を積んだ高僧などではございません。正に今修行を積んでいる最中の身でございます。それと、鬼の子と仰せですが、その鬼の子というのも今ここにいるのですか?」
「ええ、今私が姿を借りているのが私と鬼の間に生まれた子で、六徳丸と申します。今、私の魂はその子の体の中にあり、本人がすっかり静まったので体を借りて表に姿を出すことができております。私が消えた後、この子の姿をお見せできましょう。」
「どうも話がややこしいのでもういくつかお聞きしますが、あなたはご自分の産んだお子の中にいらっしゃるので?一体どういう事情でそのような事に?」
「どこからお話すれば良いのやら…長い話になりますがお許し下さい。」
二人は埃だらけの床に座りこみ、暁は鬼と出会った経緯を話し出した。一壺天を解放したこと、鬼の協力で亡き父の領土を取り戻した事、表向きは領主をしているその鬼に嫁ぎ、子ができ、その子に己の魂を喰わせたこと、その子が国を荒らし、父親の鬼に咎められ、この荒れ寺に辿り着き、そうして良玄に出会ったこと。
良玄はただ黙って暁の話を聞いていた。途中一度も動じる素振りもなく、終始穏やかな表情を湛えている。暁も唯々今までに起こった事実を淡々と語った。
「それにしても一壺天とは。もうかなり昔の話ですが、死んだ祖母から聞いたことがあります。まさか本当にあった事とは。おとぎ話としか思っておりませんでした。」
「どうか、良玄様にお願いでございます。この子の師になっていただけませんでしょうか?この子を殺生から遠ざけ、分別が持てるよう、導いてやって下さいまし。」
「いやいや、それは買いかぶりというもの。拙僧も罪深き者の一人。今は罪滅ぼしのために出家し、修行を積んでいる身でございます。」
「お尋ねしても宜しければ、良玄様の罪とは何でございましょう?」
「『殺生』でございます。拙僧も昔は武士をやっておりました。戦場に出て死に物狂いで働いて、大勢切り殺しました。その罰が当たったのでございましょう。戦から家に戻ると家族が全員野盗に襲われて死んでおりました。あまりの悲しみに暫くは何も手に付かず、そのまま死んでしまうのではと思っておりましたが、丁度通りかかった旅の僧からお説法を聞きまして、それまでの苦しみからやっと立ち直ることができました。そこでこの身も仏門に下ろうと決心し、今に至るわけでございます。とても人様を導くなど、そんなおこがましい事は出来ませぬ。」
「いいえ、だからこそお願いしたいのでございます。罪の重みを知る者にしか既に罪を重ねてしまったこの子を導くことはできません。人は同じ痛みを知る者でなければ心を開くことができないものです。どうか、この子を正しい道へとお導き下さいまし。」
「確かに先ほどのお話での一壺天など、まさかそのような鬼に罪の意識があるなどと、常人に気付くことは難しいでしょう。貴方様こそ、そのような鬼に赦しを与えられる心の広いお方。拙僧が余計な口を鋏む必要などございますまい。」
「私はこの子に対し罪を犯してしまいました。まだ何の分別もつかぬ我が子に己の魂を喰わせてしまったのです。この子が物心ついた時、既に甘えられる母親はおらず、父親とは魂を奪い合う間柄。鬼とはいえ幼子は幼子、憎まれ口を叩いてばかりですが実はとても寂しい思いをしているのでございます。どうか、お願いいたします。」
暁が平伏して良玄に頼み込む。良玄もここまで話を聞いてしまうと断るのが難しいと感じていた。
「どうか、お顔をお上げ下さい。一度お子と話をさせて頂けませんかな?たとえ今拙僧が承諾したとして、お子が納得しなければ話になりませぬ。ご本人が拙僧を師と認めてくれるのであれば微力ながらお力になりましょう。」
その言葉に暁は嬉しそうな、不安そうな微妙な表情をした。
「有難うございます。六徳丸はどうもひねくれていて素直になれぬ子。良玄様に無礼な口を利くかもしれませんが、本当は誰かにかまって欲しいのです。憎まれ口をたたくのも誰かに甘えたいだけでございます。どうか、広い心でお許し下さい。」
