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三輪

初めて高遠城に来た平悟は暁を探して城内を彷徨さまよっていた。それほど大きな城ではないとはいえ、いくつもの建物が庭や植え込みで仕切られている。暁がどこにいるか見当もつかず、人が少ないとはいえ大声で探し回ることもできず、うろうろと無駄な時間を費やした後、平悟はうまやの側で何やら話し込んでいる三人を見つけ、物陰に身を隠した。厩の壁沿いにそろそろと近づいて様子を伺う。もしかすると、父が本田家の敵と言っていた安部や三輪、父の仇の正志朗がいるかもしれない。何とか三人の会話が漏れ聞こえてこないかと耳をそばだててじりじりと距離を詰めていくと、かすかながら会話の中で『三輪様』という言葉が聞こえた。やはり三人の中に三輪が混ざっているのか?緊張した平悟は暁の事はすっかり忘れてその場にくぎ付けになっていた。

 そこへ馬の蹄の音が聞こえて来た。誰かが来る。平悟は用心深く周囲を伺い、更に身を低くして近づく誰かを待ち構えた。

 「三輪様!」

 馬で駆け付けたのは正志朗だった。

 「おお、正志朗、どうした?」

 「急ぎお伝えしたい事がございます!ただ、かなり内密の話ゆえ、二人きりでお話させてください。」

 息せ切って馬から降りながらそう伝える。

 仇二人の名を耳にして平悟は理性を失った。心臓がドクドクと激しく波打ち、耳の中にまで鼓動が響く。外の会話は半分も耳に入らなくなっていた。

 「わかった。では、二人は手筈通り、成頼を頼む。わしらも後ですぐに追いつくが、頃合いを見て良さそうであればそなたらで討ち取っておいてくれ。絶対に討ち漏らしてはならんぞ。」

 「はい、お任せ下さい。」

 先ほどまで三輪と話込んでいた二人の若い侍達が足早にその場を立ち去る。成頼の元へ向かう様だ。平悟は一瞬二人を追うべきかどうか迷った。おそらく二人の向かう先に暁がいるだろう。二人と暁が鉢合わせるようなことがあってはまずい。だが、目の前に残った三輪と正志朗も放っておけない。仇の二人が雁首揃えているのだ。先ほどまでの四対一では平悟に到底勝ち目はなさそうだが、今は二人だ。しかも三輪は若くはない。実質平悟が相手をするのは正志朗という事になるだろう。この機を逃せば仇を討つ機会などないかもしれない。平悟はどこにいるか分からない暁よりも目の前の二人を選んだ。息を殺して二人の様子を伺う。会話は聞こえない。

 一方の正志朗も安部を殺した直後で興奮していた。三輪共々平悟の存在に気付く由もない。二人は周囲に聞こえないように小声で話しを進める。

 「正志朗、一体どうしたのだ?安部様に何かあったのか?」

 「安部様を討ちました。」

 「何?討った?お前が安部様をか?何がどうなっているのだ?」

 三輪もいきなりの正志朗の告白に驚きを隠せない。

 「三輪様、今まで三輪様を騙しておりました。どうか、お許し下さい。三輪様が本田家を裏切った訳ではないと知った時から、ずっと言おうと思っていたのですが、今になってしまいました。」

 「どういう事だ?」

 「某の本当の名は本田春彦。先の高峯領主本田春臣の一人息子です!」

 「何と!それは誠か!」

 思いがけない話が続き、三輪もすっかり平静を失っていた。

 「はい。先ほど三輪様が藤野屋を出られてから急に思い立ったのです。高峯を本田家に取り戻すなら今夜だと!それで安部を討ちました。でも、討ってからどうしていいか分からなくなって…。三輪様なら、助けて下さるのではないかと思って居ても立ってもおられず急いで三輪様を追ってまいりました…」

 咎められた子供のような自信なさげな春彦を慰めるように、三輪は感極まった表情で春彦の目を見つめ、春彦の手を取ると自らの両手で包みこんだ。

 二人の様子を伺っていた平悟だが、小声で話す二人の話は全く聞こえていなかった。ただ、二人のただならぬ様子に隙があると感じた。今なら二人とも刀を抜くのに手間取るはず。平悟は森からもらった刀を抜いて二人の前に踊り出た。

