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平悟

ほぼ一年ぶりの我が家だった。冬の寒空の中を一人で旅するのは心細く寂しいものだった。途中で人に化けた那由他なゆたあきをからかいにくるのを期待していたが、誰かに声を掛けられる事すらなく暁は見知った景色の中に辿り着いていた。家が近づくにつれ、それまでの寂しさは薄れ、久々の我が家を目前に、期待と不安が入り混じる。

 成頼なりよりの手の者が待ち伏せてはいないだろうか?とか、誰も手入れしていない家は荒れ果てているのではないか?など。手には道すがら手折った草花。戻ったらまず母の墓に帰郷を知らせるつもりだった。

 家に近付くと、やはり以前と様子が違う。荒れ果てているかと思いきや、そうでもなく、小さいながらきちんと手入れされた畑までできていた。家の横の湧き水にはまだ真新しい柄杓ひしゃくが置かれ、母の墓には花も供えてある。

 『もしかして春彦が戻ってる?』もしくは他の誰かが住み着いているのか? 大したものは無いとは言え、家財道具一式をそのままにして家を出たのだ。それらはどうなってしまったのだろう?

 暁はそっと家の中の様子を窺った。中には誰もいない。

 暁は家の中に入った。以前とあまり変わってはいないが、物の置き場所が少し違っていたり、新しく増えている物もある。他の物が気になり、暁は部屋に上がり込んで長持ながもちの蓋を開けてみた。そこへ、

 「こら!何をしている!」

 若い男が駆け込んできた。春彦ではない。『誰?』驚いている暁の腕を後ろ手に捻り上げる。

 「この盗人ぬすっとめ!」

 「盗人はそっちでしょ!」

 堪らず暁が叫んだ。

 「何?どういうことだ?」

 男が尋ねた。

 「ここは元々私の家なんだから!」

 暁は何も考えずにそう言ってしまった。男が暁を押さえ込んでいた手を弛めた。

 「本田春臣様のご嫡子か?」

 父の名を聞いて暁はビクッと身体を強張らせてしまった。『しまった!』と思ったが、もう後の祭りだ。『捕まるの?殺されるの?』と怯えながら次の展開を待つしかない暁に、男は急に態度を改めて丁重な言葉遣いでまた尋ねてきた。

 「それがしは本田家の敵ではない。ご安心召されよ。もう一度問うが、本田春臣様のご嫡子であらせられるか?」

 暁の服装から暁を男と思っているようだ。驚きと緊張で言葉の出ない暁は黙ってこくんと頷いた。

 すると男は更に改まった態度で土間に土下座して言った。

 「失礼致しました。某は山岡勘助やまおかかんすけの長男、山岡平悟やまおかへいごと申します。祖父は先々代で家老を務めました山岡勘平やまおかかんぺいにございます。本田家家臣としてお家再興の一助を担いたく、本田家のご嫡男を捜しておりました。念の為にお尋ねするが、お母上の名は?」

 「とき。」

 「ではまさしく。時様はわが父とは従兄妹同士。我らも又従兄弟はとこということになりまする。」

 そこまで一気にまくしたてるように告げられ、唖然としていた暁だったが、男の正体が勘助の息子の平悟と判り、漸く事態が飲み込めてきた。

 「あの…私は本田春臣と時の娘で暁と申します。」

 「娘?」

 「旅の道中の安全のため、男の格好をしていました。」

 「なんだ。では姫か。」

 平悟はあからさまにがっかりした態度を取った。暁は慌てて言い繕う。

 「でも、弟がいます。春彦と言って家名復興の為、今は身分を偽って高遠城中に潜伏しております。私も折しも弟を手助けするために旅先から戻ったばかり。そこに貴方のような頼もしい方が加わって下されば天が道を開いてくれたようなものです。」

 そんな暁の言葉に平悟は気を良くしたようだ。

 「ところでここがよく分かりましたね?」

 「藤野屋という宿で身を隠していた父から聞きました。」

 「私も勘助様にはお会いした事があります。勘助様はお元気ですか?」

 「父は先日亡くなりました。」

 「え?一体どうされたので?」

 「店に来ていた裏切り者の安部正兵衛あべのせいべいに一太刀浴びせようとして側にいた十和田正志朗とわだせいしろうという者に切られたそうです。」

 『十和田正志朗って…?春彦じゃない!』春彦の今の名をまだ言ってなくて良かったと暁は思ったが、折角味方が現れたと思ったのによりにもよって春彦が勘助を切り殺していたなんて!どう取り成せばいいのか前途に不安を感じた。

