第125話 ペトラとビクトリア
「なんだか騒がしいけれど、どうしたのですか?」
「「母上!」」
私とノバクが玄関ホールで言い合っていると、母上が寝室から出てきて私達に声をかけてきた。
普段、私達が帰宅してもベッドの上から動かない母上が。
私達の声から、なにか不穏なものを感じたのかもしれない。
でも、好都合だわ。
思ったより少しだけ早かったけれど、母上に報告をして褒めてもらおう。
私は期待と、ほんの少しの不安を感じながら口を開いた。
「母上、お喜びください。王座奪還の手はずが整いました。ウトガルドの協力を取り付けることに成功したのです」
「姉上っ!! お止めくださいと申し上げたはずです!」
私をたしなめるようにノバクが声を上げる。
愚かな弟め。
お前のせいで母上の判断が鈍ったらどうしてくれる。
「そうですか。…ノバク、貴方はどうするのですか?」
ノバク…。
また、ノバク。
母上も父上も、常にノバクが最優先だ…。
ノバクさえ、いなければ…。私は…。
「ウトガルドに亡命してスルトと戦ったところで、勝ち目は万に一つもないでしょう。私は名誉ある犬死によりも、恥を忍んでスルトで這い上がりたい」
は?
こいつは何を言っているのかしら?
「ノバク、正気なの? スルトでどれだけ這い上がっても、ミロシュやワトスンのような平民上がりどもより立場が良くなることはないわよ」
それでは母上の望みは叶わない。
私は愚弟にそれを教えてやった。
「自分なりに高みを目指したいのです。どこまでいけるか挑戦したい。セイ・ワトスンの予想すら覆す程まで到達して、奴を見返したいのです」
どうしたの?
ノバクはこんなことを言うような男ではなかったわ。
平民に心を折られて、変わってしまったのかしら?
とても今までの弟とは思えない。
「アンタ…気でも狂った? そんな、まるで平民より下だって認めるようなこと、王族が言っていいわけがないでしょう。ねえ、母上?」
少し動揺したものの、私はノバクをバカにするように言ってやった。
だって、母上の教えと全然違うのだもの。
「そうね…。でも、もう私は王妃ではないわ。世継ぎのことで、もう誰も私を責めない。平民は忌々しいけれど、全部は奪われなかった。貴方達とファビオさえいれば、もうそれでいい…」
母上は…、何を…、言っているの?
つまりは、どういうこと?
ノバクについて、私とウトガルドに行かないってこと?
「王座を、取り返す準備ができたのです! 貴い者が世を統べ、平民を根絶やしにする。そうでしょう!?」
私は声を荒げ、大げさに手を振って母上に訴えた。
だって、他でもない母上から、そう教わったのだから!
「今までは、そうしなければ死ぬしかないと思っていたわ。でも今は、余計なことをしなければ、これ以上何も失わずに済むのでしょう?」
余計なこと?
私が、必死で考えて、たった1人でウトガルド王に話を付けたことが?
本当は不安で怖かったのに、母上のために頑張ったことが!?
「それでは何も得られない! ずっと、憎いミロシュの下で惨めに生きることになるのよ!」
私は泣きながら母上に叫んだ。
「そうね…。辛いけれど、仕方がないわ」
母上はまるで、しょうがない子を見るような優しい目で私を見た。
嘘だ。違う。
私の知ってる母上は、王座を取り返すことを、お喜びになるはずなのに。
「姉上…。母上は、姉上を失いたくないのです…」
ノバクが後ろから、そっと私の肩に手を置いて言った。
そうだ、ノバク…。
こいつさえ、いなければ…。
「触るなーっ!!」
私はスカートの下に隠し持っていた短剣で、振り返りざまにノバクを刺した。
ズブリと、思ったよりも柔らかい感触がする。
「うっ…」
耳元で、ノバクのうめき声がした。
「はぁ、はぁ…。アンタさえ、アンタさえいなければ…」
母上は、私を見てくれるのに。
「あ、姉上……。どうして………」
ノバクは数歩後ずさり、短剣が抜けて血が滲み出した腹を押さえ情けない声を出しながら、崩れるように膝をついた。
「ノバクッ!!!」
母上がノバクの下に駆け寄ろうとする。
やっぱり母上の目には、ノバクしか映っていない…。
涙が溢れてくる。
私はノバクの血がついた短剣を強く握りしめて、母上に突き出した。
今度は、さっきのような柔らかい感触が、しなかった。
「こんな胸糞悪いことになると分かっていれば、何が何でもウトガルド陣営には行かせなかったのに…」
いつの間にか私と母上の間に現れて、短剣を指で挟んで止めた奴が喋る。
「セイ・ワトスン…。この、平民がぁ…!!」
憎しみを吐き出しながら、短剣に力を込める。
どんなに力を入れても、"身体強化"を使ってさえ、震える程しか動かない。
「見てらんねぇな、ペトラ。お前を見てると、昔のネリーを思い出すよ。全っ然、似てないのにな」
短剣をつまむ平民は、力を絞り尽くしている私に対し、涼やかな声で訳の分からないことを抜かし始めた。




