第86話 浮遊大陸貿易の始まり
「な、なんだと!? 貴様、もう一度言ってみろ!」
年が明けた1月中旬、ヘニル国のバウティスタ王族公爵家では当主ラウル・バウティスタの怒声が響いていた。
相変わらず、まるで玉座のような椅子に座っていて、周りにはスタン・バウティスタを含む何人かが立ち控えている。
「数日前、監視していた浮遊大陸に動きがありました。まだ確認はとれておりませんが、おそらく浮遊大陸貿易が始まったものと考えられます」
諜報員がラウル・バウティスタの前に跪いたまま、報告を繰り返す。
「バカな! 今は真冬だぞ、クソっ! 想像以上に早い! 確認を急がせろ! スルトが力を付ける前に、今すぐ軍は動かせんのか!?」
ラウル・バウティスタが唾を飛ばしそうな勢いで声を上げる。
「恐れながら、まだ準備ができておりません、大公閣下。それに、冬の戦争は侵略側が圧倒的に不利でございます。予定通り春の侵攻、せめて雪解けを待ってからの侵攻が勝利には不可欠であると具申いたします」
周りに立ち控えていた軍部の人間が、ラウル・バウティスタに進言する。
「スルトが力をつけるのを、指をくわえて見ていることしかできんのか! ふざけるな!」
ラウル・バウティスタが玉座のような椅子から立ち上がり、近くに置いてあったグラスをとって床に投げつける。
グラスが割れる音が響き渡り、部屋が静まり返った。
「父上! 今からでも遅くはありません。もう一度、此度の戦争のご再考を! 多少の領土を切り取るための戦争より、浮遊大陸貿易で利を得る方が、国は富みます!」
このタイミングしかないと思ったのか、スタン・バウティスタがグラスの破片も気にせず父親の前に平伏し、戦争の中止を申し出た。
ヘニル国はこの戦争でスルト国の全てを手に入れようとしているわけではない。
王都には大賢者が控えているからだ。
大賢者が出てこない戦争で領土を切り取ってやろうという目論見だったわけだが、浮遊大陸貿易で状況は変わった。
例えスルト国から首尾よく領土を奪えたとしても、怒りを買って浮遊大陸貿易から外されれば莫大な利益を逃すことになる。
国の利益を第一に考えるならば、戦争を止め、浮遊大陸貿易でいかに大きく利益を出すかに注力すべきだ。
そういうことをスタンは語った。
しかし、…。
「言いたいことはそれだけか、スタン。却下だ。今まで戦争の準備にいくらかかったと思っておる。今更止められるわけがなかろう」
ラウルは息子の進言をあっさり却下した。
さっきまで激高していた男とは思えないほど、冷静に。
「そうですよ、スタン坊っちゃん。戦争に勝ち、有利な条件で和睦をします。浮遊大陸貿易にも、多少の影響はあっても必ず参加できます」
軍部の人間が、諭すように言った。
確かにコイツの言うように、和睦締結後であれば貿易から締め出すというようなことはできないだろうな。
だけどな、スタン…。
「それに、戦争を中止してみろ。ワシの求心力はどうなる? 地の底に落ちるだろう。覚えておけ、スタン。政治というのはな、国をいかに富ませるかではない。自分と周囲をいかに富ませるかだ」
ラウルもスタンに諭すように言った。
スタン、コイツらは、民のことは考えてないぞ。
自分達の利益が最優先。
ついでに国のことも考える、そんな程度だ。
平伏するスタンが震えている。
地面に付くほどに下げられ誰からも見えない表情が、オレ達だけには見える。
怒り、悔しさ、そんな表情だ。
「あなたは…、あなた達は、そんな考えで国を…」
絞り出すような、震える声でスタンが呟く。
「…戦争への参加は辞めるか?」
ラウルがスタンに問う。
スタンは戦争に参加予定だった。
コイツも人の親。スタンが辞めると言えば認めてやるつもりなのだろう。
「いえ…。参加いたします。戦争が止められないのであれば、ヘニルの勝利に全力を尽くすまで」
「そうか…。よく言った」
スタンは顔を上げ、父親の目を見て、決意に満ちた表情と声で言い切った。
それを聞いたラウルは少しだけ目を細めて、息子を称賛した。
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「うーん。やっぱり、スタン好きだなぁ」
空中都市イザヴェリアの領主館で、壁に投影したヘニル国の映像を見終わり、感想を言う。
「そうね! 民のことを第一に考えてるのがいいわね!」
ネリーが元気な声でオレの意見に同意する。
ネリーは年末の後期中間試験をギリギリ目標以上の点数で終えてから、ずっとこんな調子だ。
よほど開放されたことが嬉しいのだろう。
期末試験のことはしばらく忘れさせてあげよう。
「うん。やはり例の計画に相応しいのは彼しかいないよ」
「殺すには惜しいヤツなの」
アレクとベイラもそれぞれ感想を言う。
「他国では、王族より力を持った貴族がおるのじゃな」
スルティアは長くスルト国に関わってきたからか、他国と自国との違いが気になるようだった。
「そうだな。ヘニル国の場合は、王族に匹敵するほどの力ってくらいだけどね。バウティスタ家は王族公爵だから、傍系ではあるけど王族と言えなくもないし」
スルティアに正確なところを説明する。
「ふむふむ。ヘニル国では王族公爵に力を持たせ過ぎたのじゃろうな。で、それを利用しようというわけか」
スルティアの言葉に、オレ達は悪どい顔で笑って、そういうことだと頷いた。




