豊川攻め
豊川への道中、平悟は森と話す機会を覗っていた。森も又、平悟に事の次第を詳しく尋ねたいと思っていた。平悟が城山軍に同行して間もなくその時は訪れた。
「森様、こちらのお館様のお名前って正式には何と仰るんでしたっけ?」
「何だ、そんな事も知らんのか?瀬津直忠様だ。」
「あれ?直忠?那由他じゃないのか…。」
「なゆた…。もしかして暁殿がお館様の事をそう呼んでいたのか?」
「いえ、お館様の事じゃないかもしれないですが、一度『那由他の馬鹿』って叫んでるのを聞いたことがあって。あ、でもこんな事言ってお館様の事だったらまずいですよね?多分俺の思い違いです。お忘れ下さい。」
「いや、おそらくそれはお館様の事じゃろう。わしも実は同じ言葉を耳にした事がある。お館様の事かどうか定かではないが、状況から考えるとそうとしか思えん。」
「あの二人って城山国にいたとき何かあったんですか?」
「分からん。わしは何かあったと踏んでおるんじゃが、お館様も暁殿も『何も無かった』の一点張りでな。お館様はあの通り立ち入った事を聞けるようなお方ではないし、暁殿に探りを入れてみたんじゃが暁殿もなかなかに強情で、やっと盗み聞いたのが先程の言葉という訳じゃ。」
「俺、うちの姫さんがこちらのお館様に思いを寄せてるのかとも思ってたんですが、先日のやりとり見てたらども違うかもって気もして…。」
「わしも同じ事を考えておった。てっきり暁殿がお館様に無碍にされた怒りで先程のような言葉を口にしたのかと思っておったが…。お館様があのように他人の話に耳を傾けたり、よもやその話を受け容れたりするなど他では考えられん。もしかすると暁殿はお館様の重大な秘密でも握っているのかも知れんな。」
「あ、実は俺も同じ事考えてました。何か弱みでも握ってるんじゃないかって。でなきゃあんなに自信たっぷりに『お館様に会えば何とかなる。』なんて言い切れないですもん。俺、お会いするまでお館様があんなに恐ろしい方だとは思いませんでした。」
「ああ、正直わしも暁殿がいつ切られるかとビクビクしておった。お前なんぞ本当ならとっくに首が飛んでおったぞ。」
「あの時姫さんが庇ってくれなかったらやっぱり切られてたんでしょうね?」
「あの時暁殿が切られんかったのは奇跡に等しいな。」
「あの人、お館様が自分を切らないってわかってて俺を庇ってくれたのかな…?」
「さぁ。どうかな。わしが見る限り切られる覚悟はあったじゃろう。わしから言わせれば切られる覚悟がなければお館様の前で口などきけん。」
正直平悟は悩んでいた。切られる覚悟で自分を庇ってくれたのか、切られないと分かっていて庇ってくれたのかでは同じく命を助けられた事に変わりがないとしても気持ちの持ちようが変わってくる。
「ところで、そなたと暁殿じゃがどういう関係じゃ?主従と言ってはおったが…。暁殿が城山におられた時、城の者がどこぞの姫君かと尋ねたら否定しとったぞ。それが一人で国に帰ると言い出して、次に会ったら家臣がいる姫だと言う。確かに人に話しにくい事情があったんじゃろうがこちらは訳が分からん。分かるように説明してくれ。」
「そう言われてもどこから話していいのやら…。それに俺が喋っていいのかなぁ?」
「そなた自分の立場が分かっておるのか?知ってる事は洗い浚い話しておいた方が身の為じゃぞ。後で変に隠し立てしているのが分かれば命の保証はないからな。」
「嫌だなぁ。森様までそんな恐ろしい事言って…。別に隠し事とかしてる訳じゃないけど人の秘密とかを俺が勝手に喋っていいのかなって思って。だって姫さんは森様には何も喋らなかったんでしょ?」
「だからそなたに聞いておる。」
「えぇ?大丈夫かなぁ?じゃぁ、取り敢えず当たり障りのなさそうなことから…。高峯の領主が入れ替わった事情とかってもうご存知ですか?」
「入れ代わった事は聞いたが詳しい事情までは知らん。今度の戦に関わってくるかも知れん。話しておきなさい。」
そんな会話を何度か繰り返すうちに結局平悟は、森が誘導尋問を使うまでもなく、知っている事を尋ねられるままに洗い浚い話してしまったのだった。
平悟が知っている事を一通り話し終わる頃には森と平悟はすっかり打ち解けていた。単純で裏表のない平悟は森の気に入った。そんな事も手伝ってか、逆に森も平悟にはあまり隠さず答えるようになっていた。
「それにしても何だって城山国はこんな遠くまで攻めてきたんです?東国に領土を拡大ですか?」
「本来ならばこんな事をお前のように敵か味方か分からんような奴に話したりはせんのだが、まぁ教えてやろう。城山国には以前から性質の悪い盗賊共がおって手を焼いておった。そうそう、暁殿もその盗賊に襲われて逃げ出したところをわしが助けて差し上げたんじゃよ。まぁ、それはさて置き、その盗賊共を討伐して調べたところ、奴らが豊川道周斎の手の者であることが分かってな。豊川は自分の手下で大人しく国にいられないような厄介者を間者を兼ねて城山に送り込んでおったんじゃ。城山の国内を適当に荒らしながら情報を集めては豊川に送らせるためにな。そうして近々京に向けて攻め上がる計画を立てておった。隣国の高峯一国を攻めるのに周到に準備をしていたのはそのまま続けて城山を攻める心積もりだったらしい。こちらとしては向こうが攻めて来るのを待って迎え撃つ手もあったが、これまでも散々荒らされて迷惑しているところへまた領地を踏み荒らされるのも癪じゃし、丁度向こうが高峯に気を取られているうちなら遠征でもこちらに有利に運べると算段したという訳じゃ。」
