第3話 パブロ・ペール
毒シチュー事件の後、ペールは公式的にはお咎めなしとなった。
ペールの父親であるペール侯爵が、必死になって動いたからだ。
オレも、ペールはやったと思いこんでいるけれど、実際には未然に防いだし気にしていないという主張を通した。
半分は嘘だけど。
ペール侯爵に貸しを作れるのはそれなりにおいしい。
ただ、学園長の怒りが想像をかなり上回って大きかったことは意外だった。
それなりに仲良くなっていたからなのか、スルティアの次くらいに学園を愛している人だからなのか、別の理由なのかは分からないが。
とにかく真偽判定官が出てきたらペールの処分は確実だったので、ペール侯爵は髪の生え際が3センチくらい後退するほど必死になって根回しをしていた。
おかげでペールは厳重注意で済まされ、ペール侯爵家は今回の事件で甚大な被害を受けることを回避した。
まぁ、根回しやら何やらで小さくない被害は受けているみたいだけど、それくらいは仕方がないと思っているようだ。
でも今後、ペール侯爵家が影響力低下を免れることはできないだろう。
貴族は体面を非常に気にする。
トンプソン家がそうだったように、失敗した家とみなされると人が寄り付かなくなるのだ。
そういうわけで、今ペールはクラスで浮いていた。
いつも一緒にいたノバクとデミノールも、あの後ペールを叱責するだけして、それ以来は遠ざけている。
自業自得ではあるが、さすがに少しかわいそうだとも思う。
「はぁ…。ペール君があぶれているようですね。どこか、彼を入れてあげるグループはないのですか?」
魔法薬学の先生が、授業の初めにため息をつきながら指摘する。
ちょっと気難しい感じの女性の先生だ。
魔法薬学はいつも3人のグループを作る。
先生も今回の事情は当然知っている。
だからなのか、いつもペールとグループを作っているノバクとデミノールが何食わぬ顔でペールを外していることはスルーしている。
ペールは1人だけ、どこのグループにも入れてもらえずに取り残されて席に座っていた。
少し涙目になりながらキョロキョロしている。
薬品があることで独特の匂いがする教室が、しんと静まり返る。
まさかこんな感じになってしまうとは…。
学園を楽しみたいオレとしては、雰囲気が悪くなることは本意ではない。
明らかにノバクやペトラ殿下と対立してしまってるオレが言えることではないんだけど。
あれも上手くやれてないことの1つだ。
暗殺計画の阻止も、違う方法で行うべきだったなぁ。
自分の思慮の浅さを残念に思ってしまう。
さてどうするかと思って、ネリーをちらりと見る。
ネリーは一心不乱に魔法薬学の教科書を読んでいる。
中間テストが近いので、授業が始まるギリギリまで勉強しているのだ。
あいつの努力と集中力には頭が下がる。
まぁ、幼い頃からの総勉強量ならオレやアレクの方がずっと多いんだけど。
積み重ねって大事だね。
ネリーは嫌だろうなぁ。ペールをグループに入れようって言ったら。
ネリーの爺ちゃんを嵌めた家の人間で、本人もネリーを人質にしようとしたことあるし…。
ちょっとかわいそうだし、雰囲気は変えたいけど、ネリーよりペールを優先することは有り得ないからな。
自業自得ということでペールには頑張ってもらおう。
そう思っていると、ネリーがパタンと教科書を閉じた。
『集中できない、と小さく呟きましたね』
アカシャが、オレがよく聞き取れなかったネリーの呟きの内容を教えてくれる。
まさか、ネリーのヤツ…。
オレは驚きながらネリーを凝視する。
「先生、4人グループになってもいいですか?」
ネリーが手を上げながら先生に質問した。
やっぱり。ネリー、お前ってヤツは…。
オレは驚きとともに、自分の口角が上がっていることに気付いた。
「ええ。もちろんです。ペール君、トンプソンさんのグループに入りなさい」
魔法薬学の先生がネリーに答え、ペールに指示する。
ペールはもちろん、ノバクやデミノールも、いや、このクラスのほぼ全員が驚愕の表情でネリーを見ていた。
「いいわよね?」
ネリーが、同じグループのオレとアレクに今更声をかけた。
「「もちろん」」
オレもアレクもすぐに答えた。笑顔で。
お前がいいって言うなら、ダメなわけがない。
ペールは戸惑った表情をしながら、オレ達が座っている席まで歩いてきた。
「どういうつもりだ…?」
そう聞いたペールのキンキン声は弱々しかった。
屈辱とかそういう感情はないように思えた。
ただ打ちのめされたような声だった。
「勉強に集中できなかったから。ほら、座りなさいよ」
ネリーはいつもと変わらない強気な声色で話す。
ペールは居心地悪そうだったが、大人しく言われた通りに席に着いた。
「それでは授業を始めます。まずは各グループから1人、前に置いてある材料を取りに来てください」
先生はペールが座ったのを見て1つ頷いた後、クラスに向かって声をかけた。
「僕が取ってくるよ」
「あたちも付いてく」
空気を読んだアレクが笑顔で立ち上がり、ベイラはたぶん面倒から逃げてアレクの頭の上に収まった。
2人が前に材料を取りに行くのを眺めながら、ネリーが独り言のようにボソっと言う。
「恨んでないし、気にしないわ。忘れはしないけど。もうしないでよね」
ネリーは『何を』とは言及しなかったが、その言葉は不思議と強く伝わってきた。
本心なんだ。恨んでないのも、気にしないのも。
あれだけの仕打ちを受けて、なお。
ネリーの言葉を聞いて、ペールはボロボロと涙を零し始めた。
「も゛、も゛う゛、し゛な゛い゛……」
泣きすぎてちゃんと言えてなかったけど、ペールが何を言いたいかはよく分かった。
まだ10歳なんだ。いくらでもやり直せるだろ。
家に染まった今の考えを、ネリーに洗い落としてもらうといい。
近くの席に座っていたアンドレも号泣している。
話を聞いていたらしい。
そういえば、あいつもネリーに救ってもらったんだったな。
自分の境遇に重ねたか。
戦場でネリーやトンプソン家のために命をかける人達がたくさんいる理由がすごく実感できた。
すげーよ。ネリーは。
「オレも全然気にしてないから」
オレも泣きじゃくるペールに声をかけたけれど、オレの言葉は軽くて陳腐だなと自分で思った。
オレは自分や周囲に被害がなければ許せるけど、被害があったら、許せないかもしれない。




