第140話 終わりだ
「だから……」
一様に青ざめるウトガルド軍の中で、1人の将校が避難するように声を上げた。
「だから、罠だと言ったのだ!」
正面の空を埋め尽くすほどの、飛空艇とドラゴンの群れ。
測ったように綺麗な半円形に布陣された兵達。
その兵数は、どう少なく見積もってもウトガルド軍の倍。いや、3倍以上いるだろう。
それらが、今、ウトガルドの魔力索敵に引っかかったと同時に姿を現したのだ。
ウトガルド軍はこれに近い状況を想定していなかったわけではない。
魔力索敵に引っかかった瞬間から、その方向に速射性能の高い魔法を一斉射撃した。
しかし、あっさり全て防がれた。
何十、いいや何百層という防御魔法が一斉展開され、爆炎が晴れた今も、スルト軍は完全に無傷な状態を保っている。
防御壁は、数十層くらいは、割れただろうか…。
蹂躙される。
きっと、ウトガルド軍の全員がそう思ったに違いない。
出兵の時の士気の高さなど、もはや感じられない。
一部の者を除いて、殆どが怯えてしまっている。
やはり、勝ち目はないか…。
ペトラを守らなければ。
ビクトリアのもとに帰すのだ。
この命に替えても。
「国境砦まで後退して布陣する! 魔法部隊は全て前列へ! 敵軍の足止めをしつつ後退しろ!」
指示を出す将軍の言葉を聞きながら、私は強く拳を握った。
ウトガルド軍の出兵から半月あまり。
行軍は順調だった。
いや、不自然に順調だったと言える。
予想されていたスルトの襲撃や妨害、暗殺などはなかったが、最初の宿営地とした町の他には立ち寄ったどの町にも人はいなかった。
ウトガルド国内ですらだ。
セイ・ワトスンが最初の町で起こった略奪を見て、事前に一時避難させたとみて間違いないだろう。
ペトラも私と同意見で、ウトガルドの者達にはその推測を報告した。
また、ウトガルドがスルトに攻め込むには、間に挟む2つの小国を先に攻め落とす必要があったが、1つめの国の国境砦も空になっていた。
2つの小国は、国際大会で最後までウトガルドとスルトどちらにも恭順しない姿勢を示していた。
そのうち1カ国の国境砦が放棄されている。
明らかに不自然だった。
「これは間違いなくスルトの罠です。我が軍を引き込むだけ引き込んで、有利な地で待ち伏せているのでしょう」
軍議の際に、ある将校がそう言った。
彼の言っていることは、おそらくその通りであろう。
だが、その意見が何の意味も持たないことを、ウトガルド軍の上層部の全員が知っていた。
「では、どうすればいいと言うのだ? 常にスルトの待ち伏せや奇襲を警戒するということ以外でだ」
将軍が彼に質問を投げかけると、彼は言った。
「予定の経路を変える、もしくは先遣隊を出して様子を見るのがよろしいかと考えます」
その意見を聞いた将軍はため息をついた。
私も同じ気分だった。
周りも、やはりかという顔をしている。
「いいか。スルトはこちらの全ての情報を把握している。経路を変えても、同じことが起こるだけだ。そして先遣隊を出せば、誰も帰ってこない。戦力の逐次投入をするだけの結果になる」
将軍は彼に説明をしてやっていた。
情報を全て把握されていることで最悪なのは、対処法がないということだ。
常に相手有利な状況で戦うことを強制される。
勝つ方法はおそらく、罠にかかってなお圧倒することだけだろう。
そのための大国同盟であり、『拳聖』投入だったはずだ。
ステファノス・ワウリンカはできる限りのことをやったに違いない。
大国同盟は、おそらくすでに瓦解しているだろう。
つまりこの状況は、もう詰んでいるはずなのだ。
ウトガルド王もそれは分かっているはずなのだが…。
ウトガルド王の様子を見ると、彼は軍議の様子を興味深そうに見ていた。
「そ、それでは…」
将校はようやく正しく状況を理解したようで、絶望したような声を出した。
「余はスルトに恭順するつもりはない。余が大陸を統べるか、スルトが統べるか、2つに1つだ。分かったな?」
最後にウトガルド王は、念を押すようにそう言っていた。
ウトガルド王はペトラと同じなのだ。
彼は、ここで死ぬつもりに違いない。
今日はよく晴れた日だった。
ウトガルド軍は国境砦を離れ、この小国の王都に向かっていた。
やけに広大な、よく開けた平原だと思っていた。
スルト軍が隠れられるような場所はなく、遥か遠くまで続く太い一本道を、ウトガルド軍は行軍していた。
スルト軍が"集団転移"によって突然現れる可能性は、ウトガルドに報告済みだった。
そして、私はその弱点を知っていた。
あれは、スルティア学園の敷地内に用意された、約300メートル四方の空間内に配置したものを転移させる魔法だ。
つまり、いきなりスルト軍が現れる可能性はあるが、その時は300メートル四方にまとまって現れるはずなのだ。
しかも、突然視界が変わるなどの弊害で、ほんの一瞬だけ隙ができるはずである。
頭にその可能性をしっかり入れていれば、現れた瞬間に一斉射撃を行うことで有利が取れる。
そのはずであった。
何が起こったのかは分からない。
分かっていることは、『魔力可視化』『魔力数値化』などの神に愛された能力者達が、ある一線を越えた瞬間に無数の魔力反応を捉えたということである。
「前方に、いえ、前方180度全てに魔力反応!?」
「こちらも同様です!!」
「こちらは前方から右90度まで全てです!」
焦った能力者達の声を聞いた瞬間、私は魔法の詠唱を始めた。
ペトラも私より一瞬遅れて詠唱に入ったようだった。
どういう方法かは分からないが、おそらくスルト軍が前方180度全てにいる。
そう思った瞬間、突然何も無い空間に色が付いたようにスルト軍が一斉に浮かび上がった。
詠唱は完了した。
しかし、どこに撃てば…。
すでに当初の作戦は破綻している。
だが、撃たないより撃ったほうが良いのは明白だ。
「正面! 上空の飛空艇群に一斉射撃! 始めぇ!!」
将軍の一声で、私とペトラを含む正面を狙える魔法使い達が一斉に魔法を放つ。
私も速射性が高く、かつ威力も出やすい火球を正面に無数に浮かぶ飛空艇に向かって連射した。
だが、遅かった。
とてつもない数の防御魔法がスルト軍の前面に展開されていたからだ。
ウトガルド軍の一斉射撃が、何枚かはその防御壁を割るところを視認したが、あとは爆炎に包まれて何も見えなくなった。
「何機かは、墜としたかしら…?」
「………」
ペトラの呟きに、私は答えることができなかった。
やがて爆炎が晴れて、全く無傷のスルト軍が見えてくると、先日の軍議で意見をしていた将校の悲痛な声が聞こえてきた。
「だから、罠だと言ったのだ!」
終わりだ…。
やはり、勝ち目はないか…。
ペトラを守らなければ。
ビクトリアのもとに帰すのだ。
この命に替えても。




