忘却居眠り
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と、内容についての記録の一編。
あなたもともに、この場に居合わせて、耳を傾けているかのように読んでいただければ、幸いである。
こうやってアニメとか特撮を観ていると、出てくる技ってとんでもない威力よね。
設定によると数兆度の火炎とか、マイナス数万度の冷凍ビームとか、宇宙誕生のエネルギーをぶつけるとか……現実に実現したら、何もかもが壊れて、色々と楽になれそうよ。向こうの世界っていうのは、この世よりよっぽど頑強なんでしょうね。
その点、私たちはしばしば限られた環境を守ることに、神経質に力を注がなきゃいけない。予定している開発が、自然にどのような影響を与えるか考える必要があるし、アフターケアだって考えなきゃいけないでしょ。
絶滅種だとか保護・保全の区域だとか、昔から存在しているものを、守らんとする動きだってある。今のところ、この青い星しか命の住める場所は確認されていないんだから、えらく慎重になるわよね。
ひとつだけだから、大切にしてもらえる。人間もしかりで、かけがえのない存在でないと、ぞんざいに扱われることがままある。
特別な存在に憧れる気持ちってさ、そのまま大切にしてもらいたいって気持ちの表れだと思うのよ。本当に大切にしてもらえるかは、分からないけどね。
そんな「特別」をめぐる話、最近またひとつ仕入れることができたの。どう、聞いてみない?
私の友達の話になるわ。
中学二年生で、ちょうど今頃と同じ秋の頃。授業、休み時間を問わず、クラスでは居眠りする人が増え始めたらしいの。
元から居眠りをする人だったら、生徒も先生もさほど気を払わなかったわ。給食もないから、配膳のために起こされることもなく、朝からぶっ続けで掃除の時間まで眠ったという人が、過去にいたとかいないとか。
友達の隣の席になった女の子も、居眠りの機会が増えたのだそうよ。一年生の時からの付き合いで、授業にも行事にも積極的に前へ出て、停滞しそうな空気に穴を開ける切り込み隊長みたいな印象を受けていたって。
その子が二学期に入ってからは、これまで前のめりになって授業を受けていた姿がすっかり減り、それどころかのめり過ぎて、腕枕をしながら机に突っ伏すことが多くなったの。
友達は、あまり他人の事情に踏み込みたがらない性格。何かと疲れが溜まるようになったんだろうと思って、初めのうちは気にしていなかった。
でも、ある休み時間。体育のために着替えて移動しなきゃいけない時に、まだ寝入っている友達の肩を叩きかけて、はっとしたの。
身体が冷たくなっている。よく見ると肩が動いておらず、手を顔の前にかざしてみても、鼻や口からの息吹を感じない。
「これ、まずいんじゃ?」と名前を呼び掛けようとした時。
彼女のお腹の辺りが、ひとりでにもぞもぞと動いたのを、友達は見たわ。突っ伏しているがために余裕が生まれているだろう、ブレザーとブラウスのすき間がね。
ボタンで留められた合わせの部分をこじ開けようとしているのか、ちょっとずつ場所をずらして、何度も何度も内側から生地が突き上げられたそうよ。
それが数秒で止んだかと思うと、彼女はがばっと飛び起きる。左右をきょろきょろ見回して、みんなが着替えているのを見たらしく、いそいそと準備を始めたわ。その時、友達が見た限りでは、ブレザーやブラウスの下には、あのもぞもぞと動きそうなものは入っていなかったみたい。
彼女が眠りこけなくなるのは、更に10日ほど経ってから。以降の彼女は一学期の時の勢いを取り戻して、居眠り魔人だったあの姿こそ、夢だったんじゃと思うほどになったわ。
復帰するまでの間、友達はずっと彼女の様子を警戒していたみたい。声を掛けられる時には起きることを促したけれど、直接身体に触るのはごめんだった。あの得体の知れない「もぞもぞ」が、また出てくるかもしれなかったから。
あの動き、自分が苦手とする節足動物のものに似ている。藪をつついてなんとやらで、何かの拍子に頭がにょきっとのぞいた時には、とうてい悲鳴を抑えられないと思ったって。
元々の性分もあって、彼女とは今まで通りに接しながらも、例のことについては一向に訊かなかった友達。
その間もクラスでは常習犯、優等生を問わずに居眠り病が蔓延。先生方も最初の1,2回は注意すれど、それ以降はあきらめてしまったようで、声をかけなくなってしまったわ。
そしてある晩。友達は夢を見たわ。
掛け布団をかけて眠ったはずの自分が、敷布団の上へそのまま投げ出されている。それ以外はいつも通りの自分の部屋だったけど、突然、風が吹きつけたわ。そのまま凍りついてしまいそうなくらい、冷たいものが。
この時、友達は夢を夢と思えなかったようで、特に逃げようとは感じなかったとか。
自分を呼ぶ声で、目が覚める。