「まぁ、まずはその六徳丸と仰るお子と話をしてみます。拙僧の力が及ばぬ際はどうか他をあたって下さい。」
「はい。分かりました。どうかよろしくお願いいたします。」
そう言うと暁と名乗った女の姿が揺らぎ、代わりに赤い髪の少年が現れた。髪が赤いという以外には鬼と思える要素はない。少女と言っても通るような美しい顔立ちだ。おそらく眠っていたのだろう。眠そうに目を瞬かせながら良玄の方を見ている。良玄が声を掛けようと思ったその時、六徳丸の方から先に口を開いた。
「何か俺が寝てる間に母上が勝手なことを頼んだみたいだけど、はっきり言って余計なお世話だから。俺に喰い殺されたくなければさっさとどっかに消えてしまいな。」
「私もそうするのが良いとは思っているのだが、そなたの母君から頼まれたことがあるのだ。どうだろう?私と共に修行の旅をしてみないか?そなたはまだ若い。何をしても学ぶことは多いだろうが、まずは正しい行いを身につけることで余計な苦労を背負い込まずに済む。」
「ははは、俺が若い?確かにこの体はまだ作ったばかりだが、俺には一壺天の記憶がある。一壺天が数百年生きた中で何を学んだか全て知ってるんだ。せいぜい数十年しか生きられない人間なんか到底及ばないものを既に手に入れてるんでね。今更何をやろうと無駄無駄。」
「そうだろうか?一壺天は仏の教えに触れたことはあったのか?先ほど母君が私の読経でそなたが安らいだと仰せだったが?せめて簡単な経の一つでも覚えてはみないか?」
「一壺天も坊主は沢山喰ったから簡単どころか難しい経を沢山知ってるよ。あんたのさっきの誦経は『虚空蔵菩薩経』だ。そこの本尊が虚空蔵菩薩だからだろう?今更覚えるまでもない。あんたの誦経があんまりつまんなくて眠くなっただけだよ。」
「そうか。それでは試しに知っている中でそなたの好きな経を一つ唱えてはもらえんか?」
「嫌だね。経はどれも眠くなる。昔の人間が見つけたとか言う真理だか何だかを延々ブツブツ唱えてるだけだろう?馬鹿々々しくてやってられないね。」
「生きていれば色々なことがある。その中に念仏と重なることや気付くことがあったりするものだが、まだそんな経験はないかね?」
「逆だよ。全部一通り体験済みだ。その上でくだらないと思うんだ。あんたに一つ忠告してやるよ。そこらの人間が体験する苦痛なんて鬼が体験した苦痛に比べたらまだまだ序の口だ。鬼を納得させられるくらいご立派な『真理』とやらを見つけるためには一度や二度死ぬくらいじゃ間に合わないほどの苦痛を体験しないとね。生身の人間の体じゃ到底持たない。俺を納得させられる程の成果を見せようと思ったらそれこそ千回死ぬくらいの苦痛を超えなきゃ無理だね。だから初めから俺には関わらない方が身の為だよ。例えあんたが命掛けで何かを成したとしてもたった一人の達成した成果なんてたかが知れてる。俺に何かを訴えることなどできはしない。俺に関われば命を無駄にするだけだ。」
「一体鬼とはどういう存在なのだ?なぜそれほどまでの苦痛に耐えねばならん?」
「さあね。俺にだって分からない。始まりはただ親の為に生き残る事だった。何をしてでも生き残ろうと死人の肉を喰いだしてからが苦痛の始まりだ。妖を喰ったことで人ではなくなり、多くの命を糧にして鬼となった。それがかつての一壺天だ。さっき母上が話したと思うが、俺はその一壺天の魂の欠片から生まれた。一壺天の持つ神通力や妖力は持ち合わせていないが記憶はほぼ全部ある。今の俺が欲しいのは一壺天を超える力だ。それも人の魂を喰わずに何とかしないといけなくなった。くだらない坊主に付き合ってる暇なんてないんでね。母上が面倒かけて悪い事をしたな。俺の事は気にせず自分の修行とやらにせいぜい励みな。」
