第15話 奇跡の御曹司
ズベレフの御曹司が来た。
今、領内はその噂で持ち切りだ。
なんでも、初日にいきなり代官をクビにしただとか、税を大幅に下げたとか、隣村で奇跡を起こしたとか。
そんなバカバカしい噂が流れている。
あたしもそうだけど、スルトが嫌いな領民は皆、そんな噂なんて信じていない。
どうせ、御曹司が来ている間だけいい噂を流して、御曹司に危険がないようにしているだけでしょ?
あたし達農民は、本当はここがどこの国かなんてどうでもいい。
元々ベルジュは、国がよく入れ替わる土地らしいし。
でも、スルトに支配されてからは、明らかに前より悪くなったって、おじいちゃんが言ってた。
頑張って麦を育てても、ほとんど税で持っていかれちゃって、皆いつもお腹をすかせている。
もちろん、あたしも。
着ている服もボロボロだけど、蓄えなんてあるわけがないから、そのまま。
そんな状況だから、もし病気なんかになったら、そのまま死ぬしかないって言われている。
そして1月前くらい、お母さんが病気になっちゃった。
自然に良くなるのを待つしかないけれど、お母さんの容態は悪くなるばかり。
だから、あたしはスルトが嫌い。
そんなことを考えながら、今日もいつもどおり川で汲んだ水の入った桶を、肩に担いで運ぶ。
家の近くまで来たとき、あたしは異変に気づいた。
家の周りに人だかりができてる…。
「お母さんっ…!」
あたしは水が零れるのも構わず、桶を乱暴に地面に置いて走りだした。
あたしが川に行っている間に、お母さんが死んじゃった?
そんな最悪な想像をしてしまう。
「はぁ、はぁ。どいてっ! どいてよっ!」
家の周りに集まっている野次馬達をかき分けて、あたしは家のドアにたどり着き、開け放った。
「お母さんっっ!!」
ドアを開けたあたしが泣きそうになりながら叫ぶと、家の中にいた人達が一斉にこちらを振り返った。
お父さんと、おじいちゃんと、お兄ちゃんたちと、知らない男の子と、知らないおじいさん。
それから、ベッドに寝ていたお母さんが。
「よ、良かった…。お母さん、死んじゃったのかと…」
あたしはその場で崩れ落ちそうになるのをこらえながら、後ろ手でドアを閉めた。
「む、娘が、申し訳ございませんっ!」
「いや。とてもいい娘さんを持ったね」
お父さんが、知らない男の子に頭を下げている。
金髪の知らない男の子はにこやかにそれに対応する。
仕立てのいい黒のマントの背中には、何か意味のありそうな金色の紋章が入っていた。
こんなに顔の整った、きれいな男の子は初めて見る。
私はこそっとお兄ちゃん達の隣に移動して、ささやくように質問をした。
「どちらさま?」
お兄ちゃん達も水汲みには行っていたけれど、私よりずっと帰りが早かったはずなので、事情を知っているに違いない。
「アレクサンダー・ズベレフ様。公爵閣下のお孫様だ」
お兄ちゃんもこそっと、あたしに返事をする。
「えっ!?」と言いかけて、慌てて両手で口を押さえる。
お兄ちゃん達もあわあわしていたけれど、私の口が塞がったのを見て、胸を撫で下ろしている。
噂のズベレフの御曹司!
どうしてこんなところに!?
私が疑問に思っていると、ズベレフの御曹司がこちらを見て微笑んだ後に、説明してくれた。
「先程言ったように、村に立ち寄るついでに重病の彼女を治しに来た。私の見立てでは必ず治るが、治療法は君たちには信じがたいものになる。説明の上、同意があれば治療する。良いか?」
「は、はいっ」
ズベレフの御曹司は、私のためだけにもう一度説明してくれたらしい。
お父さんが返事をすると、家族皆が頷いた。
私ももちろん何度も頷いた。
お母さんが治るなら、ダメなわけがない。
「彼女の治療法だけど…。簡単に言うと、病気の部分を切って取り除く。その後、ポーションで取り除いた部分を再生させる。以上だ。質問はあるか?」
は? 質問以前の問題なんだけど。
意味分かんない。そんなことができるなら、皆やってるでしょ。
ズベレフの御曹司がした説明は、彼が言った通り信じがたいものだった。
「そ、そんなことができるのですか?」
「できる。信じてくれとしか言いようがない」
お父さんが何とか質問をすると、ズベレフの御曹司ははっきりとできると言い切った。
「ポーションのお代なんて、ウチには払えません…」
ベッドに寝ているお母さんが苦しそうに言う。
そ、そうだ…。薬代も払えないんだから、ポーション代も払えるわけがなかった。
あたしはガックリとうなだれた。
「代金はいらない。治った後は、これまでのように領民としてしっかり働いてくれれば、それで良い」
ズベレフの御曹司は、天使のような笑顔を浮かべて言った。
そ、そんなことある?
条件が良すぎて、逆に信じられないんだけど。
「切るというのは、どこを? 痛むのでしょうか?」
今度はおじいちゃんが質問をする。
お母さんがゴクリと唾を飲み込む音が聞こえた。
「腹を切って、内臓を取り除く。痛覚遮断という魔法を使うから、痛みはない」
「は、腹を…。そんな…。そんな治し方、聞いたこともない」
御曹司が答えると、質問をしたおじいちゃん以上に、お父さんが狼狽えた。
でも、私はお父さんの気持ちがすごく分かる。
お腹を切って、もし失敗したら、お母さんが死んじゃう。
「お願いします。私は、このままでは助からないのでしょう? だったら、私はアレクサンダー様を信じます」
「お、お前…!」
嘘でしょ?
