第65話 スルトの拡大
ヴィーグとの戦争から数ヶ月。
スルトによるヴィーグの支配はとても順調に進んでいる。
あの後、ヴィーグ王と簡単な交渉をして、『大賢者』の爺さんとミカエルに氷漬けになったヴィーグ兵達を解凍してもらった。
『大賢者』の爺さんは、ほぼこのために連れて来られたとぼやいていたけど、そんなことはない。
遠距離からのネリーの護衛も大事な役割だったので、連れて来た理由の半分ってとこだ。
ぼやきたくなるのは、最高戦力組以外のスルト軍の方だろう。
彼らの役目は、ミスディレクションのための囮。
そして、戦後に捕虜達を連れてヴィーグ入りすることだけだったのだから。
彼らには大きな功績の積みどころが全くなかった。
でも、不満を抱かれるような結果にはなっていない。
ちゃんと戦争に参加した誰もが満足する結果になっている。
その辺りは、情報を利用して上手く報酬を決めた、ジョアンさんとミロシュ殿下の隠れたファインプレーが光っている。
現在、ヴィーグがスルトに吸収されたことは、ヴィーグの大衆に好意的に受け入れられている。
理由は大きく言うと1つだけだ。
スルト、というかオレ達が大規模なプロパガンダを行い、ヴィーグの大衆の心理を誘導したからだ。
スルトは戦争に破れたヴィーグに対し、徹底的に紳士的であった。
スルトの兵達による略奪や乱暴などは一切発生しなかった。
ミロシュ殿下が厳禁し、見つければ厳罰に処すと事前に言っていたからだ。
そしてスルトの兵達は、バレずに行うことは不可能だと知っていたのだった。
オレの能力の性質が周知されたことが、いい具合に効いている。
ヴィーグ国民の今の群衆心理はこうだ。
圧政から解放され、暮らしが良くなった。今までより悪くなったことなど1つもない。
戦争に連れていかれた兵達も無事に帰ってきた。感謝こそあれ、恨みなどない。
群集心理の形成に大きな障害はなかった。
少数派の理屈とか関係ない狂信的な愛国者達は、反乱を企てるか、思想を布教しようとした時点で人知れず消えていくからだ。
一般国民でない者達はもちろん不満はあるだろうけど、戦争で負けた割には良い境遇に納得している者が大半だ。
それ以上を望んで反乱を企てる者の運命は、狂信的な愛国者と同じ。
1人では反乱を起こせない以上、アカシャがいる限り、誰かに相談を持ちかけた時点で終わりなんだよね。
そういうわけで、反乱は起きていない。
これはヘニルでも同じだ。スタンに同調できず、反乱を企てたヤツはいないわけではなかった。
スタンの父ちゃんが生きてるのを知って、担ごうとしたヤツとかね。
でもやはり、仲間を募る段階でアカシャの目は誤魔化せなかったのだ。
そんな感じでスルトに吸収されたヴィーグとヘニルの支配は順調で、特にヘニルは領地改革後初めての麦の収穫の時期を迎え盛り上がっていた。
「ご覧いただけましたか、ニブル王! これが今のヘニルです!」
「…うむ。凄まじい発展を遂げましたな、ヘニルは。特に、鉱山都市と農地の充実ぶりは素晴らしい」
ヘニルに視察に来たニブル王を案内したスタンが、帰りの飛空艇内で得意気に話している。
ニブル王は深く思案する様子を見せながら、スタンの言葉に返事を返していた。
ニブル王がこの視察の結果でスルトに恭順の意を示すかを決めるつもりなのは知っている。
戦争なしでの大陸統一に向けての第一歩として、これを失敗するわけにはいかない。
ジョアンさんにも同行してもらい、オレ達は万全の体制でニブル王を歓待していた。
「ヘニルが発展ちたのはセイのおかげなの。スタンがやったみたいに言わないでほしいの」
「しっ。ベイラ、スタンだって一生懸命頑張ったんだから、そんなこと言わないの」
オレの頭の上に座っているベイラが、スタンの様子を見て、呟くにしては大きめの声を出す。
それを聞いたネリーが、口元に人差し指を立ててベイラに注意をした。
「そうだよ。セイがいなければこの発展が有り得なかったことは間違いないけれど、実務はほとんどスタン主導なんだ。自慢したくなる気持ちは分かる」
