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伊邪七岐

 「あら美味しそうなお弁当。」

 「言っとくがこいつは不味くて喰えないぞ。」

 一面の枯れ尾花。ところどころに大きな岩が転がる人気のない場所で、いきなりつやっぽい声色こわいろの女が話しかけてきた。現れた場所も不自然なら、その話す内容も人とは考えられない。何しろ暁の事をお弁当呼ばわりするのだから。兎に角いきなり始まった二人の会話に暁はかなり機嫌を損ねた。

 「そんなに不味いなら何故わざわざ連れ歩いたりするのかしら?」

 「お弁当じゃなくて手土産だ。こんなに不味い女は珍しいからな。」

 「それじゃあ貰った方も嬉しくないでしょうに。」

 「いいんだよ、それで。別に喜ばせたい相手じゃない。」

 「なのに手土産持参で会いに行くの?」

 「会いに行く訳じゃない。次に会った時に見せるだけだ。」

 「その『次』に会う時は何時いつなのかしら?」

 「さぁ?何時いつになるかな。急いで会う気もないから『そのうちに』だ。」

 「じゃあそれまでにしなびちゃったらもったいないから私が代わりに頂くわ。あなたには不味くて喰べられないんでしょう?」

 「俺が喰えなくてもお前なんかにやる気はないな。最悪、非常食くらいにはなるかも知れん。」

 「なぁんだ。じゃあやっぱり喰べる気なんじゃない。もったいぶっちゃってどういうつもりなのかしら?それとも喰べたくないくらいにお気に入りなの?」

 「言ったろ?こんなに不味い女は珍しいと。ただそれだけだ。特に気に入ってるからとかいう訳じゃない。」

 「どうかしら?私ならただ不味くて珍しいだけの小娘なんてわざわざ連れ歩くのは面倒だけど?余程のお気に入りじゃなきゃ連れて歩いたりはしないわね。それとも何か特別な事情でもあるのかしら?他の誰かに喰べられないように見張ってなきゃならない理由とか?」

 「しつこいな。あんまりしつこいと俺がお前を喰っちまうぞ。」

 「それもいいわね。貴方あなたの一部になるという事は刹那せつな様の一部になるのと同じよね?でもできれば私が貴方を喰べる方が嬉しいわ。貴方を取り込めば刹那様のお心を私のものにできるでしょう?」

 「どうだかな。あまり俺を見くびらない方が身のためだぞ。お前なんかに喰われる程鈍っちゃいないし、仮に俺を喰ったところであいつがお前を喰い直して終わりだ。かなり力を付けてるんだろう?あっちの方は。」

 「ええ、とっても。少し名の通った武士もののふはほぼ喰い尽されたわ。今では死んだばかりの魂を一度に手に入れる技も得られたみたい。人に紛れて戦を起こしては大量の魂を一度に取り込まれておられる。私のようなあやかしは近寄る事も許されない。」

 「不思議なんだが何故お前ら妖は自分より強い者に喰われたがる?一壺天の時にうんざりしてるんだ。寄ってこられると迷惑なんだよ。」

 「理由は分かってるはずよ。魂が滅びないことを知っているからこそ、より強いものと一体になりたいのよ。上手くいけば内側から乗っ取れるかもしれないし。」

 「自分より強い魂を乗っ取れるわけなどないとわかっているはずなんだがなぁ。」

 「でもいくら強い魂でも喰った相手に影響されることは多々あるわ。」

 「まぁ確かにな。現にあっちの方も武士とやらの喰い過ぎだろうな。今あんなことをやってるのは。だからと言ってお前ごときの好きに出来るとは思えないがな。」

 「でも貴方ならどうにかできそう。ろくな魂を喰べていないみたいだし。最近は神職の爺なんかの下手物げてものにまで手を伸ばしてるようだし。」

 「何を喰おうが俺の勝手だ。」

 「そう。貴方の自由よ。お陰で助かったわ。あまり強くなられては取り込めないもの。貴方の魂。」

 「大した自信だが、まだお前じゃ役不足だね。」

 「そうかしら?でもいいわ。貴方が駄目ならあの娘がいるもの。流石さすがにあんな小娘一人くらいならどうにでもなるわ。」

 「じゃあその小娘がどうにでもなるものかどうか、自分の身体からだで試してみるんだな。あき伊邪七岐いざなぎを出せ。」

 「え?私?」

 那由他が伊邪七岐の包みを暁に投げ渡した。今まで蚊帳の外に置かれていたのにいきなり話を振られ、暁は戸惑い、飛んで来た伊邪七岐を危うく取り落としそうになった。

 「お前じゃないと持てないだろうが。ぼうっとしてないでさっさとしろ!それともこの蛇女に丸呑みにされたいか?」

 どうやら女は蛇の妖怪という事らしい。蛇に丸呑みにされるなどご免だ。暁がいくら不味くても丸呑みでは味など分からないだろう。暁は慌てて那由他が投げて遣した布包みを開く。

 中から七又の切っ先を持つ剣が現れた。

 「何それ?何の玩具おもちゃかしら?」

 「しっかり握って構えろ!」

 暁が以前那由他に教えられたように剣を正面に構えようとすると、後ろから暁を包み込むように那由他が身体を添えてくる。暁はドキッとして身体が強張った。那由他は暁の手に自らの手を重ね、剣を身体の前で水平に構える。暁の手に那由他の手の温もりが伝わる。それと同時に何かゾワゾワとした感覚が暁の手の中を通り抜けて伊邪七岐へと繋がる。すると伊邪七岐の刃の周りから、まるで木の幹から枝葉が伸びる様に細い光の筋が生えてきて、七つの切っ先は光で覆われ、一枚の刃となった。

