城山軍
『那由他の馬鹿!』
夜中の暁の怒鳴り声がまだ平悟の耳に残っていた。あれ以来同じ部屋で寝ていても変な気は起こさなくなった平悟だったが、那由他が誰なのか気になって仕方なかった。折あらばさり気に聞き出してみようと思いつつも、どうやって春彦や他の仲間に連絡を取るかや、新たな協力者を見つけられないか等の相談に忙しく、なかなか機会に恵まれなかった。
折しも豊川軍が戦を仕掛けてこようという気運が高まっている時期だった。高峯領民の為にも何とか戦は避けたいところだ。うまく豊川軍に取り入って上野成頼の首を差し出せば少人数でも戦を避けて高峯を本田の手に取り戻せないだろうかという策まで練っていた丁度その頃だった。
山に出ていた平悟は鷹頭山中を進む軍隊に気付いた。向かってくる方角や兵の様子から見て豊川ではなさそうだ。
『別の国が攻めてきたのか?』判断に迷った平悟は暁を呼びに行った。
呼ばれて見に来た暁は平悟と共に木の陰から行軍の様子を見ていた。整った隊列。きびきびとした兵の動き。暁にはどこかで見覚えがあった。
そして次の瞬間暁の目に飛び込んで来たもの。それは大きな黒駒に跨り、鎧も兜も着けず派手な陣羽織姿で悠々と駒を進める那由他と、その隣を葦毛の馬で進む森の姿だった。
「城山軍だわ!どうしてこんな所に?」
暁が思わず呟いた。
「え?姫さん知ってるのか?」
暁が女とわかってからどうも態度が馴れ馴れしくなった平悟が尋ねた。
「以前、城山の国にいたことがあるから。それにしても何でこんな所に…。」
那由他が高峯を攻めに来たという事だろうか?以前暁が成頼の顔を褒めたのを那由他が快く思っていなかった事は知っているがそんな事のためにわざわざ軍を進めるだろうか?それとも…。『もしかして私を追ってきてくれた?』とも思いたかったが、軍隊で追ってこられたら罪人みたいだ。それにこの大軍。いくらなんでもそれはないだろう。
それよりも暁の脳裏に甦る森の言葉。
『豊川国からこの城山国にいろいろと話が持ちかけられておりましてな。』暁に東国の事情を聞かせてほしいと言っていたあの時の言葉。もしや豊川と城山が手を結んで高峯を挟み撃ちにしようとしているのでは?
暁は城山からの帰路に知ったのだが、高峯の隣国は既にその殆どが城山の配下だった。戦わずして下った国も多く、表立って知られていないだけで城山の勢力は既に高峯に届こうとしていたのだ。
暁の中で答えの出ない問いがぐるぐると駆け巡る。『会って話さなくちゃ。』何をどう話すというのか?頭の中がまだ整理でていないというのに、暁は居ても立ってもいられなくなり、平悟を伴って一行の後を追った。
「城山の領主を知ってるの。会ってどういう事か聞いてみるわ。」
「え?大丈夫かよ姫さん。そんな簡単に教えてくれるか?戦だぞ?」
半信半疑の平悟がぼやく。『それともそんな大事な事まで教えてもらえるような仲なのか?その城山の領主とは…。』そんな考えが頭を過ぎった。
「とにかくどうすれば会えるかちょっと様子を調べましょう。」
二人は城山軍の野営地周辺をうろついて森や領主の姿を捜したが、軍の中心付近にいるらしく目の届く範囲には見当たらない。そうこうして軍の様子を探っていると、
「何者だ!」
「怪しい奴がいたぞ!」
見張りの兵士に見付かってあっさり捕まってしまった。
「ちょっと!私は森様とお館様の知り合いで、お二人に大事な話があって来たんだから!お二人の所に案内して頂戴!」
二人を捕まえた足軽は『森様とお館様』の言葉に臆したようで、暁と平悟は上役らしき男の所に連れて行かれた。
「怪しい者を二名捕らえましたところ、ご家老様とお館様に会いに来たと申しております。如何致しましょう?」
上役の男も戸惑ったらしく、
「今軍議の最中だ。終わってから森様に伺う。それまで縛っておけ。」
二人は縄でぐるぐる巻きにされて軍議の行われている天幕の外で待たされた。暫くすると幕の中からぞろぞろと数人の武将らしき男達が出てきた。そしてその最後に森が現れた。上役の男が声を掛け、森が暁の元へと向かってきた。
