第88話 魔が差す
私は、今、とてつもないものを見せつけられている。
あまりにも上手く出来過ぎていて、化かされている気分になる。
いや、ある意味これは、本当に化かしているのだろう。
きっと、しばらくして結果が出たときに、相手も気付くだろう。
この貿易は、全てにおいてスルト国の手の平の上だったと。
正確にはワトスングループ。…いや、おそらく、セイ・ワトスンの手の平の上なのだが。
「素晴らしい取引でした。次回の貿易にも期待しています。ぜひ、早めの周回をお願いしたい。ははは」
そう言って、私と固い握手をするのは大陸南東の国ギムレーの王子だ。
形だけとはいえスルトの第1王子である私の来訪ということで、今まで訪問したどの国も、立場ある者が責任者として対応してくれている。
浮遊大陸貿易はこれで3カ国目。
西端のゲルズを最初の訪問国として、南西のビフレスト、このギムレーと周り、この後スルトに戻る予定となっている。
「ええ。ぜひ。私共としても、非常に良い取引ができました」
握手をしたまま、ギムレーの王子に言葉を返す。
私の表情は硬くなっていないだろうか。
演技には慣れているが、上手く笑えている自信がない。
それほどまでに、私の立場からすると、スルト国が一方的に暴利を貪ったようにしか見えない。
ただ、ギムレーの王子の表情を見るに、ゲルズ訪問の前日にジョージ・ワトスンが語ったことは正しいのだろう。
恐ろしいことに、全ての国が非常に得をしたと思っているのだ。
いや、実際に得をしている。
スルトが最も得をしているだけで。
全て、彼の言ったとおりになった。
あの日、ゲルズ訪問の前日、私は計画書の内容を問いただすべく、セイ・ワトスン達が滞在する領主館を訪れた。
「いらっしゃいませ、ミロシュ殿下。そろそろいらっしゃるだろうということで、父が応接間で待機しております」
出迎えたのは、セイ・ワトスンだった。
民間の貿易をまとめている、ワトスングループの会長ジョージ・ワトスンが、私が来ることを予見してすでに待っていると言う。
応接間に入ってまず思ったのは、領主館と代官屋敷が想像以上に全く一緒であるということ。
造りが同じとは聞いていたが、こうまで同じとは。
魔法で急速に建築したからだろう。このイザヴェリアには同一の建物が非常に多く存在する。
それにしても寸分違わず同じに見える。そんなことが可能なのか、そう思った。
応接間にはジョージ・ワトスンの他にも、クーン商会の会頭とその息子、ギザール商会の会頭など主要メンバーが勢揃いしていた。
「どうぞ殿下、そちらにお座り下さい」
「ああ。ありがとう」
一緒に応接間に入ったセイ・ワトスンが、席へと案内してくれる。
「ん? アレク、ネリーとベイラは?」
セイ・ワトスンはいつも共にいるネリー・トンプソンと妖精ベイラが部屋にいないことが気になったようだった。
部屋の中にいたアレクサンダー・ズベレフに尋ねている。
「聞いてなかったんだね。面白くなさそうだからパスだって。バビブ3兄弟を連れてダンジョンに行ったよ」
「そっか…。ま、大丈夫そうだな。あっちも楽しそうだ。こっちが終わったら合流するか?」
「いいね」
彼らの会話を聞きながら席につくと、先程までズベレフの隣りにいた見覚えのない女性が近づいてきた。
腰まである長い銀髪の、すこし顔色が悪い女性だ。
歳は私と同じくらいだろうか。
「ミロシュ、殿下。初めましてなの…ですじゃ。わしはティアというの…です。ずっと…、ずっと、会いたかった…です」
彼女はとても変わった言葉づかいで、辿々しく自己紹介をした。
「…初めまして。ティアだね。覚えておこう。これからよろしく頼むよ。不思議と、君とは初めて会った気がしないね」
思わず口説き文句のようになってしまったが、嘘ではない。本当に不思議だが、何となく彼女とは初めて会った気がしないのだ。
「本当に…、そっくりじゃな…」
彼女は笑って、小さく呟いてからズベレフの隣へと戻っていった。
少しだけ寂しそうだったのは、気のせいだろうか…。
気になる。
彼女自身のこともそうだが、私はこれまで父にも母にも、誰にも、似ていると言われたことはない。
後ろ髪を引かれる思いで彼女の様子を見ていると、セイ・ワトスンが私の代わりに本題を切り出した。
「さて。殿下がいらっしゃった理由は、計画書を読んだからですね? 父から説明がありますので、お聞きください」
「ああ、そうだね。それを聞くために来たのだった」
私は気持ちを切り替えて、ジョージ・ワトスンからの説明を受けた。
