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旅路

 那由他なゆたははっきり言って目立った。

町中を歩くとき、人に化けるのはいいのだが、一度那由他が化けた男と暁が夫婦に間違えられてあき憤慨ふんがいして以来、女に化けるようになった。それもとびきりの美姫に。まるで暁へのあてつけの様にどれもこれもまれに見るような美女ばかりで、笠を目深にかぶって顔を隠していてさえもその身形みなりや立居振舞いは衆目を集めた。特に男達の目を。並んで歩いている二人はどこぞの姫とその侍女、という風体ふうていだった。成頼から貰った豪華な打掛を着ていてすら暁は侍女扱いだ。大抵の者はただ見ているだけだが、中には思い切って声を掛けて来る者もいた。そしてその男達を追い払うのも暁なので、益々侍女役が板に付いて来る様だった。

町から外れ、そろそろ化ける必要もない田舎道に差し掛かった頃、たまりかねて暁がこぼした。

 「何でいつもいつも目立つ人に化ける訳?折角人に化けてるのにあんなに人目についたら意味がないじゃない!」

 「鬼のままではまずいとお前が言うから人に化けてるだけで別に俺は逃げ隠れする必要はないんでね。目立とうが人の格好なら問題ないだろう?大体こないだ夫婦と間違えられてお前が男と一緒なのを嫌がるから女に化けてやってるんだろうが。まぁ、今まで喰ったのも圧倒的に女が多いから俺にとって不都合はないがな。」

 『圧倒的に女が多い』というあたりにカチンときた。暁自身も何故かは分からないのだが何だか腹立たしい。しかも今まで那由他が化けてきた選りすぐりの美女達を見ると、自分が『拾い喰い』扱いされても仕方ないのだろうという悔しい納得の仕方をするしかなかった。

 「『圧倒的に女が多い』ならもう少し普通の女もいるでしょう?私を『拾い喰い』しようとした位なんだから他にも『拾い喰い』程度の女がいるんじゃないの?」

 不貞腐ふてくされつつ暁が尋ねた。実はあまりにも美女ばかりで隣にいる自分がいつも見劣りするのが悔しくて、つい言ってしまったのだ。それに何故だか、那由他が今までにあれだけの美女の口から魂を吸い出していたという事実を目の当たりにするも無性に苛立たしかった。そんな暁の気持ちを知ってか知らずか、那由他はさも面倒臭そうに言う。

 「そうだなぁ。そう言えばこないだ『拾い喰い』した年増の女なんかみすぼらしくてお前とは似合いかもな。」

 そう言って那由他が姿を変えた。その瞬間、暁はとんでもないものを目にして驚愕することになる。

 「母上!」

 那由他好みの上等そうな衣に身を包んではいるが、それは紛れもなく暁の母、時の姿だった。

 「嘘でしょ?那由他が母上を?何で?一体どういう事?」

 混乱する暁はそれ以上言葉を続ける事ができなかった。ただただ、涙が溢れ出す。母を喰った那由他に対する怒りと、再び母を目にした懐かしさと、母を盾に取られて那由他を憎めなくなっているような、複雑な心境だった。

 「暁…。」

 目を見開いて呆然とする暁の頭を、母がそっと自分の胸元に抱き寄せる。その動きは暁が幼い頃泣きはらしているときに母がしたのと同じ仕草だった。

頭の片隅をまた那由他が暁をからかっているのではないかという思いがかすめたが、懐かしい母の胸で、暁は久方ぶりの安らぎを感じていた。

 「おい、そろそろ落ち着いたか?」

 その言葉にハッとして目を上げるといつの間にか元の姿に戻った那由他がいた。

暁はぎょっとして飛びのくと、気恥ずかしさを誤魔化そうと怒りをぶつける言葉を探すのだが、舌が上手く回らなかった。

 「ちょ…ちょっと、一体どういう事か説明してよ!何で那由他が母上を?酷いじゃない!」

 本当は罵詈雑言の限りをぶつけてやりたかったのだが、適当な言葉が見付からず、そんな理由で自らの無知が情けなかった。

 「さっきの女がお前の母親だったのか。道理で俺がこんな事してる訳だ。それにしても油断も隙も無い。表に出した途端に俺を乗っ取ろうとしやがった。」

 暁には何が何だかさっぱり分からない。だが、『表に出した途端乗っ取ろうとした』と言うのが気になる。

 「それってどういう事?分かるように説明して。」

 少し冷静になって暁が尋ねた。

 「お前があんまり不味くて喰えなかったから他のを探してたら近くに死に損ないの気配がしたんでちょっと齢だったけど飢えしのぎに喰ったんだ。そしたら大した魂でもないくせに、やたらとこの世に未練を残したらしくてなかなか取り込めなかった。ちゃんと取り込めてたらお前の母親だったって分かってたんだがな。」

