刹那
「ここまで来たのに悪かったな。当てが外れた。次を当たるからもうちょっとだけ付き合え。」
五石神社を離れ際、那由他が暁にそう言った。那由他が暁に詫びるなど考えも寄らなかったので、暁は少し驚きつつもすんなりとその言葉を受け入れた。
「うん。ここまで来たんだもの。最後まで付き合う。探し物も見付けなきゃならないしね。」
そして二人はまた共に歩み始めた。
相変わらず、那由他はいつの間にか姿を消してはまたいつの間にか現れる。
そんな旅の途中、とある町で暁は気になる噂を耳にした。
「高峯国では城に鬼が出たそうだ。」
「なんでも奥方が喰い殺されたらしい。」
「高峯の奥方といえば天下一の美人という噂だった方だろう?」
「確か豊川道周斎の娘じゃなかったか?」
「そう、それだ。それで道周斎が『娘を見殺しにしたのか』って大騒ぎで近々高峯に攻め込むらしいぞ。」
「また戦か…。」
「まぁ、ここらは離れてるから関係ないがな。」
「対岸の火事とは言え、戦は嫌だな。」
「変なのがこっちに流れて来なければいいが…。」
暁の頭に真っ先に浮かんだのは那由他だった。いつの間に百合を喰い殺したのだろう?那由他の襟首を掴んで問い質したい衝動に駆られたが、生憎那由他は今側にいない。
豊川が高峯に攻め込む。豊川は荒くれ者が多く、戦に強いので有名だ。既に周辺地域に領土を拡大して高峯などどうとでもできる国力を持っている。そんな国に攻め込まれたら高峯がいくら周到に準備したところで勝ち目はない。春彦と勘助、それに何故か成頼が気に掛かった。何故暁が親の仇の成頼まで心配するのか自分でも不思議だったが、どうも高峯城で見た成頼の立場の弱そうな雰囲気が暁の同情を誘うのだ。それに、もしかしたら暁や春彦が今の成頼の立場だったかも知れないと思うと、他人事ではない気がした。それと同時に、上手く戦の機に乗じれば春彦が本田家を再興する事ができるのではないかという期待も生まれた。心中複雑ながらも、再び頭を擡げる疑問。『何故、今頃?』
那由他が高峯城で暁を攫ったのはもう半年近く前だ。あの時百合を喰い殺していたなら、百合の死に関する噂はもっと早くにもっと高峯に近い町か村で聞いていたはずなのに。百合の死が暫く伏せられていて、かつ噂がここまで届くのにそれだけ時間が掛かったという事か?兎に角事態を引き起こしただろう張本人に話を聞くのが手っ取り早い。暁は珍しく、那由他が再び姿を現すのを今か今かと待ちわびた。
黄昏時になって漸くふらりと那由他が現れた。人に化けもせず、笠で角を隠しただけの目立つ姿だ。
「あーあ、たまにはいい宿に泊まっていい女をたらふく喰いたいなぁ。」
おそらく暁をからかう為にわざと言っているのだろう。夜いない事も多いのだ。きっと暁が普通の宿に泊まっている間に那由他は好きな所で好きな事をやっている筈なのだから。
いつもならそんな挑発を真に受けて不貞腐れて愚痴を言う暁なのだが、今は他に聞きたい事がある。暁は那由他の言葉は一切無視して質問を切り出した。
「那由他、それよりも聞きたい事があるんだけど。」
「何だ?俺の女の趣味でも聞いてちょっとは努力してみる気にでもなったか?」
「違う!そんなんじゃなくて、あなた百合を喰べた?」
「百合?誰だっけ?」
「高峯城の奥方よ。天下一の美姫っていう噂だった。」
「天下一?高峯にそんなのいたかなぁ?ああ、でもそう言えばお前を連れに行った時、田舎にしてはちょっとましなのがいたかなぁ。やたらと箏の下手糞なのが。そいつなら半分喰いかけて放っておいたが。」
「半分?喰い殺してはいないの?」
「ああ。あの時は途中で邪魔が入ったから時間が無くて半分だけ喰った。」
「じゃあ何で高峯の奥方が鬼に喰い殺されたなんていう噂が流れてる訳?おかげで戦になるみたいじゃない。」
「うん?それなら多分俺の喰い残しを俺の片割れが喰っといてくれたからだろう。」
「え?どういう事?」
