一の姫
「これ、ちょっと起きなさい。」
夜中に肩を揺らされ、目を覚ますと、目の前に那由他に喰い殺されたはずの臨元斎の姿があった。
「え?臨元斎様?那由他じゃなくて?」
「しぃ。その名を呼ぶな。奴が眠っている間に体を借りるのに成功したが、いつまで持つか分からん。兎に角時間が限られとる。お前さんにどうしても伝えておきたい事があってな。こうして話せるのはこれが最初で最後になるじゃろう。心して聞いてくれ。」
暁は目の前の老人の、真摯な態度に押され、真剣な面持ちで黙って頷いた。
「一壺天の事を聞いたことは?」
暁は首を横に振った。
「奴は何も話しておらんのか?」
「先程の二人の会話が私が知っている全てです。」
「なるほど。では事情は薄々察しがつくと思うが、わしはかつて一壺天と呼ばれる邪悪な鬼を切ったんじゃ。まぁ、初めから順を追って話さねば分かり難いかのぉ。」
暁はまた黙って頷く。
「一壺天はかつて京の周辺に度々現れては天災を巻き起こし、手当たり次第に人を喰い殺しては悪行の限りを尽くした鬼の名じゃ。奴の為に京は荒れ、多くの屍が川原を埋め尽くし、宛ら地獄の様じゃった。当時わしは年若くして実力を認められ、既に宮中の神事を任される立場におった。一壺天のことは宮廷も、京中の僧や陰陽師を使ってあらゆる手を尽くしてはいたがどうにもならなかった。そんな折、当時の右大臣・藤原持親卿の姫が入内されることが決まった。お輿入れの日、わしは儀式を司る神職の一人として宮中に参内していた。その姫は天下一の美姫と謳われた事から一の姫と呼ばれておった。深窓の姫君で実際に姫を目にした者は殆どいなかった。わしも姫の噂はかねがね聞いてはおったが、噂ばかりで実物は大した事なかろうと思っておった。当時のわしは仕事が何より大事であまり色恋には興味がなかった。よもや自分が誰かに心を奪われるなど考えてもいなかった。そんなわしに天罰が下ったのか、儀式の準備に追われ、宮中を駆け回っている折、ふと天女と見紛うばかりの美しい女性を垣間見た。その方を一目見た瞬間に全ての時が止まったのかと思う程、強烈な衝動がわしを襲った。そして最悪な事にその方こそがこれから入内をなさる一の姫その人じゃった。その事実に動揺したわしはその後上の空で手に取るものも取りあえず、普段ならありえんような失態を重ねて儀式の進行を遅らせてしまった。皆がその遅れを取り戻そうと躍起になっている時じゃった。例の悪鬼、一壺天が不敵にも宮中に姿を現し、儀式の最中に一の姫を攫ってしまったんじゃ。宮中は蜂の巣を突いたような大騒ぎじゃった。漸く皆が落ち着きを取り戻し、一の姫をどうするか話し合いが持たれたがなかなか纏まらなかった。帝への入内の決まった姫を儀式の最中に皆の目の前で宮中から連れ去られたんじゃ。いかに相手が鬼であれ、そのまま何もしないでは帝のご威光に傷が付く。さりとて相手が鬼では腕利きの武士共も手も足も出ない。実際姫が攫われる際にも大勢の武士達が赤子の様に簡単に倒され、打つ手のない状況じゃった。右の大臣は帝が兵を出さぬのなら自分が出そうと、ご乱心かと思う程に騒ぎ立てられた。殆どの者が姫は既に一壺天の餌食になって生きてはいまいと諦めておった。それに万に一つも姫を取り返したところで一度鬼に攫われた、言わば穢れを受けたかも知れぬ姫をそのまま入内させる事は適わぬ。そこにわしは内心希望を見出した。もし姫が生きているならば、姫をこの手でお助けすれば姫の心を得られるかも知れん。それに入内は適わぬと決まったも同然じゃったので穢れを雪ぐ名目でわしの勤める神社で保護するよう運べると。実際その案は歓迎され、鬼の討伐隊が編成された。鬼の討伐の為にご神体として祭られておったその伊邪七岐の剣が持ち出される事になった。わしがその剣を下げに行ったんじゃが、わしが祝詞を捧げて剣を手にしたところ、剣がわしを認めたかのように光を放った。今思えば本当に、全てがまるで絵物語のようにうまく繋がり過ぎておった。わしを含め、皆がわしこそ神器を持って鬼を倒す運命の者と信じて疑わなかった。