第43話 蟻地獄の虫
ラファがいなくなったことで、大勢は決した。
戦力差は決定的である。
騎士団と魔法師団が無傷で残っているとはいえ、だ。
王城に籠城して戦おうとも勝ち目がないことは、誰の目にも明らかだった。
ましてや先ほどのように、魔法が使えないという前提をあっさり覆されてはなおさらである。
王城にいる者達の顔は、絶望と不安で塗りつぶされたようだった。
私も、外見こそ気を使っていたが、打ちひしがれるような気持ちで玉座に座っていた。
「ファビオ…。これから私達は、どうなるのですか…? ノバクは? ペトラは…?」
「ち、父上…」
「まさか…、まさか『大賢者』様が…。こんなはずでは…」
「……」
私に話しかけてくるビクトリアやノバク。
ぶつぶつと呟いている貴族達。
ここにいるのは勝てると確信していた者ばかりだ。
このような状況になったとき、すぐに次の案が出てこないのは無理もない。
「ロジャーに今一度、使者を。ここから勝てるとすれば、それ以外あるまい」
私が目線をやると、宰相はコクリと頷いた。
ロジャーと、ロジャーを慕うもの達の戦力があれば、あるいは勝てるかもしれぬ。
「それしか手はないでしょう。私が直接、行ってまいります。ただ、この『情報』すら、把握されているのでしょうね…」
「それを言うな…」
宰相が自嘲するように言ったことに、思わず言葉が出る。
『情報支配』。恐ろしい力だ。
できうる限りの警戒をしていたつもりであったが、それでも全く認識が甘かった。
というより、どこまで出来るかがはっきりしていない以上、ある程度認識を甘くせざるを得なかった。
なぜなら、ここまで出来ると分かっていれば、私が単独で全てをやり切るしか、奴に隠し事をする手段は無かったのだから。
それは実質不可能だ。
残念ながら、宰相がロジャーのもとに辿り着くことは、おそらくないだろう。
その後はどうする…。
無理を押して全戦力で攻めようとしても、それすらも把握されていれば、王城が手薄になったところを狙われるだろう。
詰んでいる。
どう考えても、詰んでいるのだ…。
私が頭を抱えたくなるのを必死にこらえながら考えを巡らせていると、たった今玉座の間を出ていったはずの宰相が戻ってきた。
喜びに、打ち震えるように。
後ろに、『賢者』ロジャー・フェイラーを引き連れて。
「ロジャー!!」
私は玉座から立ち上がった。
宰相と同じような顔をしているであろうことは、間違いない。
玉座に座り直した私の前に跪いたロジャーに、声をかける。
「ロジャー、よくぞ来てくれた。信じておったぞ」
動かないと聞いていたのに、なぜ登城したのか。
今はそれはいい。
今何より重要なのは、ロジャーを味方に付けることだ。
「期待しておられるところ申し訳ありませんが、私は王にお味方するために登城したのではありません。中立な立場での使者として参りました」
「………そうか」
思わず声が出なかった。
前のめりになっていた体を背もたれに預け、何とか言葉を絞り出す。
落胆。
私も、宰相も、玉座の間にいる全員が同じ思いを共有しているのを、確かに感じた。
「話を聞こう。ミロシュはなんと?」
私は深く息を吸って吐き、気を入れ直してロジャーに先を促した。
「ミロシュ殿下の陣営は、王の無条件での政権の譲渡を望んでおります。叶えば、王とノバク殿下、ペトラ殿下の王位継承権の放棄を条件に、誰の命も取らないことを約束すると」
誰の命も取らない…?
ざわり、と玉座の間がざわめく。
そうか。後から我々が王位を取り戻そうと考えても、セイ・ワトスンがいる限り、全ては筒抜け。
生かしておいても、恐るるに足らずというわけだな。
この中には、受け入れて欲しいと心の中で願っておる者もいるだろう。
しかし…。
「受け入れられるわけがないでしょう! 平民の子が、思い上がったことを!」
ビクトリアが激昂して叫ぶ。
そうだ。ビクトリアが受け入れるはずがない。
そして私も、それを受け入れられるのであれば、今の選択肢を取っていないのだ。
それを選ぶくらいならば、周辺国の協力を取り付けてでも徹底的に戦うつもりである。
これは宰相にすら反対されるかもしれんがな。
「余も受け入れるつもりはない」
ロジャーにきっぱりと言い放つ。
「そうでしょう。ですので、妥協案としてもう1つ預かっております。こちらも受け入れられない場合、やむを得ず城を攻めるとのことです」
明確な脅しだ。
しかし、もはや普通に攻めれば勝てるだろうところで、この提案。
これが本命だろう。
おそらく、受け入れ可能な範囲内…。
「言ってみよ」
精一杯の強がりで、ロジャーの目を見る。
「一騎打ちにて勝負を決める、という提案です。ラファエル・ナドルは捕らえられましたが、無傷で生きております。これとセイ・ワトスンの戦いの勝敗で、全てを決める。そういう案でした」
なんだと?