「そんな…、そんな都合のいいことがあるのか…?」
説明を聞き終えた私は、とても信じることができずに聞き返した。
要約すると、ゲルズは大飢饉が起こり現在深刻な食料難ゆえ、計画書の小麦の値段でも感謝されるだろうとのことだった。
実際、ゲルズが現在隣国から食料を輸入するには、我々が提示する値段よりさらに数倍のコストが必要だという。
近いがゆえに、隣国も飢饉の影響があるらしい。
何よりゲルズが欲しているのは、『量』だという。
我々は小麦を含めた大量の食料を輸出し、儲ける。
イザヴェルのダンジョンは食料が豊富なので、滞在中のダンジョン開放もとても喜ばれるだろうとジョージ・ワトスンは言った。
戦争前のこの時期に兵糧となり得る食料を放出する問題は、ビフレストとギムレーから同量に近い小麦を輸入するという。
ゲルズに輸出した額より遥かに安価に。
聞けば、ビフレストは現金を必要としており、ギムレーは鉱石や高ランクの魔物の素材などを必要としているという。
それぞれ求める物が違い、ゆえに同じ物でも国によって価値が大きく違うというのだ。
「最初から知っているから、都合が良く見えるだけですよ。どこの国でも欲しているものはあり、その価値は高まります。商人は、それを上手に見つけるのですよ」
ジョージ・ワトスンはにっこりと笑ってウインクをしながら答えた。
この場にいる商人達が頷いている。
確かに、それは国に限らず当てはまる。
行商人がやっていることを、大規模にした形か。
それにしても、情報の精度が高すぎる…。
「そして我が国が、これから確実に欲する、価値の高まる物がありますよね? この貿易では、それを安価で手に入れます。ゲルズは特に、安く大量に売ってくれるでしょう」
セイ・ワトスンが満面の笑みで言う。
この子供は、間違いなく腹黒い。
スルトでこれから価値が高まる物。
魔石だ。
魔力が足りていない者でも使える魔道具を作るために、絶対に必要な素材。
法外な値段の小麦を大量に輸入するゲルズは、とても全てを現金で払うことはできないだろう。
そこに付け込むわけだ。
ゲルズにとっては、魔石はそこまで価値があるものではないというのが幸いだろうな。
…それも全て計算のうちか。
恐ろしいヤツだ。
今のジョージ・ワトスンの説明を聞いて、ほぼ確信した。
ジョージ・ワトスンは非常に優秀で、演技もとても上手かったが、この計画を考えたのはおそらく、セイ・ワトスンだろう。
私がした質問のうち、いくつかはセイ・ワトスンが答えていた。
あれは、意図していない質問だったのではないか。
ジョージ・ワトスンでは答えられない質問のみ、セイ・ワトスンが答える。そういう段取りだったのではという疑惑が拭えない。
ワトスン商会については調べさせた。
急速に勢力を拡大し始めた時期と、セイ・ワトスンが養子となった時期が近すぎる。
商売ではほぼ表には出ていないが、ワトスングループが大きくなった原因もまた、セイ・ワトスンにある。
私はそう見ている。
そして今、ギムレーでの日程が全て終わり、何もかもがジョージ・ワトスンの言った通りになった。
いや、その裏にいるであろうセイ・ワトスンの思惑通りにと言った方が正しいか。
「次回は絶対に、アレも売ってくださいよ!」
「はは。王と相談してまいります」
別れ際、ギムレーの王子の念押しに苦笑いで答える。
どの国でも同じことを言われるな。
無理もない。
今回、輸送用に用意された”飛空艇”。
世に出せる魔道具が完成したことの宣伝にも使われたアレは、世界を変える可能性を秘めたものだ。
魔法を使えない平民だけで浮遊大陸の昇り降りができたという事実は、あまりにも衝撃的だった。
我々が魔石を多く欲したので、すぐに魔石が魔道具に必要な素材であることは看破されただろうが、それでも魔石の値段が想定以上に上がることはなかった。
安く譲る代わりに、ぜひ優先権を。
そういうことだ。
恐ろしい。
恐ろしいからこそ、…魔が差す。
ただ、この国を愛している。
ただ、この国を良くしたい。
平民の子と蔑まれても、ずっと、変わらず。
私は主役でなくていい、これは運命なのだ。
父上とノバクを縁の下で支える。
それが私の役割なのだ。
それで良い。
それで、良かった、はずなのに。
セイ・ワトスン。
そしてその仲間たち。
あまりにも輝き過ぎる、全ての特異点。
彼らを味方に付ければ、ノバクより…。
私の方が、国を良くできるのでは。
どうしても、そう思わずにはいられない…。




