第42話 悪魔の罠
『ご主人様。ラファエル・ナドルが睡眠に入りました。予想通り、王の寝室ではありません』
『分かった。ありがとう、アカシャ』
イザヴェリアの領主屋敷の談話室で、皆と今後のことについて話し合っていると、アカシャからの報告が入った。
王城の中では、玉座の間と王の寝室は他と造りが違う。
そこで休まれると困ると思っていたが、さすがに王の寝室で休むということはなかったようだ。
「さて。じゃあ、ちょっくら行って来るよ」
「これから大賢者様を捕らえようとしてるヤツの言葉じゃないわね」
「緊張感ゼロなの」
オレが『大賢者』を捕まえてくることを伝えてソファーから立ち上がると、ネリーとベイラが軽口を叩いてくる。
「まぁ、緊張はしてないな」
オレもサングラスを掛けながら、軽口をたたく。
「君に限ってそれはないだろうけど、油断はしないでくれよ」
「信じておるぞ」
アレクとスルティアは真面目な言葉をかけてくる。
「オッケー」
オレはそう答えながら、"透明化"と"思考強化"の魔法を使う。
全員の視界から、オレの姿が消えた。
油断なんて非効率なことしたら、後でアカシャに怒られちゃうよ。
常に全力で、オレなりに最善だと思うことをやる。
『この位置に転移ください。現在"透明化"を見破れる者はおりません。転移次第、"打消"をこの範囲に』
アカシャから、脳内に次々と情報が送られてくる。
"思考強化"の恩恵もあるが、さっき手に入れた後天的スキルの1つ、『集中』のおかげでいつも以上に頭に入ってくる感覚がある。
『集中』はジョアンさんの神に愛されたスキル『集中力』の下位互換だ。
後天的スキルは、神に愛されたスキルと違って、魔法による増幅作用などはない。
その代わり、条件を満たせば誰でも覚えられる可能性がある。
だから、ある程度の年齢でよく鍛えている者は、大抵何かしら持っている。
ただ、普通は狙って取れるものではなく、よほど有用なスキルでない限りはスキル持ちという扱いすらされない。
というか、最も多くの人が持っているパッシブスキル関係は、持ってることに気付いていない人の方が多い。
ウチの父ちゃんとか。
脳内にスキル表示がされるわけじゃないし、オレみたいにミリ単位で体をコントロールしてるヤツなんて、まずいないからね。
その分オレは、体の感覚が変わったら必ずアジャストさせる作業が必要になるんだけど。
後天的スキルは劇的な効果が期待できるわけではないけれど、有用なスキルを複数取れば、かなりの強化を見込める。
特に、アカシャがいるオレは、僅かな違いでも十全に活かせる。
それこそアカシャに、『大賢者』に100%勝てると言わせられるほどに。
アカシャから十分な事前情報を得たオレは、王城の外壁から少し離れた空中へと転移した。
風の感覚と、浮遊感。
それを感じた時にはすでに、オレは行動を始めていた。
「"打消"」
両手を前に突き出し、小さく言葉を口にする。
"打消"は"限定"と"宣誓"が強制だからな。隠密には向かないけれど、今回は仕方がない。
この言葉を聞き取れる位置に人がいないことも、"打消"の魔力光を含めたオレの姿を"透明化"を見破って確認出来る人がいないことも知っているけれどね。
索敵には、転移してから"打消"を使うまでのほんの一瞬引っかかってるから、急がないとな。
魔力光がオレの周りと王城の外壁までの前方を照らし、その間に張られていた防御魔法と結界魔法を打ち消す。
次の瞬間にはもう、オレは王城の外壁に手を触れられるような位置にいた。
『内部、問題ありません。3秒以内に作業を完了してください』
アカシャの声を聞きながら、浮遊魔法を使ったときに同時に使っていた水魔法で、狙いを定める。
切り取るべき外壁の範囲が、アカシャによって可視化されていた。
王城内で魔法が使えない理由。
それは、王城が魔封石で造られているからだ。
魔封石で囲まれた空間内では魔法が使えなくなる。
では、魔封石それ自体の塊の内部はどうか。
当然、囲まれた空間内とみなされ、魔法は使えない。
だから、魔封石を魔法で傷つけたり、加工することはできない。
でもこれには、抜け道があるのだ。