 「喰われたくなければ俺の邪魔するなよ。伊邪七岐だけしっかり握ってあとは力を抜いていろ。」

 那由他が暁を抱えて駆け出した。右手は暁の手に添え、左腕で暁の身体を支えた状態だ。不思議な一体感。

 「その娘がいないとそんなものも使えないの?それで連れてるって事?あんたみたいな中途半端な者が刹那様の半身だなんてみっともなくて信じられない。二人とも丸呑みにしてあげる!」

 そういい捨てた女の口が見る見る大きく広がっていく。口が広がるのに合わせて顔と身体も大きく、長く変化して行く。暁と那由他の目前に大きく開いた蛇の口が迫った。

 『呑み込まれる!』

 暁は咄嗟に目を伏せた。那由他はそのまま暁もろとも真っ赤に開いた蛇の口に向かって突っ込んで行った。

 獲物を捕らえようと強く噛み合わされた蛇の口が空を噛んでガチッと鈍い音を立てた。

 蛇の鼻先で暁を抱えたまま高く飛び上がった那由他は素早く暁の手首を掴むと剣を逆手さかてに持ち替えさせ、下を向けた伊邪七岐の切先を蛇の頭に付き立てた。言葉はなかったが、暁は那由他の思いのままに動いているようだ。

 二人分の体重を乗せたその一撃は蛇の眉間に深々と突き刺さった。

 「ぐぎゃぁぁぁあああ!」

 るように大蛇が二人を額に乗せたまま鎌首をもたげ、二人は高く持ち上げられた。蛇に突き刺さっている伊邪七岐に掴まっていなければ振り飛ばされそうだった。

 暁の足元から全身に、深くとどろくような蛇の断末魔が響き渡る。暁の背にゾゾゾッと虫唾むしずが走った。

 那由他は鎌首をもたげた蛇の頭から胴に向かって伊邪七岐の刃を立てたまま滑り降りた。足元で蛇の背が真っ直ぐに切り開かれていく。二人の通った軌跡には真っ赤な傷口から冷たい体液がほとばしった。

 ザザザザザーッと蛇の身体と伊邪那岐の刃が擦れる手応え。飛び散る飛沫しぶき。身体中に響く蛇の断末魔。暁は身体が震えそうになるのをぐっと堪えた。恐ろしいと感じる一方で、那由他との奇妙な一体感に感じる表現しがたい気持ちの高揚。一体どちらが原因で身体に震えを覚えるのか、判断がつかない。おそらくはその両方が、暁に今まで感じたことのない興奮をもたらしたのだろう。

 地面近くまで滑り降りてきたところで那由他はまた飛び上がると、蛇から少し離れたところに着地した。ほぼ同時に大蛇がズシンとその身を地に落とし、大地を震わせる。尻尾はまだうねるように動いている。舞い上がる砂埃とすすきの綿毛。暁は咄嗟とっさに顔をそむけた。

 一方の那由他はというと、地に足が着いた途端、暁を放り捨て、倒れ行く蛇の方へと戻って行ったのだ。蛇の身体がまだ大地を震わせながらのた打ち回っているその上に飛び乗ると、先程切り開いたばかりの真新しい傷口に深く腕を突っ込み、何かを掴み出すと血みどろの手を口元に運んだ。

 暁は唖然としてその様子を見ていた。

 『最近は下手物にまで手を伸ばしているようだし。』という先程の蛇女の言葉が脳裏に浮かぶ。

 「こんなのまで喰べちゃうんだ。」

驚きに、つい口を突いて出た言葉。

 「こんなのでも命だ。俺は命は粗末にしない主義でね。」

 那由他の答えに、暁は言葉に詰まった。自分の不用意な言葉が恥ずかしかった。他者の魂を喰うという行為の是非はともかくとして、奪った命を無駄にしないという那由他の言葉には重みが感じられた。

 実際に、那由他が誰かの魂を喰う現場を目にしてみると、それまで恐ろしいと思っていたことが実はそうではないような気になった。それはまるで、魂の転生の儀式のようなのだ。暁はそんな自らの感性を疑ったが、全くおかしいと否定しきる事もできなかった。

 風が吹いた。一面の枯尾花かれおばな。その中に埋もれる黒々とした蛇の巨体。ところどころに覗く岩。それら全てが舞い上がる枯れ草色の綿毛で包まれた。幻想的な光景だった。二人は暫く黙ってそれを見ていた。

 ふと気付くと、暁は右手の中にまだ伊邪七岐を握っていた。刃先は地面に引き摺っている。もうあの光のやいばはなかった。刃が消えたせいか、血の跡すら残っていなかった。

 興奮から醒めると、暁の胸には重たいわだかまりが残った。手にはまだ那由他と手を重ねた時の熱と、剣を伝わってきた肉を切り裂くザラザラとした手応えが残っていた。切り開かれた蛇の血生臭さとそのぬめった感触を思い出し、ゾッとした。最後に命を奪ったのは那由他だったが、他者をこの手で大きく傷付けたという事実は、まるで暁自身が心臓に刃を突き立てられたかの様な痛みをもたらした。そして、その背後にあるのは那由他と共に剣を突き立てた時の快感。そんな行為に一瞬でも快感を覚えてしまった自分自身が恐ろしかった。

 那由他が消してくれたのか、足元に受けたはずの返り血はきれいになくなっていて、衣には染み一つなかった。だが、暁の心には真っ赤な血の跡がしっかりと染み付いていた。



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