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告白

城山軍を離れた平悟へいご鷹頭山たかとうさんに急いだが、家にあきはいなかった。

 『高峯城の方か?』

 暁と平悟は城山軍で別れる際にその後の事を細かく決める暇がなかった。

 事前に相談していた時に話に上った場所は高峯城と藤野屋くらいだ。他に手掛かりがない以上、どうしようもない。手をこまねいている暇はないのだ。

 平悟は急いで山を下り、疲れも忘れて城下へと急いだ。

 『もうすぐ城山軍が来る。兎に角急がないと。』

 平悟は必死だった。


 一方の暁は三輪邸を離れた後、すぐに春彦が戻って来た事など露知らず、足早に三輪邸から遠ざかっていた。三輪邸がだめなら安部邸も無駄足になるだろう。残る心当たりは藤野屋くらいだ。三輪邸の女の話では春彦は高峯城に詰めているらしいが、城には近付けないし他に宛てもない。ふと上野成頼うえのなりよりのことが頭によぎったがこの様な時分、訪ねたところで肝心の春彦に会って話ができるかが問題だ。余計にややこしい事態にならないとも限らない。成頼の方を迷い悩みつつ、諦め半分にふらふらと足は藤野屋へ向いた。


城を出た三輪と正志朗は一旦三輪邸に戻った。正志郎が三輪の服を一度取りに戻ったもののその後、三輪ではなく正志朗が城山への使いに発つ事になったのだ。いろいろな手はずを整え、その後安部と最後の詰めを確認するために藤野屋で落ち合う事になっていた。

 長らく城に泊り込みで血生臭いはかりごとに終始していた三輪は、久々に我が家に戻って少しほっとした様子だった。

 「三輪様。かなりお疲れの様でございますね。今宵の件はそれがし立川たちかわ殿や結城ゆうき殿に任せて三輪様は少しお休み下さい。」

 「ああ。そうしたいところだがわしが行かない訳にはいかんからな。実際に身体を動かすのは若い者達に任せるとして安部様の手前、事の運びはきっちりと見届けなければ…。」

 「そうではございましょうが…。」

 三輪はふう、と溜息を付きながら天井を見上げた。しばし目を閉じた後、少し思いつめたような表情で正志朗を見詰める。

 「正志朗、此度の件、そなたはどう思う?」

 「どう、と申しますと?」

 「そなた、主である上野成頼をおとしいれる事について何とも思わないか?」

 「それは…。武士の義に叶う事とは思えません。ただ、領主たる者、敵から領地を守るのが使命にございますれば、上野成頼はその力量がございませんでした。さすれば臣民を守る為の謀は止むを得ない事かと…。」

 「ああ。それは一理ある。だが、高峯の家臣が誰一人としてそんな不義に異を唱えないのは情けない。上野成頼も気の毒だ。ここ数日、わしは高峯城で針のむしろに座っている心地だった。わしは進んでこのような不義に関わりたくはなかったのだ…。」

 「では、どうされたいのですか?」

 「成頼は進んで城山に下る心積もりだったのだ。そのままに進めればよかったものを何も命まで取ることはないように思う。だが、わしは安部殿にはどうも逆らえんようでな。自分でもおかしいと思うのだ。」

 「それは…。確かに安部様は押しが強く逆らい難い雰囲気をお持ちですから。三輪様でなくても安部様に意見するのは難しい事でございましょう。」

 「いや。昔の高峯ならそれくらいの気概のある者は山といた。皆、それらの忠義を重んじる者達は先の本田様と共に果ててしまったようだ。そうしてわしのように意気地のない者だけが生き残ったのだ。」

 「三輪様が意気地が無いなどと、決してそのような事は…。」

 「ないとは言い切れん。正志朗、そなた以前に安部殿が先の本田様を裏切った時の話をしたのを覚えているか?」

 「はい。それとなくは…。」

 「あの話を全て誠と思うか?わしは、先の本田家を裏切り、そうして今また上野家を裏切ろうとしている…。卑怯な裏切り者と、そう思うだろう?」

 「三輪様は決して卑怯な訳ではございません。この様な乱世、下克上は世の常となっておりまする。家臣の心を繋ぎとめられない主にも非はございましょう。」

 父が裏切られたことに関してははらわたが煮えたぎる思いがしたが、それらの感情を全て包み隠して正志朗が答える。その答えは三輪への慰めというよりは、今から裏切りを行おうとする自分自身に対する弁護であった。『そう、父上も裏切られたのだ。だから俺がその裏切り者を裏切ったところで何が悪い?』