自然を操るタイプの魔法は、2種類ある。
水魔法で言えば、魔法の水を生み出す水魔法と、物理的な水を生み出す水魔法だ。
それぞれにメリットどデメリットが存在し、特に意識せず使い分けている者がほとんどだが、ここで重要なのは後者ならば魔封石を傷つけられるという点にある。
防御魔法などが張られているのは、このような物理的な力を防ぐためだ。
オレは水魔法で作ったウォーターカッターで素早く外壁を切り裂き、破片を空間収納に回収していく。
消音魔法を使って外部の音は全て消しているので、内部も無音とはいかないが僅かな音で済んでいた。
アカシャが示した範囲内の外壁の、魔封石部分を全て回収。
これで、狙った範囲内が魔封石に囲まれていないとみなされ、望む範囲内で魔法が使えるようになった。
ちなみに、魔封石はとても貴重なので外壁全てが魔封石というわけではない。
メッキというほど薄くはないけど、外壁の外側全てを覆っているだけだ。
だから今王城内部が丸見えというわけではないし、中が水でビシャビシャということもない。
そういうわけなので当然内壁は、一部を除いて魔封石ではない。
内壁が魔封石なのは、玉座の間と王の寝室だけである。
『大賢者』の爺さんがその2箇所にとどまったらプランを修正する必要があったが、予想通りそうはならなかった。
オレは削った外壁部分に手を向け、土魔法を発動。
見た目上は元通りに修復。
後でバレるとこまで計画のうちだし、完璧にではないけど。
ここでのやるべきことを終えたオレは、"打消"の魔力光が消える前に、再び転移魔法を発動した。
転移した場所は、王城内の『大賢者』が休む部屋。
先程外壁の該当範囲の魔封石を取り除いたことで、ここは魔法が使えるようになった。
「魔法の気配!! バカな!!」
音もなく部屋に降り立ったオレだったが、現れた瞬間、『大賢者』は素晴らしい反応速度でベッドから体を起こした。
が、もう遅い。
オレは切り札を使って『大賢者』の動きを察知していたし、なにより。
「その位置じゃ、魔法使えないですよ」
オレはネタばらしをしながら、当て身で『大賢者』を気絶させた。
オレも爺さんに近付いた時点で魔法を使えなくなったが、慣性はなくならないし、スキルは魔封石の影響を受けない。
神に愛されたスキル『剛腕』『頑強』『駿足』それぞれの下位互換となる後天的スキル『腕力上昇』『肉体強度上昇』『脚力上昇』を手に入れたことは大きい。
魔法が使える位置で身体強化の魔法による踏み切りを行って慣性を生み出し、スキルによる常時肉体強化を用いて、切り札で見切った急所に最適な打ち込みを行う。
『大賢者』が微妙に動いたところを調節する余裕も含めて、完璧な仕事だった。
さすがアカシャさん。
スキルが発現する前までは、ここで武器を使って暗殺して、死体を放置して帰ることで王達の心を折るプランだったんだよな。
だいぶオレのメンタルにくる内容だったし、ミカエルのこともあるので、プランを変更できて良かった。
「さて、帰りますか」
この部屋の音は外には漏れない。
部屋のドア付近は、魔法が使える位置だから。
そういや、部屋に『大賢者』の爺さん以外がいなかったのは知ってたけど、ラッキーだったな。
いない時を狙うか、何人か殺さざる得なかっただろうから。
王城内部はやっかいであると同時に、『大賢者』の爺さんを封殺するチャンスとなる場所でもあった。
まぁ、今のプランだと爺さんとは結局この後戦うことになるんだけど。
オレはそんなことを考えながら空間魔法を発動し、マンホールくらいの大きさに広がった真っ暗なゲートに、爺さんの首根っこを掴んで飛び込んだ。
相変わらずこの魔法は、消費魔力がエグすぎる。
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ラファがいなくなった。
休憩していた部屋から、忽然と。
部屋の前には、念の為の見張りも立てていたというのに。
バカな。
バカなバカなバカな。
状況からすると、何らかの魔法によるものとしか考えられない。
だが、王城内では魔法は使えないのだ!
奴自身、間違いなく王城への登城を避けていたではないか!
