第52話 解放
「あ、ああ…。あああああぁ…」
ノバクは頭を抱えて蹲っている。
「セイ・ワトスン! お前さえ、お前さえいなければぁ!!」
「止めよペトラ!! これ以上、奴を刺激するな! 頼む…」
ペトラ殿下は激昂してオレに襲いかかろうとしているところを、王に羽交い締めにされて止められている。
その様子を見て、今度こそ飛び去ろうとしたところで、アカシャからの報告が入った。
『ご主人様、気絶していた第1王妃が目覚めます』
『少し長居しすぎたみたいだな』
アカシャの報告の直後、観客席に寝かされ介抱されていた第1王妃が、軽いうめき声を上げて目覚めた。
「う、ううん……」
「ビ、ビクトリア……!」
「母上!」
「お母様!」
王とノバクとペトラ殿下が、第1王妃が目覚めたことに気付いて声を上げる。
黙っていれば面倒なことになりそうだな。
オレはすでにミニドラに乗っていたジョアンさんをチラリと見る。
それだけでジョアンさんは全てを察したのか、次の瞬間にはひらりとミニドラから飛び降りて、前に出てきた。
オレは逆に少し下がる。
心理的誘導なら、ジョアンさんに任せた方が上手くいくだろう。
「お目覚めのようですね、ビクトリア第1王妃。私はセイ・ワトスン様の配下のジョアン・チリッチと申します」
ゆったりとした声で、軽く微笑みながら自己紹介をするジョアンさん。
仲間になってもらった覚えはあるけど、配下にした覚えはないんだけどな…。
それにしても、なぜあえて、オレの名前を出したのだろうか?
「セイ・ワトスン…。……!! ファビオ! ラファエルが、ラファエルが…!!」
『大賢者』が負けた時点で気絶したのだろう第1王妃が、王にすがりついて取り乱す。
どうやらオレの名前を聞いて思い出したようだ。
「ああ…。全て、終わったのだ。ビクトリア…」
王は悲しそうな顔で第1王妃の手を取った。
第1王妃が暴走する前に手を打つなら、ここだろうな。
「ビクトリア王妃、ご安心ください。あなた方が失うものは、王位だけです。むしろ貴方は、これまでよりも安らかな生活を送ることができるでしょう」
ジョアンさんは恐ろしい人だ。詐欺師の才能がありそうだな。
失うものは王位だけでも、王位を失うことで失うものはたくさんあるだろう。
それに、安らかな生活を送ることができるのは、『あなた方』と言っていない…。
「『叡智』ジョアン・チリッチ…。貴方に何が分かるというのですか! 私が王位のためにどれだけの苦労をしてきたか、知らないくせに!!」
第1王妃が憎しみを込めた目で、ジョアンさんを睨みつける。
「ビクトリア…」
王はそんな第1王妃の様子を見て、視線を落とす。
ノバクとペトラ殿下は、どうしていいか分からずおろおろしているように見える。
ジョアンさんはもちろん事前の予習で、第1王妃の情報については知っている。
しかし。
「ええ。知りませんとも。貴方がそれにどれだけ心を痛めていたかは。しかし、もうその必要はないのです。貴方は解放されたのですよ。もう誰も、子を生むことを強要してくることも、子の教育について意見してくることもないでしょう」
ジョアンさんはあえて知らないと言った。
確かに第1王妃の心情を知っているのは本人だけだ。
そしてジョアンさんはおそらく、第1王妃の心情を予想して、心に響きそうな言葉を投げかけている。
「解…放……?」
考えてもいなかった。
第1王妃はそんな表情をして固まった。
「そうです。我が主殿は誰の命も取るつもりはないと仰せです。夫、子供達、貴方は何も失いません。地獄のような日々から解放され、自由の日々が始まるのです」
ジョアンさんはゆったりと、優しい口調で話す。
…。いや、洗脳かよ!
オレはジョアンさんの手口にドン引きしつつも様子を見守る。
うーん。結果的に全員が得しそうな洗脳なら、アリなのか…?
