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成頼

 高峯城に着いたあきは木陰から門の様子を伺っていた。もう日も沈み、あたりは薄暗い。町の人の話では、高峯軍は今日の昼には国境に向けて出かけてしまったという。おそらく春彦はそちらだろう。暁は春彦に会う事を諦めていた。ならば今すべきことは何か?考えた末、暁は成頼なりよりに会うことに決めた。城の警備は手薄だが、暁が正面から押し入るのは無茶だ。暗くなってから忍び込むか?それとも正々堂々と成頼を訪ねてみるか?

 『側室になってほしい。』

 成頼は暁に好意を持っていた。こそこそ忍び込んで失敗して捕まるより、正面から直接成頼のところへ行く方が簡単だ。城山軍の様子をこそこそ伺っていて間者と間違えられたことを思い出し、そう結論づけた暁は堀の上の橋を渡り、正門へと向かった。門番の男に声を掛ける。

 「あの…私は暁と申しまして以前上野の御館様をお助けしたことのある者です。火急の用がございまして、御館様にお目通り願いたいのですが、お取次ぎ頂けますでしょうか?」

 「はぁ?俺じゃよく判らんから中で判る者に言ってくれ。」

 「え?では入っても宜しいので?」

 いくら暁が女とはいえ戦時中にあまりにも

無防備な答えで暁の方が戸惑った。

 「あぁ、いいよ。今夜は急ぎの用が多いから一々門で止めるなって言われてるんだ。」

 「そうですか。有難うございます。では。」

 暁はそう言ってそそくさと奥へ入って行った。どうも様子がおかしい。一刻も早く成頼に会って話をしなければ、と思う。

 城内は人気がなく不気味な静けさに覆われていた。暁を咎める者もいない様子なので暁は堂々と二の丸へと続く坂道を駆け上る。

 館の手前まで来たところで暁は数名の男達に気付いた。

 うまやの横で何やら話し込んでいる。何を話しているかまでは聞き取れないが、深刻そうな様子から何らかの企みを持った連中のように見受けられた。ここは見つからない方が良さそうだ。暁は咄嗟に物陰に隠れた。ここからは隠れて進むことにする。暁は男達を遠巻きに伺いつつ植木の陰を伝って庭の方から二の丸を目指した。

 

 平悟へいごは見事に暁と同じ道筋を辿っていた。鷹頭山を離れた後、藤野屋に向かったが中の様子がわからず諦めて高峯城に向かった。するとうまい具合に同じ村の仲間、鶴丸つるまる辰五郎たつごろうが門番をしていたのだ。

 「おい、お前らこんな所で何してんだ?」

 「おぉ、平悟じゃないか。そっちこそ何やってんだ?この戦で出世するんじゃないのか?こんなとこうろうろしてるようじゃ全然駄目そうだなぁ。」

 平悟をからかう口ぶりで言う。

 「お?良いのか?そんなこと言って。俺は今正に今回の戦の鍵を握ってるんだぞ。大事な時にこんなところで門番やってるようじゃお前らこそ出世とは程遠いだろうが?」

 「えぇ?本気で言ってんのか?何だよ、その戦の鍵って?出世に繋がるなら俺たちも混ぜてくれよ。」

 「あぁ、勿論だ。だがちゃんと俺の言う通りに動けよ。」 

 「わかってるよ。で、何をすればいい?」

 「そうだなぁ。実はまだ何も決めてないんだ。まぁ、これから事態が大きく動くだろうからその時に活躍してもらおうか。」

 「なんだよそれ?当てになるのか?平悟、お前また適当なこと言ってるだろ?」

 「疑うのか?それなら辰五郎、お前は外すぞ。」

 「いや、そうじゃなくてだな、納得いくようにちゃんと説明しろっていう意味だ。」

 「まぁ、それもそうか。いいか、ここだけの話でまだ誰にも内緒だぞ。実は俺は先の領主の本田様の命を受けて動いているんだ。おそらく、今回の戦で高峯の領主は本田様に戻るだろう。お前らも俺と一緒に本田様に付いておけば一気に出世できること間違いなしだ。」

 「何だって?そんな話全然聞いてなかったぞ?一体どうなってるんだ?」

 「だからこれは特上級の秘密なんだって。お前ら今ここで俺に会えて運が良かったぞ。そういや他の奴らはどこだ?あいつらも城にいるのか?」

 「いや、それが良く判らん。足軽として高峯軍に入ったは良いが俺たちは訓練についていけなくて門番にされたんだよ。与作よさく万作まんさくの兄弟は軍の本体にいて今日の昼、国境に行ったけど他の三人はここしばらく会えてなくてさ。多分気が付かなかっただけで与作達と一緒に国境に行ったんだと思う。」