そこは学校。腕の痛さと、横向きになっている景色から、友達は自分が突っ伏した状態で寝入っていたことに、初めて気がついたそうよ。起こされたのも、あの時の彼女と同じく体育の前。授業の3コマ目だった。
その間の記憶が、ぜんぜんない友達。彼女を含めた周りの人に聞くと、学校に来てからずっと眠っていたとのこと。家に帰ってから、家族に自分の朝の様子を尋ねると、いつも通りに起きて、出ていったと告げられたわ。「どうしてそんなことを聞くの?」と疑問を貼り付けた表情を浮かべながら。
友達は怖くなったわ。
記憶が飛んでしまっていることもあるけど、それ以上に彼女と同じような状態で過ごしていた事実に、胸が冷える。ならば、あの「もぞもぞ」も身体を這っていたかも知れないから……。
それからというもの、友達は横になる時にお腹をさするようになった。あの時に見た「もぞもぞ」が現れて、お腹の上に這わないようにと、意識してのことだった。
それでも、知らぬ間に眠ってしまう事態がたまに起こったようで、長いと朝から昼まで記憶がなかった時があったとか。
学校でも、座っている時は極力、お腹をさするようにしていた友達。また知らぬ間に眠りこけてしまうかも知れない、その時に備えてのことだった。おかげで、隣の彼女を初めとする何人かからは「お腹が痛いの?」と心配される始末。
それらの言葉を、軽く流していた友達。あの記憶が飛んでしまうほどの眠りはなくなったけど、数日後の昼休み。本当にお腹が痛くなり出してしまったの。
。
便秘に似ていたけれど、水分を取ったり、便座に腰かけてさすり続けたりしても、一向に良くならない。無理に踏ん張ってすっきりしようとすると、槍の先が穴から出てくるんじゃないかと思うほどの痛さが、菊座に走る。
涙をにじませながら、手近なクラスメートに保健室に行くことを告げた彼女は、返事を待たずに教室を後にしたわ。
廊下はまだ良かったけど、難関だったのは階段。一歩下るたびに、今度は槍の先が身体の中を向いて、内臓を突き破ろうとするかのごとき苦しさ。周りに人がおらず、情けない姿を見られないというのが、唯一の救いだったとか。
腸を刺激しないように、と手すりにつかまりながら、そろそろと下っていく友達。手のひらも漏らす声も震えに震えて、それでも時折走る痛みに顔をゆがめつつ、踊り場に降り立った。
これをあと数回は繰り返すのか、と鬱になりかけ出した時だったわ。
あの夢に見たのと同じ、冷たい風が吹きつけた。はっとした時には、身体が固まってしまったの。
音は聞こえず、しゃべるのもまばたきすることもかなわず、心臓がうつかすかな脈と、お尻からお腹にかけて熱の塊がせりあがってくるのを感じるばかり。
ほどなく、下り階段を上ってくる人影があったわ。茶色い雨がっぱに身を包み、足元は裸足。フードを目深に被っていて表情はうかがえなかったけど、手袋をしていた右手に乗せている、黒いものは認識できる。
10センチほど屹立した足と、それに支えられた胴体。ドームの形に近い立体的なフォルムは、友達が最も苦手とするクモを思わせた。けれども8本あるはずの足は6本しかなく、代わりに頭部と思しき場所に、スポイドのような管がついている。それが人影の手の上で、盛んに足踏みしていたの。
叫べず、逃げれず、目も閉じれずな友達へ近づいたカッパの人物は、そのクモらしくものをそっとお腹へくっつけてきたの。脈と熱しか感じていなかった身体に、足の這い回る感触が加わる。
泣きたかった。倒れたかった。でも、そのいずれもできず、視界も人影を捉え続ける他なかったの。
無遠慮にお腹の肉を押しながら動く、いくつもの足。それがあの熱源のいる場所と重なるや、新たに痛みが感覚に加わった。注射の時に針を刺された時と同じで、「ああ、刺された」と友達は感じたみたい。
熱が抜けていく。お腹が冷めておさまっていく一方で、足の感触はますます激しく鮮明に。何度肉を押されたか分からなくなり出した頃、人影はこちらへ手を伸ばしてきて、あのクモのようなものを引きはがす。
手に乗っていたそれは、先ほどまで白かったスポイドを、あじさいの花を思わせる紫色に染めていた。その口の先から垂れた滴も、人影が広げる手のひらの上に垂れて、床には残さない。
人影はそっとクモの身体をなでると、元来た階段を下っていく。ほどなく耳に音が、身体に自由が帰ってきて、彼女はふらつきかけたとか。
先ほどまでの痛みは、ウソのように引っ込んでいた。歩くことはもちろん、飛んでも走っても、辛さはかけらも残っていない。ただ服の上から、いくつか針を刺したかのようなへこみが見受けられたとか。
それから友達が、記憶の飛ぶような眠りを体験することはなくなったらしいわ。クラスでも常習犯の子たちをのぞいて、居眠りする人は見受けられなくなった。
痛みがなくなったこと。あの冷たい風で身体が動かなくされたことを考えると、あの人影は人影なりの方法で、私たちに特別な検診をしていたんじゃないかしら、と友達は感じたそうよ。