「森様、お久しぶりでございます!」
暁は嬉しそうに声を掛けたが、一方の森はというとかなり難しい表情で、
「暁殿ではないか!これは一体どういうことか!」
と一喝された。
普段穏やかな森のその様な態度に暁はすっかり怖気づいてしまったが、ここで引き下がる訳にはいかない。勇気を振り絞って言葉を綴る。
「故郷の山の中で城山軍を見かけましたものですから、せめてご挨拶を思いまして。また、何かお手伝いできる事があればと思い、馳せ参じたのですが、森様をお捜しする間に怪しい者と勘違いされてしまったのです。」
「暁殿。我らは物見遊山で遠路はるばるここまで来たのではない。女子供の遊びではないのだ。今の状況で暁殿の言葉が信じられるとお思いか?暁殿が敵の間者ではないとどうやって証明される?」
冷ややかに言い切られてしまった。平悟が不安そうに暁を見る。
「私が敵でないことはお館様がご存知です。どうかお館様に会わせて下さい!お話したい事がございます!」
「お館様への話ならわしが伺おう。お館様はお忙しい。今暁殿に会われる暇はござらん。」
森の中で暁と瀬津の関係についての疑問が再燃した。やはり暁は瀬津の間者だったのだろうか?と思い、態度を弛めつつも森は暁の要求を拒んだ。
「森様、お願いでございます!」
必死に暁が食い下がると、
「森、どうした?」
天幕の中から那由他の声がした。森が慌てて天幕の入口に戻ると中に向かって言う。
「以前城におりました暁と申す娘がお館様にお話したい事があるそうです。いかが致しましょう?」
「通せ。」
『やった!』罪人さながらに縄で引き立てられつつも、『那由他にさえ会えれば何とかなるはず』と自信たっぷりに天幕の中に歩みを進めた暁は、中に『刹那』そのものの姿を目にし、不安にすっかり青ざめてしまった。
『これって那由他よね?もしかして刹那に戻っちゃったの?』
戦場という事を差し引いても、その場に漂う緊迫感は並々ならぬものがあり、暁は身の縮まる思いがした。その場を押し潰しそうな圧迫感を醸し出している張本人こそ、冷たい表情の瀬津直忠その人だった。
「そいつは?」
青い顔の暁に続いて入ってきた平悟を指して言っていた。『刹那なら、こんなこと気にしないはず。』そう思った暁は少し落ち着きを取り戻した。
「この者は私の家臣です。」
声を振り絞って言った。
森が驚いた顔をして暁を見た。
「小娘に家臣がいたとは。偉くなったものだな。」
完全に馬鹿にした言い方だった。
「どういうことか説明されよ。」
言葉少ない瀬津に代わって森が尋ねた。
「私は先の高峯領主、本田春臣の娘です。この者は代々本田家に仕えてきた山岡家の長男で平悟と申します。」
暁は必死で言葉を連ねたが、そんな事はどうでも良いという様子で瀬津が口を開いた。
「で、話とは?」
正直暁は大した事は何も考えていなかったのだが、緊迫した雰囲気の中、何故か口が勝手に言葉を並べだした。
「お館様にお尋ねしたい事がございます。城山軍は高峯を攻めるのでございますか?」
「だとしたら?」
「高峯と同盟を結んで下さい!高峯は弱小国。城山と豊川で挟み撃ちにするまでもありません。どちらか一国だけでも十分制圧できるでしょう。しかし豊川は卑怯な裏切りを平気で行う上に兵力も高峯より上です。仮に今城山と同盟を結んでいても高峯制圧後に寝首をかかれるやもしれません。倒すなら豊川をこそ城山と高峯で協力して討つべきかと。」
「ならば聞くがそのような弱い高峯に何ができる?高峯などと組んでわが軍に利があるとは思えん。」
「豊川が高峯を攻めるつもなら、高峯がおとりになっている間に城山が豊川を攻め落として下さい。また、高峯は城山を攻めないことをお約束します。」
「そんな話で交渉できているつもりか?自分に何ができるか分かって言っているのか?」
「今、私達は高峯城内に勢力を伸ばし、間もなく今の領主である上野成頼の手から高峯を奪い返す計画を進めております。これが上手く行きましたら、本田家は喜んで城山国に下る所存でございます。さすれば無用な戦をする必要もございません。どうか、今しばらく高峯攻めにご猶予賜りたく、こうしてお願いに上がった次第でございます!」