 「そうか…。ところで今、中の様子はどうなってる?成頼の警備って厳重か?」

 平悟の問いに二人の門番が交互に答える。

 「それがさぁ、何か色々様子が変なんだ。」

 「多分殆どの兵は出払ってるんじゃないかな?」

 「まぁ、俺たちここにずっといるから中の様子ってよくわからないんだけどさ。」

 「でも今日は中に入る者は素通りさせろって言われてるんだ。」

 「御館様だけは外に出すなって言われてるけどな。」

 「そうか。確かに変だな。それで誰が中に入ったか覚えてるか?」

 「ああ、結城様と三輪様だろ、その前に何人か見覚えのある人達が入って行ったよな。名前、何だっけ?」

 「えぇと、立川様じゃなかったっけ?俺も忘れた。」

 「あぁ、それとさっき若い女が来たよな?」

 「あぁ、それなら覚えてるぞ。『あき』って名乗って御館様に会いに来たって言ってたな。」

 「何だって?それ、どれくらい前の話だ?」

 「ついさっきだ。まだ半刻も経ってないと思う。」

 「俺も急がなきゃ。もしその人がまたここを通ることがあったら俺が探してたって伝えてくれ。できればここで待つように言っといてくれ。頼んだぞ。」

 そう言って平悟は中へと駆け込んでいった。

 「ああ、わかったよ。」

 駆け出す平吾に向かって門番二人が答える。


 平悟が門を通る頃、暁は庭を抜けて成頼の居室の前まで辿り着いていた。他の部屋は皆真っ暗だったが、そこだけ灯りが着いている。

 「おい、誰かいるか?」

 イライラした声で成頼が障子を開けて叫んだが、誰も来る気配はなかった。

 どうやって成頼に近づくか悩んでいた暁はここぞとばかりに木々の奥から静かに姿を現した。

 「成頼様。」

 呼ばれた方に目をやり、成頼はかなり驚いた。

 「あ、暁殿⁉」

 「はい。ご無沙汰しております。」

 「そなた、鬼に攫われて無事だったのか?」

 「はい。何とかうまく逃げ出せました。それよりも成頼様、大事なお話があって参りました。」

 てっきり鬼に喰われたと思っていた暁がこんな時に大事な話というので、成頼は地獄からの使者が成頼の最後を告げに来たのではないかという恐怖を覚えた。

 「大事な話か…。まぁ、まずは中に入られよ。」

 暁を部屋に招き入れる。

 暁は一年ほど前にこうして成頼と二人きりになっていた時の事を思い出した。百合に濡れ衣を着せられて地下牢に放り込まれ、成頼に助け出された時の事だ。なんだかもうずっと昔の事のような気がしていた。あの時は成頼が暁に『側室になってほしいと』迫って来たところを那由他に攫われたのだが、今の成頼は神経質に何かに怯えたような表情で、暁を口説くような雰囲気ではなかった。

 「して、話とは?」

 ぎこちない表情で成頼が尋ねる。

 「それですが…今宵は何やら城内に人気がございませんがどういうことでしょう?」

 暁は状況を確認しようと成頼に尋ね返す。

 「皆敵から国を守るために国境に出払っておるのでな。わしは城主として城を空けるわけにはいかんのでここで留守番というわけだ。」

 「そういう事でございましたか。それにしても身の回りのお世話をする小姓までいないというのはおかしな話でございますね。」

 あえて成頼が気にしていそうなことを尋ねてみる。

 「そうなのだ。どうも下働きの者達は戦を恐れて逃げ出してしまったようでな。先ほどから呼んでも誰も出て来んのだ。」 

 「それは、皆がこの戦を負けると思っているからでは?」

 成頼の表情が険しくなった。

 「何を申される!そもそも此度の戦、豊川相手ならともかく来るのは全く別の城山の軍。それにわしは戦うつもりなど毛頭ない。国境に高峯軍がいるのは万が一に備えての事でわしは城山には和議の使いを出しておるのだ。向こうが敢えて高峯を攻める理由などないはず。」