「人の魂を喰う事で力を得て来たなら、それを喰わないとなるとどうやって力を付けるのだ?何か方法があるのか?」
「人以外の色んな魂を喰う。できれば妖を見つけたい。そうすれば妖力を得られるから。でもあんまり強いのはまだ駄目だ。逆にこっちが喰われちまう。だからそれまでは動物でもなんでも喰えそうなものを片っ端から喰うしかないね。」
「そなたのやり方は他者から奪うだけなのだな?自分の努力で何とかしようとは思わんのか?」
「やり方が分かればやってみるさ。昔一壺天が喰った仙人もどきは人だったくせに修行だか何だかで人を、いや、鬼すら超える力を持っていた。結局は一壺天に喰われたけどね。でもそいつの方法だとちょっと人よりましな存在になるために百年くらいかかるんだ。今の俺はせっかちな一壺天から逃げ回ってて到底百年なんて時間はかけていられない。手っ取り早く力を付けるのは他から奪うのが簡単なんだよ。」
「成程なぁ。ところで妖というのはそう簡単に見つかるものなのかね?わしも暫く旅を続けておるがそういう噂はあまり聞いたことがないが。最近聞いたのはこの辺りで鬼か妖に滅ぼされた村がいくつかあるという話くらいだが?」
「あぁ、それは俺がやった。でももうやめたんだ。めぼしい妖は軒並み一壺天が喰ってしまったから妖を見つけるのは大変だと思う。でも一壺天があまり行っていない西国に向かえばちょっとくらい残ってるだろう。」
「そういう事ならわしと一緒に旅をしてみんか?丁度わしも西に向かうどころじゃ。そなたの母君の言うように弟子になどなる必要はないが、旅の僧をしておれば妖怪退治を請け負いやすいぞ。ちょっと噂を流せばあちらこちらから話が届くからな。」
「何でそんなこと言えるんだ?さっき旅をしてきて妖怪の噂なんかなかったって言ってなかったか?」
「あまり聞かなかったというだけで全くなかった訳じゃない。実際わしがここに来たのもこの辺りで鬼が村を襲っているという噂から、親戚のいる村を襲われた者に様子を見て欲しいと頼まれたんじゃよ。そうしてそなたに出会った。これも何かの縁とは思わんか?」
「ふうん。成程な。それも一理ある。だが俺と一緒じゃ逆にあんたが似非坊主と思われるんじゃないか?鬼と一緒にいる坊主なんて誰も信用しないだろう?」
「そこは多少そなたに協力してもらわねばならんな。その派手な姿を旅の雲水らしくしてもらわねば。赤い髪も剃り落としてしまえばわからんじゃろうし。」
「ああ、だめだめ。髪を剃ると角が逆に目立つから。俺にもう少し力があれば目くらましをかけて角が人から見えないように出来るんだが、まだそれだけの力がないんだ。それよりもっと簡単な方法があるよ。俺は喰った人間の姿を取れる。適当な人間に化けてればそれで問題ないだろう?」
「ほう。人間に化けるのか。だがそれは本来の姿ではなかろう?気を緩めて元の姿に戻ったりはせんのか?」
「眠ると戻るかもな。」
「それではだめだ。わしが念仏を唱えている間に眠ってしまったら拙いだろう?」
「ああ、そう言えばそうか。まったく面倒な話だな。それならやっぱり一緒に行くのはやめだ。」
「そうか。ではそなたの母君には申し訳ないがわしでは力が及ばなかった事と諦めて頂こう。」
二人の会話はそこで終わり、良玄は再度本尊に向かうと読経を再開した。六徳丸はその声を聞くなりウトウトと船を漕ぎ始め、終には床にばたりと横たわって眠ってしまった。良玄はそのような事は気にも留めずただひたすらに経を唱え続ける。この不思議な出会いと自らの役割についてどうすべきか答えに迷い、仏の導きを得たいと思っての事だった。
読経は一晩中続いた。チチチチッと小鳥が囀り始めたまだ薄暗い早朝、良玄はようやく読経をやめ、荷物を纏めるとお堂の掃除を始めた。大した道具が見当たらないのでボロ布と水で汚れを拭うくらいしかできることはなかったが、それでも周囲が明るくなる頃には本尊と床は積み重なった埃の下から本来の鈍い輝きを取り戻した。