「何と。」
森は思いもかけない話を聞かされ、呆気に取られた様だった。
一方の瀬津は悠然と立ち上がると、縛られて跪いている暁を見下ろして尋ねた。
「ならば上野成頼の首、その手で討ち取る覚悟はあるか?」
『私が成頼殿を殺す…?流石にそれは無理かも…。』戸惑う暁は即答できずにいた。重苦しい沈黙が流れる。かなり気まずい雰囲気だ。
その時、ずっと暁の横で大人しくしていた平悟が暁に助け舟を出そうしたのだろう、口を挟んできた。
「必ずや、上野成頼を討ち取って御覧に入れます!」
平悟がそう言い終わるか終わらないかのうちに、瀬津が手にしていた太刀をサッと振りぬき、平悟に向かって振り下ろした。
「だめ!」
咄嗟に暁が体当たりで平悟を突き飛ばす。
振り下ろされた太刀は暁の首筋に正に紙一重のところで止まった。刀に触れた髪が数本はらはらと舞い落ちた。暁は生きた心地がしなかった。
「お館様は暁殿にお尋ねなのだ!そなたは黙っておれ!」
森が平悟を一喝する。
暁に成頼を討つ自信は無かったが、『ちょっと考えさせて下さい。』などという答えが許される雰囲気ではなかった。目の前に太刀を突きつけられてゾッとした暁だったが、それでもしっかりと声を振り絞って言った。
「討ち取る覚悟はございます。」
瀬津は太刀を鞘に戻しながら言った。
「我らはこれより豊川城を落とす。」
「お館様…!」
森が慌てて何か言いかけたが、瀬津は森を無視して言葉を続けた。
「我らが豊川軍を破るまでに高峯を平定しておけ。それが条件だ。間に合わなければ上野も本田も関係ない。まとめて攻め落とす。」
暁はごくりと生唾を飲んだ。
「いかが致す?」
森が返事を促す。
「承知しました。」
暁が何とか答える。
「お前、この辺りの地理には詳しいのか?」
瀬津が今度は平悟に尋ねた。
「はい。」
ビクビクしながら平悟が答える。
「ならば我が軍の水先案内をしてもらおう。」
「かしこまりました。」
「小娘は高峯城内の味方とやらをせいぜい急がせる事だな。」
「はい。」
暁が瀬津を見上げながらしぶしぶそう言うと、瀬津が暁に背を向けた。
それが合図なのだろう、森が二人に
「下がれ。」
と命じた。
暁と平悟は天幕の外で森が出てくるのを待たされた。森は『お館様』から細かい指示を受けているのだろう。
待っている間に平悟が暁に囁いた。
「姫、先程は危ないところを有難うございました。」
出会ってすぐの丁寧な口調を取り戻して言う。
「正直、俺、姫を侮ってました。でも先程あの恐ろしい人から庇っていただいたことで、やはり姫は俺がお仕えするだけの器の方だと確信しました。あの城山領主にまともに話ができるっていうのも凄いし。これまでにも増して誠心誠意姫に忠誠を誓います。」
真剣な顔でそう言われ、暁は少し照れながら、
「有難う。」
とだけ言った。
程なくして森が出てくると二人の縄を解かせて告げた。
「山岡平悟はこのまま我が軍と共に行動せよ。大軍を敵に気取られぬよううに豊川城近くまで運ばねばならん。心して掛かれ。暁殿は急ぎ高峯城のお身内と連絡を取り、高峯平定を急がれよ。もし何か下手な真似をすればこの者の命はないですぞ。」
どうやら平悟は人質も兼ねている様だ。だが先ほどの瀬津の様子なら、平悟が少しでもヘマをすればすぐに切り殺すだろう。平悟もそんな事はもう言わなくても分かっているだろうが、心配ではある。那由他のやたら偉そうな上から目線の態度にはかなり腹が立つが、結果的に暁の意向を汲んでくれたのは有難かった。何だかんだ言っても暁に味方してくれるんじゃないかと期待が湧いた。
平悟を城山軍に残し、一人とぼとぼと家路に着く暁の前に、どこをどうやって抜け出してきたのか那由他が現れた。纏う空気が柔らかい。間違いなく那由他だ。
「ちゃんと追いかけてきてやったぞ。あまりつまらない意地を張って無理するな。お前に成頼を討てるとは思えん。戦が片付いたら迎えに来てやるから。それまで大人しく待ってろ。」
