第95話 スルトの発展の一方で…
近頃のスルトの発展は目覚ましい。
銀行、郵便局、ゴミ処理施設などができ、病院や学校なども新たに作られたことにより、このスルト王都は貴族か平民かに関わらず暮らしやすくなったと言われている。
浮遊大陸貿易で商人達が得た莫大な利益は王都にも還元され、以前とは比べ物にならないほど活気に満ち溢れている。
それは王都を少し歩くだけでも感じられることで、私をみじめな気分にさせていた。
「くそっ…。またか…」
スルティア学園からティエム王族公爵邸に帰宅すると、屋敷を囲む塀に落書きがされていた。
私達家族に対する罵詈雑言がいたるところに書かれている。
見張りは何をしていたと言いたいところだが、この屋敷に見張りはいない。
ミロシュに王座を奪われてから約1年…。
王族公爵家でありながら、私達に仕えるのは身の回りの世話をするほんの一握りの者だけだ。
その者達ですら、私達には極力関わろうとしない。
この1年で、今まで私達に群がって来た貴族達が、私達ではなく王位継承権に群がっていたのだということを、痛いほど味わった。
「"洗浄"」
父上から教わった洗浄の魔法で落書きを消し、重い足取りで屋敷へと入る。
現状の全てが、私がどれだけ愚かだったかを突き付けてくる。
この1年、毎日そのことに打ちのめされている。
「ただいま帰りました」
屋敷に入って声を上げるが、反応がない。
虚しく響くだけだ。
初めの頃は母上が嬉しそうな足音を響かせながら、出迎えてくれた。
しかし、今はそれもない。
母上は再び心を痛めてしまわれた。
我々は、恨みを買い過ぎたのだ。
特に平民からの。
父上を除き、私達はなぜ今まで自分達が害されなかったかを理解していなかった。
いや、父上すら本当の意味では理解していなかったのかもしれない。
権力という盾がなくなり、王族公爵家と言えども、一度"叩いても良い"という雰囲気が出来てしまえば、もうどうすることもできなかった。
日増しに増える嫌がらせの数々。
力のある私達に見つからないよう、あの手この手で行われる嫌がらせは陰湿を極める。
やはり平民は性根が腐り切っている。
しかし私達にはもう、軽々に平民を罰する力すらない。
ミロシュやワトスンから厳重に注意されているからだ。
平民・貴族に関わらず、私達が無実の者に危害を加えれば極刑もしくは爵位の剥奪と聞いている。
身の危険を感じない限り絶対に手を出すなと、父上からも固く言い付けられている。
セイ・ワトスンを欺くことは不可能だ。
ゆえに私達は、ただ耐えるしかない。
憂鬱な気分で母上の寝室のドアを開ける。
やはり母上は、今日もここのベッドの上で、膝を抱えて座っていた。
「母上。ただいま戻りました」
「…おかえりなさい、私の可愛いノバク。外は危険だったでしょう? 大丈夫でしたか?」
「ええ。もちろん。変わりありません」
私は母上に声をかけ、母上に嘘を付きつつ、ハグをした。
学園での私は、過去やってきたことへの報復を受け続けている。
回復魔法や洗浄魔法がなければ、母上の前に顔を出すこともできなかったかもしれない。
学園でのイジメは、ワトスン達によって固く禁じられている。
しかし私と姉上に対してのものだけ、明らかに見逃されていた。
だから一度だけ、私はワトスンに皮肉を言った。
その時のワトスンは困ったような顔で、こう答えた。
「あまりに過度でなければ、やられたことをやり返すくらいは見逃さないと、さすがに不満が出るだろ?」
この言葉をワトスンに言わせてしまったことは、大きな失敗だった。
それまでワトスンの方針があるから我慢してきた者達に、言質を与える結果となったのだ。
この時を境に、むしろ私に手を出して来るものは増えた。
私は誰に何をしたかなど殆ど覚えていないが、未だに毎日、誰かに何かをやり返されている…。
私が母上の話し相手になっていると、姉上がお帰りになった。
母上の寝室のドアを乱暴に開け放ち、入ってくる。
「戻ったわ! 聞いてよ! 今日の報酬、たったのこれだけよ。シュウの奴、これ以上の報酬は出せないって。私を誰だと思っているのかしら!」
姉上は一握りの銀貨や銅貨を床に叩きつけ、鬼のような形相で言葉をまくし立てる。
姉上は今年の3月に、失意のうちに学園を卒業した。
元生徒会長として、そして第一王女として華々しく社会に出ていくはずだった姉上は、有力な貴族と婚約することも、王城の要職に就くこともできなかった。
それどころか、姉上を受け入れる者すらどこにもいない始末。
あれだけいた姉上の取り巻きも、手のひらを返したように姉上を遠ざけていた。
最近になってマスター・シュウに冒険者として誘われるまで、姉上はただ屋敷にいるだけの日々を送っていた。
「お帰りなさい、ペトラ」
「お帰りなさい、姉上。マスター・シュウが、姉上への報酬を不当に減らしたのですか?」
母上と共に姉上に挨拶をした私は、質問をした。
まさか、あの男までミロシュやワトスンの顔色を窺い始めたのか?
怒りと恐怖が湧き上がってくる。
「いいえ、正規の報酬しか渡さなかっただけよ。でも、この私に特別な計らいをするのは当然でしょう。向こうが誘ってきたのだし」
姉上はイライラを隠さずに言う。
「それはそうですが…。奴の申し出は正直、渡りに舟でした。事を荒立てることはしなくてもいいのでは?」
領地を与えられてない私達に入ってくる収入は、基本的に貴族年金だけだ。
そして、私達はその年金だけでは暮らしていけない状況にある。
商人達は私達にまともな値段では物を売ってくれない。
法外な値段を吹っ掛け、嫌なら帰れと言う。
値段の違いこそあれ、どの商人もそうだ。
一度我慢ならずに商人を無礼討ちしようとしたが、どこからともなく現れたセイ・ワトスンに止められた。
つまり、私達に打てる手はない。
法外な値段で物を買わざるを得ないのだ。
許せん。
許せんが、どうしようもない…。
「ふん。分かってるわよ。だから、我慢してチンケな報酬を受け取ってきたんでしょ」
ドカッとベッドに腰掛けながら、姉上が言う。
確かにそうだ。
でも、姉上には危ういところがある。
いつか私のように、セイ・ワトスンにちょっかいを出してしまいそうな危うさが。
私と違って、姉上はワトスンに心を折られないまま今の立場に落とされた。
今なら分かる。
父上や宰相やロジャーが、私を必死に止めようとした気持ちが。
全てが遅かったが、それでも姉上と母上だけは、私が守らなくては。
「ラファが平民に負けさえしなければ…」
母上がボソリと呟く。
「そうね。あの平民さえいなければ。それを考えない日はないわ」
姉上もボソリと呟いた。
「母上、姉上。私もあいつのことは殺したいほど憎い…。ですが、絶対にワトスンに手を出してはいけません。出せば今度こそ、私達はおしまいです」
私はベッドの下に跪き、2人の手を取って祈るように言った。
「それ、アンタが言う?」
姉上が鼻で笑って言った言葉は、いつまでも私の耳に残った。
家族のために必死に功績を立てようと奮闘しているファビオ。
そこには誰も触れず。何ならミロシュに尻尾を振る裏切り者くらいに思われてたり。
全て身から出た錆ですね。
これは本編に書かないかもしれないので、一応。
それから、他者様の作品ですが『剣と魔法と学歴社会』が凄く面白いので、まだの方にはぜひオススメです。




