第60話 家族の輪
私の挨拶に対して、お母様からはすぐに返事はなかった。
私と同じように、お母様もカチンコチンに緊張しているように見える。
「え、ええ…。お帰りなさい。急にどうしたの? 学園に入ってから、一度も帰っていなかったのに」
お母様は少し引きつったような顔で、困惑したような声を出した。
『お帰りなさい、ネリー! 会いたかったわ!』なんて抱きしめてもらえるとは思っていなかったけれど。
やっぱり歓迎されていないのかなと思うと、悲しくなる。
でもきっと、陞爵のことを話せば、お母様も私を抱きしめてくれるわ。
私はちょっとだけ目を瞑り心を落ち着けた後、思い切って話を切り出した。
「はい。実は…」
話し始めるのとほとんど同時、後ろから屋敷の玄関扉がすごい勢いで開かれた音がして、懐かしい声が聞こえてきた。
「ただいま帰ったぞ!!」
「お父様!」
私は嬉しくなって、後ろを振り向いてそう叫んだ。
玄関扉の前から、真っ赤な短髪でちょび髭の、ちょっと太ったお父様が、息を弾ませて早足で玄関ホールを横切ってこちらへやって来る。
「ミゲル!? どうしたんですか、そんなに息を切らして…」
お母様が、いつもより早く帰り、普通ではない様子のお父様に問いかける。
ミゲルというのはお父様の名前だ。
「おお、ネリー! 帰ってきていたのか。よくやった! よくやったぞ!」
お父様はすぐにはお母様には答えず、私を見るや早足で駆け寄ってきて、両肩に手を置いて褒めてくれた。
ミニドラちゃんには悪かったけど、屋敷には連れてこなくて良かったかもしれない。
縮小魔法をかけたままだったから、肩に乗っけて来るか迷ったのよ。
泣き笑いのような顔をしながら喜んでくれているお父様を見て、私も喜びがこみ上げてくる。
「お父様?」
「ネリーが何かしたのですか?」
ヨシュアとお母様が、尋常ではない様子のお父様に改めて問いかける。
「陞爵だ!! ネリーが大功績を上げて、陞爵が決まった!」
お父様は私の肩から手を離し、お母様とヨシュアの方を向いて、弾むような声で叫んだ。
「ああ、ミゲル、ヨシュア! 良かった…」
お父様の言葉を聞いたお母様は、途端に泣き崩れた。
お父様がお母様に駆け寄り、両手を広げてヨシュアごとお母様を抱きしめる…。
その瞬間、微笑ましい光景のはずなのに、喜ばしいことのはずなのに、途端に私の喜びは萎んでしまった。
3人と私の距離が、遠すぎる気がして。
私も、一緒に抱きしめて欲しかったのに…。
「ああ。すまん、お前達には苦労をかけたな」
お父様がぎゅっと抱きしめる両手に力を込めて、噛みしめるように言った。
人間は対象外の私のスキルは無力で、『お前達』に私が入っているかは分からなかった。
「すごい! お姉さま、すごい!」
ヨシュアが無邪気に私を褒めそやす。
私はヨシュアが羨ましかった。
「ネリー、ありがとうね。ありがとう…」
ずっと褒めてもらいたかったのに、お母様の言葉が嬉しくなかった。
お礼を言われると、3人の家族が抱き合っている側で立ちすくむ私が余計に他人のように思えた。
こんなの私の思い込みかもしれない。
本当はお父様もお母様も、私とヨシュアを変わらず愛してくれているかもしれない。
でも、1度考えてしまうと、今日はもう耐えられなかった。
「うん。本当に良かった…。今日はね、その報告に来ただけなの! もう帰るね!」
私は精一杯の笑顔を浮かべて、嘘をついた。
本当は泊まるつもりだったのに、この場から逃げるために。
今初めて、私はトンプソン家の誇りのために頑張ってたんじゃなくて、お父様とお母様に愛してほしかっただけだって気付いた。
お祖父様に合わせる顔がないわね…。
「えっ、お姉さまもう帰っちゃうの!? 功績のお話、聞きたいのに!」
ヨシュアが残念そうに言った。
ごめんね。心の整理がついたら、お話してあげるわ。
「その…、夕食だけでも食べていかない? 今ちょうど用意しているところだったのよ」
お母様が立ち上がり、おずおずとした様子で提案をしてくれた。
嬉しいけど辛くて、私の頭は真っ白になった。
「急に来ちゃったから、3人分しか作っていないでしょう? それに…、寮に仲間が待ってるの。早く帰らないと」
心臓が跳ねるくらいの動揺をできるだけ隠して、また嘘を付いてしまった。
あいつらには、1泊するって言ってあるのに。
「そうか。一緒に功績を上げたという、ズベレフ家の子とワトスン商会の子だな。彼らにも感謝を伝えてくれ。本当にありがとう、ネリー」
またトクンと心臓が跳ねる。
お父様もお母様も、本当に喜んでくれている。
私を褒めてくれている。
望んでいたことのはずなのに、私が勝手に余計なことを思い込んで、台無しにしちゃった。
少し涙目になりかけてしまったのをこらえて、お父様に返事をする。
「いえ、家の役に立てて良かったです。では、お父様、お母様、もう行きます。近いうちにダンジョンの成果を持って、改めて参ります」
ダンジョンで手に入れたものは、セイの強い希望で山分けした。
私やアレクはセイが多くとるべきだって言ったけれど、あいつは頑として譲らなかった。
心が落ち着いたら持ってこよう。
あれを売れば、ものすごいお金になるはずだ。
きっと、家のためになる。
「ああ。たまには帰ってきなさい」
「今日は…、顔を見られて良かったわ。元気そうで良かった」
お父様とお母様が優しい顔で私の顔を見て、そう言ってくれた。
途端に、涙が溢あふれてきた。
私は、嫌われてなかった…!
家族の輪には入れなかったとしても、私はお父様とお母様に愛されていた。
「……その、言葉を…、聞けただけで。私は今日、ここに来て良かったです」
泣きながら、何とか言葉を絞り出した。
振り返って走り出す。
心がグチャグチャで、自分で自分のことがよく分からなかった。
またたく間に玄関ホールを駆け抜け、乱暴に玄関扉を開け放ち、逃げるように外に出た。
外はもう暗くなり始めていて、さっきまでの夕焼けはどこにもない。
全力で身体強化の魔法をかけ、家の敷地から飛び出す。
王都の石畳を踏みしめ、どこへ向かうでもなく全力で走ると、一瞬のうちに周りの景色が遠ざかっていく。
さて、どこに行こうかしらと思っていると、突然後ろから誰かに腕を掴まれてグイッと引き寄せられた。
腕を掴まれた瞬間は驚いたけれど、すぐに誰かは分かった。
にもかかわらず、振り向いた私はとても驚いた。
「なんで、あんたがここにいるのよ…」
つい、喧嘩腰のような話し方になってしまう。
「悪い。アカシャに聞いた。なんで出てきたんだよ? 1泊してくるって言ってたじゃねぇか」
そこにいたセイが、1度も見たこともないような険しい表情をしていたからだ。