不思議なもので、人というのはある程度条件が揃ってしまうと他の事が考えられなくなってしまうようでな。そうして皆が奮い立ち、今度こそ一壺天も最後じゃと勢い付いた。ところがじゃ、今度は探しても探しても奴の居場所が分からなかった。肩透かしを喰らった様なもので、それから二月程の間、奴の居場所を探し続け、漸く居場所が見付かった頃には一時の熱はすっかり冷めてしまっていた。皆、姫の事はすっかり諦めておった。諦め切れていないのはわしと右の大臣くらいじゃった。それでもやっと一壺天の居場所も分かった事でわしは討伐隊を率いて奴の塒に向かった。それは京から遠く東北に隔たった山の中の洞窟で、先程の五石神社が建っておる奥にあった。」
臨元斎は淡々と言葉を並べる。暁はただ、黙って耳を傾けていた。
「長旅を経てわしらは奴の塒に攻め入った。すっかり逆上せ上がり、神のご加護があると信じ切っていたわしらは一壺天の手下の妖相手にも怯むことなく、互角に戦った。今思えば奇跡のようなものじゃ。あの時は、確かに神のご加護があったのかも知れん。無我夢中の死闘の末、わし一人が何とか洞窟の奥の一壺天の所に辿り着いた。そこには奴の他に、死んだと思われていた一の姫もいた。わしは姫の姿を見て益々奮い立った。姫を鬼の手から救い出し、姫を得られるのではないかというわしの期待が限りなく現実に近付いた様に感じられた。しかしその期待は儚くも一瞬にして打ち砕かれた。わしが一壺天に挑もうとしたとき、他でもない姫が奴を庇ってわしの前に立ちはだかったんじゃ。それまでの戦いで既に手傷を負っていたわしから、外の手下の戦いなど我関せずといった様子で上座に胡坐をかいて寛いでいる一壺天を。わしが助けに来たはずの姫その人が、わしに向かって帰れと言った。お前さんにその時のわしの気持ちが分かるかのぉ…。世の中の全てに裏切られた気がした。」
暁は黙ったまま、寂しそうに、自嘲気味に苦笑する臨元斎を見詰めた。
「姫は言ったんじゃ。『私はこの方に心奪われた』と。一壺天を主君と仰ぎ、『我が君に刃を向ける者は私が許さぬ』とも。わしは姫が鬼に誑かされているのだと思った。そう信じたかった。そこで姫に切々と訴えた。わしが勅命を受けて姫を助けに来た事、わしがそこに辿り着くまでに大勢の武士と神職が命を投げ打った事、右の大臣が姫を案じている事、神のご加護でここまで来た事、正義がわしの側にあると、思いつく限りの事を語ったが、姫の心は変わらなかった。わしは姫が既に鬼の力でも得たのかと思った。血に塗れ、剣を携えたわしを前に、武器も持たず堂々と上位の者としてわしに『下がれ』と命ずる姫の姿は、人としての存在を超えているように感じられた。わしは絶望と怒りに我を忘れた。わしと姫とのやりとりを姫の後ろで詰まらなさそうに見ていた一壺天が欠伸をしたのを見て、理性が吹っ飛んだ。奴だけは許せんと。わしは姫を押しのけて脇息に凭れ掛かって欠伸をしている一壺天の胸に伊邪七岐を突き立てた。油断しきっていた向こうも悪いと思うが正直、自慢できる戦い方ではなかった。それでもわしはそれで奴を倒したつもりだった。だが、奴は剣を胸に突き立てられたまま、一瞬は驚いた顔をしたと思うんじゃが、その後、笑みさえ浮かべながら言った。『こんな剣で俺を倒せるとでも思っているのか?』と。あの時は本当に恐ろしくてゾッとした。剣を突き立てているのはわしの方なのに、向こうはそれでも勝ち誇った顔で反撃もしてこない。奴を滅多刺しにせねばと焦って剣を引き抜こうとしたが、奴が自ら剣を掴み、抜かせなかった。今の、那由他と名乗るこやつからは想像もつかぬ恐ろしさを纏っていた。顔立ちは同じだが、その顔を直視する事が命を摩り減らしているようにすら感じられる程に恐ろしい顔なんじゃ。至近距離で、奴と目を合わせている間は、伊邪七岐を持つ手が震えるのを必死で抑えている位じゃった。それからがいまだによく分からんのだが、奴が『面白い』と言った途端、剣を刺した辺りがやたらと眩しく光って、わしは思わず奴から目を逸らした。