「だから、俺はその百合って女を半分喰って半分は喰い残して来た訳だ。で、魂ってのは半分取られるとその取られた半分の行方が気になるみたいで取った奴をうるさく呼ぶんだよ。」
「呼ぶって、那由他を?どうやって?」
「元々一つの魂は分かれて離されても繋がっていて互いに呼び合うんだ。だが俺にとってはそんなのほんの小さなかけらに過ぎないから別に大して気にはならないが半分奪われた方は俺の事が気になって仕方なくなるみたいだ。前にも言ったが、魂ってのはより強い方に従うものだ。だからこないだ巫女を半分喰って操った後、残りもちゃんと喰ってただろ?下手に喰い残すと後々五月蝿く呼び続けられるからな。まぁ呼ばれたところで気にする事もないんだが。で、その喰い残しが呼んでるのは俺の片割れにも通じるんだ。俺と片割れも魂が繋がってるからな。多分あっちが五月蝿がって業を煮やして喰っちまったんだろう。他の目的もあったかも知れんが。兎に角俺はお前のお守で身動き取れないし、向こうは力を持ってるから場所の移動も一瞬だし。」
お荷物扱いされて暁は不愉快だったが、謎は何となく解けた。要は百合を喰い殺したのは那由他ではなくもう一人の鬼の方という訳だ。
「その片割れは何ていうの?」
「今は鬼としては『刹那』と名乗ってる。何であろうと俺が今『那由他』と名乗ってるのと同じで便宜上の仮初めの名だ。」
「それって、本当の名は一壺天だっていうこと?」
「両方一壺天だとややこしいだろ?それに欠けた部分があるから厳密には一壺天じゃない。というか、そんな不完全な状態を一壺天だと自分で認めたくはないって事かな。」
那由他が自分を一壺天だと、そして一壺天の力が今の那由他を凌ぐのだとあっさり認めたように聞こえて、暁はなんだか胸が苦しかった。臨元斎の言葉のせいだろう。
それにしても『刹那』と名乗っているもう片方が気になる。『あっちは力を持ってる』と那由他が言った『力』とはどんな力なのか?一瞬で場所を移動できる?那由他にはできないのか?
「何で那由他はその刹那みたいに一瞬で場所を移動できないの?そうすればこんな長旅なんて必要なかったんじゃない?」
「俺は別に急いでないし。それに元が一つだと言っただろう?片方に行った力はもう片方には欠けているということだ。あっちにできることはこっちにはできない。」
「じゃあ那由他にできて刹那にできない事って何?」
「さぁ?一壺天の力は殆どあっちに行ってるからな。敢えて言うならお前のお守くらいだろう。力を持つと忍耐力がなくなるから。」
まただ。また『お守』と言う。何故なのか?やはり暁の中に那由他の魂に関わる何かがあるのか?
「さっきからどうして私の『お守』って言うの?私はそんな小さな子供じゃないし、那由他に頼まれたからここまで来ただけで、そんなに面倒なら放っておいてくれてもいいんだけど?戦が気になるから高峯に帰ろうかとも思うし。それとも私が盗んだっていう那由他の大切な物の『お守』をしてるって事?それってもしかして那由他の魂なの?そろそろ私が一体那由他の何を盗んだのかくらい教えてくれてもいいんじゃない?」
「そうだな。だが逆に、そろそろ俺が言わなくても分かるんじゃないのか?それくらいも分からなければそれこそお前の頭は小さな子供並みという事だ。だからお守がいるんだよ。」
認めたのか、はぐらかしたのか。だがその返事は暁の中で臨元斎の言葉を確信へと導くものだった。
「どっちにしろ戦が始まると普通はそこから逃げるだろうが?わざわざ戻る事もない。もうちょっとだけ付き合えよ。探し物が見付かるまでくらいは。」
暁は返事をしなかった。頷く事すらできなかった。何に迷っているのかすら分からない程に色々な思いが頭の中でぐるぐる廻る。道に迷って歩を進めた時に同じ場所をぐるぐる回るのと同じように。まるで迷子だ。そう、迷子なのだ。だから、どちらへ行っていいか分からないまま、暁は那由他の進む方角へと歩を進めた。