 「この裏切者め!本田家の仇、覚悟!」

 いきなり現れた平悟に三輪と春彦は面喰ったが、そこは普段からの鍛錬が物を言う。ただ勢いだけの平悟の斬撃をサッと飛びのいてかわす。

 「何者⁉」

 いきなり現れたのにも驚いたが、『本田家の仇』という言葉に更に驚きが重なる。三輪も春彦もサッと刀は構えたが、すぐに反撃することはせず、相手が何者か見極めようとしていた。

 「俺は山岡勘助が長男、平悟!十和田正志朗、父の仇、覚悟!」

 平悟が正志朗に向かって飛びかかる。

 「待て!誤解だ!話を聞け!」

 カキーンと平悟の刀を春彦が弾く。だが、平悟は力だけは人一倍だった。刀を取り落とすこともなく再度春彦に向かい合う。対する春彦は平悟に力負けしたようで、やや体制を崩した状態だ。興奮しきっている平悟は話ができる状態ではなかった。対する二人は『勘助の息子』と言う言葉に平悟に対する敵意を完全に失っており、説得しなければという思いに駆られていた。殊に春彦は勘助を死なせてしまった負い目から、平悟に対しておよび腰だった。

 平悟は春彦目がけて次の一撃を繰り出す。

 「待て!まずは話を聞け!」

 咄嗟に三輪が刀を捨てて春彦と平悟の間に割って入る。両手を横に広げ、無抵抗を明らかにして春彦を庇う。

 その三輪の姿にさすがの平悟も『あれ?』と違和感を感じたが、咄嗟のことで完全に動きを制することができなかった。やや勢いはころしたものの、平悟の構えた刀はザクっと三輪の横腹に突き刺さった。平悟の動きが止まる。

 「三輪様!」

 春彦が駆け寄り、平悟の持つ刀を押えて平悟を蹴り倒す。三輪は刀を押えながらゆっくりと崩れ落ちていく。呆然として起き上がる平悟に三輪が苦し気に声を掛ける。

 「勘助の息子と言ったな?ならばまずわしの話を聞け。」

 自らを刺した平悟に対し、落ち着いて言葉をかける三輪の態度に平悟は何か拙い事をしでかしたと勘付き、青ざめて大人しくなった。三輪が言葉を続ける。

 「本田家の仇と言っておったが、そなた本田家に忠義を尽くすつもりか?」

 「あぁ、勿論。俺は父、勘助の意志を継ぎ、本田家再興のために働いているんだ。」

 唐突な平悟の話に違和感を覚えつつ、三輪が話を続ける。

 「ならば、ここにおられるこのお方こそ、本田家嫡男、本田春彦様だ。」

 「え⁉どういう事だ?十和田正志朗じゃないのか?」

 「十和田正志朗は仮の名だ。本名は春彦。本田春彦だ。それよりも勘助殿の件、お気の毒だった。まずは話を聞いてほしい。わしは勘助殿を殺す気など毛頭なかったのだ。だが、その時の状況で勘助殿が機転を利かせ、わしが来るべき時に確実に安部を討てるよう、安部に疑いを持たせぬためにわざとわしに切られたように見せて下さった。その証拠に、勘助殿から平悟殿、そなたへと預かっている物がある。」

