第25話 叡智
私の名はジョアン・チリッチ。
魔導王国王立研究所の技術顧問であり、国軍の軍師でもあります。
人は私を『叡智』と呼びますが、そんなことはありません。
神に愛され、『集中力』というスキルを持っていることで、皆に誤解されているのです。
本当に叡智を持っていれば…。
そう思うことは、よくありますが。
「スパイが帰ってこない? 1人もですか?」
今日もいつものように自分の研究室で1人作業をしていると、国軍からの使者がやってきて、報告を受けました。
その内容は信じがたいものです。
なぜなら、この報告はこれが初めてではなかったからです。
最近起きたスルトとヘニルの戦争。
これには大陸中が震撼しました。
事前の予想とは全く違い、スルトが圧勝したからです。
我が国以外にも多くの国がスパイを使って、何が起きたか状況を探ろうと躍起になっていますが…。
スパイが帰ってこず、ほとんど情報を得られないのです。
これはどうやら、我が国に限らないようでした。
私の質問を使者が肯定するのを見て、私は『集中力』を発動して思考に没入することにしました。
1度ならず2度までも。
確実に、スルトの中にスパイを探し出せる能力者がいるはずです。
「我が国からもスルト、もしくは浮遊大陸に行った商人がいるはずです。その中に、帰ってきてない者はいませんか?」
私が使者に質問をすると、彼は自分が知る限りではいないと答えました。
「重要なことです。正確に調べてください」
私はそう言って、彼を送り出しました。
気付けば、私は思考の時のクセで顎髭を撫でていました。
再び1人になった私は、そのまま改めて思考を続けることにしました。
スパイが帰ってこないのは有り得ることです。
でも、1人も帰ってこないのは有り得ません。
なぜなら2回目となる今回は、スパイの中に絶対に商人と見分けがつかない者を紛れ込ませていたからです。
現状、スルトとヘニルのことで得られた情報は、商人などの一般人からもたらされた噂のみ。
それを踏まえ、一部のスパイにはあえて自分から情報を集めず、商人に徹するよう厳命してあります。
違和感を消すため商人だった者を使ったほど、注意を払ったのです。
にも関わらず、そのスパイ達すら帰ってこなかった。
おそらく使者が言っていたように、本当に商人達の中には行方不明となった者はいないのでしょう。
つまり、同じ行動をしてもなぜか、スパイと商人をスルトは正確に見分けられたということです。
真偽判定を使えば、可能ではあります。
しかし、レアな重要スキル持ちを国境に常駐させるわけにもいかないでしょうし、そうしたとしても明らかに真偽判定持ちの人数が足りません。
「…なにか、特殊なスキル持ちが関わっていますね」
そう考えるのが自然です。
では、どのようなスキルか?
敵の位置を正確に把握できるスキルであることは間違いないでしょう。
…そうか。
確かにそれなら、ヘニル軍がスルト軍にいいようにあしらわれたという噂も信憑性が増します。
…何かが…、引っ掛かりますね…。
今、確かに何かが頭の隅を過りました。
敵の位置を把握できる…。
…敵以外の位置も、把握できるとしたら?
その時、今まで聞いたさまざまなスルトに関する事実や噂が、頭を駆け巡りました。
急速に成長し、今や大陸中を席巻する勢いのワトスングループ。
浮遊大陸の発見者の1人、セイ・ワトスン。
我が国での実用化前に先出しされた充魔石。
ヘニルで発見されたミスリル鉱床、どこから手に入れたのか浮遊大陸で売り出され始めたアクエリアス。
全てが繋がっていく…。
「能力者は、セイ・ワトスン…。もしくは、それに近しい誰か。おそらく間違いありません。…まずいですね。至急、王に報告すべきです」
戦争後にスルトが充魔石の発表を行った時、我が研究所では先を越されたと騒然となりました。
ですが、研究成果が取られたとは誰も思っていませんでした。
研究所の情報の取り扱いは厳重でしたし、スルトがいち早く
浮遊大陸で大量の魔石を買い付けているという噂を聞いた段階で、スルトが似たような研究を行っているという予想はされていたからです。
ただ、そういう能力者がいるのであれば話は別です。
研究成果が取られた可能性は高い。
魔導王国は技術力の高さが強みの国です。
その研究成果がもし全てスルトに渡っているとすれば、我が国の優位性が失われます。
何か、至急対策を講じなければ。
しかし、どうやって?