 そう思いつつも城内に誰一人味方のいない成頼に対しては同情を覚え、今目の前で苦悩する三輪に対しては『三輪様は好きで父上を裏切ったのではないのかも知れない。何か、止むを得ない事情でもあったのか…?』と考えていた。実際、他の者はともかくとして、これまで実の父のように正志朗を可愛がってくれた三輪に対しては例え真に父の仇としても憎むに憎み切れないところがあり、もしその考えが事実であれば正志朗自身の救いになるのだ。

 「そうか…。正志朗はそのように思うか…。」

 三輪はまた溜息を付きながら天井を仰いだ。正志朗の意見に残念そうな表情をする。その表情に、正志朗は慙愧ざんきの念を覚えた。

 『やはり何かあるのか?』

 正志朗は長年三輪の側にいて、三輪が進んで人を裏切るような性格ではない事に気付いてはいた。だが、それでも父の仇であることに疑いは抱いてなかった。

 「正志朗、高峯ももう長くはないかもしれない。今宵の事も必ず上手くいくとは限らん。何かあればわしも今日までの命かも知れん。だからこそ、最後に話しておきたい事がある。今から話す事は決して他言してはならん。そなた一人の心の内に留めておくように。」

 「はい。必ず。」

 「こんな事はわし一人の胸の内に秘めて墓まで持って行かねばならんのだが、死ぬ前にどうしても誰かに聞いて欲しくてな。そなたにだけは本当のわしを知っていて欲しいと、そう思うから話すのだ。」

 「一体何を?」

 「以前安部殿が話した事についてなんじゃが…。わしは、本当は先の領主であった本田春臣様の命を受け、安部殿を探る為に安部殿に近付いたんじゃ。」

 「え?」

 「安部殿はすっかりわしを子飼こがいの手下と思われてな、自分を探るために送られたとは思わず信頼を寄せるようになった。今でも安部殿はわしが春臣様の命を受け、安部殿を見張るためにへつらう振りをしていた事など知らんじゃろう。」

 「一体何があったのですか?」

 「安部殿は昔からはかりごとが得意でな。そもそもそれまで高峯と戦ばかりしておった日吉ひよしの上野家が高峯の家臣に下ったのも安部殿の働きのお陰だったんじゃ。だが、そのこともあって春臣様は上野成章うえのなりあきらを疑っていた。あまりにも大人しく家臣に下ったのは何か他の考えがあるのでは、と。それにその話をまとめた安部殿に対しても手放しで全てを信じられる状況ではなかったんじゃ。だが、表向き大人しく従っている者達をどうとしようもなく、また春臣様は安部殿とは違い、罪もない者をただ疑わしいというだけでおとしめようと考えるような方ではなかった。ただの自分の思い過ごしかもしれないと、そう考えておられた。だからわしに安部殿を探らせたんじゃ。」

 「それで、どうなったのですか?」

 「案の定、上野殿と安部殿は春臣様への謀反を企てておった。わしはその企みを春臣様にお伝えした。すると春臣様は考えがあるからぎりぎりまでわしに安部の側に付いているようにと命じられた。わしはその命に従った。だが、思わぬことが起こったんじゃ。わしの事が安部殿にばれた訳ではなかった様じゃが、安部殿と上野殿は自分達の計画が外部に漏れているらしい事に勘付いた。わしが春臣様にお伝えしておった二人の計画は急に変更された。使いを出す暇もなかった。本田家を急襲する計画は予定されていたよりも早くに決行され、ある程度備えてはいたものの不意を突かれた春臣様は側近を伴って何とか逃げ延びられた。しかし、誤った情報を送ったわしを安部方に寝返ったと思われたのかも知れん。いざという時になったらわしに安部を討つよう連絡を送ると言われておったのにわしの元に使いが来なかった。もしかすると来る途中で安部方に見付かって殺されていたのかも知れんが…。兎に角、春臣様はわしに助けを求める事もなく逃げ延びられた。わしは春臣様を追うべきかどうか迷った。そして、下手に動いて折角築いた安部の信頼を失うよりもそのまま安部の元に残った方が春臣様のお役に立てると判断した。それに誤った情報で春臣様が城から追われる様な状況に追い込んでしまったわしは恥ずかしくて情けなくてとても春臣様に顔向けできる心境ではなかったんじゃ。だからこそ、密かに春臣様に使いを出し、ことの次第を説明し、次に春臣様が再起を図られる時にこそ必ずお役に立つと誓いを立てた。しかし使いの者は戻らず、春臣様からの便りも来なかった。」