お母さんは、御曹司を信じる気らしい。
お父さんは、たぶんあたしと同じ気持ちなのに、拳を握って震えている。
「あ、あたしは信じない! スルトは今まで散々あたし達に酷いことしてきたのに! どうして急に信じられるっていうのよ!」
「コ、コラッ! …は、はは…。申し訳ありません、妹が! どうかお許しください!!」
あたしが思い切って言ってやると、お兄ちゃんがあたしを取り押さえて、笑って誤魔化そうとした。
でも、すぐに誤魔化せないと思ったのか、全力で頭を下げて謝った。
「いいんだ。妹さんの言う通りだよ。すまなかった。知らなかった、というのは言い訳にしか聞こえないと思うが、これからはベルジュを豊かにするため尽力する。これもその一環なんだ」
「アレク様! 民に頭を下げるのはお止め下さい!」
御曹司が頭を下げたことに、あたし達は言葉が出なかった。
貴族が農民に頭を下げるなんて、聞いたことがない。
実際、御曹司の後ろに控えていた執事のような人が、御曹司を窘めている。
「爺。上に立つものであっても、間違いを認めて頭を下げ、反省して次に進むことが悪いとは僕には思えない。見くびられないようにというならば、それは別の方法であるべきだ。違うか?」
「はっ。爺の浅慮でございました」
御曹司を窘めた人が、逆に窘められている…。
あたしはその様子を見て、もしかしたら、この人は普通の貴族とは違うのかもしれないと思った。
「そういうことで、私は結果によって価値を示したい。必ず君の母上を治す。許してもらえないだろうか? 私もかつては病気でね、放ってはおけないのだよ」
御曹司は格好良くあたしに同意を求めた後、苦笑して言葉を続けた。
そういえば、ズベレフ公爵はついこの間まで『かわいそうな公爵』と呼ばれてた。
たった1人の後継者である孫が病気だったから。
最近は活躍の噂しかなくて忘れてた。
「お母さんを、絶対、絶対治せますか?」
「任せてよ! 僕は1度記憶したものを忘れないんだ」
あたしの質問に、年相応に笑って答えたアレクサンダー様は、気絶しそうになるほど格好良かった。
あたし達家族は、皆でアレクサンダー様に治療をお願いした。
その後、アレクサンダー様はすぐにお母さんの治療を始めてくれた。
「"痛覚遮断"。…ビックリすると思うけれど、何があっても僕のことを止めたりしないでくれよ」
そう言ったあとのアレクサンダー様は圧巻だった。
何かの魔法であっという間にお母さんのお腹を切り開き、中に手を入れ、たぶんお母さんの内臓だと思うものを取り出して容器に入れた。
この間、あたし達家族は悲鳴を上げないように必死になった。
なぜか容器から手を取り出したときには、血濡れだったアレクサンダー様の手はすでにキレイになっていて、手には小さな瓶が握られていた。
アレクサンダー様はその瓶に入っていた液体をお母さんに優しく飲ませる。
「これで大丈夫。今は内臓の再生中だから、あと1分くらいは安静にして。僕も魔法で補助を続ける」
「え? もう終わり…ですか?」
アレクサンダー様の言葉に、お父さんが目をむいて質問をした。
「ああ。君の奥方の病気はもう間もなく完治する」
アレクサンダー様の力強い返事に、あたし達は感極まって喜びを分かち合った。
アレクサンダー様は、少しの間お母さんの様子を見てくれた後、次の予定があるということで早々と出ていかれることになった。
「本当に、何とお礼を言っていいか…」
お父さんがあたし達の気持ちを代表してお礼を言おうとするが、言葉にならない。
「いいんだ。僕の病気を治してくれた人も、僕に何も求めなかった。僕もそうありたい。それでは気が収まらないなら、君達なりに動けばいい。僕もそうしている」
アレクサンダー様は何かを思い出すように笑った。
あたしも、あたしなりにアレクサンダー様に恩を返せるように動こう。そう思った。
きっと家族もそう思っている。
アレクサンダー様は最後に、村長に渡してくれと紙の束をお父さんに押し付けて、執事らしき人に預けていた黒のとんがり帽子を被り我が家から出ていった。
後で聞いたことだけど、アレクサンダー様が着ていた服は、あの有名なスルティア学園の制服だったらしい。
アレクサンダー様は我が家から出ていった後、村にもう1人いた重病の者を救い、さらに魔法で水車や用水路をいとも簡単に作って去っていったという。
村長に渡された紙の束には、税を7割から5割に引き下げることや、まるで農業経験者のような農業に関するアドバイスなど、多岐に渡って書かれていたようだ。
その中には、なぜ公爵の孫が知っているのか理解に苦しむものも数多くあったようで、領内で起きた様々な奇跡のような出来事と相まって、彼は『奇跡の御曹司』と呼ばれるようになった。
あたし達家族はアレクサンダー様への恩を返すため、日々農業に励んでいる。
あたし達の収穫が増えれば、アレクサンダー様に納める税も増える。
それだけで終わらせるつもりはないけれど、まずはそこからだ。
翌年以降、アレクサンダー様のアドバイスにより領内が大豊作となるのは、まだ少し先の話。
お読みいただきありがとうございます。
以前から検討していたのですが、今後感想への返信を基本的にはやらないことにしようと思います。
理由としては、他作品で、感想返しがあると逆に感想書きにくいよっていう指摘を数回見かけたことがあるからです。
感想やレビューが1番嬉しいので、気軽に書けるようにしてみたいと思いました。
もちろん全部見ることは変わりません。場合によっては返信もしたいと思います。
というわけで、ぜひ気軽に感想機能をお使いください。
よろしくお願いいたします。




