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春彦

 高峯たかみね家老・安部正兵衛あべのせいべいは側近の三輪政教みわまさのりと夜桜をでながら酒をわしていた。

 「おやかた様が無事に戻られたとか?」

 「ああ、何でも山奥で地元の娘に助けられたそうだ。まったく余計な事を。

あんな馬鹿殿、帰って来なくても良かったものを。」

 「悪運だけはおありの様ですな。」

 「全くだ。何の役にも立たん腰抜けのくせに。まだお前のところの若いの…正志朗せいしろうだったか?奴の方が余程使えるというものだ。」

 「そう言えばその正志朗がお城仕しろづかえがしたいと申しておりまして。城に上がらせても宜しいでしょうか?」

 「身元は確かなのだろうな?」

 「ええ。それがしの遠縁の者にござりますれば。」

 「ならば明日からでも上がらせろ。あいつはなかなか気がいて使えそうだ。城にいれば何かと便利だろう。」

 「有難うございます。正志朗も喜びまする。では早速、明日から。」

 「そうだな。二の丸の警備でもさせておけ。」

 「殿の寝所の辺りにでも置きますか?」

 「それはなかなか良い案だな。」

 「いざという時に上手く立ち回ってくれることでしょう。」

 「ああ、期待しているぞ。」


 「正志郎、喜べ。安部様よりお許しが出た。明日からお城に上がれるぞ。」

 「誠にございますか?有難うございます。」

 「安部様にもきちんとお礼申し上げるように。それとだ、お前の身元だが、わしの遠縁の親戚ということにしてある。わしはお前が信用置ける者だと分かっているが、城に勤めるとなるとなかなか面倒でな。わしの遠縁に十和田とわだという姓があるからそれを名乗りなさい。」

 「大丈夫でしょうか?三輪様に咎が及ぶような事にはなりませんでしょうか?」

 「わしなら大丈夫だ。少なくとも今の城主よりは安泰だからな。心配無用だ。」

 「遠縁と申しましても、詳しく聞かれたら何と答えましょう?」

 「そうだな。わしの祖父の従兄弟の妻の実家とでもしておこうか。そこまでは誰も調べられんだろう。」

 「三輪様のお爺様の従兄弟の奥方の実家ですね。確かに。」

 「明日からお前は十和田正志朗だ。しっかり励めよ。」

 「はい。三輪様のご推挙に恥じぬ様、万全の心構えで臨みます。」

 「まあ、言っても二の丸の警備だ。あまり気を張り過ぎぬよう。もしかするとわざと手を抜いてもらう事もあるやも知れん。わしと安部様の指示に従うように。」

 「はい。必ずそのように。」


 『わしはお前が信用の置ける者だと分かっているが』と三輪に言われ、正直正志朗は心がずきっと痛んだ。

 だが、何も悟られてはならない。心を顔に出さないことに正志朗は慣れていた。

 『明日から十和田正志朗・・・。いつか、本当の名を堂々と名乗れるようになってみせる。』

 本当の名、それは本田春彦。

 先の領主の息子の名だった。


今から五年程前の事だった。山で母と姉と三人で暮らしていた春彦は、そこでの暮らしに嫌気が差して家を飛び出すように出てきた。

 「俺の事を誰も知らないなら町で働いても大丈夫だ。いつか武士になって父上の仇を取って、高峯を取り戻すんだ!」

 そう言っていた春彦に姉も母も否定的だった。

 「父上にお味方した者はもう殆ど残ってはいないようなのに、どうやって本田家を再興するというの?父のかたきを討つよりも自分が生き抜く事を考えなさい。」

 「父上の仇を取ったからといって高峯が取り戻せるとは限らないんだから。馬鹿な考えはやめなさいよ。」

 二人が自分の考えに反対したことに腹を立て、春彦は家を飛び出して町に出た。十二歳の春だった。一週間程はやることも見つからず、川沿いの橋の下で寝置きして過ごした。ある雨上がりの日、橋のたもと泥濘ぬかるみまって立ち往生している荷車があったので暇つぶしに抜け出すのを手伝った。

 「親父さん、そのまま引っ張ったって無理無理。これ使いなよ。」

 河原での生活の為に拾い集めていた物の中から板切れを何枚か持っていった。泥に汚れるのも気に留めず板を車輪の下に潜り込ませる。男が荷車を引き、春彦が後ろから押してようやく重い荷車が板をギシギシ言わせて動き出した。荷台の上の樽からちゃぽんちゃぽんと水音が響く。

 「いやぁ、助かったよ。ところで今暇かい?良かったらこいつを運ぶのを手伝ってもらいたいんだ。今の分も含めて礼はさせてもらうよ。」

 「ああ、今特にやることもなくて暇だったから丁度良いや。手伝うよ。」

 「いやぁ、助かるよ。丁度手伝いの若いのが怪我で実家に帰っちまっててね。よりによってそんな時に急ぎの大口が入ったもんでさぁ。おまけに道がこんなだろ?一人で運ぶのに往生してたんだよ。」

 男は酒屋の主人だった。夫婦で細々と酒を造って売っていたが、他にはない味の良い酒ということでいくつか固定の客を持っていた。酒の評判は良かったが、職人気質で丁寧な仕事にこだわるため、量をたくさん作ることはできず、頑固な性格のため、若い者を雇っても長続きせず、ほとんどの仕事を自分一人でこなしていたのだ。

 「礼をするから家に寄って行きな。」

 酒の配達を終えた後、男に言われるままに男の家に行き、四方山話よもやまばなしの末、春彦は酒屋の下働きに雇ってもらうことになった。念のために本名は伏せて正志朗と名乗り、戦で親を失った武士の息子ということにした。子供のいない夫婦は正志朗を気に入った。そこでわずかながらのお金を貯めて軍資金にしようと思ったが、とても一生かかっても貯められそうに無かった。

 いつまでも酒屋の下働きでは父の仇など討てる訳がない。

 そこで酒屋の得意先の武士の家に目を付けた。その家に頻繁に出入りするようになり、酒屋の使いのついでにその家のちょっとしたお使いもこなして顔を売った。暇さえあればその家に入りびたり、雑用を手伝ったりもした。いつしか家の主人が自分の家の使用人と勘違いするまでになった。そこで正志朗は思い切って主人に頼んでみることにした。

 「いつか手柄を立てて武士になりたいのです。どうかここで働かせて下さい!」

 その家の主人はいともあっさりと正志朗を受け入れてくれた。

 酒屋の夫婦は残念がったが、正志朗が夢に近づいたことを喜んでもくれた。

 主人・三輪政教は正志朗をよく取り立ててくれた。三輪の供として城に出入りできるようになり、用心のため、鷹頭山の家にも帰らないようにした。最後に母と姉に会ってから、もうかれこれ三年が経とうとしていた。そして、漸く城に入り込む機会が廻って来たのだ。春彦は、自分が目的に向けて着実に前進しているのを感じていた。

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