第97話 竜炎纏
ヘニルの軍が、迫ってくる。
まだまだ距離はあるけれど、兵の配置は普通だ。
前方に、防御魔法を使える魔道具の盾と槍を持った一般兵。
後方に、魔法兵。
一般兵が敵軍の魔法を防ぎ、魔法兵が後ろから攻撃をしながら前進していく、昔からある最もよく使われる戦型だ。
ヘニルはスルトと違って魔道具の一般化には成功していないけれど、盾の魔道具はどこの国でも以前から使われている。
貴族が魔法陣の流出を恐れるのは、反乱が怖いからだ。
防御魔法だけなら、最悪流出しても反乱には繋がらないという判断だとセイが言っていた。
というか、これは授業でもやっていたらしいけれど、友達に教えてもらったことは覚えられても、先生に教えてもらったことは覚えられないのは何でだろう。
思考が変な方にそれていることに気づいて、軽く首を振る。
集中しないと。
これからやることのために、私は1人残されたんだから。
結局、みんな余裕で間に合ってたけれど。
「ネリー、そろそろだよ」
アレクがこそっと私に話しかけてきた。
心配しなくても、忘れてないわよ。
「忘れても勝てると思うけど、セイに怒られるの」
ベイラも、まるで私が忘れていたかのように言う。
「失礼ね! こんな大事なこと、忘れるわけないじゃない! 行くわよミニドラちゃん!!」
「ガッ!!」
仲間の言葉で気合が入った私は、ミニドラちゃんの返事が聞こえるのと同時にジャンプして、その背中に降り立った。
ダンジョン用の装備のポケットからサングラスを取り出してかけ、"拡声魔法"を使う。
「全軍、このまま待機!」
腕を組み、拡声魔法で大きくなった声を張り上げる。
私を乗せたミニドラちゃんだけが前に進み出て、中央軍の前方で突出した形になった。
スルト軍は少しざわつき、ヘニル軍は前進速度こそ変わらないものの、何が始まるんだという顔をしている人がかなりいる。
セイは言っていた。
この位置関係なら、もし敵が早まって魔法を撃ってきても、絶対に対処が間に合うと。
私は一度目を瞑って、思いっきり息を吸い込んだ後に目を開いた。
「聞け!! ヘニルの侵略者達よ!!」
私は拡声魔法で拡大した声で、ヘニル軍に対して叫んだ。
「我が名はネリー・トンプソン! 我が愛する祖国の民を守るため、これより鬼となる!」
これは、セイに教えてもらった、お祖父様の言葉。
たった一軍で撤退する軍の殿を勤め上げ、ヘニル軍に追撃を諦めさせた、お祖父様の最後の戦いでの言葉。
ヘニル軍の中で、何人かの足が止まる。
高齢の魔法使いは、絶対に覚えている。
そう、セイは言った。
お祖父様の偉大さを、ヘニルにもスルトにも見せつけてやれと。
「ただの一兵たりとも、私の後ろを通れると思うな!!」
そう叫んで、片足が無くなっても、敵と味方と自分の血で全身が真っ赤に染まっても、民を守るために戦い抜いたお祖父様。
私はお祖父様を誇りに思いながら叫び、組んでいた腕を解いて右手を胸に当てた。
そしてその場でしゃがみ、左手をミニドラちゃんの桜色に輝く鱗に当てる。
"限定"だ。
「やるわよ、ミニドラちゃん」
「ガ!」
私は小さくミニドラちゃんに向かって呟き、元気な返事を確認して、セイにすらできない私だけの"宣誓"を口にした。
「"竜炎纏"!!」
右手で私の魔力の炎を、左手でミニドラちゃんの魔力の炎を制御。
成功。
私とミニドラちゃんを炎が包む。
ミニドラちゃんと完全に同調できる私だけができる"纏"。
私自身は普通に"炎纏"を使ったときと強さは変わらないけれど、ミニドラちゃんの攻撃力の大幅な上昇や、魔力の相互利用など多くのメリットがある、今の私の最高の手札だ。
私は再びミニドラちゃんの上で立ち上がる。
ヘニル軍で先程立ち止まっていた人たちは、今の私を見て完全に恐慌状態に陥っている。
"炎纏"を使う、赤髪のトンプソン。
予定通り、『赤鬼』と恐れられたお祖父様を、30年前のトラウマを思い出すには充分だったようね。
セイの計画どおり、熟練の魔法使いほど使い物にならなくなりそう。
「薙ぎ払うわよ、ミニドラちゃん!」
「ガッ!」
大規模な炎魔法を使うために私が手を前に出し、ミニドラちゃんが口を開けたとき、前方から私に向かって攻撃が飛んで来ていた。
大きな飛ぶ斬撃と、先の尖った大きな岩の塊だ。
『弐天』と『肆天』だろう。
私はそれを無視して、炎魔法の準備をする。
ミニドラちゃんも同じだ。
だって、絶対、仲間が防いでくれるから。
私とミニドラちゃんの目の前の地面から、大きな土の壁が出てきて私達を守ってくれる。
さらに、それを補強するように防御魔法が展開された。
ドガガッと大きな音がして地面が揺れたけれど、私達には何の影響もなかった。
『ここはすでに、ワシの領域じゃからのぉ。サポートは任せよ』
土の壁を作ってくれたスルティアの念話が聞こえた。
「この程度の攻撃で止めようなんて、なめすぎなの」
「僕達は予め魔力を練っていたからね」
防御魔法を使ってくれたベイラとアレクが、私達の横まで進み出てきた。
2人ともそれぞれ"風纏"と"水纏"をすでに発動している。
頼もしい仲間達に口元が緩んでいるうちに、挨拶に十分な魔力が練り上がった。
「"ドラゴフレア"!!」
私の発声と同時に、スルティアの土壁が地面に吸い込まれていく。
敵中央軍の左端を狙って放たれた、私とミニドラちゃんが作り出した特大の一本の火炎。
敵の指揮官達が必死に防御態勢と叫んでいる声が、拡声魔法を使っていなくてもここまで届く。
一般兵が盾の魔道具で作った防御魔法の他、魔法兵達も前に出て防御魔法を使ったようだ。
予定通りかな。
着弾と同時に、敵の左端に向けていた右手を敵の右端に向けて薙ぎ払う。
ミニドラちゃんも同じように右へと首を振った。
一筋の火炎が、左から右へと敵の前線をなめるように移動していく。
中央のヘニル軍は足を止めて、左端の兵達と同じように多重に防御魔法を張ることで、きっちり火炎を防ぎきったようだ。
着弾の爆炎と土埃であまり見えないけれど、そういう手応えだった。
『ナイスだ、ネリー。予定通りだな』
セイからの念話が送られて来たので空を見上げると、空がオレンジ色に染まっていた。
私が"竜炎纏"を使った辺りから透明化を解除していたようだけど、誰もが私に注目していたことで、ほとんどの人に気づかれないままに火球を増やし続けていたらしい。
ミスディレクションとかいうみたいだけど、なんだか手品みたいね。
今は爆炎と土埃で、やはり気づかれにくくなっている。
気づかれるまで増やし続けるつもりらしいけど、気づいた時のヘニル軍の反応を想像すると、かわいそうになってくるわ。
少しだけ経って土埃が晴れた頃、ヘニル軍に統制を失うほどの動揺が生まれ、指揮官が半狂乱になって全軍に防御態勢を叫んだとき。
ヘニル軍に無慈悲な炎の雨が降り注いだ。
『合図だ。全軍、突撃!!』
そして、念話機からズベレフ将軍の容赦のない指示が流れる。
『最善』を選べるスルト軍に抜かりはないのよね。