 「それは、お気の毒に…。」

 とんでもない現実を着き付けられて途方に暮れる暁の態度は心からの哀悼の意を感じさせ、事情を知らない平悟の心を開かせるものだった。

 「俺は絶対に父の仇を取ってこの腐った高峯を立て直してみせます。その為には旗頭が必要なんだ。本田家の再興は父の悲願だったし。だから、何としてでも俺の手で上野成頼うえのなりよりを倒して高遠を本田の手に取り戻したい。」

 「なぜそこまで本田家に忠節を?」

 「なぜと言われてもこれは俺自身の家の為でもあるし。まず詳しく説明すると、俺の爺さんは昔本田家の家老を務めてたんだ。その頃、上野は今の高峯の南の日吉ひよしという地域を治めていた。で、高遠と日吉は良く小競り合いを繰り返していたらしい。原因は日吉の水不足だった。あるひどい日照りの時、高峯が日吉を攻め落とす話が持ち上がった。それを当時家老だった爺さんが止めたらしいんだ。理由はそんな弱った相手を攻めるなんて卑怯な真似をすれば領主である本田家の名がすたるということと、しょっちゅう日照りで不作の日吉なんか手に入れても元々の高峯領民の負担が増えるだけだというものだった。だけど爺さんに反発する他の家臣から敵をかばうのはおかしいと言って謀反むほんの疑いを掛けられた。その為に捕まって投獄された爺さんは牢の中で自害した。着ていた単衣に血でさっき言った理由なんかを書き連ねて身の潔白を訴えた。で、当時のご当主は爺さんの忠義に答えて結局その時の日吉攻めは見送られたらしい。それでその後春臣様の代になって日吉はまた水不足が原因で今度は向こうから高峯に無条件降伏してきた。日吉領主の上野成章うえのなりあきらは本田家の家臣に下った。でもそれも向こうの策略だったんだ。その後上野は高峯城内で勢力を伸ばしてた安部という重臣と組んで、いきなり謀反を起こした。親父は自分が本田家の外戚だってこともあるが爺さん同様忠誠心が強かったみたいで、その謀反を阻止できずに春臣様が城を追われた事や、もし爺さんが日吉攻めを止めてなかったらこんな事にならなかったかも、っていう思いを持ってたみたいで何としても上野の手から本田家に高峯を取り戻したかったんだ。俺は母親が早くに死んじまって母方の親戚の家の子として育てられてたから、正直俺を捨てたも同然の親父の事なんてどうでも良かったはずなんだけど…。そんな親父が最後まで忠義を貫いて死んだって聞いたら、もう俺がその意思を継いでやるしかないかなって思って。それとこないだ親父が安部を襲った件で、親父に息子がいたって事が敵方の安部とかにばれたかも知れなくってさ。今までは隠れてられたけどもうこのままじゃいられなさそうなんだ。それに俺はこそこそ隠れて暮らすのがいい加減嫌になった。ちゃんと大手を振って表を歩きたい。その為には高峯を味方の手で押さえるしかないだろう?これで俺が味方だって信じてもらえたかな?」

 長い話の間にすっかり被っていた猫が剥がれたと見え、平悟は砕けた物言いになっていた。

 暁は今まで知らなかった昔の話を興味深く聞いていた。母は、昔の事をあまり話したがらなかった。上野が謀反を起こした事や、誰か味方が裏切ったらしい事はそれとなく聞いた事があったが、先々代の頃の話など初めて耳にするものだった。

 平悟の話を聞いて暁の心に勘助に対する罪悪感が広がった。なぜ藤野屋で暁を時の娘だと見破り、助けてくれた勘助を信じることができなかったのだろう?あの時すぐに勘助に正志朗が春彦である事を告げていれば、こんな事にはならなかった筈なのに。

 暁は自責の念に駆られた。だが、全てを平悟に打ち明ける勇気もなかった。今全てを話せば、折角現れた味方を失ってしまうかも知れないと恐れた。

 だが、罪悪感を引き摺りながらも誓う。『例え裏切られてもいい。平悟を信じよう。』と。そして平悟の言葉に自らの秘めていた思いに気付く。『逃げ隠れせず、堂々と生きたい。』という思いに。

