第25話 エゴ
ああ、どうして、どうしてこんなことに…。
オレはしばらくベッドに腰かけたまま頭を抱えていた。
いかがいたしますか、というアカシャの言葉がずっと頭の中でリフレインしている。
決めるしかない。決めねばならない。
正直、どうしたいかは決まっている。
でも、それを選んでいいものなのか。
「アカシャ…。時間を巻き戻すような魔法って、ないよな…?」
「はい。この世界はもちろん、神様でさえも、過ぎた時間をなかったことにはできないのです」
そうだった。それが出来ないから、オレはこの世界に転生したんだった。
あまりにも何もかもが上手くいかなくて、思考が完全にぐちゃぐちゃになっている。
後ろに倒れこみ、ベッドに身を投げ出して天井を見つめる。
「ちくしょう。うまくいかねぇなぁ…」
ついつい独り言が口から出る。
オレはクズだ。
オレがこうしてぐだぐだ悩んでる間にも、救えたはずの人が何人か手遅れになっていることは間違いないだろう。
そもそも、なぜ悩んでいるか。
見ず知らずの人なんて見捨てて、盗賊団の問題をなんとか解決して、楽しく生きていきたいからだ。
今まで助けられる人は助けるとか言っておきながら、人生の全てを人命救助に費やすことになると聞いたとき、嫌だと思った。
偽善。自己満足。
結局のところ、オレは自尊心を満たすために人助けをしていたに過ぎなかった。
どうしようもないクズ野郎である。
それに気付いてしまった。
今、人を助けたくて悩んでるんじゃない。
人を見捨てたくて悩んでいる。
オレの中にある常識が、そんなことが許されるものかと叫んでいるから、見捨てられる言い訳を探している。
オレは、そんな男なのだった…。
追い詰められて追い詰められて、自分と向き合った結果、反吐が出るような自分の内面を見てしまった。
あわよくば時間を巻き戻して、なかったことにしようとさえする醜悪さ。
最低じゃねぇか。
日本にいたときに大好きだった漫画やアニメに出ていたヒーロー達だったら、どうすんだろうな。
きっと自分の人生なんて投げ出して、全部救っちゃうんだろう。
正義の味方。すげぇよ。
なれるものなら、なってみたかった。
ベッドの上で1人でぐじぐじと悩んでいると、近くに浮かんでいたアカシャが仰向けになったオレの腹の上に降りてきて、ちょこんと座った。
銀色の鱗粉みたいなものが、いつも以上に綺麗に見えた。
ちょっと涙目になってるからかな。
アカシャはいつもどおりの冷めた表情をしているが、はっきりとオレに向けて固定された視線が何かを訴えているようにも見える。
今、もう一度いかがいたしますかって聞かれたら、どうしよう。
心が折れるどころか、粉微塵になるかもしれない。
「ご主人様。私は、このような時にどうやってご主人様を元気付ければ良いか分かりません」
消え入りそうな声だった。
表情が変わってなかったらから、声もいつもの通りかと思ってたら全然違った。
いや、アカシャのことを知らないヤツからしたらそんなに変わらないかもだけど、オレには分かる。
アカシャの声がこんなに変わるのは初めてだ。
アカシャでもこんな風に狼狽したりするんだなって思うと、何だかちょっと可笑しくて、プッと小さく吹き出してしまった。
すでに元気付けられちゃったよ。
「そんなの気にするなよ。こうなるって、予測できてたんだろ? アカシャはずっと警告し続けてくれたんだ」
アカシャはずっとこうなることを危惧してくれてて、無視したのはオレだ。
アカシャがこんなに落ち込む謂れはない。
「私の願いは常にご主人様の幸せです。他のことなど、どうでも良いのです。どうか、ご自分の幸せのみお考えください」
「うん。ありがとう。アカシャ」
アカシャは、どこまでもオレを優先してくれる。
そういえばさっきも、アカシャは命を助けられる人を通知する設定を切るか絞ることを提案してくれてたよな。
腹の上に座るアカシャに右手を伸ばし、そっと指で銀色の髪を撫でる。
