旅立ち
那由他は一息ついた様子で徐に立ち上がるとポツポツと歩き始めた。
桜の下でぼんやり座っている暁をふと振り返って言う。
「おい、早く来ないと置いてくぞ。」
暁は縁を切りたいと思って同行する事にはしたが、別に一緒に行きたいとは一言も言っていないのに、そう言われてつい、
「あ、うん。」
と言って立ち上がり、後を付いて歩き出してしまった。歩きながら自分でも不思議で、腹も立って来た。『私は好きで一緒に行く訳じゃないのよ。人に同行を頼むならもう少しましな言い方とかあるでしょうが!』そんな事を思いつつも昨夜の事が気になった。春彦は暁の事を捜すだろうか?金塊の事も言いそびれた。勘助という老人は本当に味方なのだろうか?それともただ金塊を狙って近付いてきただけなのか?そんな事を考えていて、ハッと思い出す。勘助が持たせてくれた袋がないのだ。
「あ!ない!なくなってる!」
きっと那由他に担がれ、あちこち飛び回っている間に落としてしまったのだろう。
「何だ?どうした?」
暁の叫び声を聞いて那由他が尋ねた。
「お金の入った袋がなくなってる!那由他のせいで落としちゃったんだわ!あんなぴょんぴょん跳ね回るから!」
折角勘助がくれたのに。あんな遊郭の下郎などをしながら不自由な体でやっと貯めたお金だったのだろう。それをこんな短時間で失くしてしまったかと思うと胸を締め付けられる様だ。そんな大事な物を失くしてしまった自分自身に対する自己嫌悪、そして元凶となった那由他への苛立ちに心臓を掻き毟られるようだった。そもそも暁は借りてるだけでいつか返すつもりでいたのに。
「何だ。金くらい。すぐ返してやるよ。どれくらい入ってたんだ?」
いとも簡単そうに言う。
中身を確認していなかったのでよく分からず、暁は手振りで答えた。
「これくらいの袋に一杯。」
「なんだ。大した事ないじゃないか。大騒ぎするなよ。」
確かに昨夜、那由他が宿の女将に渡していた袋から考えれば大した額ではないだろう。
『鬼ってお金持ちなんだ…ってどうやってお金を手に入れてる訳?やっぱり人を殺してとか?』
そんな考えが頭に浮かぶと気安く『返せ』とも言えなくなる。
「今持ち合わせがないから次に大きめの町に着いたら返してやるよ。」
そう言われると、『やっぱり人から奪う気なんじゃ…?』と思えてしまい、暁はどう答えていいか分からなくなってしまった。
そうこうしながら歩いて行き、二人は別の町に着いた。いつの間にか那由他は昨日とは違う男の姿になっていた。
『いきなり通りすがりの人を襲ったりしないでしょうね?』と少々心配しながら暁は様子を見守っていた。
その日は町に市の立つ日のようで、町は賑わっていた。町に入ってすぐの市の外れに何やら小さな人だかりができている。男達が賭け事をしている様だ。那由他はつかつかとそちらに向かう。暁は少し遠巻きに眺めていた。
一人の客が、
「くそ!一体どうなってるんだ!」
と悔しがりながらその場を離れた。
「次、誰か賭ける奴はいないかい?」
賭けを仕切っている男が呼びかけるが、先程の男の悔しそうな姿を見てか、誰も名乗り出ない。那由他が暁に手招きをした。暁が恐る恐る近付くと、
「俺が勝負しよう。」
那由他が賭博師の男達に言った。
「大勝負がしたい。そっちの有り金全部掛けてくれ。」
男達が顔を見合わせてから台の上に布袋を一つ置いた。
「何だ。これっぽっちか。」
那由他が残念そうに言う。実際暁が持っていた物より一回り小さい。
「まあいいか。こっちは今持ち合わせがないからこいつを賭ける。大した事ないが売ればそっちよりはましだろう。」
那由他が暁を指して言った。
「え?ちょっと待って!」
焦る暁に、
「いいから黙ってろ。大丈夫だから。」
と那由他。