「え?じゃぁ高峯を攻めて来た訳じゃないんですか?」
「正直高峯は『おまけ』じゃ。豊川を併合するなら高峯が間にあっては何かと面倒なのでついでに落とすつもりではあるが、本来の相手は豊川じゃ。」
「じゃぁ、うちの姫さんが一方的に降伏するって言ったのは完全にただの思い込みだった訳ですか?」
「そういう事にもなるが、いずれにせよ豊川を落とした後、高峯もどうにかせねばならん訳じゃし、強ちただの思い込みという事ではなかろう。わしらとしては暁殿が申された通り、本田家が高峯を纏めて降伏してこられるならばこちらから交渉する手間が省けるということになる。まぁ、安心しろ。わしらは無抵抗の相手に対しては寛大だ。お互い損はない訳だからせいぜい約束を果たすよう、尽力するのだな。」
この森の話を聞いて、平悟は心の中で暁に対する不安がじわじわと湧き上がるのを防ぐ事ができなかった。
百合の父、豊川道周斎は怒り狂っていた。いつでも攻め落とせる隣国の頼りない若造に娘を嫁がせたのは、百合が自分の目の届く所で自由気儘に暮らせるようにと考えての事だった。
それが原因不明の急死と告げられたのが半年程前。道周斎が勘繰って送った医師の所見でも外傷はなく、毒を盛られた形跡も無かったという。
あまりの事に気力を無くし、何かの間違いか百合の悪ふざけだと思い込もうとし、娘の葬儀にも顔を出さなかった。葬儀の後、百合の侍女の楓も百合を守り切れなかった責任を取ると遺書を残して自害してしまった為、それ以上詳しい事が聞きだせなくなった。裏で何か画策か陰謀でもあるのかとも思い、あらゆる手段を尽くして調べを進めたが出てきたのは『鬼に喰い殺されたらしい』という嘘か誠かも疑わしいような噂だけだった。
もし本当に鬼に喰われたのだとすればそれはそれで許せない。百合を守ろうとしていたのが侍女の楓だけだったとしか道周斎には思えなかった。愛娘をそんなにも蔑ろにされて黙っていられる訳がない。そして百合の死に対する怒りは道周斎一人に留まらなかった。かつて百合を密かに慕っていたり、あわよくば百合の婿となって道周斎の跡を継ぐ夢などをみたりしていた豊川の家臣も皆怒りを顕わにしていた。
当然高遠からは何とか道周斎のご機嫌を繕おうと使者が遣わされたが、どれもが中途半端で道周斎の怒りの火に油を注ぐ結果に終わった。何人かの高峯家臣から豊川に寝返りたいという打診もあったが、百合を見殺しにした罪は高峯城内の者全員にあると考える道周斎は一切応じなかった。成頼は生け捕りにして自らの手で八つ裂きにし、加えて高峯勢を皆殺しにしなければ気が納まらないというところまで怒り心頭に達していた。
道周斎を筆頭に猛り狂う豊川軍。時間をかけて戦の準備は周到に進められた。士気は最高潮に高まっている。そして怒りの中にも冷静な頭を失わなかった道周斎はこの士気を利用して一気に城山まで攻め入る計画を立てていた。丁度城山に潜り込ませていた密偵から使いが来たのだ。道周斎は手下を他国に送り込み、盗賊を組織させてはその国内を荒らすように命じていた。特に豊川が戦をする時に、他国に隙を狙われないようにという意図もあったが、城山の密偵の話では城山は最近は落ち着いて戦に出る気配がないという。それまで戦続きだったので一旦休戦という事だろうと道周斎は考えた。そこで手下に城山の目が外に向かない様に国内で騒ぎを頻発させるように指示を出した。城山が国内の盗賊に気を取られている間に一気に攻め込むつもりだった。まさかその手下が既に討伐され、自身の計画が城山に漏れているなどとは思いも寄らなかった。
気が高ぶっている道周斎は大人しく城で待つことなどできず、高峯との国境近くに砦を築かせ、そこまで出陣していた。その為豊川城内はかなり手薄になっており、平悟の案内で豊川に見付かる事無く迂回して来た城山軍が攻め入ると、瞬く間に陥落してしまったのだった。
「兵を一日休ませたら続けて道周斎を討つ。」
城をあまりにもあっさりと落とした城山軍は遠征の疲れも吹っ飛び、いよいよ勢い付いた。
沸き立つ城山軍の中で平悟だけが不安と焦りを脹らませていた。
『姫さん、頼むから急いでくれよ。』
城山軍が豊川城を占拠したという報せはほぼ同時に道周斎や成頼の元に届いた。
「一体これはどういう事だ!」
高峯攻めしか頭になかった道周斎は、まさか遠方の城山国が向こうから攻めてくるとは思ってもいなかった。しかもこの時期に。密偵を放って安心していたため、自分の留守を狙って城を落とされるなど考えも及ばなかった。予想外の事態に道周斎はほぼ錯乱状態に陥った。怒りにわなわなと震え、まともに物を考える事などできなかった。
もう心は決まっているのだ。既に城を落とされたのならばもう後には戻るまい。前に進むのみ。全ての怒りを高遠にぶつける覚悟だった。豊川をとられたのならば高峯を取ればいい。そう腹を括った道周斎は部下に思いの丈をぶちまけた。
「このまま高峯を取る!豊川は後で取り返せばいい。」




