十六幕 やくそく
俺は今、西街の出店通りの端で小さな露店を開いている。
このスラムと言って過言ではない放置された住居が並ぶ街の一角で、亜人達が押し込められている現実を目の当たりにして、情報収集と一時的だが彼らへの救済を同時に行おうと考え、諸々の問題を考慮して露店を開くに至った。
伯爵が到着するまで、今日と明日の2日間だ。
商人レンジとしてのいつもの姿はやめ、昨日食べ歩きをした際に見たそれぞれの出店の主人達の恰好に近いを服装を生成して宿を出て服屋で試着室を借り、着替えてきた。
そしてカツラとツケヒゲと伊達メガネをしている。
カツラは音楽室の壁に飾ってある偉人の皆さんにかなり近い髪形だ。
「それにしても昨日はびっくりしたよね。」あの後を思い返して一人ごちた。
「亜人がそんなに…。」
「まあね、ここ以外には彼らは居ずらいから見かけなかったでしょう。」
確かに、見かけないわけだ。
「あ、これこれ! かかってるソースが美味しいんだよねー!」
リズは早速物色を開始している。ミイナもついて回っていっている。
俺は勧められるままに次々出店の料理を口にしていく、出店が並ぶ通りを端まで通り抜ける間に満腹になってしまった。
基本的に原価の安そうな硬い肉や野菜、パンを主体にした料理が多く味付けは宿と同じで薄めだが中には濃いソースがかけられた物もある。そしてボリュームだけはそれなりにある。
「いやあ、もうおなか一杯だよ。」
「アタシも…。うぷ。」
「リズったらはしたない…、レンジさんに甘えて食べすぎよ。」
「ご馳走様! レンジさん。」
と、腹をさすってると、ドンッ!と右脇に衝撃とともに「ゴメンよ!」という幼い声が聞こえた。誰かがぶつかったと理解する前に、その声の主がリズに腕を掴まれ、痛ましい声をあげている。
「待ちな!その手に持ってるのはなんだい!?」
「はなせ!ちくしょう!」
腕に鱗のある少年だった。よく見るとその手に見覚えのあるサイフが握られている。
リズが取り上げて俺に返してくれる。銀貨が7枚と銅貨と鉄貨が十数枚入ってかなり重い。
「まったく気付かなかったよ。リズ離してあげて。」
リズが驚いて迷っている間に手を振り払って人混みをすり抜けて走って行ってしまった。
「あ!」
「いいんだ!ありがとうリズ。」
「まったく、手癖の悪い亜人だよ。」
俺にしてみれば何よりあんな小さな子供がスリを働く事の方が問題だ。
ふと、周りを見ても誰も何も気にしていない、喧騒にかき消されてしまったかのように、何事もなかったかのように、誰も騒いでいない。
サイフをあらためてアイテムボックスにしまうと、ふと、誰かに呼ばれたような気がして振り向いた。
『・・・・・・・・。』
何か、何かが俺を呼んでいる…。
「あの建物だ…。」何故かはわからないが、そう確信があった。
「皆、悪いんだけど、ちょっと用事があって行かなきゃ。今日はありがとう、楽しかったよ。」
「え?そう?このあたりは危ないよ、レンジさん大丈夫?」
アリシアが心配そうにうかがう。
「ああ、すぐ宿に帰るから。リズとミイナもまたね。」
挨拶もそこそこに建物に向かって走り出す。
何かとてつもなく重要な事だという感覚だけが気持ちをはやし立てていた。
建物はよく見ると教会のようだった。
「ここだ…。」
躊躇なく扉を開け中に入った。壁や屋根は崩れ、建物としてはかなり朽ちていた。
何者かが暮らしているような跡があったが今は誰もいない。
奥に体中がひび割れた女性をかたどった石像があり、周囲には雑草が生えている。
「あの石像…。」
引き寄せられるように石像に近づいて手を伸ばす。
触れた瞬間やわらかな衝撃が手を通して頭を抜け、視界が真っ白に染まっていく。
半ば予測していたような気がする、しかし何が起こっているのかは理解できず、辺りを見回す。
すると真っ白な世界の一隅に、同じく白いものが蠢いているの見つけた。
「なんだろう…。」
近づいてみるとそれが声を発した。
「やっと、お会いできました。レンジ…。」
寝そべったままのそれに対して、そっと膝をついて優しく問う。
「君は…?」
「私は動物の神アトラディーテ…、あなたをこの世界に呼んだのは私です。」
どう見ても猫。
アトラディーテはかぼそい、消えそうな声でささやく。
「君が…。どうして俺を…?」
「あなたに…、亜人を救って頂きたくて…。」
「亜人を…、奴隷とか、貧困とかから? それならこれからやってくつもりだけど…」
「はい、ですがそれだけではありません。私が創り、不幸にしてしまった…。」
「どういう事?」
