第162話 4人で
私は王族であった時、『自分は頑張っている』と錯覚していた。
周囲と比較することもなく、自分の主観のみで何となくそう思っていたのだ。
自分より優れた者達は、…ミロシュも含めて、皆私より遥かに努力している者達だというのに。
いや。私は当時から、心のどこかでそれに気付きかけていた上で、見て見ぬ振りをしていたのかもしれない。
だから、いつも焦り、イライラしていた。
『自分は頑張っている』という思い込みが、錯覚であると気付きかけていたから。
そして、セイ・ワトスンらに完膚無きまでに負け、王位継承権を剥奪され、落ちるところまで落ちてようやく気付いた。
『私はこれまで、大して頑張っていなかった』と。
なぜ気付いたか。
それは、負けたからだ。
完膚無きまでに負けたことでようやく、自分を振り返り、他者を認め、正しく努力をし始めた。
思い込みではなく、客観的に見ても本当に努力をしていると言えるほど頑張った経験が、過去の自分に対する気付きとなった。
「姉上。これが今の私の、全力です」
私に右手のひらを向けて魔法の詠唱を始めた姉上に宣言し、胸に当てた自らの右手に力を込める。
「大口叩いて、火傷しても知らないんだから!!」
姉上の右手から火球が放たれる。
"限定"を使えども、"宣誓"は使わず、か。
先程は姉上がキレたと思ったが、私が死なないよう加減してくれているようだ。
表情からも、へっぴり腰で撃っている姿勢も、私に攻撃することへのためらいを感じる。
姉上も、私を傷付けたくないと思っている。
自分の口角が自然と上がるのを感じながら、私は自分自身に魔法を放った。
「"氷纏"!!」
"宣誓"した瞬間、私は分厚い氷に包まれた。
直後、姉上の炎魔法が私の氷に当たり、一部が水蒸気となって周囲を包む。
分厚い氷が割れ、中から私の氷纏の形が現れる。
周囲の水蒸気を振り払うように左手を振ると、水蒸気が凍ってキラキラと舞い散った。
「氷の、鎧…。ノバク、貴方、どうしても『纏』が出来ないって、嘆いていたじゃない…」
姉上と母上に、何度も愚痴をこぼした過去を思い出す。
「そうでしたね。皮肉でしょう? 落ちるところまで落ちて、自分を見つめ直して努力した結果です。正直、なぜもっと早く気付かなかったのかと思わない日はありません…」
絶対に共感を得られる。
私にはその確信があった。
私と姉上は兄弟なのだ。
今の姉上は、何もかも上手くいかずにイライラして当たり散らしていた、過去の私にそっくりだ。
だからこそ、姉上もゼロからやり直せる。
少なくとも1つ、負けたからこそ得られたと言えるものがあることを、姉上に見せてやれる。
「間違っていたってこと…? 私達が…」
やはり。
この言葉が出る時点で、姉上も本当は気付いておられる。
認めたくないだけなのだ。
「そうです。間違っていて、そして負けたのです」
私ははっきりと言った。
どこまでが間違っていたかは今もよく分からないが、多くを間違ったことは確かで明らかだ。
「認めない! 認められない!! 私は…、間違ってない!!」
姉上が天に両手を掲げ、頭上に多量の火球を作って放ってくる。
私は動くこともなく、空中に同数の氷の壁を作ってそれを防いだ。
再び水蒸気が発生し、それが凍りついて散っていく。
「あ……、そんな…」
自分の魔法が全く通用しないことを目の当たりにした姉上の動揺が伝わってくる。
セイ・ワトスンに思い知らされた時の私も、きっとこのような表情だったのであろうな。
かわいそうだとは思うが、姉上の未来がこの先にあると信じて心を鬼にする。
「姉上、私達は負けたのです」
「黙れ!!」
今度は土魔法を使って攻撃してきた姉上。
その岩の塊を、氷の塊で粉々に砕く。
姉上が手を変え品を変え放ってくる魔法を、砕く。
砕く。
砕く。
姉上の心が折れるまで、砕き続ける。
「負けを認めて、何になるのよ…。負けを認めても、王位は返ってこない!」
魔力が切れかかった姉上の、弱々しい火魔法をかき消す。
姉上は悔しそうな表情で片膝をつき、激しく息を切らしている。
限界か。
私は姉上の元にゆっくり歩み寄り、"氷纏"を解除して、手を差し出した。
「でも、負けは終わりではないのです。姉上。今度こそ一緒に、ゼロからやり直しましょう」
あえてこれ以上、負けたからこそ得られたものもあるとは言わなかった。
それはもう、姉上も体感してくれたと信じている。
「惨めね…。貴族にも、平民にさえ、蔑まれる人生よ。耐えられる自信はないわ」
そう言いながらも、姉上の表情はどこかスッキリしたように見える。
「間違った代償は、受け入れる他ありません。私はもう、家族さえいれば、平民も貴族もどうでもいいと思うことにしました」
平民は今も嫌いだ。王位も、惜しくないわけはない。
だが、どれも家族に比べれば些細なことだ。
平民嫌いも、王位への執着も、思えば父上と母上のためなのだ。
私はもう、優先順位を見誤らない。
「はぁ。そうね。もう、私もそれでいいわ」
姉上が私の手をとった。
投げやりな言い方ではあるが、少し前までの、人生を投げていた危うい雰囲気は消えている。
私が姉上を助け起こすと、直後に左右から父上と母上が私達をまとめて抱きしめた。
「良かった。良かった、ペトラ…」
父上が泣いている。
「ええ、ええ、本当に。お帰りなさい、ペトラ…」
母上も泣いている。
「父上、母上…。ご、ごめんなさい。私…」
姉上も泣いていた。
「いいんだ。全て私が悪いのだ。私のせいで、お前達皆に迷惑をかけた。すまない、すまない…」
父上は、激しく後悔しているようだった。
私と姉上だけでなく、父上や母上もまた、多くを間違えていた。
そういうことだろう。
「どんなに悔やんでも、過去は変えられません。やり直しましょう。ゼロから、4人で」
私はあえて4人でということを強調して言った。
まだ、この後のことがある。
姉上がやってしまったことは、スルトという国にとって許されざることだ。
普通に考えれば処刑は免れまい。
だから、おそらく父上は、全ての罪を被って死ぬつもりだ。
それはさせぬ。
ワトスンであろうと、ミロシュであろうと、土下座をしてでも説得してみせる。
そんな私の思惑を見透かしてか、父上は寂しそうな顔で優しく微笑んだ。
「ビクトリア。君と私が愛した子ども達は、成長したな…」
「ええ。そうですね、ファビオ」
母上も、今回の件をきっかけに目付きがはっきりと変わった。
これからなのだ。私達は。
虫のいい話だが、ワトスンを頼るしかない。
父上と姉上を助けてくれるなら、私は奴の犬になっても構わない。
私は家族と抱き合うこの暗闇の中で、この戦争でのワトスンの無事を強く願った。




