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陰謀

 平悟へいごを城山軍に残し、一人家に戻ったあきだったが、那由他なゆたの勧め通りに大人しく待っている事などできなかった。

 城山軍が豊川城を落とすのに一体どれくらいの時間がかかるだろう?

 森の話からこれまでの刹那せつなの戦いがごく短期間で終わっている事が推測できた。今回はどうだろうか? 

 『お前に成頼なりよりは切れん。戦が終わったら迎えに来てやるからそれまで大人しく待ってろ。』

 那由他はそう言った。気の短い那由他が『待ってろ』と言える程度の短期間と考えるべきだろう。

 ここから豊川までは普通に歩いて三日といったところだ。大軍が隠れながら進んで五日。もし奇襲を狙って急ぐならば逆に二日程度といったところか。平悟が機転を利かせて時間を稼いでくれることを祈るのだが、だからと言ってその為に豊川に見付かって城山が苦戦を強いられるような事になっても困る。そうなれば何よりも平悟が責任を追及されて危うい立場に陥ってしまうだろう。暁としても是非城山に豊川を討って欲しいところだ。

 いずれにせよ時間が限られている事だけは確かだ。

 『急がなくては』

 何も手に付かないくらいに気持ちばかりが焦って先走る。とにもかくにも春彦に会わなければ。勝手に『本田が高峯を取ったら城山に降伏する』なんて約束をしてしまったのだ。暁一人ではどうしようもない。そして仮に春彦が高峯を取り返したとして、その後すんなり城山に下るよう説得できるだろうか?先のことを考えると今更ながらとんでもないことを口走ってしまったと思う。だが、咄嗟の考えとはいえ、その後ゆっくり考えても他に良い案等見付からない。不可能に見えても先へ進むしかないのだ。もしくは那由他の言葉通り全てが終わるのを指を銜えてぼんやり眺めているか…。それはできない。ならば、既にさいは投げられた。後は暁が動くしかないのだ。

 『間に合わなければ上野も本田も関係ない。まとめて攻め落とす。』

 あの言葉を思い起こすと、動かずにはいられなかった。

 『急がなくては。でも、どうやって?』

 城山の陣を訪れた翌朝、暁は早々に身支度を終え、母の墓に花を供えた。

 『母上、今から行って参ります。どうか、私と春彦を見守って下さい。』

 そこに自らの手で埋めたのは唯の脱殻なのだと、本来祈りを捧げるべき魂は今や那由他の中か、一壺天を解放したときに既に遠くへ旅立ってしまったはずだと分かってはいたが、そうせずにはいられなかった。そこに埋もれている脱殻を通してさえ母の魂に思いを伝えたかった。それは自分自身への決意の確認でもあった。

 そして暁は高峯城下を目指した。

 『先ずは春彦に会おう。』

 全てはそれからだ。


 山を下りてみるとどの町や村も騒然として落ち着きが無かった。それも無理の無い事だというのがそこここで聞かれる噂から理解できた。その噂とは豊川軍がすぐそこまで迫ってきているというものだった。高峯軍も間もなく出陣だという。『もしかして春彦も出陣するのでは?』と思うと春彦に会う最後の希望さえも儚く感じられた。不安と焦りだけが募っていく。そして気になる城山軍の動向。高峯城下ではまだ誰も城山軍の存在に気付いていないようだ。

このまま城山が豊川を奇襲して落としてくれるのを願う暁だったが、逆に豊川軍と入れ違いになっていてこのまま高峯が豊川に取られてしまうのではないかという不安が沸き起こった。兎に角もう期限が迫っている事だけは確かだ。

 城下に近付く程人々は切迫した様相を見せていた。家財道具を纏めて逃げ支度をするものも多くいた。そしてその様子が暁の焦りをさらに煽る。城は警戒が厳しくてとても近付けそうにない。春彦がどこにいるのか見当も付かない。

 暁に思い当たる春彦のいそうな場所は城以外では藤野屋だけだった。暁は取り敢えず藤野屋に向かったが、やはり人の出入りはなさそうだった。こんな緊迫した時なのだ。当然といえば当然だ。そんな時、ふと思い出した名前。『三輪』と『安部』だ。どちらかの屋敷が近くにあるならまだ望みを繋ぐことができるかも知れない。もっともどちらも父を裏切った敵なのだ。近付くには覚悟が必要だった。『大丈夫。彼らは私や春彦の存在等知らない。』そう思うものの、へまをして襤褸ぼろを出さないかという不安はある。だが、時間がないのだ。迷っている暇はなかった。城下で何人かに尋ねながら暁は運よく三輪邸に辿り着くことができた。なかなか屋敷の中に踏み入る覚悟の付かない暁は暫く近くで様子を窺っていたが、屋敷はひっそりと静まり返り、人の出入りも無かった。『こんなことしてる場合じゃない。』焦る気持ちに背を押される形で暁は漸く覚悟を決めると、思い切って家人に尋ねてみることにした。