「まあ、こっちは良いけど後で文句言うのはなしにしてくれよ。」
と男の一人。ニヤニヤ笑いながら言う。
「ああ、勿論。」
と那由他。そして賭けが始まった。
「大丈夫かねぇ。あいつらいかさましてるみたいなのに。」
見物人の一人が暁の後ろで呟いた。
『いかさま?それってこっちに勝ち目なんか無いじゃない!どうしてくれるのよ?』青い顔で逃げようと後ずさる暁の腕を那由他が掴んでその場に留めた。目は賭博台の上を向いたまま。
そして男達は勝負を始めた。
賭けは至って簡単なものだった。台の上に伏せてある三つの小箱。その一つに小さな赤い玉を入れる。男の一人が素早い手つきで三つの箱を入れ替え、最後に玉の入った箱を当てれば勝ち、外れれば負け、というものだった。
那由他は動く箱を目で追った後、真ん中の箱を選んだ。箱を動かしていた男が勝ち誇った様にニヤリと笑い、暁は心臓を鷲掴みにされた気分だった。
男が箱を開けた。
そこには例の赤い玉が転がっていた。
「俺の勝ちだな。」
那由他の言葉に箱を開けた男が驚いて手元を見る。確かに玉があった。男は慌てて自分の掌を開いたり、他の残る二つの箱を開いたりした。何れも空であるのが皆の目の前に晒された。
暁はほっと胸を撫で下ろした。
「じゃあ、こいつはもらっていくぞ。」
那由他は台の上に置かれた小袋を抓み上げるとその場を離れた。
立ち去る二人の後ろから男達の言い争う声が聞こえた。
「何やってんだ、馬鹿野郎!」
「信じてくれ!ちゃんといつも通りやったんだ!」
片手に巻き上げた袋をぶら下げて那由他が言う。
「これっぽっちじゃ足りないな。ちょっと増やしてくるからお前は市でも見物してろ。」
「え?」
暁が返事をする間もなく、那由他は人ごみに消えていた。
そこそこ大きな市だった。あまり山を下りた事のない暁には珍しいものばかりで、さまざまな露店は見ているだけでも十分楽しめたのだが、良い着物を着ているせいか、暁は行く先々で呼び止められる。持ち合わせがない暁は売り込みを断るのにいい加減疲れてきていた。
『まったく那由他ったらどこ行っちゃったのよ?このまま私が逃げ出すとか思わないのかしら?それとも逃げても見つけ出す余程の自信があるって事?』などと考えていると、
「娘さん、一人で買い物かい?」
こざっぱりした身形の若い男に声を掛けられた。
「あ…はい。」
何と言って良いか分からずそう答えてしまった。
「何か探しものなら手伝うよ。」
「いえ、見ているだけなので。」
「じゃあさ、向こうに面白い店があるから案内するよ。」
『もしかして店の客引き?』と思った暁は、
「いえ、今持ち合わせも無いので結構です。」
そう言って男を追い払おうとしたのだが、男は
「じゃあ俺が何か買ってやるよ。」
しつこく付き纏って来る。
『困ったなぁ。どうしよう?』
下手に何か受け取ったら何をされるか分からない。先程那由他に負けた賭博師たちをふと思い出した。もしかするとあの賭博師たちが那由他に負けた腹いせに他の仲間を使って暁を攫いに来たのかもしれない。何とか逃げなくては、と暁は思った。
今まで買い物など滅多にしたことのない暁には、先程から目にするものが次々と気になって、『何か買ってやるよ。』の一言は大きな誘惑ではあったのだが、ここは理性を優先させる。甘い話には罠が付き物だ。
「本当に結構ですから!私、そう言えば急用を思い出した。急いで行かないと!」
そう言って人ごみに駆け出そうとする暁の手首を男が掴んだ。
「まあ、待てって。俺だよ。那由他だ。」
手首を掴まれて驚いた暁は叫び声を上げる寸前だったのだが、男の言葉にきょとんとして男の顔をまじまじと眺めた。そんな暁に男は悪戯っぽく目配せした。
「まったく。こうころころ姿を変えられたら分かる訳ないでしょう?」