掃除が終わり、良玄は最後に短い経を上げ、草鞋を履き始めた。今日も沢山歩く覚悟で紐を丁寧に結んでいると、ずっと眠っていた六徳丸が起き出して気持ち良さそうに伸びをした。
「おはよう、六徳丸。わしはもう行くがくれぐれもお母上を悲しませんようにな。何の役にも立てなんだがそなたとの不思議な縁は決して忘れんであろう。では達者でな。」
「ああ。まぁお前もせいぜい修行に励め。うまくいけば仙人程度にはなれるかもよ。」
良玄が旅立ち、二人は別れた。
山を下ると小さな村があった。良玄は経を唱えながらゆっくりと家々の軒先を回る。托鉢をしているのだった。何件かの家の戸が開かれ、僅かばかりの穀物や干した山菜などが鉢に入れられて行く。そうしているうちに誰かが良玄の後を追って駆け寄ってきた。
「もし、旅のお坊さま。ちょっと宜しいですかね?」
一人の年配の女と、その後ろからまた一人その女の息子らしき子供が駆けてくる。
「はい。どうかなさいましたかな?」
良玄が立ち止まり、振り返る。
「あの、ご相談したい事があるんです。お坊さまは妖を封じたりはなさいませんかな?なんでも各地を回って妖や悪霊の類を封じて下さる旅のお坊さまがいらっしゃると聞いたんですがな?」
「まぁ、そういった事もしないでは無いですが。何かお困りですか?」
「実は隣の菊川村が妖に襲われたようで村人が皆殺しに会ったんです。他にも同じような被害にあう村が沢山ありまして、ここもいつ襲われるかと思うと気が気じゃなくて。どうか、どうかお助けを!」
良玄の中で六徳丸の話と今の村人の話が繋がった。実際、良玄は旅の途中、その妖の話を聞いてこの辺りに向かっていたのだ。
「ご安心なさい。微力ではありますが拙僧が妖避けの誦経を封じましょう。この村には何か祈りを捧げるような場所はありますか?」
「はい。何せ小さな村で立派なお堂とかは無いんですが土地神様の祠ならあっちに。」
「そうですか。ではこの後お祈りしますので他の村の人達もできるだけ沢山集めて下さい。皆で祈った方が効き目が高まるでしょう。」
「有難うございます!有難うございます!では早速皆を呼んで来ます!」
女が良玄をその祠に案内し、良玄が誦経の準備をしている間に、女とその息子が呼んで来た村人が次々と良玄の後ろに集まった。結局村人全員が良玄を取り囲んむ中、良玄は恭しく祠に拝礼し、長々と読経を上げた。
「これでもうこの村は大丈夫。妖からは土地神様が守って下さる。土地神様にはお供えを絶やさず、また旅の者にも親切にして徳を積むように。村の者一人一人が良い心がけをすればきっと神様仏様が守って下さいます。」
「有難うございます!」
「有難うございます!」
村人が皆 跪いたまま手を合わせて良玄を拝み、『有難うございます!』の大合唱の中、良玄はお礼の品々が入った布包を押し付けられて村を後にした。
村を去った良玄は山深くで夕暮れを迎えた。野宿の仕度をしているとヒタヒタと何者かが近く足音が聞こえる。良玄が振り返ると、そこには今朝別れたはずの六徳丸がいた。
「おや。また会ったな。」
「ああ。たまたま同じ西に向かってるからじゃないか?似非坊主。」
「何だ?その言い方は?何か気に触ることでもあったのか?」
「昨日の今日 俺に偉そうなお説教垂れてた坊主が、さぞかし修行に励んでるのかと思いきやなんだあれは?何も知らない村人騙して役にも立たない経を上げて色々物を貰ってなかったか?」
「坊主と言えども生きるためには食わねばならんのでな。頂けるものを頂いて何が悪い。人から施しを受けるというのも托鉢という立派な修行の一つだ。それに村人を騙してなどおらん。そなたが言ってたではないか。もう村を襲ったりはせんと。祠に経を上げたのは村人を安心させるためよ。何もせずに『もう大丈夫。菊川村を襲った鬼がもう村を襲うのをやめたと言っていた。』などと言って信じてもらえると思うか?ああいう芝居も時には必要なんじゃよ。あれであの村の人々が安心して暮らせ、また、他所から来た者にも親切にするようになれば一石二鳥じゃ。」