 三輪の話に正志朗は胸に詰まっていた重石おもしが転がり落ちる爽快感を覚えた。三輪は敵ではなかったのだ。これで三輪を殺さずに済む。いくら実の父の仇であっても育ての父とも呼ぶべき三輪を切る事は正志朗にはできそうになかった。

 三輪の話は続いた。

 「お前が藤野屋で切った男は山岡勘助と言って先代が家老も勤めた本田家の重臣で春臣様と奥方様が逃げるのを手助けしたようだ。」

 「そうだったのですか…。」

 勘助の言葉がここで三輪によって裏打ちされた。改めて正志朗は勘助を失った重みを痛感させられた。

 「あの時…、もし阿部殿がいなければ是非勘助と話がしたかった。正志朗、そなたを責めているのではない。咄嗟の機転のかなかった自分の愚鈍さを呪って言うだけなのだ。ただ、もしあの時勘助を生け捕りにでも出来ていたなら春臣様の最期を尋ねることが出来たかも知れんと思うと残念でならん。勘助はそなたに何か言わなかったか?わし等が裏切り者だとか他に仲間がいるとか?」

 正志朗は全てを打ち明けたいという衝動を感じたが、苦しそうな三輪の様子に、どのように言えばいいか言葉が見つからなかった。いきなり春彦が春臣の息子だなどと突拍子も無い事を言って信じてもらえるのかも自信が無かった。取り敢えずその場凌ぎに心にもないことを言ってしまった。

 「いいえ、某も必死でしたので何が何だかわからないままあのようなことに…。」

 「まぁ、そうだろうな。過ぎたことを悔やんだところでどうしようもない。そしてこれから起ころうとしていることを変える力も無ければ、代わりの良い考えもわしにはとんと浮かばぬ。こうしてわしはずっと周りの波に流され続け、自分の意思に反する謀に関わり続けるさがなのだ。いつかこの報いを受けるのだろうな。いや、受けねばならんだろう。だが正志朗、そなたはまだ若い。わしのように流されずとも自らの道を、志を見つけて生きよ。」

 「ですが某は三輪様に大恩ある身。今宵の事も失敗は許されませぬ。三輪様のお言葉は謹んで承りますが、それは此度の件が全て済んでからゆっくり考えまする。まずは成頼を廃し、城山との交渉をまとめねば。」

 「ああ。もうここまで来たら今のところはそうするしかあるまい。今わしが迷えば高峯は分裂したまま城山に攻め入られて終わることになるからな。」

 三輪はまた深いため息を漏らした。

 正志朗は迷いで頭が混乱していた。今三輪に全てを打ち明けて三輪と共に高峯を奪還できないだろうかと考える。だが、どうすればいい?そして三輪に何と言う?

 正志朗もまた長年三輪を騙し続けていたのだ。何から口にすべきか言葉を選ぶうちに時は過ぎる。

 「あの、三輪様…。」

 思い切って全てを打ち明けようと漸く口を開いたが、正志朗の思いはついに三輪に届かなかった。

 「ああ、うっかりしておった。そろそろ時間か。余計な昔話で時間をすっかり無駄にしたようだ。くれぐれも先ほどの話は他言なきようにな。」

 「はい…。」

 『某の本当の名は、正志朗ではなく春彦といいます。本田春彦です。』喉元まででかかったその言葉を飲み込んで正志朗は三輪に続いて席を立った。ついにその一言を口にできないまま、二人は流れに流されたまま次の集会場所へと向かうべく家を後にした。


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