 「え?」

 「これを。」

 春彦が懐から勘助の守り刀を取り出し、平悟に手渡す。

 「何かわかるな?」

 「爺さんの形見の刀だ。」

 「山岡家に代々伝わる守り刀と聞いている。それを、息子の平悟に渡せばわしの話が理解できるはずだと勘助殿が申された。」

 「あぁ、間違いない。親父が言いそうな話だ。」

 愕然がくぜんとして平悟は混乱した頭を整理しようとしていた。

 「でも、じゃあ三輪は?本田を裏切ったはずじゃなかったのか?それに、姫さんも何も言ってなかったぞ…十和田正志朗が春彦様だって知らなかったのか?」

 「姫さん?」

 「春彦様には姉君はいらっしゃいますか?暁という名の…」

 「暁は確かに姉の名だ。姉を知っているのか?それに姉はわしが十和田正志朗と名乗っている事は知っているはずだが。一体どういうことだ?」

 「そうだ!姫さん!姉君も今日ここに来てるはずなんです!それで、成頼の首を取らないと、城山が攻めてくるんです!」

 「落ち着け、何が何だか訳が分からん…」

 うめき声に近い苦し気な声で三輪が口を挟んだ。そう言いつつも三輪は暁の名を耳にして、春彦と平悟、それぞれの話が嘘ではないと確信を持つ事が出来た。旧来の家臣であった三輪は暁の存在を知っていたからだ。

 「そうだ、三輪様!傷の手当を急がなければ!」

 春彦が辺りを見回して使えそうな物を探しながら言う。

 「あぁ!そうだ!申し訳ございません!事情を知らずにとんでもない事に…」

 平悟は恐縮しておろおろする。

 「わしなら大丈夫じゃ。幸い急所は外れている。うまく止血さえできればすぐにくたばることはなかろう。傷口を縛るのを手伝ってくれ。」

 「はい。少しご辛抱下さい。」

 春彦は着物の裾をめくり、自分の単衣の裾を切り裂いて布を用意する。平悟と二人して三輪の腹から刀を抜き、傷口をきつく縛った。

 二人が作業している間にも、青ざめた顔で三輪が平悟に尋ねる。

 「それよりもその姉君のことと城山が攻めてくるという件を詳しく説明してくれ。我々が今日成頼の首を取って城山に差し出す交渉をしていることを姉君も知っておられたのか?」

 「いえ、そういう訳ではなく、姫さんが勝手に城山領主の瀬津直忠様に直接交渉して決めたんです。弟が高峯城内をまとめて城山に下るから高峯を本田に任せてくれって。それでその時出された条件が、成頼の首を姫さんが取ってくるっていうもので、それで姫さん、今日ここに来てるらしいんです。でも俺もつい一昨日まで城山軍に捕まってて姫さんとは別行動だったから、ちゃんと話ができてないままで、それで姫さんを探しに来てお二人を見つけたんです。」

 「何なんだその無茶苦茶な話は!あの馬鹿が…勝手な事を約束して!」

 春彦の中で姉に対する苛立ちがつのる。そもそも暁が正志朗が春彦だと平悟に説明していれば三輪もこんな目に会わずに済んだはずなのに、平悟に誤解を生んだまま勝手に一人で城山と交渉していたなど。しかも一年も会わずにいた春彦の事まで巻き込んでいるとは。

暁などが城山領主に直接交渉できたというのも妙な話だ。結果的に二人が別々に行動していたことが今夜交わろうとはしている訳だが、ここで春彦が平悟から話を聞いていなければ城山との交渉で揉めるのは目に見えていたのだ。

 「それで、あの馬鹿は今どこにいるんだ?」

 苛立ちを隠さず、春彦が平悟に尋ねる。

 「門番の二人がさっき姫さんが城に入ったのを見てるんです。きっと成頼のところじゃないかと。そうだ、早く成頼のところに行かないと!姫さん一人じゃ返り討ちに会ってるかも。」

