使者
飼い葉桶に入った成頼の首を暁が抱え、平悟が馬を操って、二人は城の裏山の細い山道を駆け登った。
城山軍がどこにいるかは分からなかったが、
街道を避けて城に続く抜け道を教えたのは平悟だ。大体の見当はついた。
二人は人馬の通った跡らしきものを辿り、なんとか城山の陣を見つけることができた。
以前はこそこそ様子を伺って捕まってしまったが、今回は気が急いていることもあり、堂々と馬で乗りつける。
「高峯より火急の使者でございます!城山領主、瀬津直忠様にお目通り願いたい!」
平悟が大声で叫ぶ。わらわらと見張りの兵が寄ってきて二人の周囲を取り囲む。暁は緊張して両腕で桶をしっかりと抱きかかえた。一方の平悟は暫く城山軍にいたこともあり、顔見知りもできていたので大分落ち着いていた。
「あれ?お前、平悟じゃないか?」
平悟の事を知っている武士が混ざっていた。
「お館様へのお使いで来た。森様かお館様のところに案内してくれ。」
「わかった。伺ってくるから少しここで待っていろ。」
馬を降りる頃には暁も落ち着きを取り戻していた。何とか間に合ったのだと、まだ那由他に会ってもいないのに気が抜けてしまった。
程なく二人は森と瀬津の待つ天幕へと通された。
成頼の首を恭しく差し出し、平服しつつもしっかりとした声で暁が告げる。
「お約束通り、前領主、上野成頼を討ち果たして参りました。これはその証。どうぞ、ご検分下さい。」
「あい分かった。ご苦労であった。」
森が桶を受け取って瀬津に取り次ぐ。
「上野を探っていた間者がおります。確認させて参ります。」
「その必要はない。成頼の顔は知っている。これは本物で間違いない。」
「え?左様でございますか。」
森はやや驚いていたが、話を先へと進める。
「それで、高峯城は本田が抑えているのか?」
「はい。旧来の家臣である三輪を中心に高峯城内は平定してございます。現在残っている家臣たちの本領安堵をお約束頂ければこれより高峯を治める本田家は瀬津様に忠誠を誓う所存でございます。これが、現城主、本田春彦よりの書状でございます。」
暁は先ほど三輪が認めたばかりの、まだ墨も乾き切っていない書状を差し出す。森と瀬津がそれを確認し、返事を書いて平悟に預けた。
「山岡平悟は急ぎ高峯城に戻り、和議の同意をお伝えせよ。そこに書かてれいる通り、明日の正午に我々は高峯城に入城する。あまり時間がない。急げ。暁殿は明日我々と一緒に高峯城へ行って頂きますのでこのままお残り下さい。」
暁は一応人質のようだ。あまり時間がないが、春彦は城を纏められるだろうか?三輪がいることは心強いが、まだ安部の家来が領内に残っている。二の丸も焼けてしまったところへ城山軍が来るのかと思うとやや気が重かったが、もう暁にどうにかできる問題ではなかった。春彦を信じるしかない。明日、なるようにしかならないのだ。
平悟は乗ってきた馬に跨り、大急ぎで城へと戻って行った。
森は明日の手筈を整えるために城山軍の武将を天幕へと呼び集める。厳粛な雰囲気で軍議が進められるのを暁は夢現に眺めていた。本来暁がそんな場に居られる訳がないのだろうが、誰もが暁の存在に気付いていないように粛々と話しは進んでいく。折角重要な話を聞く機会であったのに、疲れ切っていて暁の耳には何も入ってこなかった。そうして軍議が纏まり、各武将がそれぞれの持ち場に散っていく頃、空が白み始めた。夜が明けたのだ。
長い夜が、漸く明けたのだ。
日も高くなり、城山軍は高峯城へ向けて隊列を整え始めた。結局あの後、暁は那由他と二人で話す機会がなく、唯々ぼんやりと城山軍を眺めているうちにとうとう出発の時間が来てしまった。出発前の短い時間、那由他が愛馬の鼻面を撫でながら暁に話しかけてきた。
何を話すのかと期待した暁だったが、話された内容はただの嫌がらせのようなものだった。
「こいつは黒耀、俺の仲間だ。昔戦で死んだ主の肉を喰ったことがある。今でも気に喰わないやつは嚙み殺すことがあるから、前を歩くときはせいぜい頭を嚙み砕かれないように気を付けるんだな。」
暁は先頭で城山軍を案内することになった。捕虜さながらに徒歩で歩く暁のすぐ後ろに、ひときわ大きな黒駒に跨り、大長刀を肩に担いだ瀬津が、そしてその横に葦毛の馬に乗った森が続く。
先ほどの那由他の話のせいで、暁は黒耀が耳元でブルンっと鼻を鳴らしたり唇をクチャクチャ言わせたりする度にビクビクしていた。黒耀に追い立てられるように小走りに先を行く。噛まれる事はないとは思うが、どうも黒耀も主に似て暁をからかって楽しんでいるように見受けられ、暁は悔しい思いを我慢してぶすっとした顔で先を急ぐ。
城山軍は山を迂回し、町の中心を突っ切って正面から城に入城することになっていた。
途中で誰かが歯向かってきたりしたらせっかくの和議が全て台無しになる。また、戦わずして下ることを領民がどう思うだろうかと、町中を通る間中、暁は不安で押しつぶされそうだったが、瀬津を恐れて街は静まりかえっていた為、何の問題もなく一行は城まで辿り着いた。正門前には春彦、三輪をはじめとした高峯家臣が居並んで城山軍を迎えた。
『良かった!春彦はちゃんと城内を平定できたんだ。』
暁はほっと安堵し、その顔には思わず笑みがこぼれた。
高峯家臣団に丁重に迎えられ、城山軍は高峯城内へと進む。暁はようやく城山軍から解放された。
瀬津が馬をおり、黒耀を預かった高峯の馬番が、黒耀がブルンと鼻を鳴らしたのに「ひぃ!」と驚いたのを見て、先ほどまで自分がその立場にいたにも関わらず暁はくすっと笑わずにはいられなかった。馬に慣れた者にとっても黒耀は恐ろしい馬のようだ。まだこれから肝心の和議の締結が行われるというのに、暁はすっかり安心し、穏やかな心持になっていた。




