閑話1 とある商人の後悔
私はギザール商会会頭、ラルク・ギザールだ。
我が商会は王都で有数とまでは言えないまでも、それなりに上位に位置する商会であった。
なぜ過去形か。
それは、我が商会が現在未曾有の危機にあるからに他ならない。
最初は、軽い気持ちだったのだ。
最近商会を興した若造が、ちょっと派手に稼いでいた。
商圏がある程度被っていたこともあり、ライバルになる前に潰しておこうと動くことにした。
我が商会とは地力がまるで違う小さな商会。
吹けば飛ぶような存在のはずだった。
それが…、気が付いたらこちらが詰んでいた。
「旦那様、ワトスン商会という名をご存じでしょうか?」
ある日、執務室で部下の1人がこう尋ねてきた。
「ああ。薬草で一山当てた行商人が立ち上げた商会だろう。それがどうかしたか?」
執務机の上の書類から目を離し、顔を上げる。
その商会の名には覚えがあった。
ただの野草と信じられていたものを流行り病の特効薬として売り出し、大成功を収めたことで一躍有名になった行商人が立ち上げた商会だったこと。
そして、我が商会と商圏が被っている商会であること。
これらの理由で、念のため記憶しておこうと思った商会だった。
「最近かなり派手に稼いでいるようでして。若干ではありますが、我が商会の客も奪われ始めております」
「ふむ。そうか。取るに足らない商会と思って放置していたが、目障りだな。潰れてもらうとしよう」
行商人あがりの若造がウチの客を奪うとは、許せん。
これ以上成長する前に潰してくれるわ。
「かしこまりました。手段はいかがいたしましょう?」
「仕入先、仕入値などを調べ、同じ商品をワトスン商会より安く大量に仕入れ、安く売れ。客を全て奪い尽くす」
資金力はこちらが圧倒的に上だ。
やつらに為す術はない。
「情報はどうやって調べますか? 実はこれまでも多少探りを入れたことはあったのですが、全て大した成果は得られず…」
部下は困ったようにそう言った。
言われてみると不自然だ。そもそも、派手に稼いで初めて私の耳に入るのがおかしい。
商圏内の商会の動向は、常に注視してきたはずだ。
かなりガードの固い商会ということか。
だが、まぁいい。気付いたからには、潰すのみ。
机を指でトントンと叩きながら、しばし考える。
「こちらの息がかかったものを、従業員として送り込め」
外から軽く探ったくらいでは情報が得られないのであれば、中から得るしかないだろう。
バレれば全面戦争待ったなしだが、上手くいけば全て丸裸にできる。
全面戦争になったところで、勝つのは地力のある我々だ。
部下もそれが分かったのであろう。
私の提案に口角を上げて言った。
「かしこまりました。すぐに手配いたします」
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「ってことで、ワトスンさん。次の従業員募集のときにギザール商会からのスパイが応募してくるから」
商会の執務室で定期的に行っている打ち合わせで、セイくんは軽い調子でそう言った。
もちろん、従業員どころか妻のアイラにすら、執務室には近づかないよう厳命し、鍵もかけてある。
というか、そうしなければセイくんは転移してこない。
情報を制する方法があるというのは、伊達ではないのだ。
ちなみに、初めてセイくんの転移魔法を見たとき、僕は腰を抜かした。
ギザール商会が本格的に動き始めたことより、この目の前のソファーでくつろぎながらジュースを飲んでいる少年にこそ戦慄する。
「大問題なのに、軽すぎないかい? 困ったな。商会の調子は君のおかげで絶好調だ。そろそろ人手は増やしたい」
僕は目の前の執務机に両肘を置き、手を組んで考え始めた。
セイくんがゲンドウポーズだと呟く。
これはゲンドウポーズというのか。
さすがセイくん。何でも知っているなぁ。
全員不合格にするのは簡単だけど、それでは従業員は増えない。
従業員が増えなければ、商会のこれ以上の拡大は難しい。
どうするか。
そう考えていると、セイくんは事も無げに話し始めた。
「大丈夫。先にスパイが誰か教えることもできるし。面接した後に一旦全員合否を保留にしてもらって、オレと相談してから合否を決めるって方法でもスパイは省けるよ」
僕は組んでいた腕を前に投げ出し、執務机に突っ伏した。
「セイくんが味方で、僕は本当に良かったよ…」
心の底から、そう思った。
少し前、セイくんは『出る杭は叩かれるって分かったから、極力目立たないようにやっていこう』と言っていた。
あれは何だったのか…。
いや、確かに"極力"目立たないようにはしているけどね。
もはや、"どうしても"目立ってしまうのではと僕は思い始めた。
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「また、全員落ちただと!?」
部下からの報告に、思わず立ち上がる。
執務机に手を突き、勢いよく立ち上がったせいで、書類が舞い上がってしまった。
ワトスン商会は、あれからもう3度も従業員募集を行った。
その全てに数人のスパイを送り込み、面接を受けさせている。
にも関わらず、今まで全て落選し続けている。
確実に受かるよう、面接対策までしているのに。
まさか、どこからか情報が漏れているのか?