先程の陣営での件を引き摺っているところへ、どこまでも偉そうで暁を小馬鹿にした態度。暁は到底素直に従う気にはなれなかった。
「私は不味くて喰えない上に色気もなくて楽しみようもないんでしょう?取るに足りない小娘を『お館様』やってる那由他が理由もなく追うなんて信じられない。」
要はそれらしい理由を聞きたかっただけなのだが…。
「お前が追えと言ったんだろうが?確かにお前は見た目も中身も大したことないがお前といると俺が退屈せずに済む。それが俺がお前を追ってやる理由だ。納得できたか?」
もう少しましな理由を期待していたところへその言葉。その上偉そうで恩着せがましい物言いに、暁は我慢できなくなった。
「できる訳ないでしょ?那由他にとってはただの退屈凌ぎかもしれないけど、この戦は私達にとっては大事な事なの!そんな理由で私の邪魔をしないで!大体平悟を私から引き離してどうする気?」
「馬鹿な主に無鉄砲な家来では互いに命がいくつあっても足るまい?さっきの陣でだって相手が俺じゃなければ二人とも死んでたぞ。あいつは俺達と一緒にいた方が安全だ。命がけで助けたい程の大事な家臣なんだろう?俺達で保護してやってるんだ。有難く思え。それにお前も一人では大した事はできまい。余計な考えは捨てる事だな。」
「私のいないところで切り殺したりしないでしょうね?」
「お前が望むならそうしてやってもいいが?」
「絶対に駄目!平悟は何もない私を姫と認めて命を賭けてくれてる。主家の私が責任持って守るのは当然でしょ?平悟に何かあったら絶対に許さないから!」
「俺を許すとか許さないとか言える立場か?大体俺がお前を置いてどこかへ行ってしまうのは『許さない』と言ったくせに自分は『一生追いかけろ』と言って勝手に出て行くというのはどういうことか自分で分かってやってるのか?結果的にお前が俺をここへ招き寄せた事になるんだぞ?」
「私は自分の答えを見つけるために高峯に戻ったの。」
「何の事かは知らんが、その答えとやらは見付かったのか?何も持たない小娘を主と仰ぐ愚かな家臣の為に命を投げ捨てる事がお前の答えか?」
「那由他には関係ないことだわ。私は那由他を呼んだ覚えも、高峯での戦を頼んだ覚えもない。那由他なんか大っ嫌い!」
苛立ちも顕わに言い捨てる。
だが、言ってしまった後で胸の中に広がる後悔の嵐。
『違う。本当は大嫌いなんかじゃない。来てくれて嬉しかったのに。こんな事言いたかった訳じゃない。』そう思うが、言葉に出せなかった。
「そうか。」
那由他はあっさりと暁の言葉を認めてしまった。
『待って。今のは勢いで言っちゃっただけで本当は違うの!』心の中で叫ぶがやはり声にはならなかった。
「ならば好きにしろ。」
暁に背を向け、那由他が遠ざかる。
本当はその背に追いすがり、『違う』と言いたかった。『言い過ぎた』と謝りたかった。だが、暁の中で那由他に対する思いがまだ整理できていない今、何を伝えれば良いのか分からなかった。
先刻目にした刹那の様な振る舞いのせいか、未だに那由他を那由他と信じきれずにいた。
足は走り出そうと、声は叫ぼうとしているのに体が固まって動けない。以前那由他に金縛りをかけられた時の様だった。
暗闇に消えゆく那由他。その広い背中を見詰め、立ち尽くす事しか暁にはできなかった。
折角那由他がここまで追ってきてくれたのに、何故こんなにも自分の心に素直になれないのか不思議で仕方がなかった。本当は会えて嬉しかったはずなのに。少し貶されただけで何故あんなに冷静でいられなくなったのだろう?今はあんな事を言ってしまった自分自身が『大嫌い』だった。
ただ一つ確かな事は、暁はまだ何も成し終えていないという事。まだ自分の答えを見つけられていないという事。
今那由他の手を取ってしまったら、何の為に高峯に戻って来たのかわからなくなってしまう。やはりまだ機が熟していないのだ。勝手な願いとはわかりつつ、那由他がもう一度暁を追ってきてくれることを願うしか、今の暁にはできなかった。




