十幕間 ジスタールの妄想
カランカランと音を立てて扉が閉まる。
遠慮がちに会釈をしながら出ていく青年を姿が見えなくなるまで見送った。
「お帰りになりましたか、父上」
振り返ると息子が歩いてきていた。
うなずいて少し息をついた。今日は色んな事がありすぎて疲れてしまった。
先程まで青年と〔策略〕を練っていたソファに深々と寄りかかり、目を閉じた。
「あの方が父上が話していた〔命の恩人〕ですか。どういうご相談だったんです?」
「既に主人のいる奴隷の買い取り方を教えてくれとな…。」
「それはまた…随分と妙な話ですね。」エンディミオが訝しく笑って言った。
改めて机に目を向けると二つの箱があった。ダイヤモンドとルビー。
「結局頂いたのですね。もう一度見てもいいでしょうか?」
目を閉じソファにもたれかかったまま、好きにしろ、という風に手を振る。
「やはり素晴らしい透明度、うーん見事だ…。」
片目でルーペを覗き込みながら父の方を見ずに続けた。
「しかし珍しいですね、父上があれだけ若い方に親身になさっているのは。」
息子が心外な事を言うので反論する。
「そんなことないだろう。私とて若者が困っていたら助言くらいする。ましてや恩人だしな。」
「そうですかね…。ところで二つとも頂いたのですか?これは店の両看板としてやっていけますね。」
「いや、ダイヤだけだ。ルビーは伯爵様に献上する。」
そういうと息子が宝石から顔を上げ、驚いた顔で
「これを献上ですか?!なんて勿体ない事を…。貴族に貢いでも何にもなりませんよ。」
「まあ、そういうな。彼の極めて政治的な目的の為には必要な事なのだ。」
訳が分からん、とばかりに肩をすくめてまた宝石に向き直った。
正直言って、自分もそう思う。
貴族の後ろ盾がある、大店の奴隷を買い取りたいなど、考えてみれば面倒な話だ。
それを伯爵の後ろ盾を得て、にらまれる事、目立つ事なく、買い取りたいなど、自分で提案しておいて何だが改めて考えてもおかしな話だ。
それも家族でもない他人が。
「あの方は何者なんだろう…。」
息子に聞いたわけではなく、ひとりごちた。
「イーギスの貴族のお坊ちゃまがお忍びで物見遊山にいらしている、のではないのですか?」
「…いや、違うな」
そうして息子に視線を向け
「イーギス生まれは本当かもしれないが育ちはアルディニアだろう。あまりにもアルディニア語が流暢だ。貴族でもあそこまで母国語のようには話せないだろう。」
比較的難しい単語も、アルディニア語独特の言い回しも難なく理解していた。聞く限り訛りも感じなかった、間違いなくこの国周辺で生まれ育った人間だろう。
でなければ天才だ。
「まあ、献上という事でしたら仕方ないですが、サファイアはもったいない事をしましたね。もし最初に受け取っていたらどうなっていたのでしょうね。」
「あんな物をそうそう簡単に受け取れるか。只より高い物は無いんだ。」
「しかし結局それほどの対価を支払う事はないんですよね?」
「う、うむ…、そうだ、初めは店の一つぐらい用意させられるのではないかと思ったがな…。蓋を開けてみればどうという事の無い助言と台座の用意、伯爵への引き合わせ、とてもこのダイヤの価値には見合わない。三つならなおさらだ。」
ここでの話が〔商談〕であったのだとしたら大損もいいところだ。
「…人脈作り、でしょうか?」
エンディミオがダイヤをテーブルに戻し、少し考えて静かに言った。
「それが一番らしいといえばらしいのだが、奴隷は何のためだ?」
「露骨な人脈作りと思われない為の偽装…とか?」
ふううむ…と言ってまた目を閉じ考える。
考えられないでもないが…そんなややこしい事をするだろうか?
確かに露骨に寄り添おうとすれば、そうした態度を嫌う貴族がいるのも事実だ。
まさにグリザリス伯爵はその種類の人だ。
成金嫌い。
だが、彼が奴隷の話をしだしたのは、私が後ろ盾の話をする前のことだ…。
後ろ盾の事は本当に思いついていないようだった。あれが演技とは到底思えないし、する必要もないだろう。人脈作りでここを訪れたなら、初めからそう願うか卿への紹介を求めればいい。
それなら何だ、あの奴隷達に何がある?
なぜ、そこまでする?
私の助言を求めて全部で金貨一万枚にも相当するだろう宝石を差し出す?
そんなばかな…。
酔狂が過ぎる。
馬車での出来事もそうだ。
代金を受け取らないにしても、それをまったく恩に着せるそぶりもなかった。
まるで出来事自体なかったかのように…。
あの女冒険者、姉妹だと言っていたな。望むならあのどちらかぐらいは手籠めにもできたであろうし、なんとなく女冒険者側もある程度それを腹に決めていたように見えた、何度かレンジ殿を探るように覗き見ていたものな。しかしそんな事は思いつきもしなかったのか、私と話していたり、保護した亜人奴隷の子らと遊んでいたりした。
冒険者達の泊まり先も、彼らが言い出さなければ聞きもしなかっただろう。
おそらく本当に上級ポーションなど毛ほども惜しくないのだろうな…。
金に対しても執着は低いようだ。
なんとも不思議な青年だ。あれほど達観した若者は初めて見る。
一体何の目的でこの街へ来たのだろう?生粋の商売人とは思えない。
もっと見てみたい、とも思う。
あの気難しい伯爵にどう取り入るのか。
奴隷を手にし、どうするのか。
謎も興味も深まるばかりだがもう疲れて限界だった。
明日また会えるのだし、今日はもう寝よう。
息子がほれぼれと眺める巨大な宝石を、ため息交じりに眺めた。