その時、急に握っていた伊邪七岐から妙な手応えというか、動きを感じた。そして光と影が渦を巻いたような塊がわしの脇をすり抜けて行くのが見えた。本当に、ほんの一瞬で、それが一体どのように見えたのか今でもはっきりとは思い出せないんじゃが。その塊が、すぐ側で悲鳴を上げている一の姫に突っ込んで行った。姫は、わしが一壺天に切り込んで行った時から叫んでいたのだと思う。わしに突き飛ばされて、倒れた身を起こし、叫び声を上げているところへ例の塊が姫にぶつかり、塊は消え、姫は気を失って倒れた。わしは、奴の胸が光った後、急に手応えが無くなり、空を切ったようになってよろけた。逸らした目を一壺天の方に戻すと、奴の姿は無くなり、奴の着ていた衣と、奴が首から下げていた勾玉の数珠飾りだけが床に落ちていた。」
当時の事を思い出しているのだろう。臨元斎は戦いの話をする時、興奮を隠し切れないようだった。暁はただ黙って頷く。ふぅ、と一度大きく息をついて少し落ち着きを取り戻し、臨元斎は言葉を続けた。
「それからがまた大変でな。外に出てみると百名程いた討伐隊は数名しか生き残っていなかった。そして皆が深手を負っていた。京に連れ帰ろうとすると姫はそれを頑として拒み、一壺天の洞窟を去ろうとはしなかった。洞窟の内外は人と妖怪の屍骸が散乱し、その殆どが誰のどこの部分かも分からんような肉片で、正に地獄絵図というに相応しい光景でな。わしらは手負いの者の傷を癒し、亡くなった者達を弔う為に暫く洞窟の周辺に留まった。その間に漸く姫を説き伏せなんとか姫を京に連れ帰った。わしは一壺天を倒し、姫を救い出したということで、まるで神の御使いのような扱いを受けた。皆に誉めそやされ、五石神社を賜り、一の姫の処遇も任された。全てがわしの思い描いていた通りになったというのに釈然としない蟠りが心に残った。一壺天に勝ったとは思えない状況で、姫の心も得られず、なのに周りは囃し立て、帝への報告もつい自分が手柄を立てたとしか聞こえないような内容になっていたと思う。実際わし自身本当は何が起こったのか分からず、他に説明のしようが無かったと言えば言い訳のようじゃが。一壺天やその手下の妖怪共の怨念を封じ、奴らとの戦いに散った者達の魂を慰めるべく、五石神社はあの場所に建てられた。神社の建立を待つ間、わしは京の阿比留神社で姫を保護しておった。その間、せっせと姫を口説いたが、姫の心は固く閉ざされ、わしは一壺天の仇として恨まれるだけじゃった。そしてその頃すでに姫には異変が起きておった。一壺天の洞窟から京までは姫を連れて二月から三月程かかったんじゃが、姫は旅の間中体の不調を訴えておった。何しろ姫には普段考えられん程不便な長旅じゃ。鬼に攫われての暮らしも長かった上、一壺天が消えた事も相当応えておったようじゃし、仕方がないと思っていたのだが、それだけではなかったんじゃ。神社で姫の世話をしていた巫女の話では姫の腹がかなり膨らんでいるという。その事はごく一部の者しか知らない秘密にされたが、姫が鬼の子を宿しているのではという噂がどこからともなく流れ出した。京に戻ってまだ日も浅い内の事じゃ。わしらがどうしたものかと悩んでいる内に、ある日姫が忽然と姿を消した。皆で必死に姫を探した。わしは再び一壺天が現れたのではないかと恐れ、気が気でなかった。そして姫が姿を消した日の翌日、姫は阿比留神社の外の森で見付かった。恐ろしい姿で。姫の腹は引き裂かれ、胴体の部分は血に塗れてぐちゃぐちゃになっておった。それなのに顔だけは無傷で、やたらと安らかで、まるで眠っているようじゃった。およそ人の所業とは思えん残虐さと、周囲に争ったような形跡もないことから獣の仕業という事になった。だが、姫が鬼の子を宿していたのではという噂を知る者には他に思うところがあったようで、姫の腹に宿った鬼の子が腹を破って出たのではないかという噂が出た。そして暫くするとまた鬼が出たという噂がそこらで聞かれるようになった。だが、鬼の姿をはっきり見た者がいなかったためあくまでも噂どまりではあったんじゃが。というのも村人全員が胸を抉られ皆殺しに会うというようなもので何者の仕業かがはっきりせんかったんじゃ。そしてまぁ、この通りその噂が間違いでなかった事がはっきりした訳なんじゃが。」