「旦那様…。今回の面接に送り込んだ者達ですが、全員落選理由が同じでした…」
部下が青ざめた顔で報告を続ける。
「なんだ!? どのような理由だったのだ!?」
怒りが込み上げてくる。
全員同じだと?
我々が送り込んだ者達にどんな共通点があったというのだ。
「『ギザール商会のスパイの方は採用できません』皆一様にそう告げられたそうです」
私は、持ったままになっていたペンを取り落とした。
見透かされていたのだ。きっと最初から。
有り得んことだが、それしか考えられん。
今まであえて言わなかったのは、時間稼ぎだろう。
ワトスン商会は確実に地力を付け始めている。
どんなに隠しても隠しきれないほどに、急激に規模を拡大している。
すでに完全に敵対しているのだ。このままいくと、手遅れになる可能性すらある。
「スパイの顔ぶれを知っていたのは、誰だ!?」
怒りに任せて大声で叫ぶ。
絶対に情報が漏れている。我が商会に、奴らのスパイが潜り込んでいるはずだ。
クソっ。完全に先手を取られた。
「わ、私と、他に数名おります…」
部下は怯えながら言った。
「お前以外、全員クビだ!!」
部下が悲鳴のような声を上げる。
ワトスン商会のことを報告してきたコイツだけはスパイとは考えにくい。
コイツがスパイなら、わざわざ報告しなければもっと時間を稼げたはずだ。
逆にコイツ以外は全員疑わしい。
ここからは全面戦争だ。
悠長に調べている間に、敵に情報を流され続けたら敵わん。
長年鍛え続けた従業員は惜しいが、ここは仕方あるまい。
ワトスン商会、よくもやってくれたな。
絶対に潰してやる。絶対にだ。
バカな…。
有り得ん。どうしてこうなった…。
あの後も、スパイを送り込むことには失敗し続けた。
従業員という手段だけでなく、あらゆる手段で送り込もうと試みたが、全てにおいて失敗した。
痺れを切らした私は、隠しようのない売値だけを調べ、価格競争を行うこととした。
資金力はまだまだこちらが上。
奴らが先に音を上げるはずだった。
しかし結果的に、価格競争では完全に負けた。
ワトスン商会の商品の売値を調べ、我が商会の同商品の価格をより安く変更した。
だが全く客の流れが変わらないどころか減っていく。
おかしいと思って確認しに行くと、ワトスン商会の売値はさらに安く変更されていたのだ。
さらに競って安くしていくと、ワトスン商会はある一点でピタリと競争を止める。
最初はなぜか分からなかったが、それは我が商会の損益分岐点だった。
ワトスン商会より安くすれば、売れば売るほど赤字になるという値段である。
完全に、こちらの仕入値を見切られていた。
そして恐ろしいことに、あちらが先に音を上げることは1度としてなかった。
ワトスン商会が赤字覚悟で集客をしていた可能性もあるが、同商品における全ての仕入値が我が商会より安いという可能性もある。
私は戦慄を覚えながらも、ワトスン商会を潰すためほぼ全ての同商品を赤字覚悟でワトスン商会より安く設定した。
確かに客はこちらに流れてきた。
こちらの方が安いのだから当然だ。
だが、それは同商品に限ってのことだった…。
ワトスン商会には、そこでしか扱っていない商品が数多く存在した。
それは、誰が必要なんだこんなものと思ってしまうような物も多分に含まれていた。
でもなぜか、爆発的にとは言えずとも、ワトスン商会のそれらの商品は確実に一定の量が売れていた。
そしてその商品は、我が商会で仕入れてもやはりと言うべきか、全く売れなかった。
集客をしても、一部の商品は売れば売るほど赤字になる我が商会。
同商品における集客力では負けても、確実に利益を上げ続けるワトスン商会。
価格競争の勝者がどちらかは、火を見るよりも明らかだった。
「だ、旦那様…」
目の前の部下は、泣きそうな目で私を見ている。
コイツが情報を流したとは、とても思えない…。
思えないのだが…。
「すまん…。もはや、お前以外に考えられぬのだ」
絶対に情報は流出している。
スパイだけでなく、損益分岐点まで完全に把握されているのだ。
敵が我が商会の情報を得ていないということは有り得ない。
そして、これらの情報を全て知りうるのは、もはや私とコイツだけだった。
「わ、私ではありません!! 信じて下さい! 私はずっと、この商会のことを思って…」
コイツではない。そう思いたい。
