第154話 汚らわしい
私がペトラに罪の告白をしている間に、夜になった。
その間に、外では色々なことがあったようだった。
スルト軍後方にいきなり都市が現れ、ダビド・ズベレフ将軍による降伏勧告が行われたようだ。
どうやらその都市には、今回の戦争で捕虜になったウトガルド兵だけでなく、過去にスルト関連の仕事中に行方不明になっていたウトガルドの者達もいるらしかった。
それが国際大会の時のような大きな映像で空に投影されたようだった。
ペトラに話をしながらでもある程度の状況を掴めるほどに、この国境砦の中は噂話で溢れていた。
投降すればすぐに、安全に、諦めるしかないと考えていた家族と会える。そんな者達は大半が早くも投降したようだ。
今は、その都市でスルト軍の物資の潤沢さを見せつけるように再会の宴が開かれている、という噂話が聞こえてくる。
「父上。今までの話は…、真なのですか?」
「事実だ。やはり、知らなかったのか…」
「母上は、全部あの女が悪いと…」
「少なくとも、あれが私を積極的に誘惑した事実はない」
ペトラは真実を知らなかったようだ。
ビクトリアは、ペトラやノバクに歪んだ話をしていたのだ。
無論、そうさせてしまったのは私に責任があるが。
「け、汚らわしいっ! 母上がありながら、第2王妃ならばともかく、平民のメイドに手を出すなどっ…!!」
ペトラの目には、私への強い嫌悪感が見て取れた。
当然だ。
もっと早く、私が勇気を出してこの罰を受けていれば、こんなことにはならなかったのだろうか…。
「君の言う通りだ。私は汚らわしく、愚かだ。私だけが重圧から逃げたせいで、ビクトリアを深く傷つけてしまった。だが、ビクトリアの怒りの矛先は平民にだけ向き、君とノバクは大きくその影響を受けてしまった…」
私は事実を伝え、ペトラを平民を呪う生き方から解放されるよう誘導しようとした。
ペトラがこれからミロシュやセイ・ワトスンの下で生きていくには、平民に対する行き過ぎた嫌悪はどうにかせねばならぬ。
「それが…、それが間違っていたというのなら、今までの私の人生はなんだったのですかっ!? 今更、今更そんなことを言われてもっ!」
ペトラは涙ながらにそう叫んだ。
その言葉が胸を抉る。
後悔しか、ないっ…。
今すぐ泣き叫びたい。
愚か過ぎる自分を呪って。
だがそれでも、ペトラのために、できることをしなければ。
「もう平民など気にするな。生きてさえいれば何とかなる。スルトに投降して、ビクトリアとノバクと1からやり直そう」
そう言ってペトラの肩に手を置こうとすると、ペトラは強く私の手を振り払った。
「触るな、汚らわしいっ!」
「ペトラ…」
自業自得とはいえ、娘に拒否されると深く傷つくものだな。
ペトラは混乱し、ひどく興奮しているようだった。
無理もない。
人生を否定され、新しい人生を生きろと言われたに等しいのだから。
「ようやく、今度こそ、覚悟が決まりました。もはや命は惜しくありません。私は投降などせず、最後までペトラ・ティエム・スルトとして戦います」
ペトラのやけくそのような言葉に、私は青ざめた。
違う、こんな結果は求めていない。
「バカなっ! 自暴自棄になるな! 戦ったところで王位など戻ってこないことなど、君ももう分かっているだろう!」
ペトラが言っていることは、戦って死にますと言っているのと同義だ。
しかも明らかに、それを自覚した上で言っている。
最悪の事態になってしまった。
また、また間違えてしまったのか、私は。
「1からやり直すことは、死んで生まれ変わることと変わりありません」
ペトラは諦めたような言い方をする。
「違う。生まれ変わりなどない。死んだら終わりなのだ。これからでも、幸せは見つけられるのだ。諦めるな」
私は泣いていた。
ダメだ。私はなんと無力なのだ。
ペトラを生かす。それだけが今の私の存在意義なのに。
たった1つの目的さえ、叶えられないのか。
「もう決めたことです。でも、クズだとしても、父上が私のことを愛してくださっているのが分かったのは嬉しかったですわ」
ペトラが、諦めたような表情で笑う。
「ダメだ。ビクトリアは、私以上に君を愛している。ノバクも君を待っているんだ。大丈夫、すべて上手くいく。私に任せてくれ」
スルトに投稿して、私が全ての罪を被ってミロシュとワトスンに許しを乞う。
私が処刑されることで世論を納得させ、ビクトリアとペトラとノバクはひっそりと、しかし幸せに暮らすのだ。
ミロシュはともかく、ワトスンは絶対に協力してくれる。
そして、奴さえ協力してくれれば何とでもなるはずだ。
私は安心して逝ける。
だが、戦ってしまえば、生き残れるとは限らぬ。
ワトスンは両軍の被害を抑えるつもりだが、スルトに犠牲が出るくらいならばウトガルドの犠牲を許容すると聞いた。
それは当然だろうが、その許容される犠牲の中にペトラを入れるわけにはいかぬのだ。
「何となくですが、セイ・ワトスンに懇願すれば許されであろうというのは、私も分かっています。でも、これは私の気持ちの問題です。私は、ノバクと母上を傷つけてしまいました。合わす顔もありません」
ペトラは淋しげな表情で言う。
これなのか?
ノバクとビクトリアを傷つけてしまったというのが、頑なに投降を拒否する1番の要因なのか?
「ノバクもビクトリアも、そのことについては気にしていない。こちらに来る前に話した。2人とも君を心配して、待っている」
私がそう言った時、国境砦の中がいっそう騒がしくなった。
補給路が断たれたと、後方の部隊が壊滅したと聞こえてくる。
…伝令を逃がしたのは、あえてだろうな。
これでさらに投降する者が増えることは間違いないだろう。
「…もういいのです。結局、私は父上の話を聞いても、そもそも平民が存在しなければ、とすら思いました。理屈では分かっても、そう簡単には変われないのです」
「そ、そんな…」
ペトラの言葉に、私は絶句する。
どうすれば、どうすれば良い?
『父上。聞こえますか? こちらノバクです』
念話!? ノバクだと? なぜ!?
混乱しつつも急ぎ相手の魔力を辿り、自らの魔力を練り上げる。
方向と距離を考えると、スルト軍の中にいるのか!?
『ノバクなのか!? なぜ!?』
なぜここにいるのか、そしてなぜここが分かったのか、何もかもが疑問だった。
念話は、相手がどこにいるか分からなければ使えない。
だから、相互に所有することで半自動的に互いの位置を特定できる念話機という魔道具が画期的と言えるのだ。
そして今私は、念話機など持っていない。
『ワトスンに頼んだのです。父上、あとは私にお任せください。姉上は、私が止めます』
ワトスンに頼んだ。ノバクのその言葉で、全ての疑問が解消された。
確かに奴ならば、ノバクを戦場に連れてくることも、私達の位置を特定することも容易いだろう。
だがまさか、ノバクがワトスンに"頼む"とは…。
「父上…?」
私の様子がおかしいことに気付いたペトラが、どうかしたのかと聞いてくる。
「い、いや…。分かった。君の意見を尊重しよう。だが、私は何があっても君を守ると決めている。それだけは分かってくれ」
私はペトラにそう言いつつ、ノバクに念話した。
『分かった。すまないノバク、ペトラを頼む』
情けないが、私はノバクに全てを賭けることにした。
ノバクの念話タイミングから想像された方もいるかもしれませんが…。
ファビオ達はリアルタイム視聴されていたので、ペトラの他にも「汚らわしい」ってなった人達がいました。