 「まだよく分からないんだけど、さっきのは本物の母上だったって事?」

 「さっきのはお前の母親が俺の体を乗っ取って勝手にやった事だ。俺の意思じゃない。」

 「じゃあ、母上はまだ那由他の中で生きてるの?」

 「魂自体は生きている。どの魂も俺の中に移動しただけで滅びはしない。さっきのはあの女の意思がまだ残っていたという事だ。まぁ、さっき俺を乗っ取ろうなんて無茶をしたからもう押さえ込んだがな。」

 「なら会わせて。もう一度母上に。」

 「嫌だ。」

 「何で?那由他のケチ!意地悪!」

 「それが人にものを頼む態度か?それにさっき言った通り無茶したからもうなくなってるんだよ。お前の母親の意思は。そうそう乗っ取られちゃたまらないから急いで取り込んだんだ。そのうち気が向いたらまた化けてやるよ。」

 その言葉に、暁の中で那由他に対する怒りが燃え上がった。『いつか、この悪鬼を滅ぼしてやる!』

 怒りに燃える暁など全く気にしない様子で、那由他はいつものように飄々(ひょうひょう)と、更に暁の怒りの火に油を注ぐ様な事を口にする。

 「それにしても娘は不味くて喰えない、母親は消化不良を起こす、とんでもない家系だな。」

 「失礼ね!誰も鬼に美味しく喰べられる為に生まれてきたんじゃないんだから!こっちから言わせてもらえば『いい気味』だわ!」

 「ふん。別にお前みたいな小娘喰えなくても痛くも痒くもないね。他に美味しい美人がいくらでもいるんだから。それに偉そうな口を利くが、それなら一体何の為に生まれて来たと言うんだ?それはそれはご大層な理由があるんだろうな?」

 そう言われ、暁は言葉に詰まった。

 『私は、一体何の為に生きてるの?』

 弟には家名を再興させて父の領土を取り戻すという大望があった。自分も、願わくばその一助を担いたい。それは、つい先日からの一連の騒動で高峯城に行ったり、弟に再会したりして辿り着いた目標だった。それまでは、ただ、生き延びるために生きていた。こそこそと人目を忍び、逃げ隠れしながら、誰にも存在を認められる事なく、ただ生きるのに必死だった。『いつか姫に戻れたら…』という儚い夢すら見たことがないのかと言えばそんな事はないのだが。それこそ、暁が鬼に喰われたところで誰が困るというのか?どうせ見付かれば、先の領主の血を引く者だと分かれば、殺される身だったのだ。それでも生きたかった。何の為に?

 「私は…そんな『ご大層な』理由はないけど、兎に角私の人生を生きたい。理由が無ければ生きてはいけないの?生きたいから生きる、それのどこが悪いの?」

 「別にそれが悪いとは言わない。ただ、お前があんまり偉そうな口を利くから聞いてみただけだ。そもそも生なんて死とそれ程大差はない。この世の全ては繋がり廻るだけだ。どんなご大層な事をしようが、人など所詮死ねば一握りの土に過ぎん。お前に限らず、人一人、生きようが死のうが何も変わりはしない。全ては在るべくしてそこに在り、繋がり廻るだけなのだから。生きている間に何を成したかなんて本人の自己満足に過ぎない。」

 いつもふざけてばかりいる那由他が急に真面目な事を言い出したので暁はからかわれているのか、真剣に話しているのか判断が付きかね、戸惑った。

 だが、那由他に言わせれば暁の命など何の価値もないように聞こえて、自分の存在そのものを否定されたようで悲しかった。

 「なら、那由他は何の為に生きてると言うの?何の為に人の命を弄ぶの?」

 「俺は別に人の命を弄んでる訳じゃない。人だって生きるために食い物を食うだろう?俺も必要だから魂を喰ってる。ただそれだけだ。そして生きる理由はさっきも言った通り、自己満足の追求だ。」

 「那由他の自己満足って何?」

 「さあな。忘れた。敢えて言うなら、適度な良識を持って本能のおもむくままに行動することかな。」

 「何それ?要は自分の好き勝手に生きてるってこと?」

 「まぁ、そういう事だ。ある程度やり過ぎないように気をつけながらな。」

 「那由他はお気楽で結構ね。」

 「どうだかな。お前程ではないはずだが?」

 「どういう意味?私だって色々苦労してるんだから。」

 何故お気楽そうだと言う暁の評価を素直に認めようとはしないのか?暁は少し引っかかった。那由他は何か隠しているような、そんな気がした。だが、こんな好き勝手に生きていると公言してはばからない鬼に、一体何の苦労があると言うのか?暁には見当もつかなかった。そして春彦との会話を思い出す。『山で暢気に暮らしてた姉上に何がわかるって言うんだ?』日々 おびえ、不安を抱えての貧しい生活が、それでも世間的には気楽だったというのか?