だが、ワトスン商会に対抗するには、コイツを切るしかない。
私は心を鬼にして、目の前で食い下がる部下にクビを宣告した…。
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「さ、さすがに、かわいそうになってきたかな…」
何やらセイくんが動揺した様子で報告してきた。
ギザール商会がどこから情報が漏れたかで揉めて、内部崩壊を始めているらしい。
セイくんは恐ろしいが、基本的には優しい。
自分のやったことが、全て他人のせいになってしまっていることに自責の念を感じているのだろう。
僕はやれやれとため息をつく。
「『やられたら、やり返す。倍返しだ!』とかドヤ顔で言って、嬉々としてギザール商会に仕返しを始めたのは君じゃないか…」
実行したのは僕だけど、手法があまりにもエグすぎてドン引きだった。
だって、ウチはセイくんのおかげで基本的にどの商品も王都で一番安く仕入れられるし。
さらに、ウチの商圏のお客様がどんな商品が欲しいのかも把握している。
欲しいのに、この辺りには売ってなくて困っているという、痒いところに手が届く商品を取り揃えている。
他の商圏では全く需要がないものだって、かなりある。
ここに来れば欲しいものは全部揃っている。だから、もうここにしか来ない。そう言ってくれるお客様すらいるほどだ。
しかも、そもそもウチの商会で最も収益がいいのは、店頭ではない。
大口のお客様への外商だ。
お客様のニーズを把握でき、かつほぼどんな物でも手に入れて来ることができるセイくんがいるのだ。
売り込まない手はない。
初めはあまり怪しまれないように少しずつ自然に売り込んでいったけれど、今となってはお客様の方から連絡が来る。
お客様はほとんど貴族となるので、ウチの商会が情報の秘匿を得意としていることも、大きな理由のようだ。
僕はお客様から要望を聞き、僕の手に余ればセイくんに可能かどうか確認し、セイくんが調達した商品を届けるだけにすぎないけれど。
1回の取引で商会がもう2つくらい立ち上げられるほどの額が動くこともあるので、僕は今でも足が震えるのを隠すのに必死だ。
そういうわけで、ギザール商会はウチの店舗に仕掛けてきた時点で詰んでいる。
長引けば、潰れることさえ有り得るだろう。
倍返しどころじゃないよ! セイくん!
僕は心の声でそう言った。
「うーん。困ったな。ワトスンさん、どうしよう?」
どうやら、セイくんは本当に現状をどうにかしたいらしい。
まぁ、僕もたまにはセイくんの役に立たないとね。
僕としても、敵対しているとはいえ、ただ潰すということはできれば避けたいし。
「じゃあ、こういうのはどうかな? セイくん…」
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もう、打つ手がない…。
私は執務室のソファーに横たわり、呆然と天井を眺めていた。
まだ商会の体力は残っている。が、ワトスン商会に抗う術がない。
ワトスン商会は力を増す一方だ。逆に、我が商会は衰退の一途を辿っている。
情報漏洩は止まらなかった…。
なぜだ。
一体私は、何のために長年寄り添ってくれた従業員をクビにしたというのだ…。
どうして私は、あの商会に喧嘩を売ってしまったのか。
あの商会は得体が知れない。
どんなに手を尽くしても底が見えない。
手を出してはいけなかったのだ…。
ああ、どうして。どうしてこんなことに。
頭をかきむしる。
今すぐ叫び出したい。
が、それはできない。残る従業員に、醜態をさらすわけにはいかないからだ。
込み上げてくる嗚咽をこらえていると、執務室のドアがノックされる音が聞こえてきた。
せめて、残る従業員の前でだけは毅然とした態度をとる。
私は急いで身なりを整え、返事をした。
「入れ」
「失礼します。旦那様…。ワトスン商会の会頭がお見えになっておりますが、いかがいたしますか…?」
扉を開けた若い従業員は、戸惑い気味にそう報告してきた。
「何!?」
ギリギリのところでソファーから立ち上がってしまうのはこらえたが、声は少し上擦ってしまった。
私はそれを、咳払いをして誤魔化す。
「ん、ごほんごほん。分かった。通せ」
「かしこまりました」
先ほど戸惑っていたことからも、ある程度事情は把握していたのだろう。
若い従業員は見てみぬ振りをしてくれた。