 「そうだ、そう言えば結城殿が成頼の所に向かったんだ!鉢合わせたらまずい!」

 「両方に話を付けるには平悟では無理だ。春彦様に行って頂くしかない!春彦様、わしは大丈夫ですので早く二の丸に!」

 「わかった。平悟、三輪様を頼む。下手に動かすなよ。傷薬も探してくる。三輪様、もう暫くご辛抱下さい!」

 三輪を気遣いつつ春彦は二の丸へと走り出した。春彦の後姿を見送り、気が緩んだのか、

三輪が呻く。

 「三輪様、しっかり!本当に申し訳ない!この償いはきっちりさせてもらいます!どうかお許し下さい。」

 三輪を膝の上に抱えながらしおらしく平悟が平謝りに謝る。

 「事情があったのだ。仕方あるまい。余り気にするな。それよりも、今宵、これからが忙しくなる。わしは動けそうにないのでわしの分までそなたに働いてもらわねば。」

 「はい!何でもします!俺にできることなら何でも言いつけて下さい!」

 「まずはそれぞれもう少し詳しく事情を説明せねばな…」

 そう言って三輪は自身の過去を平悟に語り、平悟は暁に会ってからの経緯を順を追って説明し直した。城山軍がすぐそこに来ていることも伝える。そうこうしているうちに三輪が空が明るくなっていることに気付いた。何か異変が起きたようだ。焦げ臭い匂いが漂ってくる。

 「何だ、あれは?二の丸の方が明るい。それにこの匂い…何か燃えているのか?」

 「ほんとだ、焦げ臭い。もしかして火事じゃ…」

 平悟はもう何をどうして良いか分からなくなっていた。暁は気になるし三輪から離れる訳にもいかない。三輪に深手を負わせてしまった埋め合わせをするためにも何か認められる働きをしなければと気持ちばかりが焦るものの考えが纏まらない。春彦が戻るのを待ち切れないのは三輪も同じようだ。

 「平悟、わしは大丈夫じゃ、こうしてはおれん。わしにかまっているよりも今はやらねばならぬ事がある。そなたは誰か人を呼んで来てくれ。馬に乗れるなら、そこの馬を使え。」

 「はい!」

 平悟は春彦が乗ってきた馬にまたがり、門を目指した。『誰か人』と言われて思い浮かんだのが門番の二人だった。

 「おぉい!辰五郎!鶴丸!」

 平悟が馬で駆けて来るのを見て門番の二人は驚いた。

 「平悟、どうした?」

 「辰五郎、鶴丸、厩の方に行ってくれ!三輪様が腹に深手を負っておられるんだ!」

 「何?何があった?」

 「話は後だ!急げ!」

 平悟に急かされ、門番二人は城へと走る。平悟は一足先に馬で駆け戻る。

 「三輪様、今門番の辰五郎と鶴丸が来ます!俺は姫さんが気になるので二の丸に行きます!」

 「待て、平悟…」

 三輪が止めようとしたが、平悟は既に馬で二の丸目指して駆け出していた。

 「はぁ…」

 遠ざかる平悟の姿を見ながら三輪は深く溜息をついた。そこへ息を切らせて門番の二人が駆け付ける。

 「はぁ、はぁ、み、三輪様、大丈夫ですか⁉」

 「おぉ、そなたらが辰五郎と鶴丸か?」

 「はい!」

 「手伝ってくれ。急いで書状を用意したい。その前に、わしも二の丸に行かねば。」

 辰五郎が見つけてきた台車に三輪を乗せ、三人も二の丸へと向かった。


 暁は庭の隅で成頼の首を手に途方に暮れていた。那由他が消えた後、十数人の男たちが二の丸に駆け付けてきて、成頼の部屋を取り囲み、おかげで暁は身動き取れずに植え込みの陰に隠れていたのだ。

 「二の丸が燃えてるぞ!」

 「どうしたことだ⁉成頼が自害したのか?」

 「くそ、かなり火の手が広がっている!まずは消火だ!水を運んで来い!そこのお前、立川殿と三輪様に急いでお知らせしろ!」

 指揮官らしき男が叫ぶ。

 もう屋根まで真っ赤に燃え広がった炎で、成頼の部屋は今にも崩れ落ちそうだった。殆どの男たちは走って水を取りに行ったがまだ数人が近くをうろついて建物の中の様子を伺っていた。近くに井戸があったのか、程なく水の入った桶が届くが、そんなものを数杯かけたところで焼け石に水だ。そんな中、先ほどの男が自分でその水をかぶり、燃え盛る炎の中へと飛び込んでいく。男はすぐに戻ってきた。手には首のない成頼の死体を引きずっている。男が部屋から飛び出すと、屋根がガラガラと崩れ落ちて成頼の部屋を真っ赤に埋め尽くした。正に間一髪だった。