相変わらず触れた感触はないけれど、なぜか触れているということは分かる。
アカシャは目を瞑って、ちょっと気持ち良さそうにしていた。
「オレがどんな選択をしても絶対に味方でいてくれる存在ってのは、ありがたいもんだな」
アカシャだけは、オレがどんなにクズでも味方でいてくれる。
それがどんなにありがたいことか。
オレは…。オレは選べない。
正義の味方にはなれない。
例えその力があったとしても、自分の人生を全て捧げて、家族の思いを犠牲にして、他人を助け続ける人生を選べない。
その方がより多くの人間が救われるとしてもだ。
これはオレのエゴだ。
酷く醜いエゴ。
力を持ちながら、これから何万何十万、いや明らかにそれ以上の救える人の命を見て見ぬふりをする。
自分の意思で、それを選ぶ。
罪深い。
人がこれを知ったら、軽蔑するかもしれない。
神様はせっかく能力を与えたのにと、怒るかもしれない。
それでもオレは、エゴを押し通す。
最低の決意をして、ベッドからゆっくり、アカシャが腹の上から落ちないように気を付けながら体を起こした。
アカシャは、オレが決断したのを感じたのだろうか。
まだアカシャの近くにあったオレの右手の指に、そっと左手を重ねて、オレの顔を見上げてきた。
「私には感情が分かりません。ですが…、きっとセイ様のご家族も、セイ様がどんな選択をしようと味方してくれるに違いありません」
「そうだったら、いいな。軽蔑されても仕方ないけどね。ありがとう、アカシャ。お前はもう充分、感情を理解してると思うよ」
オレの気持ちを汲んで、心配して励ましてくれるアカシャに感情が分からないわけがない。
人の心が読めないことと、感情が分からないことは違う。
アカシャはきっと、感情に関してだけは普通の人間と同じように、経験を積んで学んでいる最中なんだろう。
「決まったのですね?」
「ああ。村の住人と、ワトスンさんとその家族以外の命の危機は、今後通知しなくていい」
「かしこまりました」
言ってしまった。
決めてしまったからには、どんなことをしてでも、作戦を成功させなければならない。
でなければ、なんのために…。
「ボズが寝そうになったら教えてくれ。すぐ転移する」
「かしこまりました」
「一応確認だけど、ボズは万が一寝過ごせばオレの魔法で死ぬんだな?」
「はい。ただし、本当に万に一つの可能性です。そういうスキルを持っておりますので」
盗賊団の頭であるボズは、頑強という先天的スキルを持つ、この世界で言うところの神に愛された者だ。
それをさらに身体強化の魔法で強化することによって、異常な身体能力を持っている。
特に打たれ強さは、まさに異常の一言だ。
オレがどんなに全力で魔法を撃っても大したダメージにはならないらしい。
ただし、寝ている間は身体強化が切れている関係で、オレの魔法でも殺せる可能性がある。
だが、ボズは過去にこの弱点に気づいたことがあるようで、長い年月をかけて訓練し、危険察知という後天的スキルを手に入れている。
このせいで、ボズは寝込みを襲われた瞬間、ほぼノータイムで起きて、即座に身体強化をかけられるらしい。
「分かった。それでもいい。オレの魔法で死ぬ可能性があるっていうのが重要なんだ」
アカシャと作戦を詰めていると、家族が帰ってくる音が聞こえた。
「ただいま! セイ、身体強化の魔法できるようになったぞ! 村のみんなも、かなりいい線いって…。って、どうしたセイ!? 顔が真っ青だぞ! 大丈夫か?」
ジル兄ちゃんが子供部屋に入ってきて、すごい勢いで捲し立てる。
アル兄ちゃんもすぐ後から入ってきて、オレの心配をしてくれた。
そんなに酷い顔色をしてたのか。
「大丈夫。転移魔法がさ、めちゃくちゃ難しくてね。さっきやっと覚えたんだよ。空間魔法は、たぶん今日は無理」
少し嘘を付いてしまった。
全部言ってしまって、軽蔑されたらと思うと、怖かったんだ。
「セイ、セイ? どうしたの、さっきからぼーっとして。顔色も悪いし、食事も進んでないわ。体調が悪いんじゃないの?」