言い終わると臨元斎はまたふぅっと一つ、重い溜息をついた。暁は何と言っていいか分からなかった。那由他が、村人全員の胸を抉るような事をしていたかもしれないという話を聞いてもなお、那由他が残虐で恐ろしい鬼なのだという確信を抱ききれず、もう一人の鬼の所業かも知れないと思い込もうとしている自分の心に不可解の念を抱いた。実際に那由他が臨元斎の胸を抉る瞬間をこの目で見た筈だというのに。神妙な面持ちの暁に向かって臨元斎が尋ねた。
「ところでお前さんは何でこんな奴と一緒にいる?何故奴に喰われない?」
「私にも分かりません。ただ、私は『不味くて喰えない』そうです。それと、私には全く身に覚えがないんですが、私が那由他の大事な物を盗んだそうです。それでその大事な物を返してもらうまで付き合えと言われ、知り合いの神職の所まで行けば何とかなるだろうと言われて臨元斎様をお訪ねしました。結局、何が何だか分からないままこんな事に…。」
そう言いながら、暁の中に後悔と迷いの念が湧き起こってきた。自分のせいで臨元斎と巫女、二人の命が奪われた。奪ったのは那由他だ。こうなる事は暁には予測がついた筈なのに、暁はその災厄を予測し、避ける事を怠ったのだ。少なからぬ自責の念を感じずにはいられなかった。
暁の心中を知ってか、知らずか、臨元斎は淡々と話を続ける。
「そうか…。大事な物を盗んだか…。一体何があったのか教えてもらえんか?」
「初めて那由他に会ったのは故郷の山の中です。私は事情があって母と二人で山奥に隠れ住んでいました。山で薬草や山菜を摘んで生活していたんですが、ある大雨の翌日、いつものように山に草を摘みに行って足を滑らせ、谷川に落ちて気を失いました。次に気付いた時、私は那由他と一緒にいました。なんでも私が川を流れていたから拾い喰いしようとしたけど不味くて喰えなかったそうです。それで一度那由他は私を置いて立ち去りました。なのにその数日後、また現れて、盗んだものを返せと言ってまた私を喰い殺そうとしました。が、やはり不味くて無理だったそうです。それからです。大事な物を返してもらうまで付き合ってもらうと言われて一緒に旅するようになったのは。だから、私には未だにどうして自分が那由他と一緒にいるのか分からないのです。」
「なるほど。取り返そうとしてお前さんを喰おうとしたんじゃな。そして奴はわしのところに魂讃星を取りに来た。」
「魂讃星とは何ですか?」
「わしも詳しくは知らんが、奴の話によると一壺天が首に下げていた鏡の事だそうだ。あれは何やら不思議なものじゃった。丸い水晶を押しつぶした様な薄い円形の珠で、黒と白の数珠の先端に付けてあった。確か周囲に黒い勾玉がいくつか入っておったと思う。奴は鏡と言っておったが、鏡のように何かを映したりはしておらんかったはずじゃ。わしも何かは良く分からず、兎に角禍々(まがまが)しい物だと思ったもので伊邪七岐でもって叩き壊そうとした。が、固くて大変じゃった。小さくて狙い辛い上にやっと刃が当たっても割れることなく飛んで行くんで固定するために専用の台まで作らせたくらいじゃ。それで何度も何度も叩いて漸く罅を入れる事ができた。それから封印を施して五石神社に塚を作って埋めたんじゃが…。魂讃星か…。『あれがあれば痛い思いをせずに済んだ』と奴はわしを喰う前に言った。察するに魂をどうにかする物のようじゃな。お前さんが奴から盗んだというのは奴の魂か命に関わる何かと考えられそうじゃのぅ。」
「魂か、命に関わる何か…?」
