第144話 お前はずっと…
「落ち着け! 見た目ほどの被害はない! 防御壁は正面ではなく、体全体を覆う形で使え! あの魔道具はそれで防げる!」
スルトの攻撃に大混乱を起こしているウトガルド軍の中で、私は声を張り上げていた。
ウトガルド軍が混乱している原因の1つとして、スルトが使った魔道具による氷魔法が通常の防御壁では防げなかったことにある。
"瞬間氷結"の魔法は、先に魔力を放出してその範囲の生物を凍らせる性質を持つ。
防御壁は魔力を通さないが、魔力は水のような性質を持つので、範囲内で正面だけに防御壁を張ったところで侵入を許してしまうのだ。
だが、体全体を覆うように防御壁を張りさえすれば魔力の侵入を防げる。
魔力さえ届かなければ容易く防げる魔法でもある。
知っているかいないか、それが明暗を分ける魔法というのは、いかにもセイ・ワトスンらしいと言える。
「そ、そ、そんなこと言ったって…! この魔道具は正面にしか防御壁を作れないんですよっ!」
最初の魔道具による爆撃のとき、ペトラのついでに救ってやった一般兵が喚き立てる。
ウトガルドの旧式の盾の魔道具では正面にしか防御壁を作れないことは確かだ。
「何人かで集まって、魔道具の発動前に前後四方を固めろ。隙間なく覆いさえすれば良いのだ。頭を使え」
「は、はいっ!」
私が指摘してやると、一般兵は焦ったように走っていった。
他の一般兵達と合流し、全員外側を向いて少しずつ後退することにしたようだ。
全員へっぴり腰だが、それでいい。
さらに私は、あえて左手を前に伸ばし、手首から先だけを外に残すように防御壁を張る。
「お父様!?」
ペトラの悲鳴が上がる。
「大丈夫だ。私の予想が正しければ…」
ちょうど話している途中で、スルトの魔道具が降ってきた。
ペトラの防御壁がしっかり機能していることを確認して、私はあえてその魔道具を発動させることにする。
私の防御壁に当たった魔道具は激しい光を発して、数秒すると跡形もなく燃え尽きた。
「手が、凍っていない…?」
「やはりな。一定以上の魔力抵抗を持つ者には、この魔法は効かないのだ。だが、思っていたより出力が高い。ペトラは念の為、防御壁を解いてはいけないよ」
私は防御壁を解きながら、ペトラに説明をする。
セイ・ワトスンめ、厄介なものを作りおって…。
この魔道具を作るのに、いくら使った?
敵に鹵獲されぬよう、確実に燃え尽きるよう設計されたと思われる、使い捨ての魔道具。
小国の国家予算くらい使ったと言われても驚きはせぬ。
だが、厄介ではあるが、対応策も見つけた。
一般兵には極めて相性が良いが、ある一定以上の力を持つ魔法兵とは相性が悪いのだ。
「あの魔道具は、一定以上の魔力抵抗を持つ者には効かぬ! 体の一部分で試した! 攻撃の余裕ができた者はドラゴンと妖精に気をつけつつ、上空の飛空艇を攻撃しろ!」
私は再び声を張り上げ、魔法兵達に指示を出した。
そして、私自身も牽制になる程度の火魔法で上空の飛空艇を攻撃し始める。
どうやら指揮官が私の意見に同意してくれたようで、すぐに力を持った魔法使い達が私に続いて攻撃を始めた。
ドラゴンの群れも妖精達も、一定以上には近づいてこない。
まだまだスルトは本気ではないということだ。
こちらが国境砦に辿り着くまでに軽く数を減らしておこうというくらいだろう。
わざわざ氷の魔法で統一していることからも、ウトガルド軍をいたずらに殺すつもりはないという意思を感じる。
セイ・ワトスンがここに来ても未だ甘いのは、私にとって都合の良いこと。
今のうちに、何とかしなければ。
私はこの戦争で死ぬ。
それでいい。
これまで生きてきた知識と経験、その全てを使ってペトラを生かすことさえできれば。
「なぜ強力な攻撃をしない! 貴殿なら、もっと強い魔法も使えるはず!」
先ほど私の意見に同意してくれたらしい指揮官がやってきて、私に質問をしてきた。
そう言いつつも、彼も牽制程度の攻撃をするように指示を出していたようだ。
よく見ると、周りも大した攻撃をしていない。
「どうせ防がれる。魔力の無駄だ。それに、今この時点でスルトを本気にさせたくない」
私は偽らざる本音を告げた。
この戦争はもう負けていると思っている私だが、今スルトに本気を出されると、本当におしまいだ。
どう戦争を終わらせるか、それが重要なのだ。
私個人の状況を加味せずとも、そもそも、状況を改善するために後退しているのだ。
今全力で攻撃するのなら、会敵したときに思い切って前進した方がまだ良かっただろう。
それは誰もが分かっているところなはず。
なぜそれをわざわざ聞いてきた?
