六幕 「はじめまして」と再会
まだ生きている…。目覚めて森の木々を見渡した時、はじめに思った事はそれだった。
逡巡の後、傷が痛くない事に気がついた。
暗闇の中、一人になったあとは、ほとんど動かなくなっていた左腕が何ともない。
高価そうな白い美しい布が巻いてある。
それよりも…動くし、力も入る…??
そこでやっと、背後で動き回る人間に気づいた。
「あ、あの…。」
声がかすれている。
男は振り返り、優しい笑みで
「やあ、起きたね、初めまして、旅人のレンジと言います。あなたは川向うで気を失っていたんです。」
少し男の様子を見たが盗賊達の仲間には見えなかった。平民ではなさそうだが…。
辺りを見渡すがテントがあるが他に人の姿はない。
「これは…あなたが手当てしてくださったのですか?しかしあの傷がどうして…。」
重傷だったはずだ。
「いや何、たまたまいい薬があったのでね。」
男は続けて
「お礼ならテントで寝ている子猫さん達に。」
それを聞いてまさかと思い、弾かれたようにテントの方へ駆け寄ったが、思いのほか体力を失っていて、よろめいてしまった。
そっと隙間からソマリとベリアの寝姿を見て、口元を手で覆った。思わず泣いていた。
「よかった、本当に…。」
しばらく泣き、寝ている二人を起こさないよう踵を返して男の方へ歩いた。
まだ安心は出来ない事を思い出して、助けてくれた男と話そうと思った。
「危ない所を助けていただき、ありがとうございます。あの子たちも…。私達の事は聞きましたか?」
「承知しています。薬と食事をとりながら、少しお話ししましょうか。」
レンジと名乗った男は薬と食事を提供してくれ、これまでの事を話してくれた。
二人と出会ってからの事を話し、二人と別れてからの事を聞いた。
「で、では、この近くにいれば誰にも見つからない、と…。」
驚いた…。
話に聞いただけだが、結界術などは魔力の高いエルフか魔族、一部の高位魔術師しか使う事は出来ないと聞いていた。
それを可能にするマジックアイテムがあるとは…。
それに…。
「空飛ぶ絨毯…とは…。」
正直、耳を疑った。
本当なら規格外の品だ! おそらくアーティファクトと呼ばれる物だろう。冒険者時代、たくさんの物が収容できる魔法のカバンだか何だかを運よく手にした冒険者が、それを売り大金を手に引退した話を聞いた事がある。
「これは、アーティファクトと呼ばれる物ですか?これだけ珍しい品を旅に持ち出すという事は大商会のご主人とお見受けしますが」
少し探りを入れてみる、男はギクリとした様子でスープをすくう匙を止めた。
「そ、そうですね。アーティファクト、のようなもの、です。多分。幸運にも手に入れてね…。ははは。
大商会だなんてそんな、しがないいち商人ですよ。」
「そうですか…」
嘘である事はわかったが追求は今はしない。
私達を保護してくれている事に違いないし。
「そ、それにしても子猫さん達と随分親しいようですね、数日前に会ったばかりと聞きましたが。」
男が切り出す、話題を変えたいようだ。
「そうです、移送の数日一緒にいただけです。」
まだ眠っているテントを見る。
「随分酷い扱いを受けていました。亜人ですからね…。」
この国で亜人といえば奴隷の中でも最下層の扱いを受ける。古くから人間と争っていて誰かの奴隷でなければ迫害の対象だ。そのくせ身体能力的には優れているので、亜人の住む大陸から子供などを浚ってきては、隷属の首輪で縛り、労働力として酷使するのだ。
男はそのあたりの知識がなかったようで、「酷いですね、こんなに可愛いのに…。」
などと言っている。
「なるほど、そんな中で目をかけてくれた人間なら恩義に感じても不思議はないですね。まるで家族のように心配してたもので。」
男が続けて言う。
「しかしあなたの方は違う。あなたも、命をかけた。」
まっすぐな視線を受けて一瞬ギクリとした。
不思議な男だ、随分おっとりしているかと思えば急に大人びて感じる。
見た目でいえばかなり若い。私より年下だろう。
驚いたのは手や爪、歯の美しさだ、汚れ一つない。
それだけで少なくとも貴族並みの身の上だろうという事は察した。
答えに詰まってそんな事を考えていると
「すみません!立ち入った事を聞いて。まあともかくみんな無事だったわけだしね。これからの事を考えましょうか!」
言い淀んでいると勘違いしたようだが、奴隷に詫びるとは…。
やっぱり不思議だ。
「そうですね、私達はマテールの街へ行かなければ。主人が襲われた事も憲兵に報告しないと」
「では、二人にも朝食を取らせたら出発しましょう。まだ横になっていていいですよ、病み上がりですから。」
「食事の支度なら私もお手伝いを! もう動けますから」
男は頑として譲らなかった。
男は珍しいアイテムボックススキルを身につけていた。まあ、大商人であればそう驚くほどではないか。
それよりも驚いたのは食事の、内容だ。
先ほど私が食べた物もそうだがこのシチューは私の知っているシチューとはかけ離れていた。
シチューと言えば、もっと水っぽく薄いものしか食べたことがなかった。
具材もいくつかの野菜屑が入っているのみで、ほとんど無い物が普通だが、
彼の出す物は濃厚なスープで何を溶かし込んでいるのかもわからない。
しかし口触りは優しく、ずっと味わっていたいほど深い味わいだ。
野菜も大きく身を付けた高級な物で相当な甘みがあった。
極め付けは肉だ。食べたことの無い程上等だ。
柔らかく、それでいて豊潤な旨味が凝縮したうまい肉だった。
それがゴロゴロと入っていた。
庶民が口にできる肉といえば魔獣の硬い肉だ。それもよく焼かないと腹を下しやすいので口にする時には更に硬く焼きあがっている。
「簡単な物で悪いけど」
男はそんな心にも無いことを言っていた。
さらに目を見張ったのはこの卵の焼き上げだ。
卵など冒険者時代でも滅多に口にする事はなかった。
産みたての卵は数も少なく日持ちもしない為、手に入れられるのは限られた少数の富裕層だけだ。
私が食べたことがあるのは富裕層の催しの警護の依頼を受け、それに出た食事の残りに茹でた卵があってそれを施されたくらいだ。
少なくとも奴隷に与えるような物ではない。
さらに薄切りの肉焼きが添えられていた。カリカリに焼かれていたがそれもまた美味だった。
卵の焼き上げにかけていた黒い粉末は見た事が無かったが香りが良く、卵の美味しさを引き立てていてとても美味しかった。
一緒に高価な塩もかけてくれていた。黒い粉末とよく合う。
パンも上等な白パンで固く水分の無い黒パンと違って信じられない程柔らかく甘みが見事だった。
初めて食べる物ばかりで、若干胃がぐるぐるしていたが満ち足りた気分だった。
おそらく商売が思いの外上手くいっていて相当に懐が暖かいのだろう。
二人にも同じ内容の支度をしている。
男がテントを覗き、声をかけるとしばらくして二人が出てきた。
私に気付くなり駆け寄ってきた。
手を取り合い無事を喜びあった。
男を見やると嬉しそうに微笑んでいる。
自分の胸の内に確かなある想いが芽生えた事を感じていた。