『お前が俺の心を盗んだ』那由他に攫われた翌日、暁が何を盗んだのか那由他を追求したときに那由他が暁をからかって言った言葉。あれはまんざらふざけていただけではなかったのかも知れない。心ではないにしろ、魂の一部を暁が持っているとしたら…。『魂の一部を奪われた者は奪った者の言いなりになる。』巫女を半分喰った後の那由他の言葉を思い出す。暁が那由他の魂を喰ったなら那由他は暁の言いなりのはず。だが、そうではない。那由他は喰った人の姿を取り、記憶を手に入れることができると話していた。だが、暁には那由他の記憶など知り得ない。そう考えると、人である暁が鬼である那由他の魂を喰ったなどやはり考えられないのだが、臨元斎の推測ももっともだ。ならば、暁に那由他をどうにかする手立てがあるのだろうか?そんな事を考えていると、臨元斎も同じような事を考えていたようだ。
「お前さんになら、わしにできんかった事ができるかも知れんな。」
暁は少し驚いた顔で臨元斎の方を見た。
「わしには一壺天を倒す事ができんかった。だが、もしお前さんが奴の魂を握っているとすれば、何か手立てがあるかも知れん。お前さんが那由他と呼ぶこの鬼は、元の一壺天からは想像もつかん程お気楽に見えるが、その姿に騙されてはならん。絶対に一壺天を呼び戻してはならん。奴が甦れば、この世は再び地獄と化そう。」
「でも、私にはどうすればいいか分かりません。私には伊邪七岐を使う事もできないし…。臨元斎様が伊邪七岐を使ってできなかった事が私にできるとは思えません。」
「伊邪七岐か…。奴も言っておったが伊邪七岐で一壺天は破れなかった。他の使い道を考えればいいのかも知れんが、伊邪七岐で切るだけでは奴の分身を増やすだけの様じゃ。」
「私にも使えるようになるでしょうか?」
「そうじゃなぁ。明き清き直き心は持っていそうじゃから。精進すれば何とかなるかも知れんな。じゃが、どうすれば伊邪七岐に認められるのかなど正直言ってこのわしにも分からん。いずれにせよ、お前さんなら、伊邪七岐を使う以外の方法で奴を滅する事ができるような気がする。」
暁は当惑した。那由他を殺す?暁が、自らの手で?何のために?どうやって?そんな必要があるのだろうか?確かに人を喰う鬼ではあるけれども、母が喰われたと知った時には、この悪鬼を必ず滅ぼすのだと思ったこともあるにはあったが、暁に那由他を断罪する資格があるのだろうか?自信も確信も持てない。
そんな暁の戸惑いを察したように、臨元斎が真剣な眼差しで食い下がってきた。
「どうか、わしを信じてほしい。奴は、一壺天は、本当に邪悪で恐ろしい鬼なんじゃ。奴はこの世を破滅に導く者。奴のすべてを消し去る事が叶ぬなら、その力を幾分か削ぐだけでも、一命を賭して成し遂げる価値はある。この世の行く末はお前さんに掛かっているかも知れんという事、努々(ゆめゆめ)忘れぬ様に。どうか、天下万民の安寧の為に、できる限りの事をして欲しい。」
暁は臨元斎の剣幕に押されて返事ができなかった。そんな突拍子もないことに一命を賭ける程の覚悟が俄かには持てなかった。そこまで大げさに言われると、余計に生半可な返事ができない気がした。その様子に臨元斎は少し悲しそうな表情を浮かべ、更に言葉を重ねた。
「奴がお前さんを側に置いているのが何よりの証。お前さんに何かあれば、奴も無事では済まんのだろう。せめて、一壺天の完全な復活だけでも阻むと約束してくれ。奴の魂を奴に返してはならん。それに、奴が元の力を取り戻せば、お前さんも無事には済むまい。奴は残忍で情け容赦というものがない。くれぐれも気を許してはならん。」
「わかりました。気をつけます。」
漸く出たその言葉に、臨元斎は安心したようだった。
東の空が白み始めた。
「これで最後のようじゃな。」
暁は『何が?』と尋ねようとしたが、臨元斎は静かにゆっくりと目を閉じながら言葉を続ける。
「どうか、頼んだぞ…。」
その口にする声も、弱々しく幻聴のように消えて行った。
臨元斎の姿が消え、かわりに那由他が現れた。
那由他がゆっくりと目を開く。暁は今の会話を聞かれたのではないかと不安になった。隠れて悪戯していたのを見咎められたような、そんな心持ちだった。那由他が暁を見詰める。暁はドキドキして黙ったままだった。下手に口を開けば言い訳がましい言葉しかでそうにない。それはかえって拙いような気がする。