「貴殿は、諦めていないのだな?」
それがどのような意味で発せられた言葉だったかは私には分からぬし、どうでも良いことだった。
だが、その言葉は私にとって、非常に都合の良いものであったことだけは間違いない。
「無論だ。私は、今すぐ王と話がしたい。ここは任せて良いか?」
これは賭けだ。場合によっては、悪いことを考えていると判断される可能性もあるだろう。
だが、私はこの指揮官の雰囲気から何となく、勝算が高いと感じていた。
「良かろう。貴殿の提言が、ウトガルドにとって価値あるものとなることを祈る。私は血気盛んな若者達を抑えておこう。今、単騎で突撃すれば勝てるというのが数人いるのだ。笑えるだろう?」
指揮官は真面目くさったように言った後、冗談のような調子で付け加えた。
おそらく苦労人であろうな、この初老の指揮官は。
「フッ。そいつは笑えるな。いいか、少しでも損耗を抑えたければ、氷漬けにされた兵達は置いていけ。そいつらはスルトに手厚く保護され、戦後元気に帰って来る。だから気にするな」
私は飛空艇に向かって撃っていた魔法を止め、すぐに後方へ向かう準備をする。
ついでに、少しだけ助言をしてやった。
「そうか。なぜスルトが氷魔法にこだわっているか気にはなっていたのだ。ヴィーグの噂は本当だったのだな」
指揮官は私の助言を聞いて納得したようだった。
噂が本当であることは間違いなかろうが、その噂はこの戦争に向けて意図的に流されたものであるやもしれぬがな。
それは黙っておこう。
「では、さらばだ。ゆくぞ、ペトラ」
「え、ええ…」
やや困惑気味のペトラを連れ、ウトガルド王がいるであろう後方へと向かう。
スルトの攻撃は、明らかにぬるい。
私でも、この程度の攻撃ならば危険を感じることもないほどに。
スルトが手段を選ばなければ、もうこの戦争は終わっていただろう。
それだけの力を、今のスルトは持っている。
私達がまだスルトにいた頃、ワトスンは大国連合と戦争をすれば大きな犠牲が出ることを懸念していたはずだ。
それは手段を選ぶ余裕がなかったからであろうと推測できる。
逆に言えば、今明らかに手段を選んでいるこの状況は、スルトに余裕があり犠牲を抑えようとしている証左ということだ。
そう考えると、戦場がセイ・ワトスンの制御下にある限り、ペトラに命の危険がおよぶ可能性は低いはず。
そして、この戦場で最もセイ・ワトスンの制御下から外れそうな人物。
それは、ウトガルド王で間違いない。
「ペトラ。君は万が一の可能性にかけてここに来たのだろう? 再び、王座に返り咲くことを願って。そうすれば、ビクトリアが喜ぶと思ったのだろう?」
戦場を歩きながら、ペトラに語りかける。
「私は…。そう、かもしれない…」
ペトラはとても青い顔をしていた。
口では「死んでも」というようなことを言っていたが、戦場でのペトラは明らかに死を恐れていた。
生きたがっていた。
それは私にとっては、とても嬉しいことだった。
「ビクトリアが1番喜ぶのは、君が生きていることだ。君の元気な顔を見たいと、今もきっと思っている」
「……」
ペトラは答えなかった。
ペトラもある程度力を持った魔法使いだ。
少し戦場を体験しただけで、どちらの国が強いかはすぐに分かったはずだ。
そして、それを単騎で覆す力が、自分にないことも。
「私はこの戦争を止めようと思う。君をもう1度、ビクトリアに会わせるために。いいね?」
「……」
ペトラは答えなかった。だが、沈黙が答えだ。
昨日までのペトラなら、止めるなんてとんでもないと食って掛かってきただろう。
現実を突きつけられたペトラも心配だが、それはビクトリアとノバクに任せる。
私は、私なりにできることをする。
この会話がセイ・ワトスンに聞かれているであろうことも、その1つだ。
「ウトガルド王。国境砦に着いたら、重鎮を集めて会議をしよう。この戦争の行く末について話し合いたい」
私達がウトガルド王の元に辿り着いたとき、国境砦はもうすぐ近くというところまで来ていた。
スルト軍は、どうやら前線の魔法使い達に足止めされているということにしているようだ。
私が力を込めて言った言葉に対し、周囲の者達はやや期待を込めたような目でウトガルド王を見た。
「もう勝ち目はないから戦争を止めようという相談かな? ダメだよ。それでは意味がない」
ウトガルド王は、にべもなくそう言った。
「意味とは? …この戦争に、これ以上なんの意味があるというのだ!?」
お前はずっと、何を考えているのだ!!




