第80話 予感
私の名はソラナ・サムソノワ・リバキナ。
セントル大陸最北の国である大国フリズス王国、…の南西に位置する小国リバキナ王国の女王だ。
我が国は今、未曾有の危機に瀕している。
フリズス王国が、ついに本気で我が国を手中に収めようと動き始めたからだ。
いつかこういう時が来ることは分かっていた。
フリズス王国は徐々に領土を拡大していて、我が国にも度々ちょっかいを出してきた経緯があったからだ。
しかし、それはまだまだ先のことと我々は思っていた。
なぜなら3年前、先王である父上が病に倒れ、私が女王に即位するという国家の一大事があったにも関わらず、フリズス王国が本気で動くことはなかったのだ。
絶好の機会を逃しておいて、どうして今更本腰を入れてきたのかは分からない。
分からないが、フリズス王国が本気になったことで、我がリバキナ王国は選択を迫られていた。
「女王ソラナをフリズス王の第5王妃として迎えたい。断ればリバキナを攻め滅ぼす……か。クソッ、ふざけたことを!」
騎士団長がテーブルに拳を叩きつける。
先王の寝室に持ち込まれた大きなテーブルが、大きな音を立てて揺れた。
「なぜ今、という疑問はあれども、選ばなければなりますまい。服従か、徹底抗戦かを…」
宰相がこの会議の目的をはっきりさせる。
宰相は、私が幼い頃から"爺"と呼んで慕ってきた人間だ。
爺の声は、震えていた。
リバキナ女王である私をフリズス王の第5王妃に迎えるということは、すなわちフリズスがリバキナを併合するつもりだということ。
似たような話は今までもあったが、断ってきた。
断れたのだ、今までは。
フリズスは大国。国土も広い。
我が国を滅ぼすほどの大軍を出すことで、別の国境から攻められる可能性をフリズスは嫌ってきた。
フリズスが侵略に兵を出すときは、国境を接する国全てと戦っても問題がないと判断したとき。
これまでの歴史ではそうであった。
今、そのような状況が整ったのだろうか。
諜報の話では、まだまだ先であるはずだったのだが。
いや、いずれにせよ…。
「今回は断れまい。徹底抗戦を選ぶということは、すなわち滅亡を選ぶということだ。それも、多くの民も巻き込んでな」
私は静かに自分の意見を話した。
「縁談を受けても滅亡は同じ! であるならば!」
騎士団長が声を張り上げて徹底抗戦を訴える。
熱い視線が私に向けられた。
2つ年上の、兄のように慕ってきた彼の言葉は単純に嬉しい。
だが。
「言ったであろう。多くの民を巻き込むとな。縁談を受ければ、少なくとも民が酷く苦しむことはあるまい」
私は目を瞑って答えた。
ある程度税は増えるだろうが。
戦争となれば田畑は荒らされ、多くの働き盛りの男達を失うだろう。
その上での増税よりは良いはずだ。
「しかし、あの豚…、フリズス王にお前を差し出すなど…。いくらお前が19と行き遅れているからといって、できるはずがなかろう…」
寝台で体を起こした状態で会議に参加している先王が、全く取り繕わない素の意見を言った。
「誰が行き遅れだ。止めを刺すぞ、先王」
私は父上をギロリと睨む。
父上は3年前に倒れて以来、ほぼ寝たきりではあるが命を繋いでいた。
知識も経験も少ない私にとって、先王である父上はとても頼りになる相談役だ。
それはそれとして、私は結婚ができないのではない。
結婚をしていないだけだ。
ゆえに、行き遅れではない。断じて。
「し、失言であったが、意見を変えるつもりはない。我が国は小国だからこそ、民とは近い。皆もきっと、分かってくれる」
先王は焦ったように失言であったことを認めたが、改めて徹底抗戦の意思を示した。
会議に出ていた私以外の全員が、先王の意見に頷く。
全員の視線が女王である私に集まり、決断を訴える。
私は、良い臣下を持った…。
「ダメだ。私が嫁ぐ。お前達を死なせるつもりはない。フリズスとはそれ以外の、できる限りの交渉をする。後のことは頼んだ」
良い臣下だからこそ、私1人が犠牲になれば良い。
フリズスも戦争をしたいわけではないからこそ、この条件を出してきたのだ。
交渉で、自治とはいかずとも、それなりの譲歩は引き出せるだろう。
「受け入れられぬ!」
「承服できません!」
父上と騎士団長が、大きな声で反対を叫ぶ。
私は、ぐっと拳を握った。
私だって、豚に嫁ぎたくなどない…。
しかし、こうするべきなのだ。
嫁いだ後は、尊厳を踏みにじられる前に舌を噛み切って死のう。
フリズスは、リバキナを手に入れた後ならば、私の生死で態度を変えることはあるまい。
私は首を振り、反対する皆を手で制した。
元よりこの会議は、どうするかを決めるためではなく、私の決断を皆に納得させるためのものだ。
反乱など起こされては、たまらんからな…。
「まだだ! 周辺国と、フリズスと国境を接する国に協力を仰げば! …ッ、ごほっ、ごほっ…!!」
「父上っ!!」
父上がベッドから這い出でようとして、大きくむせる。
私は思わず立ち上がり、父上を支えるべく走り寄った。
「もういい…。もういいのです、父上。これで…」
涙は、流さぬ。
絶対に。
これで、良いのだから。
「ソラナ……」
父上が悲しみに満ちた目で私を見たとき。
この寝室のドアが激しく叩かれた。
「なんだ!?」
私が声を上げ、指示を出してドアを開けさせると、息を切らした見張りの男が中へ走り込んできた。
見張りの中では、私と最も親しい者だ。
その者は、胸に大事に抱えた文と思われる物を、私に差し出してきた。
「ス、スルトの使者って人が、これを…。女王様のためになるかもしれないって!」
私は差し出された文を受け取り、その場ですぐに開いた。
そして中身を見て目を見開き、固まった。
「な、何が書いてあるのだ?」
父上が心配そうに声を上げた。
その文は、要約すればこうだ。
"2日後の正午リバキナ王城にて、スルト国王ミロシュ・ティエム・スルトがリバキナ国女王ソラナ・サムソノワ・リバキナに会談を申し入れる。
それまでに、信頼できる真偽判定官を用意して欲しい。
スルトへの恭順を条件に、本領を安堵し、フリズス王国および他国による侵略からの守護などを請け負う『契約』を結びたい。
会談を受け入れるか否かは、明日の正午までに会議で決めること。返事は不要である。"
あまりに不気味な内容だった。
スルト国といえば、近年飛ぶ鳥を落とす勢いで勢力を広げている国だ。
最近行われた新王の戴冠式には、我が国は参加を見送り、祝辞だけ贈った。
人材が足らなかったのだ。
その新王が、直接我が国に会談にやってくるだと?
「宰相、信頼できる真偽判定官はどれくらいで用意できる?」
我が国に真偽判定官はいない。
他国に借りる必要がある。
「最短で2日かと。予定が空いていればですが…」
宰相の答えに、何とも言えない気持ち悪さが込み上げてくる。
そもそも、2日後の正午にこの城に来るならば、常識で考えればすでにスルトを出立しているはずだ。
それとも噂の飛空艇とやらは、それほど速いのか。
返事が不要というのも、殊更に不気味さを掻き立てる。
くっ…、しかし……。
なぜか。
私に残された道はこれだけなのだという予感が、頬を伝う汗とは裏腹に、口角を押し上げていた。