 「私も平悟と同じ事を思ってた。逃げ隠れせずに堂々と生きたいと。城に潜んでる春彦はもっと大変な思いをしているはず。私達は既に志を同じくしている。その上血の繋がりもあるのだから、私は平悟を信じる。私を姫だなんて呼んでくれたのは平悟が初めてだし。頼りにしてる。どうか、これから高峯奪還に向けて是非力を貸して下さい。」

 暁の真摯な態度に平悟は少し恐縮したような、でも嬉しそうな顔をした。

 「勿論。俺はその為に来たんだし。これで話は決まったな。となれば早いとこ城にいる春彦様に連絡取ってこの先の事を決めないと。それと、俺にも少しだけど仲間がいるんだ。住んでた村の遊び仲間だけど、そいつらもいつか手柄を立てて武士になりたいと思ってて、この戦で足軽として高峯軍に潜り込んでる。俺はそのことを春彦様に知らせようと思ってずっとここで待ってたんだ。あいつらはきっと何かの役に立つと思う。今度紹介するよ。まぁ、今日はもう遅いし動き出すのは明日からかな。」

 そう言って平悟は夕食の支度を始めた。暁が手伝おうとすると、

 「姫さんは俺の主人なんだからこんな事は俺に任せてればいいんだよ。旅から帰って疲れてるだろ?じっとしてるか自分の荷物でも片付けとけよ。」

と言って一人でてきぱきと働いた。

 暁が作るよりずっとまともな食事を取り、床に就く段となって二人は困った事に気付いた。

 寝具は二人分あるが、狭い部屋だ。平悟は自分が土間で寝ると言うが、身体の大きな平悟は狭い土間には収まりが悪く、家の出入りにも不便だ。だからと言って主人であるはずの暁が土間で寝る訳にもいかず、結局二人は狭い部屋の両端に分かれて寝る事にした。だが、布団を極力引き離しても手を伸ばせば届くような距離にしかならなかった。


 暁は旅の疲れに加え、久々の我が家に安堵したことも手伝って早々に寝入ってしまったが、平悟の方は落ち着かなかった。手を伸ばせば届くところに年頃の若い娘がすやすやと眠っているのだ。雑念が次々と沸き起こり、悶々(もんもん)として寝付けなかった。『主家の娘なんだから手を出したら駄目だ。』と自制してみるものの、ごろごろと落ち着き無く何度も寝返りを打っては考える。

 『この姫さん、何でこんなに無防備なんだ?もしかしてむこうもその気とか?寝相が悪くてぶつかったふりでもしてみようかな?手くらいならちょっと触っても大丈夫だろう。』

 平悟は寝返りを繰り返しつつ暁に近付くと、わざとらしく暁の右手の甲に自らの手を重ねた。すると、

 「ううん…。」

と暁が反応した。その声に平悟の理性の箍が吹っ飛びそうになった次の瞬間、重ねていた平悟の手を振り払い、寝言とは思えないほど大きくはっきりした口調で暁が叫んだ。

 「那由他の馬鹿ぁ!」

 平悟は驚いてサッと手を引っ込め、飛び退いた。身を守る亀のように素早く自分の夜具の中で丸くなった。暁は自らの叫び声で目を覚まして身を起こした。辺りをきょろきょろ見回して夢を見ていた事に気付くとまたすぐに横になった。だが、先程見た夢を思い出し、なかなか眠りにつけなかった。先程見た夢、それは那由他なゆたと共に伊邪七岐いざなぎを握って戦っている夢。重ねた掌から伝わる温もり。高鳴る胸の鼓動。繋がる一体感。伊邪七岐の刃を光が包む。那由他と共に目の前にいるはずの見えない敵に伊邪七岐で切りかかろうという時だった。暁は那由他の手を振り払い、伊邪七岐をも投げ捨て叫んでしまった。『那由他の馬鹿ぁ!』と。そこで自らの叫び声で夢から覚めたのだ。それにしても、と思う。何故今頃あんな夢を?伊邪七岐はもうない。那由他と手を重ねて伊邪七岐を握る事などもうないはずなのに。あの頃のことを思い出すと、無性に切なくて恋しくなった。その思いを懸命に頭の中から追い払おうとしていた。

 一方の平悟は変な気もすっかり収まり、漸く眠りについた。『この姫さん、どこかに思ってる人でもいるんだろうな…。』何となく察しがついた。


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