「バカな。そんな都合のいい条件があるものか。何か罠か、隠された条件があるに決まっている」
ラファとワトスンの戦いで決着を図るというのは、そもそもの私の狙いだった。
搦め手とはいえ一度それに勝っておきながら、あえて今度は正面から戦う意味が分からぬ。
確実に罠だ。
「勝敗を左右する罠は仕掛けないことを約束するそうです。ただ、もちろん条件はあります。セイ・ワトスンが勝った場合、継承能力『守護者選定』を含むノバク殿下へ与えられるはずだった全てを正式にミロシュ殿下へ与え、王位を譲渡すること。これを事前に"契約"すること」
ロジャーが語った条件を聞いて、敵の狙いの1つは判明した。
ただ勝っただけでは奪えないものを、根こそぎ奪っていくつもりなのだ。
能力の情報まで、完璧に把握されている…。
「そ、そんな条件! それではまるで、ファビオがあの女の息子に…」
ビクトリアが絶句している。
そうだ。
この条件はつまり、私が正規の手続きでミロシュを後継者に選んだ場合のことを言っている。
当然、受け入れられん。
だが、ここで重要なのはそこではない。
「ラファが勝った場合はどうなる?」
「望む条件を"契約"するとのことです」
私は一筋の希望を見出した。
驕りが過ぎるぞ、セイ・ワトスン。
宰相をちらりと見る。
やはり、奴も頷いている。
情報を集めた上で確実に勝てると踏んでの提案だろうが、勝負に絶対になどない。
ラファを舐め過ぎだ。
「いいだろう。その提案を受け入れる」
「ファビオ…!?」
私を止めようと声を上げたビクトリアを手で制し、黙らせる。
この提案で重要なのは、ラファが勝ちさえすれば、全てがひっくり返るという点だ。
勝敗に関しての罠だけを警戒すれば、負けたときの罠には目を瞑る。
どちらにせよ、負ければ終わりなのは変わらぬのだ。
「ただし、勝敗を左右する罠が仕掛けられていないかは、"真偽判定"などあらゆる手を使って調べさせてもらうが、良いな?」
例えば、捕まったラファの魔力がゼロにされていて、その状態から戦えと言われても勝てるわけがない。
万全の状態で、公明正大な戦いとなるようにする必要がある。
そのためにあらゆる手段を用いて調査をし、宰相と抜けや漏れがないか確認しなければならない。
「無論、好きなだけ調べて良いと言付っております」
ロジャーの言葉から、全て敵の想定の範囲内だということが伝わってくる。
ジョアン・チリッチがいるのだ。それも当然か。
「分かった。ミロシュに伝えよ。モンフィスや真偽判定官などを交えて詳細を詰めるとな」
「かしこまりました」
ロジャーが立ち上がり、踵を返して去っていく。
それにビクトリアが待ったをかけた。
「待ちなさい。ロジャー・フェイラー。ここで私達の味方をすると誓いなさい。でなければ、この王城から出ることは許しません」
何ということを…。
しかし、これにロジャーがどのような反応をするかは興味がある。
私はビクトリアを止めるのを、多少遅らせることにした。
「では、殺せば良いでしょう。ワシは構わぬ。欲張りなワトスンが望むものは多少減るが、あなた方は全てを失う。それで良いのであれば」
ロジャーは半身だけ振り返り、口角を上げてそう言った後、返事を待たずに去っていった。
味方をする気は全くないが、いくらかの情報をあえて漏らした、といったところか。
提案者はセイ・ワトスン。
罠はない。
そのようなロジャーの考察を教えてくれたのだろう。
実際、その後どれだけ調べても、詳細を詰めても、勝敗に関する罠を仕掛けている様子はなかった。
いや、正確にはまずセイ・ワトスンの方から、過去に仕掛けていた全ての罠の申告があり、それを解除するということがあったのだが…。
ここまで何もないことが分かると、逆に何もないこと自体が罠なのではと思えてくる。
私も宰相も、どうしても蟻地獄に嵌った虫の気分から抜け出すことができずに、全てが進んでいった。