「亜人達は私が弱い人間に力を与えて生まれたのです。弱く、弱いが故に争いの絶えぬ人間達を元の力や心を強くしてやればお互いに優しくできると…、そう信じて…。」
「なるほど…、そう都合よくはいかなかった、って事だね…。悲しいけれど人間は強さでは優しくなれない。」
「はい…、そして私は亜人たちの幸福によって力を得られる存在なのです…。」
「それで、そんなに苦しそうなんだね…。」
「はい…、私ではもう力が弱すぎて彼らを救う事はできません。」
「わかった、なんとかやってみるよ、元よりそのつもりになってたし。この力を授けてくれたのも君なの?」
「いいえ…、私が授けたわけではありません、レンジ…。あなたが必要とした力を自身で生み出したのです…。」
「俺が?」
「そうです、ですが気をつけて…。その力は大きな危険も孕んでいます…。」
「危険…、何となくわかる気もするけど…。どんな危険があるの?」
「その力で生み出された物は、あなたではなく誰かがいつか手に入れるはずだったものなのです…。」
「え…? そ、それじゃあつまり、俺が金貨を生成したら誰かの金貨が消えるってこと?」
予想外の返答にうろたえる。
「そうです…。消える、もしくは失くす、奪われる、壊れる、巡り巡って何処かでそれと意識せず失われる。使えば使うほど、世界のどこかから幸福や機会をかすめ取る。あの奴隷商から得た金貨はあなた自身が握りつぶしてしまった…。」
!! ワモンの礼金、あれが俺が〈あらかじめ生成した金〉の代償?
「例えば、という事です…。ああして誰かが得るはずだった何かが消えてしまう…。全ては巡りの中の出来事だという事を覚えておいてください…。」
「わかった、けど亜人達を救うにはこの力がこれからも必要だ。悪い気もするけど、これから幸せを得られなくなる誰かよりも、今苦しんでいる人を救う為に使わせてもらう。」
「はい、もちろん私にはおすがりする他ありません。どうか…どうかお願いします…。ああ、レンジ…、あなたをもうこの世界に留めておけない…。どうか…どうか…。」
徐々に声が響かなくなっていき、真っ白な世界が徐々に色づき始めた。
気付くと空を見上げていた、倒れていたようだ。
カタ、という物音で誰かがいる事に気づいた。
「起きたぞ…、なんだあいつ。」
柱の陰に大きな犬の耳を垂らした子供二人、男の子と女の子。
「あ、や、やあ! こんにちは。つい寝ちゃったんだ。あはは。」
「……。」
悲しい沈黙。
「君達はここに住んでるの?」
「…そうだよ、他にもいるからここは満杯だよ。他当たってくれよ。」
どうやら住み着こうとしていると勘違いされたようだ。
その時、女の子の目が潰れている事と、男の子の左腕がない事に気づいた。
女の子は完全に怯えている。
「……いや、寝床を探してるんじゃないんだ、お祈りに来ただけさ、ここは教会だよね?」
「もう誰も祈ったりなんてしないよ、あの石造も宝石をはぎとられてそのままさ。神父もシスターもずっと前にいなくなったんだって。」
「そっか、まあこれだけ建物も崩れているしね…。けどこれは君達の神様じゃないの?」
石造を振り返りながら問いかけた、おそらくアトラディーテを形作った物なのだろう。
「そうさ、俺達をこんな姿にした張本人さ! 神様なんかじゃない、悪魔だ。俺達に呪いをかけて苦しめてる!」
「そんな…。」
アトラディーテの苦しむ姿が目に浮かんだ…、どちらも悪くなんてない。
苦しめているのは間違いなく私達なのだから。
それでも今は何を言っても届かない、どんな言葉も彼らを救いはしない。
アイテムボックスから財布を取り出し中の貨幣を手のひらに何枚か出した。
「ねえ、これをあげる。そのかわりに今度俺がお祈りに来る時までに一度でいいからこの石造にお花をあげてくれないかな。お祈りはしなくてもいい。」
「ほんと?! なんかウラがあるんじゃねえの?」
「はは! そんなものないさ、せっかくの教会だから、綺麗な方がいいかと思って、それだけだよ。何日かかるかわからないけどまた来るよ。もし約束を守ってくれたら今度来た時は、もっと良いものをあげる。」
アイテムボックスから余っていた小さな麻袋を取り出して財布の中の貨幣を全て入れ、男の子に差し出した。おずおずと右手を差し出して受け取る。
「約束だよ。」
アトラディーテ、約束だ。
亜人達を故郷に返し、君の思い描いた憎しみ合う事のない優しい世界を創ろう。
「ねえ! アンタ、名前は?」
扉に向かって歩き出すと、麻袋の中身に驚いた少年に呼び止められた。
「レンジ・シンジョーだ。」
「良いものって何くれんの?」
「…うーん、光と、自由かな、お楽しみだよ。またな。」