「この地獄から…、解放…。ノバクとペトラの将来は、保証されるのですか?」
第1王妃の目に、僅かに正気の光が取り戻されたような気がした。
散々邪魔をしてくれた人ではあるけれど、自分と王の心配をせずに、子供の心配だけをする姿には好感が持てた。
「将来を保証とまでは申し上げられませんが、王族公爵家として、当主が変わるまでに十分な功績を挙げることができましたら」
「そ、そんな…」
答えに第1王妃が絶望の色を見せると、間髪入れずにジョアンさんはフォローを入れる。
「とはいえ、ファビオ様はスルト国の所有する全魔法を知ることができる立場にあった方。ノバク様も、異常とも言える学年において5位の実力者。努力を怠らねば、そう難しいことでもないでしょう」
そう言って、ジョアンさんはオレとミロシュ殿下に視線を送る。
オレ達はその意図を察して、しっかりと頷いた。
第1王妃にとって不倶戴天の敵であったオレ達だが、だからこそ、オレ達から言質を取っておくことは意味があるはずだ。
「色々ありましたが、私はあなた方に個人的恨みはない。それに、私は政治に感情を持ち込みません。誰であっても平等に評価することを誓いましょう」
ミロシュ殿下が太鼓判を押す。
正確には、完全に感情を排除するのは不可能だろうけど、その方針でやってくれるのは嬉しい。
ミロシュ殿下が死ぬほど嫌いな第1王妃は、彼をギロリと睨んだ後に後ろを振り返った。
「真偽判定官。偽りはありませんか?」
『ご主人様、真偽判定官は幻惑魔法にかかっております』
『あ…』
第1王妃が真偽判定官に話しかけたことで、オレはミスったことに気付いた。
「第1王妃様、申し訳ありません…。実はノバク殿下達の評判をこれ以上落とさないように、しばらく前から我々以外には魔法をかけております。周りからは、円満に和解したように見えていて、今のやり取りは見えておりません」
オレは正直に全部話すことにした。
やっちまったもんはしょうがない。
それに、どっちかと言えばこの処置で得をしたのは、オレ達よりノバク達だ。
王ならそれくらいは理解してくれるだろ。
ノバクがオレを呼び止めた時に、必死になって止めさせようとしてたくらいだし。
「なっ…!! お前…!!」
「そうか! それは有り難い。感謝するぞ!」
第1王妃が鬼の形相でオレを非難しようとしたところを、被せるように王が感謝を述べてきた。
察してくれるのは、こっちとしても有り難い。
「ファビオ!?」
なぜ? というように第1王妃が王の名を口にする。
「ミロシュ達はここに来てから一貫して、我々の立場が悪くならぬよう、いやむしろ良くなるように振る舞ってきたのだ。自身が王を継ぐことから、王族の格が落ちぬようにという目論見は当然あろうが、それは我々にとっても好事としか言いようがない」
王は第1王妃に、彼女が気絶している間も含めて簡単に状況を説明した。
ノバクがオレを呼び止めて以降は、見られていればノバクとペトラ殿下が侮られるような内容だったからね。
「そういうわけです。私達を信じるかどうかは、お好きになさってください」
オレ達に王達の将来を保証してやる義務も義理もない。
それに、勘違いしてるようだけど、平民になったら幸せになれないというわけでもない。
あとは全部こいつら次第だ。
「……ノバク、ペトラ。顔を上げなさい。全てが終わったわけでは、無いようです」
「母上…!」
「お母様…!」
母親の悲観的ではない言葉を聞いて、少し笑顔を見せるノバクとペトラ殿下を横目に見ながら、オレ達は今度こそ飛び去った。
かなり遠くに見える浮遊大陸に向かいながら、オレはミニドラに乗るジョアンさんに話しかける。
「あの第1王妃を丸め込むなんて、流石ですね」
オレがいたずらっぽく笑うと、ジョアンさんは右手で顎髭を撫でながらとぼけたような表情をした。
「耳障りのいい言葉を並べましたが、嘘を言っていないとはいえ現実にはそう上手くいかないでしょう。彼女はただ不遇に耐えてきたわけではないのです。彼女の行いの結果が返ってくることは想像に難くない。が、私はそこまでは知りません」
因果応報ってヤツだね。
第1王妃に関してはそれでも、今までよりマシと思うかもしれないけど。
あの4人が今後どうなるかも楽しみの1つになりそうだ。
「ちょっと落ち着いたら、黒幕ってほど黒幕でもないけど、あの人にもお灸を据えよう。今後は悪さできないようにね」
今度は皆に声をかける。
「陰湿すぎるのよ。貴族の風上にも置けないわ」
ネリーが不快感をあらわにして言う。
「うむ。ワシとしては、アレは成敗してもよいと思うがの!」
スルティアもかなり頭にきているようだ。
オレも釘を刺しても止めないようなら、成敗してもいいと思っている。
さすがにメリットよりデメリットが上回っても生かしてくようなヤツではない。
「きっかけがなければ、気が付かなかったかもしれないよね」
「そう思うと恐ろしいヤツなの」
アレクとベイラも思うところを語っている。
そこはオレの落ち度だよなー。
正直、最初から詳しく見ていれば気付けたはずなんだ。
1人1人の情報を事細かに見ていると時間がいくらあっても足りないから、ある程度仕方のないところもあるんだけど。
「今のうちに気が付けたのだから、良いではないか」
ミロシュ殿下が人たらしっぽい笑みでまとめる。
ま、そうだな。
オレ達には大きな影響がないうちに気付けて良かった。
そう思っていると、突然アカシャから緊急の情報が入る。
『ご主人様の完全勝利に水を差す者達が現れました。ミカエル・ナドル、ラファエル・ナドルが狙われております』
まったく、余計なことを。
なるほど。『大賢者』の爺さんを暗殺するつもりか。
確かにチャンスは今しかないだろう。
しかも能力的に、上手くいく可能性があるってか。
「皆、先に帰っててくれ。用事ができた」
「僕も手伝おうか?」
オレの短い言葉だけで何かを察したのか、アレクが協力を申し出てくれる。
「大丈夫。すぐ終わるから」
オレはそれだけ言って、皆を残して転移した。




