第16話 ゴードン村の不思議な子供 後編
「ワトスンさん、今日はありがとうございました」
「いやいや、これくらいどうってことないさ。僕も楽しかったよ」
村の広場での行商を終えた僕がセイくんを連れて村長のお宅に戻ると、村長は喜んでセイくんも泊めることを了承してくれた。
村の子供はみんな孫のようなものだそうだ。
曾孫、いや玄孫の間違いじゃないですかって思ったけど、言わなかったね。
あとが怖いし、空気が読める男なんだ、僕は。
村長の家族と一緒にとった夕食は、大いに盛り上がった。
セイくんが僕の行商としての武勇伝を聞きたがったからだ。
思い付く限り手柄話や失敗談、見聞きした面白い話を披露した。
過去最高にウケたと言っても間違いではないと思う。
セイくんはとても聞き上手で、特に僕がその時どう思ったかを聞きたがった。
時々僕が、かなり盛った話をしたり格好付けすぎたりすると、まるで当時の状況を見てきたかのようにツッコミを入れてきたことには驚いたけど、まぁそれも含めウケていたから良しとしよう。
そして今、夕食を終えた僕とセイくんは村長の家の客室のベッドの上にそれぞれ座って談笑している。
「しかし、困ったな。セイくんは僕の話を聞きたくて泊まりに来たのに、さっきの夕食で面白い話はあらかた話してしまったよ」
はっきり言って、これ以上ネタがない。
ネタがないところに、何か面白い話をしてよと言われることほど困ることはない。
何でも質問を受け付けるよって言えば許してくれるだろうか。
「充分たくさんの面白い話を聞かせてもらえたので、大丈夫ですよ。それに、オレからもワトスンさんに聞いてもらいたい話があるんです」
「それは楽しみだな。どんな話なんだい? あ、それから僕と話すときはくだけた言葉を使ってもらいたいな。君みたいな小さな子に気を遣ってもらうのは心苦しい」
嘘は言っていないけど、本当はどちらかと言えば好奇心だ。
この子は元々ていねいな言葉を話す子なのか、意識的に敬語を使っているのか。
僕は、この不思議な少年に興味を抱いていた。
「ありがとう。じゃあ、そうさせてもらうね。話っていうのは、ワトスンさんが王都に店を出す手伝いをさせてもらいたいってことなんだ」
「へ?」
ぼ、僕としたことが思わず変な声が出てしまった。
敬語は意識的に使ってたみたいだけど、もはやそんなことはどうでもいい。
この子は何を言っているんだ?
ニコニコしているその顔は、冗談で言っているようには見えない。
いや、異様にませた子供だと思っていたけれど、結局普通の子供だったというだけか。
「ごめんね。セイくん。王都は、セイくんが思っているよりもずっと遠いところなんだよ。ちょっとセイくんが手伝いに来るのは無理なんじゃないかなぁ」
「王都がどれくらい遠いかは知ってるよ。直接手伝いに行くつもりはないんだ。でもやっぱり、小さな子供の言うことなんて信じられないよね」
「そ、そういうわけでは…」
話の流れがおかしい。
商売が楽しそうだからやってみたいという雰囲気ではない。
気付けば僕は、目の前で言葉を紡ぐ幼子から目が話せなくなっている。
「いいんだ。今は信じてもらえなくても。もしこれからオレが言ったことでワトスンさんがたくさん儲けることができたなら、次に来たときにでも考えてほしい」
「な、何を言っているんだ。君は。そんなうまい話、あるわけが…」
言い淀む僕に、セイくんがそっと右手を上げて話を遮る。
その雰囲気は圧倒的だ。
僕は思わず押し黙る。
さっきの夕食での盛り上がりが嘘のように静まり返った寝室に、僕の喉がごくりと鳴る音が響いた。
「まぁ、ひとまず聞いてよ。覚えておいて、真偽を確かめる分にはワトスンさんに損はないでしょ」
それから僕がセイくんから聞いた話は枚挙にいとまがないほどだったが、僕はその全てを鮮明に脳裏に刻み込んだ。
本当であるはずがない、セイくんが知っているはずのないことばかりで、眉唾物としか言いようのない情報ではあった。
でも、万が一、もしも正しい情報だった場合、商人として知っているか知っていないかでは天と地ほど違う情報ばかりだったからだ。
この国が数年後に戦争があると見据えて、水面下で兵糧としての麦の備蓄を始めたので、麦の値がいつも以上に王都に近付くほど高くなっていること。
王都で病が流行る兆候が現れており、ちょうど僕が王都に戻る頃に流行っていると予測され、その病の特効薬となる薬草がこの村の2つ後に行く予定だった村で常食用として売られていること。
特にこの2つの情報は重要だ。
前者はセイくんの話が本当なら、ここで大量に仕入れた麦は極力王都に近いところで売った方が良い。
元々、麦は王都に近いほど高いので、僕に損が出にくい情報だ。
いずれ戦争の準備が本格的に始まったとき、特需にあやかるチャンスも掴みやすくなるだろう。
後者は、セイくんの話が本当ならボロ儲けのチャンスだ。
しかし、嘘か間違っていれば大きな損が出る情報でもある。
「どうして君は、こんなことを知っているのか、教えてもらえるかな? セイくんが知っているはずのない情報が多すぎて、とても信じることができない」
「妖精が教えてくれたんだよ。信じられないよね。本当かどうかはワトスンさんが自分で確かめてみてほしいな」
「仮に、本当だとして、僕が王都に店を出すことの手伝いをしてセイくんに何のメリットがあるんだい?」
もしこの情報が本当ならば、値千金だ。
これに見合うような何かを僕が出せるとは思えない。
そう思って聞いてみると、セイくんは嬉しそうに笑った。
「後ろ楯が欲しいんだ。オレは9歳になったら王都の学校に通おうと思ってる。あそこに通うには最低でも大商人のお墨付きが必要だからね」
「あの学校に入るための後ろ楯!? 王都にただ店を構えるのとは次元が違うよ! できるわけがない!」
仮に今聞いた話が本当であっても、いきなり一足飛びに王都でも上位に入るような大商人になれるわけがない。
さすがにバカバカしい話だった。
でも、これまで聞いた話全てがただの子供の妄想とも思えなかった。
「たぶん、できると思うんだけどなぁ。情報を制するものは世界を制するって言うじゃない?」
知らないよ!