ネリーの言葉を肯定するように、アレクもベイラに向かって話す。
でも、微妙に声が大きい。特に前半部分の。
「くっ。貴様ら、聞こえているぞ! 絶対、わざと聞こえるように言っているだろう!」
スタンが複雑そうな表情で、オレ達に向かって言った。
抗議はしたいけれど、図星でもある。そんなところだろうか。
「スタンは本当によく頑張ったよ。間違いなく、今のヘニルの発展は、お前を始めとしたヘニルの人々の努力あってのものだ」
オレはいい笑顔で言った。
いい笑顔を作りすぎて、少し胡散臭くなっているかもしれない。
「セイ…。いや、貴様の情報あってこそだ。まさか、これほどまでのことになるとは思わなかったぞ」
スタンはオレの言葉に少し感動した様子で、素直にオレの情報あってこその発展だということを認めた。
「そう。情報あってこそなのです。ニブル王、こちらの資料を御覧ください。スルト併合前と、現在のヘニルを数字で比較したものです」
ジョアンさんが、用意していた資料をニブル王に渡す。
財政状況はもちろん、貿易収支、農作物の収穫量、国民の平均給与、市場での金の流通量など多岐に渡る分野で比較が行われた紙だ。
もちろん、ニブルがどんな数字を気にしているかを把握した上で作った資料だ。
「これは、なんと…。スルトに税を納めてなお、併合前より圧倒的に豊かになっているではないですか。しかも、官民両方…。失礼ですが、バウティスタ殿、この数字は事実なのですか?」
資料を見たニブル王の手は震えていた。
スタンはニブル王が差し出した紙を掴み、一瞥して、冷や汗をかきながら苦笑いをした。
「私はこれほど正確な数字を把握しておりませんが…、おおよそ上がってきている報告と一致します。おそらくこちらの数字が正しいのでしょう。事実であることは、私が保証いたします」
スタンがそう言ってニブル王に資料を返すと、ニブル王は穴が空くほど資料を見つめ始めた。
自国に当てはめればどうかと、計算しているのだろうか。
「ニブルがもし、戦争という手段を経ずに恭順の意を示すのであれば、条件はヘニルより良くなるとお約束いたします」
ジョアンさんは絶妙な間をとってから、ニブル王に話を切り出した。
おそらく、話の内容も含めて、ニブル王の思考が恭順に傾くように計算されつくしたものだろう。
恭順するかしないかではなく、どう恭順すれば良い条件を引き出せるかという思考になるように誘導する。
たぶん、そんな感じ?
『ジョアンは相手の目線や仕草、呼吸、発汗などまで観察しながら心理を読んでいるようです。私も身体情報は完全に把握できるのですが、肝心の心理が彼ほど正確に読み取れません』
アカシャが、珍しく愚痴るようなことを言う。
『アカシャはそのジョアンさんとすら、比較にならないほど活躍してるさ。オレが誰よりよく知ってる』
肩の上のアカシャに念話をして笑いかけると、アカシャはとても珍しく、嬉しそうな様子を見せた。
やばい、オレのアカシャが最高に可愛いぞ。
いつも可愛いけどね。
「うむ…。しかしヘニルが上手くいったからといって、ニブルも上手くいくとは限らんじゃろう? 何より、ヘニルはミスリル鉱床が見付かったのが大きすぎる」
決め手が欲しい。
オレはニブル王の言葉から、そんなニュアンスを感じ取った。
ジョアンさんも視線を送ってきたし、オレの出番かね。
「ニブル王。あなたはなぜここにいて、恭順を考えているのですか? 情報を手に入れたからですよね。ヘニルはなぜ目覚ましい成長を遂げたのでしょう? 情報を活用したからです。そしてスルトはなぜ近年、急激に頭角を現したのでしょうか? …情報を制するものが、全てを制するのですよ」
オレは話しながら、マジックバッグになっているポーチから羊皮紙の束を取り出し、空中に向かって放り投げる。
空中を舞った羊皮紙は、念動魔法によって1枚1枚列をなして、円を描くように飛び始めた。