「ふん、清麻呂め。下手な悪足掻きしやがって。」
無表情のまま、那由他が静かに言い捨てた。
「さっきの話、聞いてたの?」
暁が緊張した面持ちで尋ねた。
「ある程度はな。」
ある程度とはどの程度なのだろうか?気まずくて、暁はそれ以上言葉が紡げず口籠もってしまった。代わりに那由他が言葉を続ける。
「お前は、あいつの言葉を信じるのか?」
正直、暁にはまだ答えが分からなかった。何をどこまで信じていいのか分からず、返事ができなかった。代わりに問う。
「一壺天ってそんなに邪悪な鬼なの?」
「さあな。少なくとも清麻呂にとってはそうだったんだろう。」
「復活したらこの世を滅ぼすなんて事、するの?那由他は一壺天に戻るつもりなの?」
「さあな。いつかは戻るかも知れんが、その前に見付けたいものがある。探し物は二手に分かれた方が探し易いからな。」
「探し物?」
「ああ。探し物だ。」
「何を探してるの?」
「探し物を探している。」
「だから、探しものって何かを聞いてるのよ。」
「探しているから探し物だ。何を探しているのかは分からん。」
「何それ?」
「一壺天はずっと何かを探してた。何百年もの間、ずっと。なのに何を探しているのかは自分でも分からなかった。一体何を探しているんだと思う?」
「自分で分からない探し物なんて…。それって生きる目的とかじゃないの?」
「違う。生きる目的ならあった。」
「何?その目的って?」
「人を根絶やしにする事。諸悪の根源を絶やす事だ。」
さらりと言われて暁は絶句した。先程の臨元斎の言葉を裏打ちする様な事を、那由他自身が口にするとは思わなかった。だが、諸悪の根源とはどういう事なのだろうか?
「どうしてそんな事を?人を絶やす事が諸悪の根源を絶やす事だとどうして言えるの?」
「鬼は人の魂を喰う。その人が持っている姿や能力、記憶や心の全てを手に入れる。だから分かるんだ。人の心がどれだけ私欲に塗れ、捻れ、歪んでいるかが。」
「全ての人がそうとは限らないじゃない?」
「それでも人がいる限り、醜い心は生まれ続ける。」
「人は生まれながらに醜い心を持っている訳じゃないはずよ。きっと、生きて苦労していくうちに仕方なくそうなって行くんだわ。」
「それでも結果は同じだ。」
「違う。他に何かあるはずよ。だって那由他は『今は喰わない人は殺さない』って言ってたじゃない。『やりすぎは良くない』って。もしかしたら、一壺天はその事を探してたんじゃないかしら?人が醜い心を持たずに済む方法を。」
「違うな。そんな綺麗事、考える価値もない。一壺天が探していたのはもっと他のものだ。自分自身に関わるような。決して人の為なんかじゃない。」
「じゃあ何なの?そこまで分かってるなら何を探しているのか位分かりそうじゃない。もしかして、何かを探す事自体が目的になってるんじゃないの?そういう人ってきっと一生探し続けるか、探し物が見付かった途端に死んじゃったりするんだわ。」
捨て鉢加減に暁がそう言い捨てると、以外にも那由他は納得した様子で言った。
「それは近いかもしれないな。見付かった途端に死ぬ…。その死に方を探していたのかも。」
その言葉は、何故か暁の心に痛みを走らせた。そして、何故だか幼い昔の記憶が甦った。
「そう言えば、確か父上も言ってたわ。『武士は死に場所を探している』と。母上はその言葉を聞くと悲しそうな顔をしてたけど。」
「『死に場所』か…。何故『場所』なんだ?」
「分からない。『死に方』でもいいような気もするけど。きっと死に方や死ぬ場所でその人の生き様を量れると考えてたんじゃないかしら?」
「生き様か…。お前は馬鹿だがたまにまともそうな事も言うな。」
褒められていそうでただ貶されただけの様な言葉だったが、何となく暁は気を良くした。
「一壺天の探し物、見付けるの手伝ってあげる。私、探し物を見付けるのは得意なの。」
城の地下牢で金塊の隠し場所らしきところを探り当てた事を思い出し、そんな言葉が口を突いて出た。根拠はないが何故か自信があった。そんな暁を見て、那由他はただ、フッと笑った。