 そのうちに台車に乗った大きな樽が運ばれてきて、消火作業が着々と進められる。

 傍らでは先ほど成頼の体を引っ張り出してきた男が死体を改めている様子だ。

 「結城殿!」

 向こうから新たに走ってくる若者がいる。その姿を見て暁はほっと胸をなでおろした。

 「おお、正志朗か。なぜお前までここに?」

 「それよりも成頼は?この火事は一体?」

 「ああ、そうだ!これを見てくれ!」

 結城と呼ばれた男が成頼の死体を指さして言う。

 「着ているものからしておそらく上野の御館様だが、わしが来た時には既に首がなかった。何者かがわしらより先に首を奪って火をけたらしい。」

 「何だって?まさか…」

 まさか暁にそんな芸当ができるとは到底思えないが、春彦の知る限り暁がやった可能性は否定できない。だが暁なら城を燃やしたりはしないはず。ならば別の、城山の手の者か、豊川の残党か。

 「この切り口、余程の腕だ。一体何者だろう?」

 結城が死体の切り口を覗き込むように見ながら呟く。

 「本当だ。一撃で骨まできれいに切れている。腕も刀も相当だな。」

 春彦も同じ場所に目をやりながら、暁の可能性を否定した。あの姉にこんな腕があるわけがない。

 そこへ思いもかけない声が聞こえた。

 「十和田様!こっちです、こっち!」

 庭の隅の植え込みから暁が手招きしている。

 春彦はギョッとした顔でそちらを見た。結城も怪訝そうにそちらに目をやる。

 「なんだ、あいつは?正志朗、知り合いか?」

 「はい。詳しい話は後ほど。結城様はここでお待ち下さい。」

 春彦は結城を残して足早に暁の元へ向かう。

 「一体こんなところで何やってるんだ!まさか成頼を討ったのか?」

 憤懣いっぱいに春彦が暁に詰め寄る。

 「うん。ほら、これ…」

 暁は手にした成頼の首を持ち上げて春彦に見せた。

 春彦は驚いた。では、あの切り口は姉の仕業なのか?だが、今はそれどころではなかった。

 「一体何があったんだ⁉この火は?それと、城山と勝手に交渉したんだって?それも成頼の首と俺が高峯を城山に差し出す条件だとか?こっちの事情も分かってないのに何一人で勝手な約束してきてるんだよ⁉こっちはこっちで成頼の首を差し出して和議を結ぶ交渉をしてたんだぞ!これじゃぁ城山から怪しまれてるに決まってる!何てことしてくれてんだ!」

 「待って!落ち着いて!私だって色々大変だったんだから!それに城山との交渉なら大丈夫!城山領主とは面識があるの。私の話なら信用してもらえる!だから私を城山への使者に立てて!絶対話を纏めて来るから!でもどうして春彦がその話を知ってるの?」

 「さっき平悟から聞いた。」

 「え!平悟?平悟が来てるの?」

 平悟は城山軍にいると思っていた暁は驚いた。そして心配になる。正志朗を名乗っていた春彦と平悟の間に何もなかったのだろうか?

 「全く、おかげでとんでもない事になったんだ!平悟にちゃんと俺の事話してなかっただろう?何で本当の事を隠してたんだ⁉」

 「だってあんたが勘助様を切ったって聞いてたから…。折角味方が見つかったのに親の仇だってばれたらまずいかもって思って。」

 「あれは誤解だ!どっちにしてもそんな大事なこと、隠し立てして後で判る方がややこしいに決まってるだろうが!」

 「おい、正志朗、大丈夫か?」

 二人がいさかいを起こしているような様子を見て取った結城が気を揉んで近付いてい来た。

 その時、パカラ、パカラ、と馬の足音が聞こえ、庭の手前に設けられた小さな門の前に平悟が現れた。馬から降りてきょろきょろしながらこちらへ向かってくる。結城は今度はそちらに目をやって呟く。

 「何だ、あいつは?」

 三輪を任せていたはずの平悟が春彦の馬で乗り付けて来たので、春彦は不安になった。三輪に何かあったのか?だが、まずは本来ここにいてはまずい二人をうまく結城から庇う必要がある。