サングラスはかけていないけれど、目に浮かんでいる魔法陣の量が多すぎて、この短時間では覚えるどころか、まともに視認すらできないだろう。
「な、なんじゃ? 何をしようとしている?」
「まさか、ワトスンレポート? こんな作り方をしていたのか…」
ニブル王はオレと空中の羊皮紙を見比べながら混乱した様子を示し、スタンは納得を示すように呟いた。
『アカシャ、準備はできてるな?』
『無論です。いつでもどうぞ』
アカシャに確認をとって、使い慣れた複合魔法を発動する。
「"多重念写"」
オレの周りに大量の黒い水滴が現れ、さらに細分化されながら、円を描くように飛んでいる羊皮紙達に向かって飛んでいった。
黒い水滴というかインクが、次々と羊皮紙に着弾していく。
これはアカシャが作った資料を高速印刷する魔法。
アカシャから聞いた情報を、いちいち手書きで紙に書き写すのでは大変すぎるので考えた複合魔法だ。
空中で印刷を終えた羊皮紙が、次々とオレの手元に飛んで戻ってくる。
投げるまでは白紙だった羊皮紙の束は、びっしりと文字が描かれた羊皮紙の束に変貌して、オレの手に収まった。
「これはワトスンレポートと呼ばれているもの。ニブルの発展を約束する情報を記した紙です。お近づきの印に1枚差し上げます。もちろん、スルトに恭順の意を示していただければ全て差し上げます。ぜひ、まずはその1枚をお試しください」
オレは商売用の笑顔で、ニブル王に1枚の羊皮紙を差し出した。
知らなければどうしようもないけど、知ってさえいればすぐに試せて、どれくらい効果が出そうか予想しやすいものが多く書かれているものだ。
ニブル王はその羊皮紙にざっと目を通す。
そして、オレが持つ羊皮紙の束を見た。
「当然、目玉となる情報はそちらの紙の中にあるのじゃろう? この紙の情報が1とすると、目玉となる情報はどれほどの価値がある?」
「それはニブル次第ですね。しかし、10はあると思います」
まだ言わないけどね。ニブルにはミスリルは殆ど無いけど、アネモイが結構ある。
アレクが今使ってる杖の素材でもある、ピンクがかった銀色の魔法金属だ。
採掘にどれほど力をいれるかにもよるけど、相当な儲けが出ることは間違いない。
オレが答えると、ニブル王は野心的な笑みを浮かべた。
「試すまでもない。恭順しよう。どうせ、真偽判定官を連れてきていることもバレておるんじゃろ?」
ニブル王の決断は早かった。
まぁ、ジョアンさんの予想通りではあるけど。
真偽判定官を連れて来ていることは知っていたけれど、あえて指摘はしなかった。
むしろ、こちらが嘘を付いていないことを知ってほしかったからだ。
ニブルに都合が良すぎて、逆に騙されていないか不安になる。そんな残念な状況になられては困る。
どうやら信頼を得られたようで良かった。
「さすがニブル王。お見通しでしたか。迅速なご決断、感謝いたします」
ジョアンさんはニッコリと微笑んで、大げさなくらい深い礼をした。
怖っ。
自分こそ全部お見通しだったのに、それを隠そうとするような態度。
もしかして、今後も操る気満々なんじゃないの…?
でも、ジョアンさんが嬉しそうなのは、きっと本心じゃないかな。
大陸統一に向けて、大きな前進をすることができたのだから。
できれば全部の国が、ニブルのように平和的にスルトに併合されるといいんだけどね。
少しでもそうなりやすいように、他の国がスルトに併合されることを望むくらいに、ヘニル、ニブル、ヴィーグ、ベルジュを圧倒的に豊かにしよう。
もちろん元からのスルトの領土も。
オレはがっしりと握手を交わすニブル王とジョアンさんを見ながら、そう思った。
「ちなみに、もし儂が恭順ではなく、同盟を望んだらどうするつもりじゃったか聞いても良いか?」
「それでスルトにどんなメリットが? 最低でも国土の半分以上を無条件で差し出すつもりがなければ、望まなくて良かったでしょう」
すっとぼけた感じでさらっと聞いたニブル王に対して、ジョアンさんは口だけ笑って、目は全く笑っていない様子で答えていた。
怖っ。