夕飯を食べていると、母ちゃんからそう指摘された。
母ちゃんだけでなく、みんなが心配した表情でオレを見る。
やっぱり家族には気づかれちゃうのかな。
食欲は、なかった。
食べ物の味がしないんだ。
人を見捨てて食べる飯が、美味いはずもない。
「大丈夫。魔法の練習で疲れてるだけだよ」
今度ははっきりと嘘を付いてしまった。
大丈夫じゃない。気分は最悪だ。
オレの言葉を聞くと、婆ちゃんが長いため息をついた。
「はぁ。その様子で大丈夫なもんかい。体調が悪そうというよりは、酷く落ち込んでるように私には見えるね。何があった? 言ってみな」
エスパーかよ。
言えるもんか。
知るということは、時にとても残酷な仕打ちになり得る。
ついさっき、身をもって体験済みだ。
業を背負うのは、オレだけでいい。
「何があったの、セイ? 大丈夫よ。私達は、何があってもセイの味方だから」
耐えられなかった。
母ちゃんの言葉は、オレが欲しかった言葉そのもので、全部を告白したとしても絶対変わらないと分かってしまったから。
ぼろぼろと涙が溢れて、耐えきれず嗚咽を漏らしてしまった。
兄ちゃん達や母ちゃんと婆ちゃんが心配してオレを呼ぶ声が聞こえる。
父ちゃんもどうしたらいいか分からないんだろう。おろおろしている。
「ありがとう。ぐすっ。大丈夫なんだ。大丈夫。オレは、その言葉だけで、充分なんだ」
止まらない涙を袖で拭いながら、そう言った。
そう、充分なんだ。救われた。
オレがクズであることに変わりはないけど、救われた。
オレは家族を守りたい。
これだけは、偽善でも、自己満足でもない。
自尊心なんて関係なく、心の底から思えることだから。
「言いたくないなら言わなくてもいい。でも、無理はするなよ。オレ達みんな、セイのことが大事なんだから」
父ちゃんがオレの座っている椅子のところまでやってきて、目線を合わせるところまでしゃがんで、背中に手を当てて言ってくれた。
みんなも頷いている。
背中の手が温かくて、オレはしばらく泣き続けてしまった。
『ご主人様、ボズが寝ます』
あの後、夕飯はセイを励ます会みたいになってしまった。
恥ずかしさもあり、早めにベッドに入って寝ていると、アカシャから待っていた情報が入った。
10秒も経たないうちに帰ってくるし、危険もないから家族には言わなくていいだろう。
『よし、すぐに転移する。位置を教えてくれ』
『かしこまりました』
転移した先は、盗賊団の野営場所上空。
魔法で透明な足場を作り、オレは下を眺めた。
多くの盗賊が眠りこけている。
アカシャにボズの位置を確認し、すぐさま魔法を行使する。
『全力では撃たない。万が一ボズが寝過ごしたときに致死ダメージになる威力で止める。魔力の調整は任せた』
『お任せください』
『捕まってる妖精は、巻き込まれる位置か?』
『起きているので、余波くらいは防ぐでしょう』
"限定"を使うべく、ボズに向かって右手の手のひらを向けつつ、アカシャに確認をとる。
大丈夫なようなので、さらに"宣誓"を使う。
最小限の魔力消費で目的の威力を出したいからな。
この位置からなら、敵にばれるデメリットもない。
「"大火球"」
手のひらの先に凄まじい大きさの火の玉が作られていく。
この魔法でボズが倒せるということはないだろう。
アカシャが言うんだ。簡単にいくはずがない。
だけど盗賊団共、オレの覚悟を思いしれ。
絶対に、絶対に何とかしてみせる。
今日以降、まともに寝られる日が来ると思うなよ。
『今です』
どんどん魔力を込めて膨れ上がった極大の火の魔法を、アカシャの合図で放つ。
着弾を待たず、オレはすぐさま転移でベッドに戻った。
せいぜい震えて起きろ。
嫌がらせの始まりだ。
『寝る。魔力回復したいからな。ボズが次寝そうになったら起こしてくれ』
『お任せください』
盗賊団が来るまで、おおよそあと6日。
夜が明ければ、あと5日だ。




