第88話 ヴィーグスラム
スルトにあるスラムを撲滅する。
その目的のため、オレ、ベイラ、シェルビー、セレナの4人は手始めに元ヴィーグ王都にあるスラムにやって来ていた。
なぜここが最初かというと、ここが最もひどい状態だとアカシャに聞いたからだ。
転移で着いた瞬間から鼻をつく悪臭。
どこかから持ってきたであろう板や瓦礫を積んだだけの、建物というより洞穴みたいな住居。
道端に倒れ伏す人々の中には、たかってくるハエを振り払う力もない者もいるようだ。
それどころか、文字通り野垂れ死んでしまっている人もいる。
「ひどい…」
「ひどすぎるッス…」
「スルト王都にあったスラムも、ここまでじゃなかったの…」
セレナ、シェルビー、ベイラの3人も、想像以上のひどさに絶句していた。
ヴィーグのスラムがここまでひどいのは、ヴィーグ自体が貧しいからだ。
『傾国』リュミドラの魅了にかかり、旧王家が無理な税を取り立てたせいで、支配層以外は致命的な状況に立たされた。
今はスルトに組み込まれ、旧王家を完全に取り潰して新たな領主を立て減税を行ったことから、経済は急速に回復し始めている。
しかし、誰もが自分のことで手一杯な中、スラムのことを気にする者などいるはずもなく。
ヴィーグのスラムは困窮を極めたままだった。
「か、返せっ!! 姉ちゃんを返せっ!!」
胸糞悪いヴィーグスラムの現状を目の当たりにして呆然としていたオレ達のもとに、張り詰めた子供の声が届く。
「離せクソガキ! 金ならくれてやっただろう! テメーの姉ちゃんも納得してのことだ!」
「金なんているか! 姉ちゃんを返せっっ!!」
声の方を見ると、スラムの犯罪組織の人間っぽいチンピラが、必死に足にしがみつく男の子を振りほどこうとしているのが目に入った。
男の子は何度も殴られたのか、顔が腫れ上がっている。
『アカシャ。納得してっていうのは本当か?』
『弟を生かすためと脅されての結果ですが、事実です』
『それはオレの基準では有罪だな』
アカシャに確認をとった結果、オレは男の子とその姉を助けることに決めた。
が、そのときにはすでに、ベイラがオレの頭の上から飛び立ってチンピラをぶっ飛ばすところだった。
完全に伸び切ったチンピラと、その傍らに座り込み呆然とそれを見つめる男の子。
彼らに近づき、そして話しかける。
「トミー君だね。これから君のお姉さんを売ろうとしている組織を潰しに行くけど、付いて来るかい?」
トミー君7歳。最近お母さんが他界し、お姉さんと2人で生きていくことになった。
お姉さんは地獄のようなヴィーグスラムでの子供2人の生活に限界を感じていたところ、そこにつけ込んだ組織の人間に脅され、身売りを決意したようだ。
アカシャからの情報を確認しつつ、トミー君に問いかけた。
もちろん、ここに来る前にヴィーグ領主には話を通してある。
組織を潰してスラムを掌握するのは、仮にトミー君のことがなくてもやることが決定していた公的なことだ。
「アンタ達は、…なんなんだ?」
警戒した感じの声でトミー君が問いかけてくる。
「ふふん。あたち達はね、スルト王の命でこのスラムを救いに来たの!」
ベイラがトミー君の目の前を飛びながら、胸を張って答えた。
…救う、ね。
間違ってはいないだろうけど、それは凄くオレ達目線の言い方だ。
オレ達は自分達の都合で、今来た。
でも、もし後3週間早く来ていたら、この子の母親は助かっていただろう。
それをこの子は、どう思うだろうか…?
「そ、そうなのか!? 姉ちゃんがこいつらの組織に連れて行かれたんだ! 姉ちゃんを助けてくれ!!」
オレの懸念をよそに、トミー君はすぐさまベイラにそう懇願した。
この状況でオレ達に不満を漏らしたら、などという計算も全く無いように見えた。
オレの考えすぎだったか。
もちろん、トミー君に"どうしてもっと早く助けに来てくれなかったんだ"と不満を言われたとしてもやることは変わらない。
ただ、少し傷つく覚悟をしていただけだ。
「僕達に任せるッス!」
「お姉さんは必ず私達が助けますわ」
シェルビーとセレナがトミー君を安心させるように、力強く言った。
それを見て、余計なことを考える前にやることがあったと反省する。
「ああ。お姉さんは無事だ。必ずオレ達が助ける。安心してくれ。でも、まずは君と、目につく近くの弱った人達の治療をしよう」
売られるために傷つけられていないお姉さんより、あちこち傷ついているトミー君の方を優先すべきだろう。
そしてもっと重篤な状態の人も周りにいる。
全員を直接助けていたらキリがないけれど、目についた人達を助けるくらいはやりたい。
自己満足に過ぎないと言われたら、そうだねと答える。
やりたいからやる。そこに意味など求めない。それでいい。




