第109話 違和感
『拳聖』クリストファー・ガルフィア。
ウトガルド王国最強の男で、戦闘力という点でスルトの大陸統一にあたって最も脅威となる人物。
ウトガルド王に絶対服従を誓っているために、おそらくどちらかが死ぬことでしか決着がつかない相手。
人となりを含め、できれば戦いたくなかった。
やはりというべきか、上手くいかなかったな。
オレから視線を切らさずバックステップで距離を取り、振り返って9層に上がる階段に向かって走り始めた『拳聖』を見ながら、強くそう思う。
『小僧。感傷に浸っている場合ではないぞ』
『イザヴェリアを戦場にするわけにはいかないわ。やるわよ、セイ!』
大賢者の爺さんとネリーが、戦闘に早く入るよう催促の念話をしてくる。
同時に、『拳聖』と9層への階段の間に、大きな炎の壁が立ち上った。
大賢者の爺さん、ネリー、ミカエルによる妨害だ。
それに対して、『拳聖』は走りながら胸に右手を当て、"風纏"を使いながら突っ込んでいく。
そして炎の壁に向かって、走る勢いのまま右ストレートを放った。
「"剛拳"!」
とてつもない速度で振り切られた右拳が、一瞬だけ緑色に発光する。
"魔拳流拳法"
攻撃に合わせて完璧なタイミングで、絶妙に調整された魔力を体外に放出することで、"打消"に近い効果を発揮することに成功した、『拳聖』自身が生み出した拳法。
『拳聖』の拳が炎に触れた箇所を起点に、炎の壁に大穴が空く。
拳を振り抜いた姿勢からすぐにまた走り出した『拳聖』は、その炎の大穴をくぐって再び9層への階段へ向かおうとしている。
さすがに一筋縄ではいかない相手だ。
オレも右手を胸に当てて、"宣誓"する。
「"収束雷纏"」
頭上からオレに、"収束"で強化された特大の雷が落ちる。
レベル70を超えたことで、ついに使えるようになった魔法の行使法、"収束"。
今までとは桁違いの出力の雷魔法による"纏"は、威力も速度も桁違いになる。
背中の鞘から虹色の剣を抜き放つと同時に、炎の壁の向こう側に抜けた『拳聖』に対して"落雷"を放った。
『切り札』を使っている今のオレは、『拳聖』の全ての情報を直接手にしている。
視界に入らない場所でも攻撃を当てることは容易だ。
『何か違和感があります。お気をつけを』
『アカシャもそう思うか。『拳聖』の精神状態も動きも、異常は見られないけど違和感があるんだよな』
魔法を放った直後。アカシャがオレに、いやオレを含む全員に警戒を促す念話をしてきた。
その違和感はオレも感じていたもので、言い表しづらいけど、異常がないことが逆に違和感となるようなものだった。
それについて考えをやめるつもりはないが、かといって手をこまねいて見ているわけにもいかない。
その違和感を警戒しながら、戦う。
「っ! 柔拳!」
『拳聖』は突然降り注いだ雷を、頭上にかざした右の手のひらでいなした。
雷は緑色に光る『拳聖』の手のひらに触れた瞬間、わずかに右に進路を変え、逆にわずかに左に移動した彼の足元に着弾した。
魔法をいなしたこと自体よりも、雷の速度にすらタイミングを合わせられる反応速度が脅威だ。
でも、いくらなんでもこれに拳を合わせるのは無理だと、情報が教えてくれている。
オレは『拳聖』が"落雷"を躱すために左に移動するのと同時に、彼の着地点の左斜め後方から虹色の剣を切り上げていた。
"収束雷閃"
"収束雷纏"により雷を超える速度で移動し、その速度の中で剣術"一閃"を繰り出す、今のオレの最速かつ高威力の攻撃。
それを『拳聖』の人体構造上絶対にオレに拳が届かない位置から、避けた直後の体勢が崩れたタイミングで放つ。
これで決着が付くとは思わないけれど、さすがにこの攻撃は入るはずだ。
「…!」
突然死角に現れたオレに気配か何かで気付いた『拳聖』が、驚愕の表情で振り返り、すでに斬られる直前なことに気付いてさらに表情を険しくさせる。
それでも驚くべき速度で左腕を振り上げた『拳聖』は、剣閃を拳で受けることはできずとも、前腕で受けることに成功した。
ゴツンッ。
およそ剣で人の腕を切ったとは思えない衝撃が伝わってくる。
何とか肉は切れているようだが、骨で止められているのだ。
『拳聖』の神に愛された能力、『剛腕』の効果。
腕力が大幅に上昇するだけでなく、腕自体が大幅に強化されている。
"身体強化"との相乗効果でそれがさらに超強化されるのは、『頑強』のボズや『俊足』のサムと一緒だ。
だが、オレは構わず剣を振り切る。
切り上げにした理由の半分はこのため。
いくら力が強くても、踏ん張ることができなければ受け止めきれるのは自重まで。
つまりオレの剣閃を受けた『拳聖』がどうなるかというと。
剣にすくい上げられるように、思いっきり吹き飛ぶ。
「くっ…!」
『拳聖』は歯噛みしながら、"風纏"で吹き飛ばされる速度を殺していき、最後に凝縮された風を足場にして止まろうとした。
が、その地点にはすでに仲間達それぞれの最強魔法が殺到するところだった。
「なにぃっ!?…………」
それに気付いた『拳聖』は、先程まで以上の驚きの反応を示し、何かを決意したような表情をした。
『"柔拳乱舞"の構え。さすがに全部を躱すってことはないだろうから、着弾の隙を狙って追撃する』
全員に次の行動予測を伝える。
『楽勝なの』
『いや。決して油断してはいけないよ、ベイラ』
『そうじゃ。ワトスンやアカシャ殿も違和感があると言っておったじゃろう。警戒せよ』
軽口を叩くベイラに、アレクと学園長が注意する。
そう、どこか違和感があるんだ。
ほんのわずかに、何かが違うような…。
オレは『拳聖』の情報を注視しながら考えを巡らせる。
『拳聖』は横に手を広げ、空中でプロペラのように回転しながら、手のひらを…。
『『『違う!!』』』
オレとアカシャとアレクが同時に念話で叫ぶ。
"柔拳乱舞"は手のひらを、物を押すように立てる。
今『拳聖』がやろうとしている何かは、手のひらが伸び、手刀のような状態になっていた。
『避けろ!!!』
「"飛拳乱舞"!!」
オレの念話での叫びと、『拳聖』が技を繰り出すのは同時だった。
違和感。
初めて使う技が、途中まで他の技と同じ動きで、これほど洗練されている?
そんなことがあるのか?
加速する思考の中で、先程の『拳聖』の決意の表情がこの相打ちを狙ったものだったということに、オレはようやく気が付いた。




