第108話 『拳聖』クリストファー・ガルフィア
ダンジョン・イザヴェル10層。
森の階層だ。
聞いた話によると、この階層に例のりんごが生っているらしい。
周囲を見渡しながら森に入る。
ここまでスルトからの接触はまだない。
おそらくワウリンカとの会話を聞いていて、私がダンジョン産りんごを採った後の反応を見てから対処しようと考えているのだと思われる。
そう思っていたのだが、それは突然、何の前触れもなく前方に現れた黒髪黒目の少年によって裏切られた。
反射的に戦闘態勢をとったが……、絶妙な立ち位置。
私の間合いを把握しているとしか思えないな。
「初めまして、『拳聖』クリストファー・ガルフィアさん。セイ・ワトスンと申します。今の状況で、このダンジョン・イザヴェルに何用でいらっしゃったのでしょう?」
まだ声変わりし始めといった感じのセイ・ワトスンの声。
口調はとても丁寧だ。
しかし、嫌な予感がする。
彼が現れたのとほぼ同時に、複数の気配が現れた。
そして、予想と違い彼は真偽判定官を連れていなかった。
「初めまして、ワトスン君。昨日の君の活躍は見ていたよ。素晴らしかった。今日私が来た目的だが、もちろんダンジョン探索だ。ここで採れるリンゴを食べてみたくてね」
ひとまず、私も挨拶をする。
発した言葉は、嘘ではない。
さて、どう出る?
「本当に、それだけですか?」
「もちろんだ」
今日は、ね。
セイ・ワトスンの質問に対して、私は意図的に言葉を省いて答えた。
これで、真偽判定には引っかかることはない。
その真偽判定をする者がいないように見えるのは、不可解だが…。
「そうですか。堂々と言うからには、それは嘘ではないかもしれませんね。しかし、ここから先に進むのは禁止させていただきます。投降してください」
セイ・ワトスンの言いように、私は少し眉をひそめる。
「…なぜ、真偽判定官を連れてこなかったか、聞いてもいいかな?」
「惑わされないためですよ。迷わないためと言い換えてもいい」
真偽判定に抜け道があることを熟知しているような答えだ。
やや言い方に含みがある気がするが、それが何か、すぐには分からなかった。
「…分かった。大人しく引き返そう。それでいいかな?」
私はセイ・ワトスンにそう提案した。
元々、今日はダンジョン産リンゴを採って引き返す予定だった。
今引いても構わない。
大戦が起こるまでにダンジョンを解放する。
それが私の計画だ。
ワウリンカは私に話を持ちかけ、ある程度具体的な指示も出したが、あれが本心であったとは私には思えなかった。
敵に情報を与えないため、あえて本心を隠して、あのような言い方をしたのではないかと思うのだ。
ワウリンカの言葉をそのまま受け取ると、イザヴェリアでスルトと揉めて、イザヴェリアを滅ぼすことが最上であるかのように聞こえた。
しかし、ならば"イザヴェリアを滅ぼして来い"で良いだろう。
私とワウリンカをウトガルドから追放するならば、これで確実に揉められるはずなのだ。
守りに来ないはずがないのだから。
揉めるのがイザヴェリアではなくスルト王都になる可能性があるが、むしろその方がスルトのダメージは大きいはず。
だから、私はワウリンカの言葉を、"スルトを出し抜いてダンジョンを解放して来い"、と捉えることにした。
正解かは知らないが、成功すれば浮遊大陸貿易は途絶え、天を突くダンジョン解放の光は世界中にスルトの弱体化を知らせる狼煙となるだろう。
それは調略合戦で苦戦をしている大国連合の希望の光となるはずだ。
本当にダンジョン探索を楽しんでいると見せかけて、スルトが油断したところで一気にダンジョンを攻略し、解放する。
無論、調略を考えると早く解放することが望ましいが、強引に突破しようと試みても成功する確率は五分もないだろう。
私は戦闘態勢を解き、踵を返そうとした。
だが、それは許されなかった。
「申し訳ありません。ここに入ってしまったからには、投降する以外に貴方が帰る道はない。ウトガルドよりも待遇を良くすることは約束します。投降してください」
「投降か、死か。そういう訳かい? ずいぶんと聞いていた話と違うな。君はこんな騙し討ちをするような性格ではなかったはずだ」
ワウリンカの分析では、自国が不利になっても他国の虐殺を止めに来る、正義感に酔った甘い子供だったはず。
「決めたんですよ。怖くても、オレなりにできることは全部やるって。好きなだけ罵ってください。その事実を受け止める覚悟はある。地獄まで付き合ってくれる仲間もいる」
力強い目…。
動揺を誘う言葉にも迷いなしか。
これは、考えていた人物像とは違うな。
だが、甘い部分がないわけではない。
投降を促さずに不意打ちすれば有利をとれていたろうに、それをしなかった。
「投降はできない。我が王には個人的な恩がある。私がどんなに強くても絶対に叶えられなかった望みを、あの方は叶えてくれた。私もあの方に、地獄まで付き合うと決めているのだ」
不治の病に侵されていた息子に、王城にたった1本だけ秘蔵されていた神級ポーションを使ってくださった。
ウトガルドの歴史上でもあの1本しか発見されていないとされ、私が血眼になって探しても未だ代わりを見つけることができない神級ポーションを。
あっさりと。何の対価もなく。
「投降してくださるなら、ウトガルド王も悪いようにはしないとお約束します」
私はセイ・ワトスンの言葉に対して、自嘲気味に笑った。
「知っているのだろう? あの方には破滅願望がある。どんなに待遇が良かろうとも、穏やかに平和に生きることを望まれることはない。相容れないのだよ、君達とは」
ワウリンカのような者を重用しているのも、そのせいだ。
いくら優秀でも、あれを使うのは危険だ。
だがあの方は、だからこそ面白がって使っている素振りがある。
とはいえ、神級ポーションを使うことに頓着が無かったのは、そのおかげと言える。
どうあれ、私はあの方の望み通りに働くのみだ。
「残念です」
セイ・ワトスンの雰囲気が変わった。
来る。
「ちっ。そういうことなら、私にも考えがある」
逃げてダンジョンから出るには、潜りすぎている。
同様に、踏破までは遠すぎる。
戦うしかないが、索敵をするまでもなくセイ・ワトスン以外にも複数の気配を感じる。
私は走り出した。
来た道を戻るように。
せめて、対処を誤ればダンジョンから脱出されるという精神的圧力をかけながら戦う。
陣形も少しは崩すことができるかもしれない。
そして、私を止めようと近づく者がいれば、それを仕留める。
セイ・ワトスンだけは最初の1撃で、確実に殺す。
彼に絶対に気付かれない方法で、その準備はしてきた。
真偽を確かめずに殺しに来るのは想定外ではあったが、こうなる可能性を全く考えなかったわけではない。
さすがにこうも不利を押し付けられると厳しいが…。
やってみせよう。
ここでスルトの強者を全員葬るしかあるまい。