そう言われて六徳丸は言い返せなくなったが、このまま引き下がるのも悔しい。
「俺がこれからあそこに戻って全員皆殺しにしたらあんたはとんだ大嘘つきの詐欺師になるぜ。」
「わしを詐欺師に仕立てるためにわざわざ父母との約束を違えるのか?通りすがりの坊主一人に大した入れ込みようじゃな?そんなにわしの事が気になるか?」
「そんなんじゃねえよ!ただ、俺の話を上手い具合に利用されたみたいで癪に触るんだ!このクソ坊主が!」
「ははは、全くまだまだ器が小さいのぉ。何だ、一壺天の記憶があるから修行なぞ不要と言っておった割には子供の発想ではないか?知識はあっても何も自分の物にできぬと見える。こうは考えられんか?そなたが人を殺すのをやめただけでこんなにも多くの人を救う事ができたと。ただ普通に暮らしていた村人がその普通に暮らせることに感謝し、他人に親切になる。お陰で旅の坊主も食うに困らず満腹で夜を迎えられる。全てそなたのお陰だ。これまでにそなたが大勢殺した事は大きな罪だが、殺戮を辞めると決めた事は大きな功になる。既にそなたの罪滅ぼしは始まっておるのだよ。今更元に戻って何かいい事があるのか?それよりも今までと違った事をしてもっと成長してはどうだね?」
「ケッ!全く口の上手い坊主だ。」
「それこそが坊主の道という訳だ。他の命を奪わず、誰かからの施しを頼りに生きていくには舌先三寸こそが命綱なんでな。」
「何だよそれ。全っぜん有り難みがねぇな!もうちょっと小難しい仏の道とか説くのが仕事なんじゃないのかよ!」
「勿論そういうのが得意な坊主もいるにはいるが、さっきの村のように学のない者には小難しい話よりも簡単なお祈りの方が有り難がられるんじゃよ。何でも相手を見て臨機応変に動かねばなぁ。」
「ふん!本当にああ言えばこう言う。そんなんで生きていけるなら坊主なんて楽な商売だな。」
「知ってるか?『坊主と乞食は三日やったらやめられん』という言葉がある。どうだ?そなたも坊主でもやってみんか?」
「何だよ。またその話か。あんたの弟子になんか絶対にならねぇから。」
「別に弟子になれとは言っとらん。一緒に坊主でもやってみるかと誘っただけじゃ。側で見ていても楽な商売なんじゃろう?」
「だからと言ってやってみようとは思わねぇよ。ただ、人をダシにして儲けてるのが鬱陶しかったんだ。またあんな手で楽に儲けられたら悔しいからしばらく見張らせてもらうからな。」
「ああ。好きにするが良いさ。」
そう言いながら良玄は貰ったものの中から熟れた桃を取り出し、六徳丸に差し出した。
「上手いぞ、食ってみるか?」
「いらねぇよ。鬼はそんなもん食わなくても良いんだよ。」
「ほう。だが人の魂は喰うんじゃろう?食ったことがなければ試してみい?」
そう言いながら良玄は桃をもう一つ取り出して美味そうに齧り付く。甘い香りと一緒にみずみずしい果汁が流れ出た。
六徳丸はその香りにつられて差し出された桃に手を伸ばす。恐る恐る口を付けてみると、立てた前歯の辺りから口の中いっぱいに甘酸っぱい味が広がった。喰った人の魂を通じて桃の味は知っていたはずなのだが、こうして直に食べてみるのも悪くはないなと思った。
「どうだ?美味いか?」
良玄の問いに六徳丸は小さく頷いた。
「この桃自体、なかなか美味いが一人で食うより誰かと一緒の方がより美味く感じる。今日の成果はそなたとわしの二人で成したようなもんじゃ。成果を仲間と分け合うのもなかなかに楽しいものではないか?」
「ふん。何を勝手に仲間とか...。」
桃を齧る六徳丸は何故か涙が流れ出るのを抑えられなかった。生まれて初めて食べた桃がそこまで美味しいと感じた訳では無かったのだが。不思議と胸が熱くなる味だった。