 「あ、あの者とここにいる娘は某と三輪様で極秘に仕事を任せていた者。怪しい者ではございません。それよりも三輪様に何かあったのかも。」

 春彦は今度は平悟の方へと急ぐ。

 「平悟、どうした?三輪様に何かあったのか?」

 「あ、三輪様なら大丈夫です。信用できる仲間二人に預けてきました。それより姫さんは?」

 「しぃ!そんな呼び方するな!安心しろ。無事に成頼の首を取っている。」

 「え!本当に⁉」

 驚く平悟に春彦が小声で耳打ちする。

 「それよりもこれからが大事だ。お前と姉上の事は他の皆は知らない訳だからうまく説明しないといけない。余計な事を言われるとややこしくなるからお前は絶対に口を開くなよ。」

 「はい。わかりました。」

 平悟を黙らせている間に結城が暁に話しかけてしまっている。

 「そなた、その首…。もしやそなたが上野成頼を討ったのか?」

何の変哲もない若い娘が平然と成頼の生首を手にぶら下げているのを見て結城は内心ぞっとしたが平静を装って尋ねた。

 「あ、はい。でも館に火を点けたのは私ではありません。成頼が自ら火を放ったのです。」

 「そうか、三輪様と正志朗の極秘の任務という事だが、どういうことか聞かせてもらいたい。」

 「それは、その、十和田様と三輪様がお話下さるでしょう。私の口からは申し上げられません。」

 うまくその場をごまかす。

 平悟を黙らせた春彦は結城が暁に話しかけているのを見て、焦って二人のところへ戻ろうとしたが、そこへ台車の上に横になった三輪が門番の二人に運ばれてきたので三輪の方へ駆け寄った。

 「三輪様!」

 駆け寄ってきた春彦を安心させようと、三輪は落ち着いた口調で尋ねる。

 「どうだ?こっちは無事か?館が燃えているがこれは一体どうなっている?」

 「詳しい話を今聞いていたところですが、まずは成頼の首の件、ご安心下さい。あの二人が我々の極秘の任務を無事こなし、成頼の首を取ってくれました。」

 春彦の言葉に三輪はその意図を理解した。

 「そうか。それは何より。まずはその二人から話を聞きたい。それと、急ぎ国境の柳田殿に文を送らねば。平悟の話では、城山軍は街道を避けてもうすぐ近くに来ているそうだ。」

 「え⁉わかりました。まずは二人を呼んで話を纏めましょう。」

 春彦は平悟と暁を呼び寄せ、三輪と共に焼けていない離れの部屋へと入る。その間、結城と、別の場所で兵と共に潜んでいた立川に城の警備と消火を任せておく。門番の二人は持ち場に戻した。

 春彦、三輪、暁、平悟の四人で状況を確認し、今後の動きを考える。

 「まずは姉上に言っておくことがある。ここにいる三輪様は父上の命で安部を探っておられた本田側の人間だ。戦のごたごたで擦れ違いがあったが、安部に付いたように見せかけておられただけなので本田の仇というのは誤解だとわかってくれ。その上で、勘助殿の件だが、姉上、勘助殿に俺の事をちゃんと伝えてなかっただろう?幸い勘助殿が気付いて下さり、俺が安部の信頼を失わないようにと配慮して下さったのだ。それで俺が勘助殿を切ったことになっていたが、それは誤解で、実際は既に手負いの勘助殿を追っていった俺のために自害された。姉上に『よろしく』と言っていたよ。まぁ、姉上はその件は知らなかった訳だからある程度は仕方がないかもしれないが、俺が十和田正志朗と名乗ってる事を平悟に話していなかったせいでさっき平悟は俺が勘助殿の仇だと勘違いして切りかかってきたんだ。それで俺を庇った三輪様が深手を負われてしまった。今この事を咎めている暇はないが、二人ともくれぐれも今後早まった行動は慎んでくれ。知っていることも全て俺か三輪様に必ず報告するように。いいね?」