そう考えながら王宮へと向かうため部屋を出ようとして、私は口から心臓が飛び出すかと思うほど、驚きました。
部屋のドアの前に、黒髪の少年が立っていたからです。
「いつから、いたのですか…?」
私は爆発しそうな心臓を無理やり落ち着かせながら質問をしました。
もし、彼が私の考える人物ならば、すぐに殺されることはないはずです。
やる気ならば、とっくに私は死んでいるでしょうから。
「それに近しい誰か、くらいからですね。はじめまして、ジョアン・チリッチさん。僕の名前は、セイ・ワトスンです」
少年は、やはり私が考えた通りの人物でした。
…会話すら把握できる能力。
ヘニルは、作戦すら把握されていたのですね。
全てを把握されていると仮定して、会話をするしかないでしょう。
彼は、にこやかに自己紹介をしてきました。
何か、私を消す以外の目的があるのでしょうから。
いや…、全てを把握しているならば、私を生かしている理由は限られますね。
「勧誘、ですかね?」
「さすが。話が早くて助かります。待遇は今以上をお約束します。仲間になっていただけませんか? ちょうど、僕たちだけでは知恵が足りないと思っていたところなのです」
私が目的に当たりを付けると、彼はそれを肯定してきた。
今ある研究成果や私の持っている情報を全て把握しているならば、彼にとって残りの価値あるものは私自身くらいのものでしょう。
しかし。
「お断りします。私は皆を裏切って生きるくらいならば、死を選びます」
私は彼の勧誘を蹴りました。
無理やり攫われるか、殺されるか、どちらかになるでしょうが、仕方ありません。
家族や友人を裏切ってまで生きる人生が、面白いとは思えませんからね。
攫われても協力は拒みましょう。
「そうですか。全てを裏切らないというのは無理ですけど、家族と友人、その家族くらいなら連れていけると思いますよ。何とかなりませんかね?」
私の言葉を聞いた彼は、残念そうに話を続けました。
ずいぶん間の抜けた印象です。
「はぁ。何とかって…。貴方が主導権を握っているのですよ。私に主導権を渡してどうするのですか…」
私は困惑しながら、そう話しました。
あまりに敵意がありません。
最初から殺すという選択肢がないようにすら見えます。
「仲間にしたい人ですから、できれば脅したりはしたくないんですよ。そうだ! 貴方の悩みも、たぶん解消できますよ。子供が欲しいんでしょう?」
なんですって?
突然思いついたように話し始めた彼の言葉に、私は驚いた。
私と妻の間に子供ができないことは、長年の悩みでした。
それが、解消できる?
「私も妻も、もう35を過ぎています。常識的には、もう厳しい年齢ですよ?」
私は思わず前のめりになりながら、彼にそう問いただしました。
「僕はその年齢が全く問題ないことを知っていますし、貴方や奥さんに身体的問題がないことも知っています」
そう言って、セイ君は妊娠の仕組みを丁寧に説明し始めました。
その内容は、卵子の寿命が排卵後約24時間しかないなど、私が知らなかったことを多く含んでいました。
「良いのですか? この情報は、私が仲間になった後に話すべきことでは?」
あまりに喋るので、途中で私がそう聞いてしまったほどです。
分かってしまったのは、話の内容だけではありません。
彼の能力も、彼の話しぶりから、おおよそ気付いてしまいました。
「僕なりに、貴方が仲間になってくれる可能性が高くなると踏んで話してるので。ちなみに、僕が能力と魔法で補助すれば、着床までは100%に近い確率で成功しますよ」
セイ君はニヤリと笑いながら話しました。
彼としてはこれが切り札だったのかもしれません。
確かにとても魅力的なのですが、少しズレていますね。
私は、最初に皆を裏切るつもりはないと言いました。
そしてそれは、本心です。
確かに、国や王家への忠誠心はそれほど強くありませんが。
セイ君の能力では、心までは読めないのですね。
彼の説得はズレています。
ズレていますが、主導権が私にあるのなら、悪くはありません。
「そう簡単に、国を裏切る選択をできるわけはないでしょう。考える時間をください。もし、私が大切なものを連れてスルトに渡るとすれば、作戦は私が考え、貴方の力も使わせてもらいます。良いですね?」
「ええ。もちろん。それで大丈夫です」
私が提案すると、セイくんは嬉しそうに答えた。
甘すぎる。
仮に私が口八丁で誤魔化そうとしても、同じことを言ったでしょう。
出し抜こうとしたところで、彼の能力をもってすればどうにでもなるという考えかもしれませんが。
心を読めないのであれば、何とかできる可能性はあります。
私は1つため息をつきました。
でも結局は、彼の思い通りになりそうですね。
私は妻との子供がどうしても欲しいですし、密かに思い描いていた夢も、彼の下なら私が生きているうちに達成できそうです。
「私が裏切らない選択をしたらどうします?」
「僕の情報を黙っていれば、どうもしません。誰かに伝えれば、その相手ごと消えてもらいます」
これはさすがに脅されますか。
そこまで甘くはないと。
悪くはありませんね。
「私から見ると、貴方に付くには情報が足りなすぎます。質問をしますので、答えられる質問には答えてください」
そうして、私はセイくんから色々なことを聞き出しました。
感想を一言で表すならば、彼は平和ボケしすぎているということです。
彼は戦争をしたくないと考えているようですが、スルトが力を付ければ付けるほど、力のバランスは崩れ、戦争は近付くでしょう。
つまり、彼が今やっていることは逆効果です。
しかし、私の主としては相応しい。
彼ならば、私の夢を叶えられるでしょう。
「人が来るようです。ジョアンさん、また来ます。次はいい返事を期待してますよ」
そう言って、セイくんは私が瞬きしている間に、目の前から消えました。
まさか、転移魔法?
失伝魔法ですらも、手に入る情報の範囲内ですか。
凄まじいですね。
しばらく経つと扉がノックされ、先程送り出した使者が帰ってきました。
実はあれからずいぶんと時間が経っていたようです。
使者は、最近スルトに行った商人の中で行方不明に者はいないと言いました。
税の記録を調べたので間違いないそうです。
「そうでしょうとも」
私はそう呟きました。
商人の中に行方不明者がいないということは、商人と見分けが付かないはずのスパイを正確に見分けられる者がスルトにいるということ。
私はそれだけ使者に伝えました。
後日、私を含めた何十人かの魔導王国の人間が、突然姿を消すことになります。
皆、私の説得に応じてくれました。
行き先はもちろん、スルト国。
私はここで子供を作り、育て、夢を叶えるつもりです。
大陸統一という夢を。
セイくんならば、それができるでしょう。