とはいえ、さっきの話を聞くとあながち間違ってるとも思えない…。
「セイくんには情報を制する方法があって、僕にそれを教えてくれると?」
「そう。これ内緒ね。家族にもはっきりとは言ってないんだ。ちなみに、バラしたらすぐ分かるから」
バラしたらどうなるのかは、聞くのが怖いから止めておこう…。
「もしかして幼馴染のあいつのことも知ってるのかい?」
「アイラさんのこと? あ、もしかして好きなの? それは知らなかった」
ぎゃあああ、聞かなきゃ良かったー!
恥ずかしい…。
僕は顔を手で隠してベッドに倒れ込んでじたばたともがく。
でも、絶対に会ったことはないはず。
あいつの名前を知ってるってことは、情報を知れるのは本当なんだろう。
僕に教えた情報が嘘ってことはあるかもしれないけど。
実はさっきからずっと、もしセイくんの情報が本当ならって前提で色々考えている自分がいる。
今まで僕は、情や付き合いを優先してしまって効率よく稼ぐことができていなかった。
もしセイくんの情報が本当で、彼が言うとおり僕を手伝ってくれるのならば、情などを優先してなお余裕があるくらい効率よく稼いでいけることは間違いない。
そこまで考えたところで、ベッドから勢いよく起き上がって、できるだけ真面目な顔を作ってセイくんに向き直った。
「セイくん、さっき聞かせてもらった情報は、全て余すところなく覚えた。僕はこの情報の真偽を確かめさせてもらって、本当だと判断できたときは、むしろこちらから協力をお願いしたい」
「ありがとう。ワトスンさん。よろしくお願いします」
セイくんはニコニコしながらベッドから身を乗り出し、こちらに右手を差し出してきた。
「はは。まいったな。本当だからよろしくってことかい」
僕は苦笑いをしつつ、握手に応じた。
「実はね、今日はここまで話すつもりはなかったんだ。ワトスンさんと2人きりになれるとは思ってなかったから」
「家族に内緒にするためかい?」
「そう。気味が悪いと思わない? 知ってるはずのないことを知ってる子供って」
「正直に言うけど、思うね。君いくつだい? 何かに取り憑かれているって考えた方が自然なくらいだ」
「はぁ。やっぱりそうだよね。家族には嫌われたくないんだ。だから内緒。あ、歳は3歳だよ」
3歳…。どう考えても普通の3歳の農民の子供じゃないね。
もちろん、言いふらしたりはしない。
セイくんの言うことが本当なら、僕にとってもセイくんの秘密を知る人間は少ないほどいい。
なるほど、情報を制するものは世界を制するか。
セイくんから聞いたことが正しいか確かめるのが楽しみになってきた。
「君の秘密は誰にも喋らないことを約束しよう。アイラにもだ」
「ありがとう。ワトスンさんならそう言ってくれると思ってたよ」
「さて、そろそろ寝る支度をしようか。明日からが楽しみだよ」
「うん。オレも次にワトスンさんと会うときが楽しみだよ」
翌朝、僕は日の出とともに出発した。
昨日は妄想が捗りすぎてあまり寝られなかった。
朝早いというのに、セイくんも村長も見送りに来てくれたことはとても嬉しかった。
セイくんは村長が家に送ってくれるというので、お言葉に甘えた。
別れ際のセイくんの、たくさん稼いで戻ってきてねという言葉がとても印象に残っている。
そして結論から言うと、セイくんの情報はほぼ全て正しかった。
ほぼ全てなのは、おそらく時間がたったことで塗り変わったと思われる情報がいくつかあったからだ。
1ヶ月以上かかって王都に着いたとき、すでにかなり稼がせて貰っていたけれど、王都での稼ぎは圧倒的だった。
大量に仕入れていた麦が想像以上の値段で売れた他、今までは薬草として知られていなかった野草が流行り病の特効薬として非常に高く売れたからだ。
野草は初めは誰も信じていなかったが、使ったものがどんどん回復していったことで、あっという間に噂が拡がっていった。
あろうことか幼馴染のアイラと、喧嘩別れしていた父も流行り病にかかってしまっていた。
まだ間に合う状況であったことは幸いで、野草が実際に薬として流行り病に効いたとき、僕はセイくんとの出会いを神に感謝した。
あるいは、セイくんはここまで分かっていたのだろうか…。
野草を仕入れた頃はセイくんを信じきれていなかったので、大きな損をしない程度にしか仕入れていなかったことだけが悔やまれた。
父とはこれを機会に和解し、アイラには王都に店を構えたら結婚してくれとプロポーズした。
アイラは、遅いと怒りつつも、泣きながら喜んでプロポーズを受けてくれた。
僕が突然大きな稼ぎを出し、プロポーズをするほどに自信を付けたことをアイラはとても訝ったので、こう言ってあげた。
「君にだって内緒だよ。情報を制するものは、世界を制するのさ」
僕はセイくんと組んで大商人になる夢を叶える。
そして、彼に恩返しをするんだ。