 「ごめん下さい。」

 暁が門の中に声を掛けると年配の女が出てきた。暁を怪訝けげんそうな表情で見詰めながら尋ねる。

 「はい、どちら様で?」

 「あ…あの、こちらに十和田正志朗という者が出入りしておりませんでしょうか?」

 「どちら様か先にお答えいただけますか?」

 「あ、申し遅れました。私は正志朗の姉です。戦が起こると聞き、弟が心配で捜しております。」

 「正志朗さんの姉上?聞いた事がございませんね。お名前は?」

 「あ、あきと申します。」

 躊躇ためらいつつも本名を名乗った。女の言葉から女が春彦を知っていると見た暁は、伝言でも頼めるならば本名を伝えなければ春彦に伝わらないと判断したのだ。

 「あき…やはり聞いたことはございませんね。何れにせよお気の毒ですが正志朗さんはお城に詰めておられます。もういつ出陣するかも分からないとのこと、こちらには当分戻られますまい。」

 女は暁の事をあまり信用していない様子だった。時期も時期だから仕方が無いのかも知れないが、やっと春彦に繋がりそうな人が見付かったのだ。ここで引き下がる訳にはいかない。

 「お願いでございます。火急の用で参りました。どうか十和田正志朗に会わせて下さい。無理ならせめてお言伝ことづてをお願い致します!」

 「先程申しました通り、正志朗さんはここにはおられませんし当分戻ってこられませんよ。お言伝なら伺ってもよろしゅうございますがお伝えするのは戦が終わってからでしょう。火急の用なら間に合いますまい。」

 女の言葉はもっともだった。戦が終わってからでは遅すぎる。

 「城に使いを頼むことも無理でしょうか?」

 「こんな時にそんな無茶な。下手をすればどんなお咎めがあるかも知れませんよ。どういう事情かは知りませんが悪い事は言いません。諦めなさい。」

 女はにべもない言い方をした。

 暁はこれ以上ここにいても無駄だと悟った。『どういう事情』かなど女に話す事はできないのだ。うまい嘘も思いつかない。春彦に会えないとなると名を名乗ってしまったことが今更ながら悔やまれた。ここは父を裏切った張本人の宅なのだ。急に暁は不安を覚え、『一刻も早く立ち去らなければ』という衝動に駆られた。

 「分かりました。もう結構です。お邪魔しました。」

 そう言って足早にその場を離れた。

 『どうすればいいの?』

 春彦に会うことすらままならない。時ばかりが虚しく過ぎ去り、焦りだけが膨らんでいく。暁はトボトボと城下を彷徨い出した。

 

 暁が三輪邸を立ち去った直後、騎馬が一騎、三輪邸に駆け込んで行った。

 「あら、正志朗さん。どうしたの?」

 「豊川軍が他国の軍に城を奪われた。どうやら城山という国らしい。三輪様が和議の使いに立てられることになった。急いで着替えを用意してくれ。」

 「はいはい。ただいま。」

 女は屋敷の奥に急ぐ。屋敷の中からバタバタとあわただしく人の動く音が聞こえる。程なく女が纏めた包みを手に戻って来た。荷物を正志朗に手渡しながら女が言う。

 「そう言えばついさっき入れ違いで正志朗さんを訪ねて来た人がいたよ。正志朗さんってお姉さんがいたのかい?」

 「え?」

 「『あき』って名乗ってたけど。火急の用だと言ってたんだけどね、お姉さんの話なんて聞いた事なかったからどこまで信じて良いか分からなくって。だって正志朗さん、前に兄弟はいないって言ってたろ?戦だから当分ここには戻らないって言ったら帰って行ったけど知り合いかい?」

 「あ…ええ。幼い頃可愛がってくれてた近所の娘です。実の姉のように接してくれていたので…。」

 「なんだ、そりゃ悪いことしたね。そういう人がいたならちゃんと話しといてくれないと。」

 「ええ…。まさかこんな所まで訪ねて来るとは思いませんでしたから…。ところでその娘、どこに泊まってるかとかは話してませんでしたか?」

 「それが、聞いてないんだよ。急いでどっか行っちゃったから。」

 「分かりました。もしまた訪ねて来たら居場所だけでも聞いておいて下さい。」

 「ああ、そうしとくよ。」

 正志朗は荷物を手に馬に跨った。城へ向けて馬を走らせる。だが、道中、周りの景色は全く見えていなかった。考え事で頭がいっぱいで心ここにあらず、だったのだ。

 『一体何故姉上が?しかもこんな時に…?』

 姉を最後に見たのは一年程前だ。鬼に攫われたと聞いた後、藤野屋でばったりと出くわした。芙蓉にかわやへ案内させた後、うまく逃げられたのかどうかも分からず仕舞いだったが、数ヶ月前の勘助の言葉からあの場から逃げおおせたという事だけは知っていた。