「賭場で荒稼ぎして目を付けられたんだ。追っ手を巻くのに手っ取り早いだろう?」
言いながら懐から大きな袋を取り出した。
「ほら、言ってた金だ。ちゃんと返したぞ。」
暁の手にずっしりと重い袋を握らせた。かなりの量だ。
「これ、ちょっと多すぎる。私が失くしたのはこんなに無かったから多い分は返すわ。」
正直に言うと、
「気にするなって。どうせ俺にはどうでもいいものなんだし。欲しけりゃいくらでも手に入るんだから。それよりこれからちょっと長旅になりそうだからその準備にでも使えよ。」
「え?長旅ってどういう事?」
『ちょっと』付き合うだけのつもりだったのに長旅では話が違う。
「ここから北にある何とかって国の五石神社ってとこに行く。そこに昔馴染みの神職がいてね。奴に会えばなんとかなりそうなんだ。俺一人ならすぐなんだがお前が足手纏いなのが分かるか?だから『長旅』になりそうなんだよ。」
好きで行く訳ではないのに『足手纏い』扱いされて暁は不愉快だった。
「足手纏いなら置いて行ってくれて結構よ。私は別に行きたくて行く訳じゃないんだし。」
「お前が一緒に行かないと意味がないんだよ。それとも一生俺に付き纏われたいか?」
それだけは勘弁して欲しかった。振り返ってみれば初めて那由他に出会って以来ろくな目に会っていない。
「ふう…。」
重い溜息をついて暁は答えた。
「分かったわよ。行けば良いんでしょう?それであなたとの縁がきれいさっぱり消えてなくなってくれるなら『もうちょっと』だけ付き合ってあげるわよ。」
「なかなか物分りが良いじゃないか。」
那由他が満足そうにニヤッと笑う。
「それにしても頭にくる。どうせ私は『大したことない』わよ。だからっていくらなんでもあんなはした金の為に賭けに出すなんてひどすぎる!負けたらどうしてくれるつもりだったのよ?それともいかさまか何かで絶対に勝つ自信でもあったの?」
苛立ち紛れに先程からずっと胸に燻ぶっていた憤懣をぶちまけた。
「ああ、負ける訳がない。」
「何かいかさましたんだ。」
『やっぱり』と思いながらも興味があったので聞いてみた。
「いかさまやってたのは向こうの方なんだぞ。あいつら、三つの箱を入れ替えて中に玉の入ってる箱を当てさせてたが、あれ、本当は箱は全部空なんだ。箱に玉を入れた直後に箱を動かしてる奴が自分の手の中に玉を隠して、客が選んだ箱が空だと分かってから他の箱を開ける時にさもそこにあったかのように玉を戻すんだ。」
「じゃあ、何で那由他が勝ったの?」
「前にも言ったが魂はより強い魂に従うんだ。男の手の中の玉は俺の好きな場所に自ら移動したんだよ。だからあいつら驚いた顔してたろう?」
那由他はとても楽しそうだった。賭場でも同じ事をしたのだろう。さいころでも何でも自分の思うとおりにできるなら、大金をすぐに手に入れられるのも頷ける。
「鬼って便利ね。それに案外まともなんだ。」
「どういう意味だ?」
「私、鬼ってすぐ人とか殺しちゃうのかと思ってたから。正直、那由他がお金を手に入れるって言った時、人を殺して奪い取るんじゃないかと心配してたの。」
「ああ、別にそうしても良かったんだが、俺は今は無意味な殺生は控えてててね。喰わない奴は殺さない。喰いたくもない奴殺して無理して喰うのも面倒だし、賭けに負けた奴らの顔見るのも楽しいしな。」
それを聞くと『やっぱりこいつ、性格悪い。』と思わなくはないのだが、『喰わない奴は殺さない』という部分が少し暁を安心させた。逆を言えば『喰いたい奴は喰い殺す』になるのだが…。自分は喰い殺されないと分かって安心感があるせいか、暁は『疫病神』と思っていた那由他と少しずつ打ち解けて話ができるようになってきた。
そんなこんなで二人の旅は始まったのだった。