ワトスン商会の会頭が直接やってきたということは、おそらく交渉だろう。
もはや贅沢は言わぬ。細々としてでもいい。
せめて今残っている従業員を養える規模を残しては貰えぬだろうか。
時間さえかければ潰すこともできるのだ。叶わぬ願いであろうが…。
「は? 今、何と言いましたかな?」
執務室に入ってきたワトスン商会の会頭。
ジョージ・ワトスンは、金髪碧眼の優男だった。
向かいのソファーに座っている、まだ20代であろうこの若造が発した言葉に、私は思わず聞き返してしまった。
にわかには信じられない言葉だったのだ。
「私のグループに入りませんか? ワトスングループ、ギザール商会となるのです。表立っては、以前と何も変わることはありません」
金髪の優男は、にこりと笑って改めて言った。
確かに商会の名前が残るのは願ってもない。願ってもないことだが。
「それで、そちらに何の得があるのですか? グループ? 聞いたことがない話ですが…」
さっき金髪の若造は、表立ってはと言った。
つまり、隠された何かがあるはずだ。
完膚なきまでに我が商会をやり込めた男の言うことだ。
どんな卑劣な罠があるのか。
私は絶対に騙されることがないよう決心し、身構えた。
「我がグループに入れば、ギザール商会の利益は確実に上がるでしょう。過去最高益と比べてで構いません。増えた利益の一部を、グループに納めていただければ」
どれだけ自信家なのだこのワトスンという男は。
過去最高益だと? 今とどれだけの開きがあると思っている。
それは実質、何も納めなくていいと言っているのと変わらん。
ただ、この話が本当ならば、仮に納めるような状況になっても我が商会は過去最高益を更新していることになる…。
いや、そんな上手い話があるわけがない。
「過去最高益を越えなかった場合は…?」
強気で聞いたつもりだったが、恐る恐る聞いたようには思われなかっただろうか。
ワトスン会頭の言葉を待つ。
「特に何も。その時はグループに何かを納める必要はありません。完全にこれまで通りとお約束しましょう」
特に何も? 信じがたい…。
だがこの後、増えた利益の一部とはどのくらいを差すのかなど、どんなにあらゆる角度から聞いてみても、我が商会に不利になる話しは思い付く限り全くなかった。
「ああ、そうそう。あなたがクビにしてしまった従業員達ですが、誰も私の商会のスパイではありません。呼び戻すと良いでしょう。それでこそ、これまで通りです」
ぜひ優秀な従業員を呼び戻して、すぐに最高益を越えていただきたいとウインクしてくるワトスン会頭。
腹立たしい。
腹立たしいが、抗う術はない。
そして、やってみたくもある。
かつての優秀な部下達に詫びを入れて呼び戻し、共に過去最高益を越えることを目指す。
魅力的、と言えてしまうだろうな…。
「よろしく…お願いします…。ワトスン会長」
私は両手を差し出し、頭を下げた。
金髪碧眼の若造は少し目を丸くしていたが、すぐにニッコリ笑って私の手を取った。
「はい。これからよろしくお願いします。ギザール会頭」
ちょっと驚いていたくせに、すぐに意図を察して対応してきた。
悔しくはある。悔しくはあるが、私は負けたのだ。
負けた上でこれなら、上々だろう。
私は、いや、我が商会は、ワトスングループの中でのし上がるのだ。
「ところで会長。結局のところ、あなたはどうやって情報を入手していたのですか?」
もしかしたら、味方となった今なら教えてもらえるかもしれない。
わずかな期待を抱いて聞いてみた。
すると会長は、私の言葉にいたずらっ子のように笑った。
「それは言えませんよ。情報を制するものは世界を制するって言うでしょう?」
初耳だ!
しかし、なるほど。今なら身に染みて分かるというものだ。
私は恐ろしくも頼もしい会長の言葉に、久々に腹の底から笑った。
お読みいただきありがとうございます。
これからしばらく、1章を修正予定です。
主に更新頻度を重視しておざなりにしてきた、人物の見た目の描写や情景描写を入れていくつもりです。
また、一部テンポの悪いところなどを改善したいと思っております。
大きな改変が行われる場合は活動報告に情報を上げたいと思いますが、基本サイレント修正とする予定です。
※現在、修正作業は更新を優先しているため、ほぼ行えていません。
しかし、いずれかのタイミングで行いたいと思っております。