 「だからこそおかしいと申し上げるのです。」

 「何だと?」

 「その和議、どのような条件で出されたのですか?」

 「そのようなこと、そなたには関係ないではないか!」

 苛立ちを隠さず成頼が言い捨てる。

 「ございます。実は、私は鬼から逃げた後城山の国で助けられておりました。ですので城山の内情をいくらか知っております。此度の和議の条件、高峯城主の首を添えることになっております。私は成頼様にそのことをお伝えし、お逃げいただこうと思って今日ここに参ったのでございます!」

 「何?そのような戯言ざれごと、信じられると思うか⁉城山に助けられていた?では城山の間者かもしれぬ!信じられる訳がない!」

 成頼は暁の言葉を否定することで今自分の置かれている状況を否定しようとしていた。成頼の手が側に置いてあった脇差わきざしへと向かう。 逆上する成頼に暁は落ち着いて語りかける。

 「落ち着いて下さい。よくお考え下さい。成頼様を助けようと思わなければこのような危険を冒してここに来る理由がございません。以前、成頼様をお助けした折、とても良くしてた頂きました。その御恩返しがしたいだけでございます。どうか、私の話を信じて下さい。」

 暁の言葉に成頼は動きを止めて考える。

 「確かに。わしを殺すなら暁殿が来る必要などないだろう。だが…」

 暁の言葉は認めつつも何か釈然としないものを感じていた。

 「それでどうやってわしを逃がすつもりだ?和議の条件にわしの首が必要とあらば既に高峯の中にわしの首を狙っている者がいるであろう。もう、すぐそこに迫っているやも知れぬ。暁殿一人がわしに味方したところで何が変わるというのか?」

 「高峯を他の者にお譲り下さい。現城主をやめてしまえば宜しいのです。書状を一通お書き下さい。私がそれを城山に届けます。城に人が少ないのは幸いです。今のうちに隠れてお逃げ下さい。私もここまで何の苦労もなく来られました。門番も今日は人の出入りを止めるなと言われているそうです。」

 「それで、譲るとして誰に譲れば良い?家老の安部あたりか?だがそれで城山が納得するのか?」

 安部の名前を聞き、暁の漠然とした考えに纏まりが出てきた。はじめは本田家に領地を返すように書かせるつもりだったが、安部の名前を出し、公然と父の敵の安部を討つというのも悪くない。『現城主の首を添える』というのは暁の出まかせだが、『成頼を打ち取る覚悟はあるか?』と那由他に迫られ、森の前で約束をしてしまった。とは言えやはり暁に成頼を討つ覚悟などなく、成頼が城主の座を明け渡してしまえば成頼を討つ理由も無くなる訳だから、代わりに安部を城主にしたててその首を取れば父の敵も討てて一石二鳥だ。

 「それは良いお考えです。安部は主人を裏切ってばかりの男。成頼様に対する態度も我慢ならないものでした。安部を城主にしてその首を取ってしまえば昔年の恨みも晴らせましょう。」

 その言葉は、今まで安部に煮え湯を飲まされ続けてきた成頼に功を奏した。

 「そうか。ではそのようにしよう。ところでわしが書状を書いたとして、安部の首は誰が取る?あやつは高峯の家臣どもをほぼ掌握しておるのだぞ?それに今は高峯軍を率いているはず。打ち取るのは難しいのでは?」

 「安部の側に十和田正志朗という若者がおります。実は安部は正志朗にとっても敵なのでございます。素性を隠して安部の側についておりましたがこのような時こそ正志朗にとっても敵を討つ絶好の機会になるかと思います。」

 「何?あの正志朗が?小生意気でいつも安部の側についてうっとおしいと思っておったがそうであったか。わしもすっかり騙されておったわ。」

 「それにしても…なぜ暁殿がそのようなことを知っている?あのような山奥に暮らしておって正志朗とどこで知り合った?暁殿の話はよく分かったがどうも色々なことが腑に落ちぬ。隠し立てせずに正直に全てお話頂こう。そうでなければおめおめと領主の地位を明け渡して無様に逃げることなどできぬ。」

 「実は、正志朗は私の弟でございます。我らの父は安部のせいで地位を追われ、命を落としました。正志朗は父の敵を討つために素性を隠して今まで安部に仕えていたのです。それも、来るべき時に確実に安部を仕留めるためのこと。どうか、私を信じてお逃げ下さい。」

 「なるほど、そう言えば辻褄が会うな。だが、これがわしから領主の座を奪おうという安部の企みでないとどうして言い切れる?奴ならこのどさくさに紛れてわしから正々堂々と領地を譲り受け、そのまま城山に下って高峯をわが物としようとしても不思議ではない。それに、わしに逃げろというが逃げてどこへ行けと言うのだ?わしはずっとこの城で育った。他に行く当てもない。ここを出て、一体どこで何をしろと言うのだ?」