 一度、休暇をもらった折に数年ぶりに鷹頭山の家に戻ってみたが、家は無人で暫く放置してあった様子だったので、一体あの後姉がどうなったのかずっと気がかりだったのだ。

 家の側に小さな石塚ができていた。母の墓だろうと察しがついた。花を供えて墓に手を合わせた。

 『見ていてください、母上。必ずや高峯を本田の手に取り戻して見せます。俺を、姉上を、見守って下さい。』

 亡き母に誓いを立てて山を下りた。

 あれ以来鷹頭山には帰っていないが、ずっと音沙汰の無かった姉が一体何故急に、しかも父を裏切った三輪の屋敷まで訪ねて来るとは…。余程の事情があるのではないかと思われた。

 『姉上は三輪様が父上を裏切ったことを知っていたのだろうか?』勘助に一度会っているなら、知っているはずなのだが…。戦だから、もう会えないかもしれないと思って訳も分からず訪ねて来ただけなのか、それとも敵と分かりつつも訪ねて来なくてはならない余程の事情があったのか?わざわざ『火急の用』と言っていたのが気に掛かる。

 『居場所くらい言伝ておいてもよかったのに!全く頭が足りないんだから!』姉への苛立ちが募った。しかし今は姉に構っている暇はない。春彦は遣る瀬無い思いをむちに込め、馬を走らせた。


 「わしは矢面やおもてに立つのは嫌いでな。裏でのんびり好きにさせてもらうのが性に合う。だが、そろそろ成頼様は潮時の様じゃな。いよいよわしが表にでるか…。」

 誰にともなく、独り言のように安部が呟いた。成頼ではもう先がない。このことは高峯城内の誰もが感じていることだった。道周斎が受け容れていれば既に殆どの者が豊川側に付いていただろう。道周斎が『高峯城内にいる者は皆殺しだ。』と言って拒んでいなければ、皆豊川との戦い等とっくの昔に放棄していたはずだった。幸いどこからか降って湧いた城山軍が豊川を破ってくれたお陰で今のところ無傷ではいるが、あの荒くれ者の集団で有名な豊川をものの見事に一瞬で打ち負かした城山軍が今度は高峯に向かっているとなるとそれはそれで生きた心地がしなかった。城内は皆浮き足立っていた。そこへ成頼が城山に宛てて和睦の使者を立てることにしても反対する者は誰もいなかった。しかし、和睦の使者に選ばれた三輪についての噂が瞬く間に皆に知れ渡る。『三輪様は表向きは和睦の使者だが、城山領主の暗殺を命じられたらしいぞ。三輪様もお気の毒に。そんな無茶な計画が上手く行く訳ないだろうが。仮に上手く行ったとしてもそれでは高峯がどうなることやら。』『一体お館様は何を考えておられるのか?このままでは我々もおしまいじゃ。』

その意図的に廻された噂が一頻り巡った所で計画通り安部に声が掛かる。

 「安部様。安部様も此度の話はお聞きでございましょう。このままで宜しいとお考えか?」

 「何分お館様のお決めになった事ゆえ…。だがこのまま指を銜えて見ている訳にもいきますまい。城山に降伏を申し出る件、わしのほうで上手くやっていこうと思いますが、皆様方、ご協力頂けますかな?どちらに転んでも穏やかならぬ話ですからな。」

 かくして密かに成頼を討ち、その首を城山軍に差し出して降伏するという安部の案が皆に伝えられた。旧来からの上野の家臣は城内には殆どいないとはいえ、その案に異を唱える者は誰一人としていなかった。そして計画は粛々と進められ、その夜、高峯城は警備の者の姿もなく不気味な静けさに包まれたのだった。


 一方の城山軍は高峯国境沿いに陣を張っていた。

 「平悟、お館様のお許しが出た。高峯城の情勢を調べて参れ。」

 森が平悟に告げた。

 豊川を討った後、城山軍は不思議な程にのんびりと構えていた。豊川の残党の反撃に備えているのか、高峯の出方を伺っているのか…。

 「兵を少し休ませろ。」

 お館様のその一言が理由ではあったが、森には何か他の目的の為にわざと時間を掛けているような気がした。城山軍の士気は高く、豊川城を抑えて兵糧も確保した今、高峯攻めを手控える理由はなかった。

やっと城山軍から解放されるという安堵と、一体高峯がどうなっているのかという不安を抱え、平悟が城山軍を後にしようとしていた。

 去り際に森が平悟に何かを手渡した。

 「これを持って行きなさい。」

 それは一振りの刀だった。

 「護身用だ。それと、暁殿に無理はするなと、逃げるなら今の内じゃと伝えなさい。」

 森は数日中に高峯城を攻める事になると考えていた。高峯城からの降伏の申し出はまだ届いていなかった。


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