私は玉座に座っていることすらできず、とはいえ考えを巡らせる以上のこともできず、ただ玉座の辺りをうろうろと歩き回っていた。
誰もが信じられない状況にうろたえ、玉座の間は騒然としていた。
「ファビオ! 何が起きているの!? ここは、ここは大丈夫なのですか?」
「ち、父上!」
「ワトスン…。あいつしかいない…、あいつしか…」
「は、話が違う! 大賢者ならば確実に奴等を消せると言うから、我々は…!」
「ありえない…。いったいどうやって…」
ビクトリア、ペトラ、ノバク、貴族達、王城に務める者達など、皆混乱の極みだ。
最初は、1つの報告に城内が騒然となったところからだった。
「ほ、報告します! 防御魔法と結界魔法の一部が、一時的に消滅しました!」
「っっ!! 騎士団は敵を迎え撃つ態勢を整えよ! 魔法師団は外部からの魔法を警戒し、襲撃者を撃退せよ! それから、すぐにラファを向かわせろ!」
「全て手配済みです!」
外部防衛の責任者が息を切らしながら玉座の間に走ってきて、その報告を伝えた。
私はすぐに対応するように命令したが、幸いにしてすでに対応済みだったようだ。
王城は、その外部を24時間常に防御魔法と結界魔法で固めている。
王城内部で魔法は使えないが、外部では使えるからだ。
王城外壁に魔法そのものは効かないとはいえ、たとえば魔法で出した大岩を空から落とされれば大変なことになる。
ゆえに、外部を防御魔法や結界魔法で守り、有事の際にはこれで外部からの攻撃に耐えているうちに、防衛戦力で敵を撃退するという方法が取られている。
「一時的に消滅した、とはどういうことですか? 襲撃を受けたわけではないのですか?」
宰相はこの報告に違和感を覚えたようだった。
言われてみれば確かに、少しおかしいように思える。
「はっ。現状襲撃自体は受けておりません! 魔法は、おそらく"打消"で消されたものと考えます! 現在はすでに修復済みであり、通常状態を維持しております!」
これを聞いて、私もはっきりと違和感を感じた。
「魔法が消されてから修復までの間に、外壁などへの攻撃はなかったのか?」
「ありません。私もそれは、不思議だったのですが…」
どういうことだ? であれば、何の目的で…?
「何の目的もないということはないでしょう。あらゆる事態を警戒しつつ、目的を探るしかありません」
宰相はそう話したが、すぐに目的は分かることとなった。
今度は2人、息を切らして玉座の間に走ってきたからだ。
「大変です!! 大賢者様が! いなくなりました!!」
私は玉座から立ち上がった。
その2人がラファを呼びに行った者と、ラファが休む部屋の見張りをしていた者だと分かるのは、それからすぐのことだった。
そして今、この混沌とした状況にいたる。
王城に何者かが侵入した形跡はない。
出ていった形跡も。
にも関わらず、ラファがいなくなった。
なぜだ? なぜなのだ?
何とか…。何とかしなければ…。私が…。
「ロジャーは! ロジャー・フェイラーは何をしている!!」
私はここに馳せ参じていないロジャーについて問うた。
そもそも呼びかけに応じて馳せ参じたのは、デミノール家やセヨン家など、セイ・ワトスンに明確な恨みがある者達や、切っても切れないような関係にある一部の貴族派くらいのものだが。
それでも、ミロシュの元にも全くと言っていいほど貴族が集まっていないと聞いている。
ロジャーさえ味方につけられれば、ノーリーを始めとした強力な戦力が得られ、まだまだ勝つチャンスが生まれるはずだ。
「ロジャー・フェイラーは、動きません。説得はしましたが…。彼の行動理由は常に、国と学園のため。あなたとミロシュ殿下、どちらが王でも構わないのでしょう。あるいは…」
宰相はその先は言わなかった。
あるいは、ミロシュの方が王として相応しいと思っているか、と言いたかったのだろう。
「王城内を徹底的に調べよ! 必ず、必ず何かあるはずだ!」
私は必死に声を上げた。
頭の中では半ば理解していた。
もう終わったのだと。
その後、徹底的に調べた結果すぐに、ラファがいた部屋の一部を始めとした王城の一部で魔法が使えるようになっていることが判明した。
そして、王城外壁の一部の壁が極めて精巧な偽物に入れ替わっていることが分かった。
いつ入れ替わったのか。それはすぐに確信にいたった。
だが確信にいたったからこそ、ほんの僅かな時間の間にそれを成した敵の怪物ぶりを知ることになった。
絶望。
絶望。
絶望。
もはや王城内の空気は、それに支配されていた。
そしてこの空気の中、セイ・ワトスンかジョアン・チリッチか、どちらが考えたのか知らんが、信じられん提案がもたらされることになる。
希望という餌をぶら下げた、悪魔の罠。
罠だと分かっていようとも、私に残された道は、希望に縋りつくことだけだった。