 「命さえあれば何とでもなります!今のうちに何か売ってお金にできそうな物を用意して下さい!それでどこか遠くの国で暮らせば良いではないですか?仮にこれが安部の謀りごとだったとしても、素直に譲らなければお命を狙われるのではないですか?命あっての物種です。ここは生き残って後の事は後で考えれば良いのです!生きてさえいれば再起を図る事もできます!私や弟のように!」

 「ならば、暁殿、そなたもわしを助けて一緒に逃げてくれるか?」

 「それは…できません。私にはまだここでやらなければならない事がございます。でも、成頼様は今すぐお逃げ下さい。」

 「…」

 成頼は黙りこんで何やら考えている様だった。そしておもむろに立ち上がると燈台を手に取った。成頼が何か探し物でもするのかと思って暁は黙って見ていたが、成頼は灯りを持って縁側の障子に向かう。

 何をしようとしているのか暁には検討もつかず、ただ怪訝な表情で成頼の動きを見守る。

 成頼は静かに油皿を手に取ると、中の油をゆっくりと障子に垂らしていった。灯心からゆらりと炎が膨らむ。

 「成頼様!何をするのですか⁉」

 驚いて暁が尋ねる。

 ゆっくりと振り返りながら成頼が答える。

 「正直、どうして良いかわからんのだ。だが、このまま誰かの思い通りになるのもしゃくだ。暁殿の誠意は信じよう。わしのためにここまで来てくれたことにも礼を言う。しかしわしにも一国一城の主としての誇りがある。たとえ安部に馬鹿にされ、他の家臣からないがしろにされていたとしても、一人の武将としての矜持きょうじを守って死にたい。今ここで外に逃げて何になる?どこかに逃げ延びて周りを気にして隠れて暮らすよりも、今ここで、この城と共に果てる方が潔い。それに、この城はわしの物だ。誰にも渡さん。わしと一緒に心中する気がなければ、暁殿、そなたこそ早く逃げろ。」

 成頼の横で、炎が揺らめきながら障子の上を燃え広がっていく。せっかく助けようと思って来たのによりにもよって父の城に火を付けられるとは。恩を仇で返された気分だ。暁の中に言いようのない怒りがこみ上げてきた。今は成頼よりも城を守りたかった。

 「わかりました。死にたければお好きにどうぞ。城に火など付けずにさっさと腹でも切られれば宜しいのです。でも、この城を燃やす訳には参りません。貴方にも、この城の主を名乗る資格などありません!この城は、私の…父、本田春臣の城です‼」

 感情に任せ、暁は今まで必死に抑え込んでいた真実を明らかにしてしまった。

 「何だと?そうか、そう言えば思い出した。まだ赤子だったが本田家には娘がいたな。確か名前が『あき』だった。わかったぞ。そなた、わしを助けると言いながらわしをここから追い出して城を取り戻す腹であったのだろう!」

 うっかり漏らした暁の言葉に今度は成頼が逆上する。

 「違います!確かに城を取り戻そうと考えてはいましたがそれはまだこの先の話。私は成頼様がお気の毒に思えて本当に貴方を助けようと思って来たのです!」

 「ふん。何とでも言うが良い!だが、そなたの思うようにはさせん!城も、誰にも渡さん!暁殿、そなたも道連れじゃ!」

 いつの間にか部屋全体に燃え広がった炎に明るく照らし出される狂気を含んだ成頼の形相。すっかり理性を失っている様子だ。もう何を言っても通用しないだろうことが暁にもわかった。

 成頼が傍らの刀を手に取った。シャーっという音と共に炎を映して赤く色づいた刀身が姿を現す。暁は身構えて後ろに退き、成頼との間合いを取る。縁側の障子はまだ燃え燻っている。そこを突き破って外に逃げ出そうと覚悟を決めたその時だった。