その疑問に答えるかのように那由他までもが春彦と同じ様な事を口にする。

 「山奥で他人と交わる事も無く自分のためだけに生きる自由があったなら、多少の不都合は苦労とは呼べん。人の醜さに晒される事もなく、世の中の厳しさも知らない世間知らずの言葉だな。」

 暁はその言葉に反論できなかった。

 「どうせ私は世間知らずで何の価値もないわよ。私なんていてもいなくても同じなら、もう放っておいて!那由他にとっては私なんてどうでもいいんでしょ?」

言いながら、心の奥底に沈んでいた思いに気付く。『誰かに必要とされたい。』という思いに。

 「お前は俺の言葉の意味を正しく理解できてない。『全ては在るべくしてそこに在る』と言っただろう?どんなにつまらないものでも、全てのものは必要だからこそ存在するんだ。全てのものは互いに支え合っている。何かが一つ欠けてもこの世は形を保ち得ない。何の役にも立たないお前のような小娘も、この世に必要だからこそここにいるという事だ。生も死も大差ないと言ったのは肉体を失っても魂は滅びないからだ。他のものと混ざって形を変える事はあったとしても、存在そのものは無くならない。そしていつかまた廻ってくる。お前の母親の魂はもうかつてのものではないが消えた訳じゃない。俺としてまだ生きている。その事に関してお前が俺を恨もうが、それはお前の自由だ。」

 暁には那由他の言っている意味が理解できているのかどうか自分でもよく分からなかったが、自分の存在を否定されたのではない事、否、逆に無条件に肯定された事は分かった。そして母の死に関して那由他を恨む気にはならなくなっていた。

だが、それ以来暁の中で自問自答が繰り返される。『私は一体何のために生きているのか?』と。

高峯を出て早くも一月以上。途中で梅雨の長雨に阻まれたこともあるが、なかなか那由他の言う目的地に着かない。暁がすっかり那由他に馴染んできた矢先の事だった。


 旅の途中、那由他はよく姿を消した。

暁も四六時中一緒にいるのも疲れるし、互いに食べるものも違うからそれはそれで助かった。いつも、いつの間にかいなくなっていて、いつの間にかまた横を歩いている。本当に目的地に向かっているのか?ただ適当に道に沿って歩いているだけではないのかと思えるような、そんな旅が続いた。

 

 山々はすっかり深緑に覆われ、この地方では短い夏を迎えた。

 那由他がまたどこかへ消えてしまい、暁は一人で人里離れた山道を歩いていた。そろそろ日が暮れる。今夜は野宿かと思っていると、薪を背負った若い男に声を掛けられた。

 「おや、娘さん一人かい?」

 「ええ、今は。」

 「旅の人だね。もう日が暮れるよ。今夜泊まるところは決まってるのかい?」

 「いえ、野宿でもしようかと…。」

 「そいつはやめといた方が良い。最近この辺りには鬼が出て、若い娘を獲って喰うらしいから。」

 『那由他だ!ふらふらどっかへ行ってると思ったら娘を喰べに行ってたんだ。』

 「良かったら家に泊まっていくかい?しがない男の独り身だから大したもてなしはできないが。」

 「え?いいんですか?助かります。」

 女を喰いに行っていつ戻ってくるか分からない那由他を待つために夜露に濡れて野宿なんてやってられない。夏とは言え山間やまあいの夜は冷えるのだ。暁がそう考えて返事をすると、

 「よぉ、待たせたな。あれ?こいつは?」

笠で頭を隠してはいるものの、人に化けもせず、派手な衣装に身を包んだ大柄な那由他がいきなり現れたのだ。暁に声を掛けていた男は面食らった様で、

 「なんだ、お連れさんがいるのか。なら大丈夫だね。」

と言ってそそくさと立ち去ってしまった。

 男が行ってしまうと、那由他が暁にボソッとこぼす。

 「お前なぁ、自分でちゃんと独り身だって言ってる男にのこのこ付いて行ったらどうなるか分かってんのか?」

 「はぁ?親切な人で折角今夜泊めてくれるって言ってくれたのに。那由他のせいで今夜は野宿じゃない。」

 「あのなぁ、それなら今からでもさっきの奴を追いかけて行けよ。体よく手篭めにされるのがオチだがな。」

 「そんな訳…」

『ない』とは言い切れない。が、素直に那由他の意見を認めるのは悔しい。

 「さっきの人は那由他と違って親切そうだったからきっと大丈夫だったわよ。皆が皆那由他と同じ事考えてるとは限らないんだから!」

 「馬ー鹿。誰がお前みたいな小娘に手を出した?俺は目も口も肥えてるんでね。上玉しか相手にしないんだよ。でもそんなに男に飢えてるなら、お情けで相手してやってもいいぞ。」

 「誰があんたなんか!冗談じゃないわよ!」

 耳まで真っ赤になってそう叫んだ暁は自らの心臓がやたらと激しく脈打っているのに気付いていなかった。


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