 暁と平悟はしゅんと項垂うなだれて春彦の話に頷く。

 「まぁ、それはさておき、これからが一番大事なところ。まずは今の状況を整理しませんと。暁姫が城山と交渉した件は平悟から聞きましたが、我々も同じような交渉を安部様を中心に城山に持ち掛けておりました。そのことを城山にどう説明するか。それに春彦様がその安部を討ってしまった件、うまく運ばねばなりません。確認をしておきたいのですが、上野成頼は本当に暁姫が討たれたのですか?一体どういう状況で?」

 まさか那由他の話をする訳には行かないのは分かっていた。暁は庭に隠れている間に考えていた言い訳を口にする。

 「実は、私が着いた時にはもう成頼は部屋に火を放って自害しておりました。私は首が燃えてしまう前にと、側にあった刀で成頼の首を切っただけなのです。その首を持って逃げようと思っていましたが、人が大勢二の丸に駆け付けてきて出るに出られず隠れていたところへ春彦が来て今に至ります。」

 「なるほど。成頼もさすがに状況を察しておったという事か…。誰かの手にかかるよりは自害を選んだということですな。」

 暁が一人で成頼を討ったわけではないと知って他の二人も大いに納得した。

 「それで、安部の件になりますが、春彦様が安部を討ったことは内密にしておくの良いかと思います。折角御父上の仇を取られたのですが、今まだ高峯内には安部の息のかかった者が数多く残っております。今城山と交渉しなければならない状況で内紛が起こってはどうしようもありません。ここは豊川の残党の仕業という事にしておくのが最善かと。まずは城山との交渉を纏め、国内が落ち着いてから安部寄りの者達をどうするか考えましょう。」

 「はい。それが良いと思います。」

 春彦がやや暗い表情で答える。

 「本当は安部が中心に城山との交渉を進めるはずでしたが、安部がいない今、わしと春彦様で進めて参りましょう。当初の予定では春彦様に城山に宛てた文と成頼の首を届けて頂く手筈でしたが、暁姫と平悟が城山に顔が通っているのであればお二人にお願いするのが良かろうかと思いますが?」

 「はい!是非そうさせてください。城山城主とは面識がありますので必ず話を纏めて参ります。ただ、私が勝手に春彦が高峯を平定して城山に下ると約束してしまったのですが、そこはそのように進めて頂けますでしょうか?」

 「その件はわしにお任せ下され。そもそもこちらが提示していた条件も取りまとめるのが安部だっただけであとは同じもの。大丈夫です。それよりも、城山は信用して大丈夫でしょうか?騙し討ちにされる心配はありませんかな?」

 「それなら大丈夫です!そんなことする人達じゃないですから!」

 平悟が口を挟んだ。城山軍の強さを目のあたりにして、彼らに騙し討ちなどという卑怯な手を使う必要性がないのは十分承知していた。

 「逆にこちらが和議を提示しておいて城山を騙し討とうなどと考えていたりはしませんよね?」

 暁が念を押す。

 「正直、そういう話もなくはなかったが、実際豊川をこんなに早く落とされ、こちらは準備が間に合わなかったんだ。高峯軍の士気も低いし、城山に下手に手を出すのは拙いと皆わかってる。」

 春彦の言葉に暁の不安も消えた。

 「それでは今すぐ城山に宛てた書状を用意します。わしと春彦様で今夜中に高峯城内を抑えておきますので暁姫と平悟は城山の方をお願いします。ところで、城山の陣の場所はご存知か?」

 「もう、この裏の山に来ているそうです。」

 「何?そんな近くに?だが国境に向かった柳田殿からは何の連絡もないが?」

 「全軍ではなく一部のようですが、城山領主はそちらにいます。」

 「そうですか。わかりました。ではその旨も柳田殿に伝えておきます。また、城山には絶対に手出ししないようにも念を押しておきましょう。」

 三輪がそう言い、書状を用意する。

 急なことで首桶が用意できず、成頼の首は厩にあった飼い葉桶に入れ、蓋をして丁寧に包んだ。

 そして暁と平悟は城山の陣へと馬を走らせる。三輪と春彦は城内を統制しにかかった。

 もう夜明けはすぐそこに迫っていた。


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