 ガラガラ、と障子の桟が崩れ落ち、ドカドカと部屋に踏み込む大きな黒い影。手には大振りの太刀。

 部屋にいた二人は驚いてそちらに目をやる。

 「何者!」

 成頼が刀をそちらに向け直して叫ぶ。

 「那由他!」

 暁が嬉しそうに叫んだのも束の間、成頼に向かってツカツカと歩み寄る那由他の姿はどんどん小さく縮んで行く。

 「百合…そなた、何故ここに?鬼に喰われて死んだのでは⁉」

 那由他の姿はいつの間にか百合へと変わっていた。一壺天好みの黒地の衣を纏った百合は正に死を宣告しに来た黄泉よみの使いのようだ。無言で成頼に近づき、その顔元へと両手を伸ばす。驚いて身じろぎできずにいる成頼は、百合になされるがままだ。百合は成頼の頭を両手で自分の方へと引き寄せ、唇を重ねる。成頼はいつの間にか刀を手落とし、両腕で百合を抱きしめていた。その成頼の手が力なく垂れ下がり、成頼はその場にバタンと倒れこんだ。床に転がる成頼の顔は先ほどとは打って変わって安らかなものだった。

 外からさあっと風が吹き込んで炎を煽った。

 暁に背を向けていた百合がゆっくりと振り返る。振り返った時、暁が目を合わせたのはもう百合ではなく不機嫌そうに袖で口を拭う那由他だった。

 那由他が暁を助けてくれた。その事実に喜びつつも、

 『成頼の首、その手で打ち取る覚悟はあるか?』

 城山の陣での那由他の言葉を思い起こし、打ち取るどころか先ほど成頼を逃がそうとさえしていた暁は気まずくて何も言えずにその場に立ちすくんでいた。

 先に口を開いたのは那由他だった。

 「全く。百合のやつ、父親が切られる時は黙って見ていたくせに、こんなところで出てくるとはな。」

 吐き捨てるように那由他が呟く。

 那由他がここに現れたのは暁を助けるためではなく、以前に喰い殺した百合の魂に操られての事だったのか?

 暁が何と声を掛けようかと迷っている合間に、那由他は手にしていた太刀をサッと鞘から引き抜いた。

 ザンっと勢いよく振り下ろす。

 「何を…?」

 暁が口を開きかけた時には既に成頼の首が胴から離れ、その周囲の床にじわじわと血だまりが広がっていく。

 「ここまで手伝ってやったんだ。この首はちゃんとお前が持って来いよ。」

 太刀を鞘に納めながら那由他が言い捨てる。

 「いい加減森を困らせるのはやめろ。あいつは弱者に甘い。お前が成頼の首も持たずにのこのこ俺のところに来たら俺からお前を庇うのは森だ。そこでお前を切れなきゃ今度は俺の立場がない。俺は城山の陣ではあくまでも『瀬津』だからな。どういう性格か分かってるだろう?」

 暁は先日の城山の陣での遣り取りを思い出して納得する。そして漸く口に出した言葉。

 「有難う。何から何まで…。」

 暁が続く言葉を探している間に那由他が言い訳のように口を挟む。

 「ああ、それと、俺がここに来たのはお前の母親からの伝言を伝えるためだ。『二の丸の中庭に枯れ井戸ある。その底に外に繋がる抜け道がある。』そうだ。昔、自分が逃げる時に使ったらしいな。」

 「え…?それって、母上はまだ那由他の中にいるの?」

 「全く、高峯にいるのはろくでもない女ばかりだな。良いように俺をこき使いやがって。」

 暁の問いに対する明確な答えはなかったが、

暁には那由他の意図が理解できた気がした。

 「あぁ、それと、城山軍だが一部はもうこの裏の山にいるぞ。間抜けな高峯軍は街道沿いを張ってるようだが、あの平悟とやらがなかなか役に立った。明日にはこの城を抑える。間に合わせたければ今夜中に俺に会いに来い。」

 「え?ちょっと待って、今夜中ってもう何時なんときもないじゃない?」

 「だったら急いだ方が良いんじゃないのか?それと、大事な首が燃えてしまうぞ。さっさとここから離れるんだな。」

 那由他と呑気に話している間に炎は部屋中に広がっていた。よくも今まで気づかなかったなと呆れる程に煙や熱気も激しくなっていた。

 「きゃぁ!ほんとだ!城が燃えちゃう!」

 暁が部屋の様子に気を取られ、次に那由他に言葉をかけようとした時、既に那由他の姿はなかった。

 「那由他…?」

 平悟がどうしているか気になったが、尋ねることもできないままに那由他は消えてしまった。暁もおちおちしていられないのは明らかだ。成頼のまげを掴んで庭へと駆け出す。

 外から見ると二の丸は炎に包まれ、囂々と黒い煙を夜空に吐き出していた。もう、火を消したいと思っても暁一人でどうにかできる状態ではなかった。

 向こうから人の声が聞こえてくる。火事に気付いた者達だろうか。暁は咄嗟に植え込みに身を隠し、様子を伺った。


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